かえってきた♪にんぷ日記

ドイツ滞在 〜 のい の第一次反抗期を終了して、ようやく二人目の子供が授かりました。 しかし、2回目とはいえ、妊娠経過は1度目とはまるで違う。 今回は、前回とは比べ物にならないほど、ツワリがきつかった……。 さらに、幼稚園入園、建築士受験、廃園〜転園騒動と、同時進行だったこともあり、 日記を書き始める余裕ができたのは、妊娠9ヶ月という、ていたらく。 これからは、また育児専業モードを楽しみたいと思います。

●臨月(36週〜)



2003年11月21日(金) おしるし・陣痛・出産〜「こと」登場
朝4時半、妙にスッキリとして目覚めた。嘔吐下痢はもう治ったのか。トイレに行ったら出血。「おしるし」?  まだ37週なのに。何かの間違いでは。しかし少量とはいえ出血はまずい。 本部屋に行き、出産マニュアル本をめくる。……どうも「おしるし」の可能性が高い。
出産は明日か明後日か? 今日生まれたら蠍座、明日以降なら私と同じ射手座か…と呑気なことを考えながらも すぐにお産が始まったら大変なので、入院中の連絡先リスト(まだ時間があるからと放置していたのだ)を作成。 幼稚園・託児所をはじめ、近所のタクシー会社の電話番号まで書き終わった途端、お腹に陣痛らしき痛みが。
ヤバイ……とりあえず風呂に入って全身を洗う。 夫と のい を起こし、朝食を食べ始めたのが7時。そういえば前日の昼から何も食べてない。 陣痛間隔はだんだん短くなり、お茶漬けをすすり終わる頃には5分間隔になっていた。 経産婦は陣痛15分おきになったら、すぐ入院と聞いていたのに。慌てて産院に電話。
のい と夫をせかし、車に乗り込む。踏み切り前では朝の渋滞。ドキドキしたが、何とか8時すぎに到着。 すぐに陣痛室に入れられた。助産婦さんに「まだ37週なんですけど、前駆陣痛ですかね?」と尋ねたら、 「前駆陣痛で5分おきにはなりません。本当の陣痛です」。ちょうど朝の回診時間だったので、 すぐに医師にも診てもらえた。内診して曰く「午前中には生まれますね」。私も夫も「えー、そんなに早いの!」。
夫は慌てて、のいを連れて車へ。仕事のキャンセルだの、幼稚園の欠席だの、手配するため。 陣痛はだんだん広がって強くなり、腰全体に。でも陣痛と陣痛の合間は、全然苦しくないので、 入れ替わり立ち代りやってくる助産婦さんたちに、「ハンドクリームは何がオススメですか?」とか お産と関係ないことを質問していた。ワイドショーを見ながら世間話とか。余裕たっぷり。
そのうち、夫とのいも戻ってきた。のい は隣でジュースを飲んだりオヤツを食べたりして、おりこうさん。 助産婦さんがいないときに陣痛が来ると、夫が腰をさすってくれたが、プロとの差は歴然。 のい の出産のときは学生さんがさすっていたので、違いが分からなかった。
婦長さんが来て内診をしたらちょうど陣痛が来て、子宮口がいきなり7cmから全開大に。 まだ破水していなかったので人工破膜することに。陣痛が来たときに切るのだが、 担当の助産婦さん(後で助産婦一年生と知った)がタイミング良く切れない。 横で先輩助産婦さんが「ほら、今切らんと!」と叱咤するので、陣痛で苦しいこちらもドキドキした。 全開大から3回めの陣痛で、やっと破膜〜破水。
「さあ、分娩室に行きましょう」と言われたが、え? 立てないよ〜!!
後で聞いたら、もう頭が出かかっていたらしい。
助産婦さん3人に抱えられて車椅子に乗せられ、また抱えられて分娩台へ。医師もすぐ到着。
数回いきんだら、生まれた!! 午前10時41分。あっけなくて、びっくり。
小さいけれど、元気な声で泣いて可愛い。「ことちゃん!」と思わず声が出た。笑っちゃうほど、のいそっくりだ。 “そっくり兄弟”に憧れていたので、うれしい。 バースプランに書いておいた「胎盤と臍の緒」もちゃんと見た。想像よりレバーっぽくなく、フワフワしてて感激。 前回同様、医師が写真をたくさん撮ってくれるのだが、さすがに時代の流れ、デジカメに変わっていた。 のい と夫も入室し、こと と対面。のいもうれしそう。助産婦さんによる撮影大会は、しばらく続いた。
まだ入院室が空いていなかったので、しばらく元の陣痛室で休んだ。 さっきまでお腹の中にいた こと が隣に寝てる。不思議な感じだ。 分娩時間があまりに短くて、体力の消耗が少なくて、あっけないほど。 夫が、分娩前と分娩後の、陣痛室での様子を写真に撮っておいてくれたのだが、まるで同じ。余裕の笑み。 夫も「前回は手の皮が剥けるかと思ったほど腰をさすらされたけど、今回は楽だった」って。
→ ことひめ日記(現在工事中) へ続く。



2003年11月19,20日(水、木) 天然ガス転換+嘔吐下痢
天然ガスの転換作業が行われた。我が家の担当は、宮崎ガスからの応援の人。 のいは、珍しく下痢気味。でも元気はあるので様子を見ていたが、夕方、嘔吐。 吐瀉物がトイレの床と壁に飛び散り、大きなお腹で掃除が大変だった。 プリンやうどんなど食べられるものを与えた。
2日目は朝7時半からガスが一切使えなくなった。のい は幼稚園を休んで転換作業を見学。 午後からは、のい はうどんを食べたりして回復してきたが、今度は私の具合が悪くなってきた。 夕方、二度嘔吐した後、夫に救援を頼んで布団に倒れこんだ。うー。以後、朝まで記憶なし。



2003年11月18日(火) 妊婦ごっこ・子供は存在自体が光
月曜の夜、のい がパジャマの腹巻の中に、ぬいぐるみのモグラ(ヤーヤちゃん)を入れて 「僕は、ヤーヤのお母さん」と、妊婦の真似。 見事に逆子なんだが(苦笑)、今朝起きて「ヤーヤちゃんが生まれた!」と、“ご出産”までしていた。 機嫌のいい奴。 巨大+どピンクなキティグッズを巡って夫と唸っているときも、のい だけは、 「キティちゃん可愛いよ。だって、口がないのに、しゃべれるんで〜!」と、 大分弁で笑わせてくれた……どうやら、幼稚園の女の子の受け売りらしい。
寒くなり、子供とペタペタ触れ合うのが嬉しい季節。 子供ってホワホワして甘いニオイがして暖かい。存在自体が、可愛いくてピカピカ光っている。 そんな子供たちを、ファンシーなもので俗っぽく飾り立てるのは、 子供自身の放つ「光」への冒涜に近い……と私は思っている。 キャラクターものは、持ち物のワンポイント程度に留めたい……というのが私のやり方。



2003年11月14〜17日(金〜月) 風邪ひき・“おばあちゃん”・おじや
ただの風邪と思っていたが、妊婦の抵抗力のなさからか、徐々に悪化。 金曜のビクスは休んで、健診のみ受けた。赤子は順調。 目鼻立ちクッキリちゃん♪であった。 妊婦でも大丈夫な風邪薬を出してもらった。
今日の助産婦さん、親切心からだろうが、こともあろうに 「上のお子さんの世話は、“おばあちゃん”にでも頼んで、ゆっくり休んでくださいね」 とおっしゃったので、ピキッ! そんな“便利なおばあちゃん”なんかいないから、 毎度毎度苦労してるのにさ!! 医院内に託児ルームも併設されてるのに、 そういう最近の事情が分かんないのかなあ。うちは遠方なだけだけど、 お母さんが既に亡くなっている人やお母さんが病気の人、育児に不向きな母親をもつ人、 母親と不仲な人など、“おばあちゃん”に子守を任せられない様々な事情がある人が、世の中には沢山いるのに。 とりあえず助産婦さんには「うちには“おばあちゃん”はいないんですが」と、努めてアッサリ返したが。 ついでに言うと、健診に意味もなく母親同伴で来る人も、どうかと思う(本人が具合が悪かったり、 上の子の子守の場合は仕方ないが)。そういう“プレおばあちゃん”に限って、 待合室が混んでてソファに座れない妊婦たちがいるのに、席を譲らなかったりするのよね。
帰宅後、出された薬を飲むと恐ろしく眠気が襲ってきたので、食事+薬→睡眠→食事+薬→睡眠…という具合で、 眠りまくった。のい にも感染し、土曜の朝、夫が小児科に連れて行ってくれた。土曜の午後と日曜は、 夫はそれぞれ日帰り出張仕事だったが、幸いにも、のいの風邪は軽くて、 大根の蜂蜜漬けも効いたらしく、私が眠りこけている間も、独り言を言ったり歌ったりしながら遊んでくれて、 助かった。しかし、喉が痛いなら黙って遊んだらいいのに。 残りご飯とチキンコンソメでつくった「おじや(卵入り雑炊)」を大層喜んで、 「おじやって、一番おいしいね〜。二番がハヤシライス! 三番が……」などと延々しゃべろうとするので 「分かった分かった、ありがとう! もう何でもいいから黙っとき!」と制さねばならなかった(苦笑)。
月曜の朝、なかなか起きない のい を起こすのに、「あと10秒で起きたら、おじや作ったげる」と言ってみたら、 一発で起きた……「おじや」の威力すさまぢ。私は月曜もビクスを休んだ。



2003年11月12日(水) 託児所が…
朝起きると、寝汗びっしょりで、喉が猛烈に痛かった。風邪だ。昨日は人ごみにも出なかったし、冷えもしなかったので、 思い当たる原因がない。臨月に入ってマイナートラブル続き。
本日は幼稚園が午前中保育だったので、お迎えに行った帰りに、春に4日間ばかり のい を預けた託児所に寄った。 保育士のIさんがとてもいい方で(のい も懐いていたし、何より教育方針に共感できた。 彼女の話を聞いたことで、のい4歳の誕生日に包丁をプレゼントする踏ん切りがついたのだ)、 出産入院の約一週間、幼稚園が終わった後、夫の仕事が終わる夕方まで、のいを預かってもらおうと思っていた。 「近所にIさんの託児所があるから大丈夫!」と、大船に乗った気持ちでいたのに…なのに…「お久しぶりで〜す」と挨拶していたら、 なんと「11月末までで閉所することにしたの」。エエエエエ!  今後は、今の所から少し離れた、Iさんのご自宅で預かってくれるそうだが、 となると、夫が迎えに行く距離が長くなって大変だ。うーん、参った。 やはり、産院の託児ルームに頼むかなあ。
駅裏から駅構内をへて駅前に出て、お昼ご飯。のい の下着やお椀(赤ちゃん食器をずっと使っていたので)など 購入し、バスで帰宅した。のい に本屋に寄らされたりして(こ奴も印刷物のハイエナかよ…)、へとへと。



2003年11月11日(火) エプロンと座布団
のい が幼稚園の木の椅子にのせて使う座布団と、今度の「お芋パーティ」のときに着るエプロンをつくった。 例によってウルトラマンプリントの布地。入園前、布地屋で「絶対これがいい〜」と子に泣かれて、 親が泣く泣く買わされた、1mあたり900円もした代物だ。 エプロンは、料理に興味津々の彼にいつか作ってやろうと思っていたので、良い機会だった。 スモックじゃなくて、紐式の大人っぽい型にした。首のところには大きなボタン、 後ろはまだ自分で結べないのでゴム入り。「お兄さんみたいでしょ」と言うと、喜んで着ていた。 ミシンをかけながら、「お産で命を落とすようなことがあったら、これが のい への最後の手作りプレゼントになるなあ〜」 などと、縁起でもないことを考えていた。



2003年11月10日(月) 血圧が…
ビクスへ。始める前に血圧を測ったら、上が136。 ビクス当番の助産婦さんに「やばいですよね〜」と言ったら、他の症状を訊かれた。 疲れたときは目の飛蚊症のような症状も出る、と話すと、助産婦さんは平静ながら微妙な表情。 「ジョギングの動きのときは、椅子で休んでいてください」との指示が出た。が、ビクスが始まってからの動きを観察されて 大丈夫と思われたのか、途中で「普通に動いていいです。終了直後と30分後の2回、血圧を測ってみましょう」ということに。 結局、終了後は2回とも正常範囲に収まっていたので、ほっとした。 でも塩分には気をつけようっと。京都の伯母の炊いてくれた、世界一美味な塩昆布は、しばらく我慢だな。



妊娠9ヵ月 
妊娠2〜8ヵ月 
のい のときのにんぷ日記 

転石礫礫通信の目次へ