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毎月1日に三芳町が発行している「広報みよし」に『くらしの民具』と題した連載をしていました。ちょっと前までは使われていたものが、生活習慣の変化・技術の進化などにより、形や材質を変えたり、姿を消してしまいました。この連載では、今では見られなくなったもの・使われなくなったもの(民具を中心に)にスポットをあて、ご紹介しています。
4月 −炭火アイロン・火のし− | |
6月 −洗濯板・たらい− | 7月 −柱時計− |
8月 −ラジオ− | 9月 −徳利(とっくり)− |
10月 −麺棒とのし板− | 1月 −へっつい・くど・竃(かまど)− |
2月 −水琴窟(すいきんくつ)− | 3月 −機織り機 (はたおりき)− |
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Vol.1(1995年4月号〜1996年3月号) |
Vol.2(1996年4月号〜1997年3月号) |
Vol.3(1997年4月号〜1998年3月号) |
Vol.4(1998年4月号〜1999年3月号) |
Vol.5(2005年4月号〜最新号) |
布地のシワをさっと伸ばす道具、アイロン。電気を使って、蒸気を出しながら、すいすいシワを伸ばす。今日の道具は、そのほとんどが電気を使っているが、アイロンが電気を獲得する前、熱源に炭を使っていた。形は、現在のものと基本的に同じと言っていい。ただ、炭を入れるため、中は箱状になっていて、上部が開閉できる。しかも炭が消えないように、空気穴と煙出しがついている。そして温度調節が簡単にできないので、手拭いをぬらして布地の上、すなわちアイロンとの間に敷いて直接当たらないようにしていた。アイロンは、明治の終わり頃、イギリスから日本に伝えられたようである。 |
六月にもなると汗ばむ季節である。ふだんでも毎日の畑仕事で着物が汚れるのに、汗ばむ夏場はとくにさっぱりとしたくなるものである。洗濯は欠かすことができない仕事であった。 |
みなさんはどんな時計を持っていますか。腕時計・壁掛け時計・目覚まし時計、アナログ式にデジタル式…形も大きさも用途も様々な時計があることに、改めて気づかれると思います。しかし、柱時計を長年使っているところは少ないのではないのでしょうか。 |
「JOAK、こちらは東京放送であります。」のラジオの第一声が日本の空にひろがったのは、大正14年3月のことでした。当時、受信者の大半は鉱石受信機とレシーバー(ヘッドホン)を利用してこの声を聞いていました。 |
現代の私たちは、高度経済成長の波に乗って急速に普及した安価な石油製品に囲まれ、また手軽で手間のかからない使い捨て容器である缶や紙パック、ペットボトルなどを使って生活している。現代社会は、そうしたものが氾濫しているといってもいい。 | 旧村の大字名が書かれているとっくり |
手打ちうどんは、「ハレ」の日に作られた。「ハレ」の日とは、年中行事や祝儀不祝儀などをいった。「ハレ」の食事はふだんとは異なった「かわりもの」が作られた。そのうちよく作られるのが、白米の御飯やうどんである。そのため、うどんの打ち方は嫁入り修行のひとつとされてきたし、のし板と麺棒は嫁入り道具であった。手打ちうどんの作り方、食べ方は次のようなものである。こね鉢に小麦粉一升につき柄杓一ぴほどの水へ軽くひとつかみの塩を溶かした塩水を入れて、夏は少し固めに、冬は軟らかめにこね、次にのし板の上で木綿の布をかけ、その上にござをかけ足で踏む。しばらく寝かせておいたら、一升一玉にし、のし板に打ち粉をし、麺棒で広げ、ある程度薄くなってきたら麺棒に巻きつけながらのしていく。のした後打ち粉をしながら屏風のようにたたみ端から切っていく。次に熱湯でゆであげ、水によくさらす。うどんはつけ麺にし、「カテ」と呼ばれるおかずがつきものだった。 |
「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋取るな」。これは、ご飯の炊き方を言い表したもの。かつての農家にはどこの家にも「かまど」があって、毎朝かまどに火を起こし、こんな火加減でご飯を炊いていました。 |
みなさんは「水琴窟」をご存知ですか。「すいきんくつ」なんて聞いたこともないという人が多いだろうと思いますので、今回はこれを紹介します。 |
機織りは、昔話や映画に登場したり、伝統的な産業として紹介されたりと、わりと用意に思い浮かぶ民具でしょう。とはいえ、三芳と機織りはあまり縁のないものと思われるかもしれません。しかし、かつての三芳では、農閑期の代表的な仕事のひとつでした。 |
Vol.1(1995年4月号〜1996年3月号) |
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