昭和初期
 明治期中葉を過ぎる頃、近代化めざましい欧米諸国の技術手法をとり入れて、電柱や鉄道まくら木の防腐処理から始まったわが国の木材防腐対策は、大正期に入ると関係者間では急速にその必要が強く認識されるようになった。こうした時に、大正9年内務省から公布された省令第37号は、建築資材を含めた木材全般に亘る防腐対策の必要と普及を説くものとして正に画期的な指針であった。昭和期に入ると、大正12年に発生した関東大震災後の復興の用もあり、漸くわが国の木材防腐事業の振興と新しい展開が感じられるところとなった。
 このような情況を背景に、広島県出身の児玉雄一は木材防腐剤の製造並びに販売を目的に、弊社の前身合資会社児玉商会を東京府日本橋に設立し、埼玉県北足立郡草加町に製造工場を開設した。

戦前の状況
 創業者児玉雄一は、当初木材防腐剤としてクレオソート油等を販売する傍ら、碓田直政氏ととくに炭鉱の坑木を処理するための新しい木材防腐剤の開発を目指し、タンニンおよびニコチンを主成分とし、硫酸第一鉄や石灰乳を助剤とする独自の木材防腐用薬剤を完成させた。
 本剤はその後太平洋戦争まで、木材防腐剤A.S.P.の商品名で、主に炭鉱の坑木(軌道車用枕木・坑内の支柱材等)および木造船用材の防腐処理に広く使用されるところとなった。予て特許出願中の本剤は、「木材防腐液の製造方法」の標題を以って昭和20年2月4日付で発明特許第169843号を認可された。

終戦前後の状況
 戦時非常時態勢下にあって製品原料の入手が困難となり、且つ空襲の激しさから、昭和19年中葉頃より弊社は一時休業の止むなきに至った。終戦の年、昭和20年3月10日の空襲により、本社日本橋社屋は焼失した。

昭和23年3月
 戦後2年余を経過して、社会情勢にも漸く混乱から復興への兆しがうかがわれるようになり、日本経済の再建を担った諸工業が一斉に生産活動を開始した。弊社にも、戦前の取引先であった炭鉱と造船各社から、木材防腐剤A.S.P.の引合いが入るようになった。
 昭和23年3月、弊社は再起を期して本店を東京都中央区銀座西6丁目1番地に移し、草加工場において木材防腐剤A.S.P.の生産を再開した。

生産再開後の状況
 木材防腐剤A.S.P.の生産を再開したあと、A.S.P.第2号を開発した。A.S.P.第2号は弗化ソーダ、トリクロルフェノール、クロム酸塩などを主成分とするもので、従来品A.S.P.と併せて製造した。当時における主たる納品先は、北海道炭鉱汽船(夕張・平和・幌内各鉱業所)、三井石炭鉱業(山野・田川・三池各鉱業所)、麻生炭鉱(吉隈・山田各鉱業所)、明治炭鉱(平山・佐賀・西杵各鉱業所)、古河炭鉱(下山田鉱業所)、貝島炭鉱(菅井田坑)、久恒炭鉱(志岐鉱業所)、三菱炭坑(古賀山・高島各鉱業所)、日鉄鉱業(伊王島鉱業所)、宇部興産(宇部・埴生・山陽無烟各鉱業所)、和歌山炭鉱(梶鉱業所)などであった。
 また20年代後半頃からは造船産業が盛んになり、長崎造船所、日立造船(因島・桜島・川崎各造船所)、呉造船所などで木材防腐剤A.S.P.のほか、弊社新製品のステンレス用スケール除去剤S.Tペーストが使われるようになった。

昭和30年11月
 木材防腐剤A.S.P.の順調な営業展開から、弊社は合資会社児玉商会の会社組織、および商号を変更し、児玉化学工業株式会社(社長・児玉雄一)として昭和30年11月15日付で登記を完了した。

昭和33年6月
 戦後10年余を経て国内産業全般が軌道に乗り、社会的安定が見られるようになると、当然、各種製品の品質管理が強くいわれるようになった。木材保存分野においても、昭和27年に木材防腐剤、および木材防腐処理方法について、はじめて日本工業規格が制定されたが、昭和33年に規格の見直しがなされることになり、工業技術院標準部からの依頼により、弊社からも金谷一が専門委員としてこれに参加した。
 弊社ではこれを機に、木材防腐剤A.S.P.を日本工業規格に適合させることとし、改訂されたJIS K 1550(1958)の第3種を製造することになった。

昭和35年2月
 戦後10年余が経過して、昭和30年代前半におけるわが国の産業は全般に好況であった。弊社も時代に適応した、より広い事業展開を考え、児玉化学工業株式会社の営業部門会社として、昭和35年2月26日付で株式会社児玉商会(会長・児玉雄一、社長・尾崎精一)を設立した。

昭和37・38年頃
 木材防腐剤JIS K 1550(1958)は昭和38年に再度改訂された。改訂新規格K 1550(1963)では、弊社がJIS適合品として製造する防腐剤の対応規格がなくなったため、以後改訂規格K 1550(1963)1種2号及び1種4号の規格に基づく木材防腐剤を製造することになり、商品名はそれぞれA.S.P.○CおよびA.S.P.○Fとした。

昭和30年代後半期における弊社主要取引先事業環境の急変
 昭和30年代は戦後復興の槌音が、あまねく高らかに聞こえるようになった時代である。革新的な産業の発展がその担い手であった。石炭の需要が増すにつれ、弊社もその恩恵にあずかった。しかしその陰には予期せぬ落とし穴があった。諸産業の活発化に伴って電力需要が急増し、これを供給する電力会社は、火力発電用エネルギー源として国内産よりも割安な輸入炭と重油を使う事態が生じた。その結果、必然的に国内産石炭の需要が減少することになった。わが国の石炭産業は突然とも言える事態の到来に対し、為す術もなく急速に萎縮し、正に産業革命の落とし穴に落ちてしまった。
 弊社製品木材防腐剤A.S.P.の主要取引先である炭鉱各社における事業の閉鎖、あるいは採炭量の縮小が相次ぎ、それまで炭鉱各社との取引きに大きく依存していた弊社は苦境に立つことになった。因に、坑内掘り技術温存を目的として、国策によって国内に唯一残っていた北海道の太平洋炭鉱釧路鉱業所が平成14年1月末に閉山して、わが国の炭鉱は事実上無くなるのである。

昭和40年代前半期の状況
 炭坑事情の急変に直面した弊社は、木材防腐剤A.S.P.の新しい販路を開拓しつつ、併せて新製品開発による体質改善を目指すことになった。検討の結果、弊社の新しい市場としてシロアリ対策を第一目標とすることになり、そのためのシロアリ防除用有機系薬剤を開発・製造することになった。ケミドリンの商品名のもとに製造した油剤・土壌処理剤・粉剤など、剤型別5種類が最初期のものである。

 当時のシロアリ施工業者の仕事は、概して戦前からの業態を踏襲して、初夏から秋にかけて発生するシロアリによる家屋への被害を対象とする駆除作業が殆どであった。そこで、従来春夏秋冬、一年中需要の絶えない炭鉱向けの防腐処理剤を手掛けてきた弊社が、初めて参入したシロアリ業界を弊社の安定市場にするために考えたのは“駆除より予防”であった。弊社の掲げた“駆除より予防”は、「新築時に予防施工を行えば、その後シロアリの被害を受けない」、従って、「住む人に安心を提供する」という意味で、多量に住宅を供給する企業、即ち、工場生産住宅を事業とする各社をその顧客対象とするものであった。弊社がシロアリ市場を目標とした根拠である。

 その頃新市場開拓の中で、水産業、魚函製造業など漁業関連業者からの要請を受けて、木製魚函に発生する黴を抑えるための毒性のない防黴剤を完成し、商品化した。無害性防黴剤A.S.P.100の商品名で、大洋漁業、宝幸水産などで使用する魚函がプラスチック製に替るまで、木製魚函の防黴処理に大いに利用された。
 本剤は「無害性防黴剤」の標題を以って、昭和44年11月21日付で発明特許第559755号を認可された。

昭和45年6月
 それまで、そのためのシロアリ対策のなかった住宅産業各社に、突然“駆除より予防”を掲げて接触し、その理解を得ながら痛感したのがシロアリ施工に対する保証責任の必要であった。そこで、同和火災海上保険株式会社(現・あいおいニッセイ同和損害保険株式会社)に依頼して、『シロアリ保険』(保証の裏付けを保険によって行う)の開設と実施を企画し、昭和45年6月26日付で大蔵省の特別認可(業界2番目)を受けることができた。

昭和40年代後半期
 弊社は“駆除より予防”を掲げて大手住宅会社にシロアリ対策普及の営業を重ねながら、当時はまだシロアリ対策に関心の薄かった建設省(現・国土交通省)の建築指導課、住宅金融公庫(現・独立行政法人住宅金融支援機構)の建設指導部、日本住宅公団(現・独立行政法人都市再生機構)の本部設計部や支所など、行政機関の担当部署をたびたび訪問して、各地におけるシロアリ被害の状況と対策の必要を説明した。

昭和49年2月・コダマ会発足
 昭和48年10月、建設省が工場生産住宅を対象に工業化住宅性能認定規程による新しい制度を制定し、翌49年度からこれを実施することになった。※(1)、(2) これに伴い、弊社は予て唱えてきた“駆除より予防”を一貫性のある形で推進すべく、各地に点在する弊社取引先施工業者を結集して「コダマ会」を発足(昭和49年2月17日)させた。
※ (1) 工業化住宅性能認定規程(昭和48年10月4日・建設省告示第2031号)
  (2) 工業化住宅性能認定技術的基準(昭和49年2月8日・建設省告示第120号)
 以後、コダマ会のシロアリ業者会員は、主に大手住宅会社が建築する新築建物を対象に、弊社の『しろあり防除処理基準仕様書』に則り、コダマのシロアリ保険制度に基づく施工を全国的、且つ組織的に展開することになった。

昭和49年4月
 『シロアリ保険』につづき、わが国で初めての防蟻施工中の汚損、火災、人身事故などに対して最高1億円まで賠償する『対人・対物の損害賠償責任保険(PL保険)』の開設を同和火災海上保険株式会社に依頼し、昭和49年4月11日付で大蔵省の認可を得た。

昭和49年10月
 本店を東京都中央区銀座から、港区赤坂7丁目9番3号に移転した。

昭和51年3月
 日本信販株式会社の事業協力を得て、コダマ会会員が扱うわが国で初めての、シロアリ・ローン制度を日本全国に亘って開始した。

昭和53年・住宅金融公庫仕様書作成お手伝いの一年間
 昭和53年1月、弊社は住宅金融公庫建設指導部から、翌54年度版公庫仕様書に「防腐・防蟻措置」を新項目として明文化する旨を告げられ、その資料収集のための現場サイドからの協力を依頼された。それまでの公庫仕様書には防腐・防蟻対策の条項が無く、弊社はその明文化を待ち望んでいた。
 同一種類のシロアリによる被害でも、その被害程度の大きさはシロアリの生息環境、即ち気候条件に大きく左右される。従って、シロアリ対策の範囲や方法も地域毎に異なる場合が生じる。そこで、全国を対象とする公庫仕様書の作成に当っては、改めて各地の情報を知ることから始めることになった。
 弊社は各地のコダマ会会員の協力を得て会員担当各県の建築課を訪問し、その地のシロアリ対策への行政側の取り組み方を訊くなどしながら、ほぼ一年掛りで全国のシロアリ事情を調査した。その結果を「防腐及び防蟻処理(仕様案)」、「防蟻対策地域区分図」、「地域別処理基準表」として纏め、公庫に提出して報告した。
 弊社が作成提出した「防腐及び防蟻処理(仕様案)」は、1979年改訂として発行された昭和54年度版公庫木造住宅工事共通仕様書に新項目として掲載された「防腐・防蟻措置」の叩き台として寄与した。また、わが国各地域に生息するシロアリの種類と分布、そしてそれによる地域毎の被害の実態を基にして全国を4地域に区分し、その状況に対応して必要な防蟻処理と防腐処理を地域ごとに示した「防蟻対策地域区分図」と「地域別処理基準表」は、弊社から社団法人日本しろあり対策協会による“制定”を受けた上で、公庫仕様書では「建築地別の防腐・防蟻処理並びに防腐処理及び土壌処理の適用区分」の標示の許に併せて掲載された。その後、昭和61年改訂の日本しろあり対策協会標準仕様書にも、「防蟻対策地域区分図」と「地域別処理基準表」は「地域別の処理の適用区分」の標示を以って掲載され、その後長く、わが国における防蟻対策の指標として広く活用された。
 昭和54年度版公庫仕様書に新項目「防腐・防蟻措置」が追加されて間もなく、その理解にお役に立てばとの思いで、現場サイド協力者の立場から「住宅金融公庫仕様書にみる“防腐・防蟻措置”」の標題で、仕様書各条毎の説明を『しろあり』第40号に寄稿した。また、それから数年後の昭和から平成に元号が変って間もなくの頃、『環境管理技術』誌編集長の高木良吉氏から、“わが国におけるシロアリ予防処理”の基礎となった公庫仕様書の新項目「防腐・防蟻措置」誕生のいきさつを記録として残すように勧められ、「住宅金融公庫仕様書に“防腐・防蟻措置” が誕生するまで」の標題で同誌第10巻第2号、4号、5号に寄稿して連載した。

昭和52年〜55年頃
 この頃、業界新聞数社から依頼を受けて、弊社企画による座談会やパネルディスカッションを開催した。それぞれのテーマと掲載紙は次のとおりである。
・ 座談会:「駆除よりも新築時の完全予防を」(日本プレハブ新聞、昭和52年3月2日版掲載)。
・ 対 談:「シロアリ防除と建築基準法」(林業新聞、昭和52年6月23日版掲載)。
・ 座談会:「シロアリ対策と建築行政」(日本プレハブ新聞、昭和53年10月25日版掲載)。
・ 座談会:「安全な住宅建築と白蟻対策」(日本住宅新聞、昭和54年1月5日版掲載)。
・ パネルディスカッション:「北上するシロアリ前戦」(住宅産業新聞、昭和54年2月25日版掲載)。
・ 座談会:「大きく前進した公庫仕様書」(住宅産業新聞、昭和54年5月25日版掲載)。
・ 対 談:「白蟻予防で長持ちする家 ─ 新建築時の処理がカギ」(住宅産業新聞、昭和55年10月5日版掲載)。

昭和53年11月
 茨城県鹿島郡神栖町奥ノ谷2番6号に新工場を建設。以後、弊社の製造部門である児玉化学工業株式会社の主工場として生産を開始した。

昭和54年4月
 東京都港区赤坂7丁目9番3号から、赤坂7丁目6番25号に本店を移転した。

昭和56年4月
 弊社は住宅金融公庫仕様書作成のお手伝いに続き、昭和56年4月、日本住宅公団の設計部建築計画課から、公団仕様書『防腐・防蟻措置工事仕様』見直しのための協力を依頼された。新仕様書は昭和57年3月、住宅・都市整備公団と改称された公団から『住宅・都市整備公団枠組壁工法防腐防蟻仕様』として発表された。

平成1年8月
 コダマ会会員が実施した防蟻施工について、広範囲に亘り、且つ短期間の調査等の必要が生じた場合には、他の会員がこの作業に協力して援助する「コダマ会相互扶助規則」を定めた。
 これに伴い、この相互扶助行為を行うことによって生じる費用弁済の用を図る必要から、同和火災海上保険株式会社に依頼して、『コダマ会相互扶助保険』を開設した。

平成6年2月
 コダマ会創設20周年記念事業として、オーストラリアのクイーンズランド州タウンズビルに連邦科学産業研究機構(CSIRO)のデーヴィス昆虫研究所訪問と、同研究所ご指導による同地区近郊の草原地帯に生息するシロアリ観察を目的とする研修旅行を実施した。
 

平成8年10月
 平成6年のオーストラリア研修旅行に引きつづき、Mr.L.R.Miller(CSIROの上級科学研究員)のご指導を得て、熱帯型の珍しい種類のシロアリが多く棲息するオーストラリア最北端、トップ・エンドと呼ばれるノーザンテリトリー州のダーウィン近郊に、第2回オーストラリア研修旅行を実施した。

平成9年12月
 予て「害虫防除工法」の標題で特許出願中の工法が、平成9年12月26日付で発明特許第2731796号を認可された。

平成16年11月
 コダマ会創設30周年記念の会を、京都において開催した。

平成17年11月
 コダマ会第100回記念総会(総会は、相互情報交換のために、通常は春、夏、秋の年3回開催)を、コダマ会発祥の地別府で開催した。

平成20年6月
 経済産業省の外部組織である社団法人日本木材保存協会の30周年記念式典にあたり、弊社会長尾崎精一は木材保存業界の向上発展に尽力した功績があったとして、経済産業省の細野哲弘製造産業局長より表彰状を授与された。

平成23年10月
 国土交通省が開催する第23回住生活月間の記念式典にあたり、弊社会長尾崎精一は住宅・建築に関する分野における功績があったとして、前田武志国土交通大臣より感謝状を以って表彰された。

平成26年7月
 コダマ会創設40周年記念の会を、神戸において開催した。


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