かえってきた♪にんぷ日記

妊娠2〜8ヵ月

妊娠8ヵ月(28〜31週・2003年9月15日〜10月12日)


  建築士二次試験のための設計製図に励んだ。学科試験の合格通知もちゃんと届いた。 しかし、独学の二級(木造住宅)は解答例をトレースするのみ。 通信添削を利用している一級は、エスキス(計画)をするだけでひっくり返ってしまう。 お腹を圧迫しないように、立ったり座ったり、休憩しながらの製図。制限時間内に描き終えたことなど、一度もなし。 やっと描き終えた添削課題は、真っ赤になって戻るのはいいが、減点の嵐。トホホホ。結局、体力的に 基本4課題分をこなすのがやっとで、オプション課題をやるまでに至らず。独学でもWebから色々と情報が入るのは、ありがたいかぎり。
  座りっぱなしが災いして、のい の出産時に出てきた痔が悪化。それでも、お腹の中では、 子供は順調に育っており、どうやら女の子らしいと判明。結構胎動が激しいので、医師に「オテンバちゃんかな」 と言われる(笑)。また、腹の中から時々「ピシ!ピシ!」という音が聞こえてくることを訴えると、 妙にその日上機嫌だった医師は「そんなこと聞いたことないなあ〜、中に宇宙人がいるのかも。あるいは赤ちゃんが、 「お母さん、お魚を食べて」と言っているのかも」と冗談を飛ばしていた。そう、体調はかなり良くなったが、相変わらず 魚介類が全然ダメ。ニオイを嗅いだだけでも逃げ出したくなる、と前回、医師に話をしていたので。
  9月28日、二級建築士の二次試験本番。前夜、ようやっとヤル気が出て、苦手(というか全然覚えられなかった)の 木造矩計図を一夜漬け。腹を圧迫しないで描く方法(紙を90度回す)を編み出した。 夜、のい を寝かしつけた後、11時過ぎになって「あー、やっと何も見ないでも描けるようになった」と宣言し、 夫を大いにあきれさせる。本番は、周りの人たちの物凄い装備(机にのせる小机など)を見て楽しんだ。
  10月12日は一級建築士の二次試験。「保育所のある複合施設」というお題は、腹の中にも外にも子持ちの私にピッタリ であったが、予想外の複合施設にはビビッた。でもまあ、初めて制限時間内にエスキス+製図が終えられたので、 火事場の馬鹿力かなあと。学科、製図と今年は4回も試験を受けるはめになったが、初めの3回は、妊婦対応ばっちりで バイトの女子学生が試験監督補助として付いてくれていたのに、最後の最後だけなぜか、試験監督補助が男子学生。 なんで妊婦がトイレに立つのに、若い兄ちゃんが廊下までついてくるねん、もう!  一級の製図受験者はオバちゃんが多いから? 兄ちゃんもヤダったろうな。ま、結果は、クリスマスのお楽しみ、と。


妊娠7ヵ月(24〜27週・2003年8月18日〜9月14日)


  お盆明けの8月20日から、のい の幼稚園は夏季保育の後半。初日は、保護者も一緒に園庭の草引きをした。 エイエイ!と草を抜くとストレス発散になったが、周りのお母さんたちから「お腹が大きいのに大丈夫なの?」と 心配されてしまった。夏季保育の後半では運動会の練習がメイン。8月26日には、園のお誕生会(8月生まれの子の)があった。 夏季保育のおかげで、なかなかやる気が出なかった、設計製図試験の準備にエンジンがかかったか?……と思ったのは一瞬であった。とても受験勉強どころではない事態発生!!
  8月25日、「怪しい」お知らせプリントを、子供たちが持ち帰ってきた。それは、突然の閉園騒動の始まりだった。28日の午後、4時間に及ぶ緊急保護者会。 翌29日、PTA代表と先生方、都合のついた保護者数名とで、県の担当者に陳情。事の発端である園長も同席。 結局、今年度末までしか園を続けられない理由は、県の担当者のブッチャけた話でやっと理解できた。 話し合いの間、あまりの事態に多少イライラしたので、胎教には良くなかったかな。 転園に際しては、県や園長も最大限の努力をする、との条件下で、年少組にとっては途中閉園という「異常事態」をのむことになった。 9月初旬は、転園先を決めるのに大わらわ。今年の夏の気候も、はじめは涼しかったのに、お盆を過ぎてからが暑くて、追い討ちをかけるように応えたことだった。 でもまあ、この騒ぎで、それまではあまり接点のなかった幼稚園ママとも、色々と話すようになったのは、怪我の功名だったかな。
  9月14日は、のい の園の運動会。小学校の中庭で行われた。のい は緊張のせいか、前夜から38度を超す発熱。 熱でボーッとしているが「運動会、出る」とやる気満々なので、様子を見ながら出席することにした。 夫は、会場設営係のため、自転車で先に家を出た。私とのい は、後からバス+徒歩で小学校へ。 園児の人数が少ないので、運動会では、ほとんど待ち時間がなく、出ずっぱり。 アンパンマン体操も、かけっこも、ドラえもんのダンスも、親子競技も、綱引きも、玉入れも、リレーも、手話つきの「忍たま」の踊りも、 よく頑張った のい だった。9月になるまで全てのダンスを拒否して、直立不動だったのが嘘のよう。 久々の一眼レフが活躍した。私はカメラばかりで、親子競技や後片付けなどは、すべて夫がやってくれた。感謝感謝。 午前中ですべてのプログラムが終了。終わったら、のいの熱は下がっていたので笑った。のい と夫は自転車で、私は徒歩で帰った。 小学生と年長児は毎日歩いて通っている通学路だが、遠かった。年長児なら40分はかかるだろうか。 ツワリがおさまったので体調は上々だが、たくさん歩いたら、さすがに腹が張った。


妊娠6ヵ月(20〜23週・2003年7月21日〜8月17日)


  幼稚園が夏休みに入り、試験の追い込みと、のい の遊び相手をこなすという、二つの課題が一度にやってきた。 これは家事の手伝いという「遊び」で解決。洗濯物を干すやら、サンドイッチをつくるやら、餃子の皮を包むやら、 野菜の水切りをするやら、手先の器用な のい は、嬉々として楽しくやってくれて、助かった。
  7月27日、一級建築士の学科試験。本命ゆえ、また昨年が難問の嵐が吹いたと聞いていたので緊張した。 今回もゲロ袋持参。二級のときと試験監督が同じ人だったのには、笑ってしまった。 ただ、今回はオープンキャンパス開催のため、二級の学科とは違う建物が試験会場で、少々暗く、 トイレまでの階段も急で、足元の見えづらくなってきた妊婦には怖かった。 得意なはずの「計画」で手間取り、午後の苦手科目では頭痛と耳鳴りがするほど疲れた。自信なし。 試験会場の建物から出たら、のい がベンチから「おかあさーん」とニコニコ笑顔で迎えてくれた。嬉しかった。 子守と送り迎えをしてくれた、夫には感謝感謝。帰りに、宮崎県からの無農薬トンカツ屋で夕食をとった。 一日離れていると、人前もはばからず「おかあさん、だーいすき♪」とベタベタしてくれる のい であった。  夜、資格学校のインタネ採点をしてみたら、なんと、合格ラインを超えていた。夫にそのことを伝えたが、 「あんな勉強の仕方で受かるか? 入力ミスじゃないの?」と、まるで信用されず。
  学科試験という重荷が去ったせいか、少しツワリが楽になったような……。
  やっと親が楽になったので、のい と遊ぼう♪と張り切った矢先に、のい が水疱瘡に。 背中からポツポツと水疱が出始めたが、全く痒がらないので、初日はてっきり水イボと勘違い。 2日目に、バスで街に出て、漢方薬局にてヨクイニン(ハト麦)を買い、さらに子どもルームでさんざん遊び…… 帰宅したら、夕方、ゾッとするほどの発疹。これは水イボじゃな〜い!! 煎じたヨクイニンは、美味そうに飲んでいるが…。  かかりつけの小児科に電話で相談。「発疹と水疱とカサブタとが同時にあるのが、水疱瘡の特徴ですよ」。まさに。 でもほんとに痒がらない。どうなってんの? 「診てみないと判んないよ、明日連れてらっしゃい」と笑われた。 夜になって発熱。翌朝、小児科に夫とともにすっ飛んで行ったら、一目見るなり、「水疱瘡だよ」。ううう。 思いっきり遊びまわるはずが、しばらく家に軟禁状態になり、楽しみにしていた夏季保育のプールも半分以上おじゃんに。 しかし、のい は軟膏を塗ってはウヒャウヒャ喜び、紙箱で大きなロボットやら靴やらつくって、うまく過ごしていた。 水疱瘡の抗体値が低かった夫にも感染する可能性があったが、「もう手遅れかも」と言われつつも すぐにワクチンを打ってもらったおかげか、発症せずに済んだのはラッキーだった。
  二次試験に必須の平行定規は、文具店に行くのが面倒なので資格学校から購入した。持ってきてくれた営業氏、 あまりの私の腹の出を見て、“こりゃ無理だ”と思ったのか、32万円もする受験対策講座に勧誘することもなく、 あっさり帰っていった。
  お盆は帰省せずに、大分での〜んびり。夫の運転で、久住高原までドライブした。安定期に入って、車のニオイが平気になったので。


妊娠5ヵ月(16〜19週・2003年6月23日〜7月20日)


  幼稚園ではプール開きもあったが、雨続きで涼しく、夏といっても普通の人には暑くないらしい。 しかし、妊婦には暑い。雨が降ると湿度が上がって、蒸れたニオイも辛い。
  7月6日、二級建築士の学科試験。本命である、一級建築士試験の会場下見というところ。 ゲロ袋持参のうえ、試験監督には「何かあったら、すぐ呼んでください」との妊婦対応をしていただく。 二級の受験者は、色白で若い人たちと、現場で耳のてっぺんまで真っ黒に日焼けしている人たちとの両極端さが目立った。 男性の体臭に特に吐き気を催すので不安だったが、何とかゲロ袋の出番はなしで済んだ。 会場の日本文理大学は、さすが私立大学で、教室は明るいし机も綺麗だし、 トイレもウォシュレット+音姫付きで、豪華。快適に過ごさせてもらった。
  試験後、資格学校のインタネ採点をしてみたら、大の苦手だったはずの「構造」が満点で、びっくり。


妊娠4ヵ月(12〜15週・2003年5月26日〜6月22日)


  相変わらず、ツワリおさまらず。スーパーマーケットのニオイ(特に惣菜売場)もダメ。他人の化粧のニオイ、 歯磨き粉のニオイ、旦那の研究室のPC機器類のニオイ(身体にしみ付けて帰ってくる…)もダメ。 他所んちの換気扇から流れてくる焼き魚や煮物のニオイでも、倒れそうになっていた。
  「10年ぶりに建築士を受験するから」と言って美術館ボランティアを辞めたのに、受験勉強どころではない。 通信添削の学科課題をやっつけるときにだけ机に向かい、後は、過去問の問題集と鉛筆を抱えて、 布団にひっくり返っているのが、せいぜい。
  梅雨に入って湿度も上がり、さらに気分の悪い日が続いた。


妊娠3ヵ月(8〜11週・2003年4月28日〜5月25日)


  ツワリはさらに厳しくなってきた。一級建築士の受験申込はバスで行ったが、 低床バスの振動にかえって気持ちが悪くなった。身体にフィットした服が着られなくなり、 まだ腹も出ていないはずなのに(出ているのは皮下脂肪…とほほ)、妊婦服を着る。
  ホームヘルパー2級受講時に引き続き、土日は、夫がのい の面倒を見てくれた。
  幼稚園の担任教諭による家庭訪問があったが、起きるのがやっと。部屋の片付けまで手が回らず。
  5月中旬、やっと幼稚園のならし保育(午前中のみの保育)が終わったのはいいが、 今度は、週2回の弁当作りが始まった。不本意ながら、生協の冷凍食品に大いに世話になる。 自分は、レトルトとかインスタント食品が食べられず。化学調味料ですら「げえ〜」。 魚はダメでも貝類ならいけるかと、潮干狩りに行ったお隣さんが分けてくれたプリプリのアサリを食べたら、 すっごく美味しかったのに、数分後に吐いてしまった。うううう。
  たまたまツワリの直前、生協の共同購入で注文してあった、 「小林カツ代・料理の辞典 おいしい家庭料理のつくり方2448レシピ」が、この時期の メシつくりに実に役に立った。なぜならこのぶ厚いレシピ本、文字だけで記述され、 料理写真が一切掲載されていない。冷蔵庫にあるものを布団の中で思い浮かべ、 材料別および調理法別の索引で引いて、気持ち悪くならずにつくれて食べられそうなものを 事務的に選び出し、事務的に調理し(必要に応じて息を止めたり、雄叫びを発したりしながら)、 何とか夕食に間に合わせることが出来た。自分でつくっていながら、工夫も何もせず、 ひたすら本の通りに調理しているだけなので、出来た料理を見ても、まるで他人が作ってくれたようだった。 オエーッ!とかゲエー!とか壮絶な雄叫びを発しながら台所に立っていたので、 のい も夫も恐怖を感じていたに違いない。


妊娠2ヵ月(4〜7週・2003年3月31日〜4月27日)


  大変豪華(!)な4月だった。
  のい入園前の帰省ツアーとして、大阪奈良〜福井とハードスケジュールで移動したらば、 のい が周期性嘔吐(いわゆる自家中毒)を起こして、福井で半日も病院で点滴するはめに。 医師と相談の末、すぐ九州に戻った。何しに高い交通費を払ったんだか分かりゃしねえ。 さらに帰りのJR乗継の際に、新大阪駅で買った寿司を食べてから私まで具合が悪くなってきた。 パックの中に、生鮭がのった寿司が一つ入っていたが、あれが怪しい。 10年前にも、スーパーで買った生鮭の刺身で具合が悪くなり、のた打ち回った覚えがあるからな。 のいは、電車のなかでだいぶ回復したが、のい用のゲロ袋は、今度は私が握り締めるはめに。 特急ソニックが、振り子式でカーブを曲がるときの、気持ち悪さといったら……。 大分に着いてからも、数日はまともな生活が成り立たなかった。
  立ち直ってすぐ、ホームヘルパー2級取得のための在宅実習。相手先の都合で1ヵ月弱、延びた末に。 もう少し遅かったら、とても排泄物のお世話などできなかったに違いない。ギリギリで終了できてラッキーだった。
  その数日後、計画通りに(苦笑)生理が遅れたので、尿による妊娠検査薬で判定。見事に陽性。 尿をかけすぎたので、メーカーの相談窓口に電話してみると、「尿をかけすぎるなという注意書きは、 薬剤を流さないためであり、陽性が出たならまさしく陽性」とのこと。やった〜二人目だ♪と、心の中で小躍りする。 のいを連れて、のいを産んだH産婦人科医院へ。超音波にもしっかり「胎のう」が映ってた♪ のい は、 お腹の中に赤ちゃんがいると聞いて、すぐに生まれるものと思い込み、折しも産後1ヵ月検診で たくさんの赤ちゃんが来院しているのを見て、私に「うちの赤ちゃんはどの子?どの子を連れて帰れるの?」 と言っていた(可愛い)。
  次は、幼稚園の入園式。のいは、初日から飛ばしまくり、一番前の席で楽しそうに友達と話したり、 喧嘩したり、さらには椅子から転げ落ちて泣いたのを周りの子にヨシヨシしてもらったりと、大立ち回り。 私は、その一部始終を、笑いながら後ろからビデオ撮影していた。この頃はまだ、体調には余裕があった。 愛車Mくんの12ヵ月点検にも自分で行ったし、二級建築士の受験申込にも自転車で行ったし。
  しかし、7週から地獄は始まった。ツワリだあっ!!!  のい のときは、ひたすら胃が重たくて眠たいだけだったが、今回のは吐き気がすごい。 布団を敷きっぱなしで耐える。特に魚がダメ。 食べられるのは、トマトとリンゴ、永谷園のお茶漬け海苔(鮭以外)をかけたお茶漬け、ソーメンくらい。 時々、突発的に焼きビーフンが食べたくなったり。でも台湾ビーフンはダメで……なんてワガママな。
  のい が幼稚園に行ってくれて、本当に助かった。しかも家の前まで園バスが送り迎えしてくれるし。 バスが到着する直前まで吐いていたこともあった。某大学付属幼稚園の抽選に外れたのを(→親の送迎が必須) 神様仏様に感謝したことだった。
  幼稚園の親子遠足も、当日、雨天となり、園でのレクリエーションになったのをいいことに、休んだ。



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