ことこと日記

●生後0ヵ月



2003年12月1〜20日(月〜土) 生後10〜29日目  S子さんに助けてもらう 
12月1日夕方、奈良から実母S子さんが到着。直前までNPOの責任者仕事にテンテコマイしていたのに申し訳ない。 とはいえ、3週間、家事全般と沐浴で、すっかり甘えまくった。 ことことは、すんすんすんすん、ほんとによく眠る。おかげで、私はのい兄の相手もできる。 夫は耳鼻科へ。この激動の10日間の疲れが耳に来たのか、片耳がよく聞こえないという。結局、中耳炎であった。
2日、注文していたベビービョルンの抱っこ紐が届いた。生後1週間後から使えるというもので、 退院のときに使おうと思って買ったんだが、間に合わなかった(苦笑)。よく説明書を読むと、 身長53センチからって……なるほど欧米サイズだ。日本の赤子では生後すぐは無理ですわね。
また授乳の合間に、退院時に行きそびれた(雨だったし…)インフルエンザの予防接種へ。 着替えるのも面倒で、家にいるときのジャージ上下(ヘルパー実習のときに使ったやつ…)のまま。 受付で、産後10日ほどなのに自転車でダッシュして来たのがバレてしまい、「大丈夫なんですか?!」と言われる。はははは。
3日は保育参観。S子さんに行ってもらう。ややこしい場所にある小さな幼稚園だが、 彼女は女性としては珍しく?方向感覚バッチリなので、迷子の心配がなくて助かる。 帰りに近所を散歩して、のい兄は愉しそうに帰ってきた。
5日は、産婦人科から訪問指導に来られた。一日約40g増加していた。標準よりは増加量は多いようだが、 同じく小さく生まれたのい兄に比べると少ない。「お兄ちゃんは一日50〜60gも増えていたんですが」 と言ったのを、ことことは聞いていたらしい? その後から、急にヤル気を出して、飲みだした。
12日、私の、大分での幼年時代の同級生と、そのお母さんが来て下さった。5年半ぶりの再会。 幼稚園では同じクラスじゃなかったのか〜…彼女が覚えているのに私が忘れていることがたくさん。 同級生の息子のTちゃん(のいより一つ下)と遊んだ。
14日は、のい兄の幼稚園の「クリスマスお楽しみ会」。夫とS子さんが行って、私とことことは留守番。 ビデオに撮ってくれたのを見たが、子供たちは一生懸命で、可愛かった。 また演出が面白く、衣装も素晴らしく、先生たちの苦労がしのばれた。
16日、実父が車で到着。といっても、じっとしていない父は、杵築や豊後高田、臼杵などスケッチして回り、 昔の仲間たち?と飲んで愉しそう……最後は都町からタクシーで帰ってきた。彼が大分に居たのは30年前、 ちょうど今の私たち夫婦と同じ歳の頃だったんだ。
19日は一ヶ月健診。小雪交じりの寒い日で、小さな子には厳しかった。 訪問指導後の追い上げ分は、一日50g強増。 医師には「順調です!」と言われるが、 助産婦指導で、ことことの鼻がグスグスしているのを「風邪では?」。松田道雄さんの育児本には この月齢で冬期にはよくあることと書いてあった。あまり不安がらせないで欲しい。 私は一日中つけている暖房のせいではないかと思うんだが。 ビクスでの記念写真を撮るので、随分長居になった。
夕方、食卓に着こうとしたのい兄が、椅子から滑り落ちた拍子に唇をテーブルで擦り、ザックリ切った。 少しえぐれた感じに切れ、血があふれ出た。 近所の小児外科はもう閉まってる。慌てて街の病院へ電話。時間外で診てくれるというので、 実父母が車で連れて行った。ことことと私は留守番。夫に電話して、後から病院へ行ってもらった。 不安で涙が出る。結局、一針縫った。帰ってきたのい兄、ことことを抱いて泣いている私を見て、 「泣いてる場合じゃないでしょ」。本人がしょげていないので、ほっとする。 大人がたくさんいるから・もう大きい子だから…という油断がいけなかった。 全員が夕食の支度のため、目を離した一瞬だった。ビールは自分で出してもらうべし。
さてこの時期、新生児なので添い寝が怖くて、夜はベッドを寝室に移動して、私はベッドの隣で就寝。 夜中に泣いて起きるたびに、布団から出て寒い中、立ったり座ったりするのは大変だった。



2003年11月27〜30日(木〜日) 生後6〜9日目  4人家族 
退院。今日から4人家族だ。のい と夫と3人で頑張った。 基本的に、ことこと も、のい同様、機嫌の良い子のようだ。オムツを替えるのを嫌がって大泣きするも、 お風呂は大好きで、気持ち良さそうにお湯に浸かっている。
入院前、のいが嘔吐して汚した、ウンチ記録カレンダーを、洗ってベランダに干しておいたのだが、 こともあろうに、夫が間違えて捨ててしまい、私、「うわーん!!」と子供の如く大泣き。 エスカレートして、結婚以来最大級の大喧嘩に。 最後に、のいが「お父さんとお母さんと のいくんと ことちゃんとで、いつまでも楽しく暮らそうね〜」 と言ってチャンチャン♪ この時期、とにかく外に対して怒りっぽかった。 沐浴の直前にかかってきた電話にも喧嘩腰で出て怖がらせるし。 産後のホルモンの関係か、赤子を守ろうという本能のせいか。動物だなあ。



2003年11月21〜27日(金〜木)・生後0〜6日目  入院生活 
ことこと は、すんすんすんすん♪ という感じでよく眠る。 穏やかで、ギャンギャン泣くタイプではない。 南側の日当たりのいい部屋に入れてもらえた。差額なしなのだが快適。

母乳は出産翌日からたっぷり出始め、初日だけはミルクを足したが、 後は母乳だけで規定量(「何日目は一回につき何cc」と指導される)を達成。 小さく生まれたのに、飲みっぷりは大したもの。 のいが2年3ヶ月飲み続けて、飲みやすい乳首にしてくれたおかげもあるだろう。
夜の授乳にも早くから通った。私の場合、乳が詰まるのが怖くて、おちおち寝ていられなかったのだが、 一人で授乳室に通っていると、夜勤のベテラン看護婦さんたちが気の毒がって、 「夜は預かってあげるよ」と何度も言われるので恐縮した。 乳房マッサージのときは助産婦さんから「(乳が)飛ぶ!飛ぶ!」と声がかかって面白かった。

痛かったのが、後陣痛。さらに下痢+腹痛。嘔吐下痢症は、出産の間だけ治まっていたものらしい。 今回は母子完全同室を試みようと思っていたが、あまりの痛さに産後2日目(産んだ日は0日目)までは 他の産婦さん同様、ことこと を新生児室に預かってもらっていた。うう。
豪華な食事は、前回は各々部屋で食べたのだが、 今回は、新設された食事用の部屋で、他の入院者たちと談笑しながら。話が盛り上がって長居することもしばしば。 ことこと の生まれる2〜3日前に出産ラッシュがあったらしく、一時は授乳室のベッドに赤子が11人もギッシリ入り、 とても賑やかだった。

サービスでシャンプーしてくれる美容師さんは、実は、最近我が家のご近所さんになった方。 髪を切ってもらいながら(これは有料)、世間話・ご近所の情報交換など。 これまたサービスのエステ(別のエスティシャン)が、疲れた顔に染み込む染み込む…。 お肌の手入れなんて面倒で、育児にかまけて放りっ放しだったので、気持ちいい〜。 前回は真夏だったので、せっかくのサービスが、息苦しいばかりだったんだよな。

のい兄は「お父さんとつくったカレーがおいしかった、お母さんのよりおいしかった!」 「ことちゃん、可愛いね〜、チュ!」などと機嫌良く、焼餅を焼く様子もなく一安心。 幼稚園、Iさんの託児所(11月末で閉所予定だったが、また続けられることになってホッ♪)、 病院の託児ルームをはしごして過ごした。 面会に来ると、ナースステーションに飾られていたウルトラマン人形で遊んで嬉しそうにし、 外来の待合室に備え付けピングーのヌイグルミを「僕、ペンギン大好き」と喜んだ。 「ピンガちゃんって妹がいるんだよ」と教えたら、「僕とおんなじだ!これ、僕にも買って〜」。 「どこで買えるかお母さんは知らないんだよ」と言うと、大声で「フリマで買えばいいじゃん!」。 この会話を看護婦さんが聞いていて爆笑。フリマでなら何でも買ってもらえると思っている子供……とほほ。

さて、ことこと も小さく生まれたので、のい兄同様、退院日が延びるものと思い込んでいたのだが、 乳の飲みっぷりの良さが幸いして、4日目には生理的体重減少分を取り戻し2500gを超えた。 という訳で、普通に5日目で退院できることになった。またまた大慌て。 結局、迎えに来てくれる夫の都合で、退院を1日延ばした。 退院前には、婦長さんから入院中の満足度についてインタビューされた。システムが変わったんだなあ。 そのほか、いろいろと興味深い話をして、有意義であった。

今回は、とにかく赤ん坊を迎える準備が後手後手に回っていて、いやー参った参った。 ベビーベッドを譲ってもらうことになっていたのだが、取りに行く日より前に生まれてしまったので、 のい兄と夫が取りに行って、組み立てておいてくれた。 そのほか、ガスファンヒーターの設置とか、 「まだ生まれないだろう」と見込んで、予定日直前に設定していた出産準備スケジュールがいろいろと。 夫はそれらをすべてこなし、のいの世話をし。 私が入院中に書いたお弁当レシピに基づいて、幼稚園のお弁当までつくってくれた。 さらに「生まれたら、しばらくライブには行けないから」と買っておいたライブチケットも紙切れと化し、 お楽しみまで消えてしまい気の毒であった。 婦長さんから、のい誕生以後4年間の成長ぶり?を誉められた夫。ほんとに色々あった4年間でしたわね。



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