| 仏壇 | お寺の出張所です。仏様、御先祖様との交流の場です。交信するところです。 仏様やご先祖様が、霊界から降りてきて宿ってくださる場所です。 |
| 位牌 | 魂の依りしろです。魂が頼るところとしてあります。名前が書いてある「さお」の部分が特に大切です。 |
| 仏様 | 仏壇にある仏様は、そのお家を守り、仏壇の位牌などの霊魂を鎮めます。お寺にいるように仏に対して礼拝します。 |
| お水 | 布施をすることです。布施とは、金品のお供えだけではありません。水の徳であるあらゆる命を育むことから、親切な心を養うことを言います |
| お茶 | 霊魂や仏は、香りを食するともうします。そこで、お茶の香りを供えます。お盆などは特に、お茶を湯気の出ているうちに速く取り替えて香りを供えるようにするものです。 |
| お花 | 忍耐を表します。お花を供えるとこの上に霊魂がのかっているともいいます。花が拝む人側を向いているのは、花の姿を見て笑顔で忍耐強く生きることを意味します。花は、自分で咲く所を選べませんが、だれからもほめられもせず、自ら一生懸命に咲きます。そのいのちをお供えし自身に潤いを与えるのです。 |
| 線香 | コツコツとした努力をいいます。線香は、急に燃えません。仏の食する香りをじわじわとお供えするのです。また、お香の清涼感が、私たちの心のざわめきを落ちつかせてくれます。 |
| ご飯 | 落ちつきある精神をいいます。ご飯の湯気を、仏が食すると申します。食事をいただくことで神仏や作ってくださった方に感謝申し上げることもあります。それと、欲望にまかせたがつがつした生活より、今頂ける事に感謝しましょう。 |
| 灯明 | 光は、道しるべです。智恵を表します。迷いある生活ですが、そこに何らかの光明があればそれだけで安心するものです。その光は、足下を照らす光。将来の光であるより、自分自身の足下を照らし、自分は今、どこに立っているのか、誰のお蔭で立っているのか、を知るためのものです。己を知るための光であり、己を知ることで生活の工夫=智恵が湧いてくるものです。 |
| お勤め | 朝のお勤め、夕のお勤め、寝る前のお勤め、など日に一回はしたいものです。でも、仏壇の前でお経を読んでどうなるのでしょうか。お勤め自体は、私と仏や先祖とが交流するものです。あなたの心をお供えしているのです。仏や先祖が、見て感じているのはあなたの心の想念です。心の思っていることが伝わるのです。ですから、お供えを整え、お経と唱え、雑念をなくし、自分の正直な心をお供えするのです。お勤めでお願いをすればいいし、怒ればいいし泣いてもいいし、ざわざわした心でも構いません。それをそのまま解ってくださいますから。悪いことではないのです。心の置き場所であることを解ってください。 |
| 念珠 | これは、仏の誓願を表しています。私たちを救うんだ、という願を表しています。大きな珠は、阿弥陀様。108の小さな珠は、煩悩を表してます。そして、この煩悩を昇華して、仏に救われる段階をも意味します。そもそもは、真言の唱えた数を数えるためのものです。 |
| 袈裟 | お坊さんの黄色の装束を見たことあるでしょう。150センチ×120センチ広さの布です。これは、お釈迦様が定めた仏教徒の印なんです。ところが、中国で廃仏毀釈(仏教弾圧)があったとき、当時のお坊さんは還俗(俗人にもどること)をさせられましたが、袈裟だけは捨てきれず、細長く折りたたみ、マフラ―のようにして首にかけたのです。それが、今ある輪袈裟のはじまりです。首にかける袈裟なわけです。 |
手と手を合わすことを合掌と言います。「手と手のしわを合わせて『しわあせ』」と言うのはどこそかのCMですが、何がしかの意味がありそうです。そもそも、手の指には大きな意味があります。 父さん指 = 空(束縛のない大空のようなもの) 母さん指 = 風(自由な活動性や動きあるもの) 中指 = 火(熱があり燃焼するもの) 薬指 = 水(無垢にしてものを育むもの) 小指 = 地(骨子となる固い性質のもの) また、右手と左手とで意味があります。 右手 = 仏さまの仏界 左手 = 私たちの衆生界 このような両手の意味から次のような歌があります。「 右仏 左は我と 合わす手の 仲ぞゆかしき 南無の一声 」かくして、合掌と言うのは、仏と我等が一体となっていることを表しているのです。心して手を合わしてみましょう。一体感を得られるものです。また、指のそれぞれの意味合いから仏像が結んでいる手の形ができているのです。これらの結んでいる手を印といって、その印は、仏で各々違っていて、救済の誓願を表しているのです。注意してみると、それぞれの仏様の手の形が違うのが気づくでしょう。 |
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| 合掌 | |
| 礼拝 | お勤めの前に三度礼拝します。これらのし方は、「仏事秘伝帳 そのニ お勤め、お参りの仕方の巻」をご覧下さい。三回するのは、「一に仏様 二に仏さまの教え 三に教えを信ずる人々(信仰の友)」に対してだといいます。インドの習慣で、尊い方に合った時、その人の前でぬかずき、その方の足を自分の両手に頂いて礼拝したと申します。その形が伝わっています。 |
| お供え | さまざまなお供えがありますが、これは、仏や故人が召し上げって下さる、という気持ちで致します。眼前に故人がいますが如くにお供えすればいいのです。 |
| 打ち金 | これは、仏や先祖を驚がくするものです。仏や御霊は静かに仏壇内に座っています。そこでいざ、お勤めをするときは、金を鳴らし、驚かして、これから行うことを知らせるのです。また、お経の区切り区切りでも金を打って区切りをつけます。 |
| 読経 | 声を出してお経を読みます。読経は、経典を開き、文字を見ながら読むと意味も解っていいですよ。暗誦するにしても、声を出すことに意味があります。逆にいえば、読経は、観想をする瞑想のように無言ではいけないと思います。声は、自然の響きです。仏の言葉です。ゆっくりと大きな声でお唱えすれば、無心の境地が得られるものです。 |
| 葬儀 | 先にお大師様の歌でご説明しましたように、私たちの生命は、古里を持ち、古里に帰る身の上です。そこで、死という厳粛な場において行われる葬儀というのは、「別れ」と「旅立ち」を意味します。死は、この世から肉体とあなた自身がなくなるのですから、その別れをします。もう、この世とさよならするのです。それから、あなたの本来の生命となって、旅立ちがはじまるのです。このように、仏の国への旅立ちであるのですが、古来より、死ぬ人への恐怖感、黄泉の国への畏怖感があり、この死を遠ざけたいと、する風習もあり、考えようです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 引導 | 葬式中、導師が行うことは、引導です。この引導は、やはり、故人に対して、もう死んだのだから、この世へ未練を残さぬよう、また、本来の魂に気がついてもらうようにお祈り致します。そのために、生前の名前と違う名前=戒名を授けます。また、おこぞり(剃髪=坊主にする)をして、お坊さんのようになって、心静かに、自分の心や魂をつかんでもらう、ことをするのです | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 白木位牌が二本 | このように戒名は、葬儀中に導師が故人に渡します。そこで、白木のお位牌が二本あります。一本は、お家にもって帰るもので、もう一本は、野辺位牌と申しまして、以前土葬の時代に、埋めた土饅頭の上に位牌を置いていた風習の名残です。現代では、一本は、家の祭壇へ置いて、一本は、お寺がもって帰ります。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 死に装束 | これは、あの世に行くための服装です。主に、白衣を用います。経帷子(きょうかたびら)といいます。仏の国に行くのですから清浄な服装にします。しかも、旅姿です。手甲、脚半、わらじを使用するところもあります。でも、今は、浴衣や故人の一番似合う服になっていますね。白衣は、左前にしますが、これは、普段と違う死を忌む気持ちの風習です。あと、足袋を逆さにしたり、裏返しに着せたりすることもその現れです。三角の頭巾をするところはもうないですね。これらには、実際上、こだわらなくていいです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 六文銭と (ずたぶくろ) 頭陀袋 |
死装束の一つです。六文銭は、お釈迦様の定めた私たちの六つの修行(布施・戒・忍耐・精進努力・精神統一・智恵)を表します。この修行をしてきましたよ、ということで、三途の川の渡し守にこのお金を渡すといいます。このお金を入れるのが、頭陀袋です。托鉢して行く時にいただく金銭(喜捨)をいれる袋です。 |
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| 神棚をふさぐ | これは、死を神様が嫌うといったところからあるようで、神棚に白紙を張って目隠しします。神様のことだからわかりませんが、やはり、死を忌み嫌う現れです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 北枕 | これは、お釈迦様が、最後お亡くなりになったとき、北に頭を向け、右脇を下にして休まれたため、この故事に習い、北枕なのです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 枕経 | なくなられてすぐに伺い、となえるお経のことです。魂が、死んだことを理解できてなく、迷うことを防ぎ、先祖、御仏ぼご加護がすぐにいただけますように、早口でお祈りします。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| お通夜 | ともに過ごす最後の晩です。夜伽(よとぎ)といいます。ですから、家族親族で故人との別れを偲びます。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 葬儀のお供え | 魂には、まるで感覚器官によって認識できるような性質があります。ですから、死んだばかりの人の為に次のようなお供えをするのであります。これらを枕飾りともいいます。 お茶…魂は、湯気を食しますから、熱く湯気が出るように気をつけます。 線香…これも、香りを食しますから、切れないようにします。 灯明…ここに遺族の私たちがいるよ、という合図ですから消えないようにします。 饅頭…これは、白玉で49作る地方があります。博多では、今、あまりされていません。これは、死後49日間かけて旅する魂が、毎日あの世でお会いする仏様にお供えするように、49個の白玉を持ってあの世に行くのです。 お花…一輪挿しの、白菊をお供えします。花の功徳を、故人一人に向わせる為に一本です。だいたい菊ですね。 ご飯…これも故人は、香りを食するのです。しかも、香りが故人一人に行くように、箸を一膳立てまして、香りが一人に行くようにするのです。 焼香…これは、式中、別れの焼香といって、一回だけします。普段は、三回です。 焼香…これは、式中、別れの焼香といって、一回だけします。普段は、三回です。 |
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| 出棺の釘打ちと茶碗 | 出棺の際、お棺のふたを釘で打ちます。今はしないようになってきてます。これは、やはり、別れの儀式かと思います。それと、霊柩車が出るときに、故人の茶碗を割る風習があります。これも今はしません。こらは、死後の世界から戻ってこないように、という忌む気持ちでしょう。釘打ちもその気持ちかもしれません。 |
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| 拾骨 (骨ひろい) |
この時、渡し箸というやり方で、一人の人が、長い箸で骨をつまみ、それを箸から箸でつまみながら順に骨を運び、最後に、骨壷に入れます。みんなで死を悼み、その人の意思を継承する意図があると思います。 |
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| 清めの塩 | 火葬場から帰って、家に入る前に、塩を撒き、手を洗う風習があります。これも、死を忌み嫌い、死の気を家中に入れないようにする習慣です。前もいいましたように、死は、仏の国への旅であり、忌み嫌うものではないはずですので、別にこだわることはありません。やたら、塩を撒くことはありません。 |
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| 七日七日の法事 |
初七日、二七日、三七日、〜七七日の法事を言います。一週間おきの法事です。昔の人は、時間を掛け算で言ってました。四六時中というのは、四×六で、二十四時間、つまり、一日中ということをいってます。このように、初七日も、一×七日です。四七日は、四×七日でニ十八日目を意味します。こうして、七七日の四十九日まで、一週間に一度法事をします。これは、死後の魂は、四十九日をもって次の生に生まれ変わるというからです。 そもそも、阿字の古里である浄土へ行くことは、輪廻解脱(りんねげだつ)といいます。同じ苦しみをしないことです。葬儀は、この故人の輪廻解脱を祈るのです。ところが、死後に、自分の生き方が業(ごう)となって、さらに生まれ変わってしまうことを輪廻といいます。この世に生まれている、今の私たちは、つまり、輪廻しているのです。 このような輪をぐるぐる回って姿を変えているのが魂の有り様でもあります。四十九日目になりますと、この六つの門が現れまして、私たちは、自分の意思でこの六つのうちのどれかを選んでしまうのです。しかし、四十九日までに本来の生命に気がついたときに、浄土へ行くわけです。この本来の命に気がついてもらうために、裁判官と仏様がいらっしゃいます。その裁きと説法が、一週間ごとにあるのです。法事は、このためにあります。
このようなことから、最初の初七日と最後の七七日のご法事大切です。 |
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| 中陰 | 七七日のことを中陰(ちゅういん)といいます。これは、魂の姿の様子から言っているのです。 この繰り返しも輪廻の言い方です。本有に、先の六っの世界(地獄。餓鬼など)があるのです。 そこで、ここで有と言うのが出てきますが、これは、色・受・想・行・識の五つをいいます。般若心経にも出てきますね。これらは、外界を認識することをいってます。これらを五蘊(ごうん)とも五有とも五陰とも言います。魂だけの間の、中有は、中陰ともいわれ、この四十九日を中陰というのです。特に、四十九日目の法事を満中陰というのは、四十九日が満ちましたよ、という意味で使います。 |
| お盆 | お盆は、初盆としては、その方のみを祭る行事です。普通のお盆は、御先祖様が、実際に、我家にお帰りくださるお祭りです。盆踊りも、帰ってくる精霊を慰めるための踊りであったのです。 |
| 角提灯 | これは、お盆の時に、私の家はここだよう、と精霊に知らせる印です。 |
| 迎え火・ 送り火 |
れは、本来お墓に灯明をつけ、その火を提灯にいただいて、仏壇のロ―ソクにつけて、御霊が起こし下さった、としたのです。しかし、今は、玄関先で麻がらを燃やして、魂を招き、そして、その炎で線香やロ―ソクをつけて、迎え火とし、逆にして、仏壇の火で麻がらを燃やし送り火にします。送迎の意味ですね。 |
| お年忌法要 | この年忌法要は、一周忌、三回忌、七回忌とありますが、なぜそうなのかは、解りません。七回忌以降はは、日本で作られた風習です。しかしながら、故人のために集まり偲ぶことは、今ある自分を省み、先祖・故人への感謝の気持ちを持ち、生命が連綿と流れる営みに、仏への感謝の念を養い、私たちの人生の糧となることかと思います。 |
| おりょうぐぜん お霊具膳 |
お年忌法要には、そんなに取りたてたお供えはいりません。特には、お霊具膳をしつらえます。ままごとのようなお膳です。これは、故人、先祖に食べて頂くものです。いますが如くに、食べられるものをお供えします。お好きなものならいいのではないでしょうか。 |
| お墓参り |
お墓や納骨堂をお参りします。なぜ、お墓にお参りするのかは、世界でも日本や朝鮮半島に有る文化で特別です。そもそも魂といえば、浄土いると観念していますが、実際に、その魂を偲ぶ時、故人そのものである遺骨を礼拝することで、一層の追慕の念がおこります。墓参りをして、故人に語りかけ、今の自分の状況を考えるのは、仏壇と違って、より身近な感覚でできるのでないでしょうか。お墓参りは、自身の依り所として、意味付けできるものの、とても感覚的なものが理由であります。 |
| お墓 | お墓自体は、単に遺体の収めたところという印では有りません。というのも、お墓に収めることで、さらに故人が、満足し、後生が安楽であるように意図されているからです。そこで、吉相墓というお仕事も出てきますが、こだわることは有りません。大きくは、遺骨が大自然に抱かれて、自然に帰りこれが、御霊にも安楽であるように意図されています。例えば、五輪墓というのがあります。墓の考えを一番表したものです。 このように、お墓は、宇宙を表す表示でして、この中で遺骨が休まれることをもって、この世に残した遺骨が、崇高な宇宙観と一体となることで、骨もまた真実として、私たちの魂もさらに安らかであることを念ずるのです。 |
| (とうば) 塔婆 |
法事の際に、塔婆でおがみます。この塔婆は、先の五輪墓を木に形どってまして、成仏の糧とするのです。 ただ、塔婆には、地水火風空の5つの文字を表に書き、識を裏に書きます。これらの文字は、梵字(インドの文字)で墨書しています。 これもまた、真言宗の大きな特徴でしょうが、最初に言ってましたように、即事而真(そくじにしん)の教えは、ここに根拠ができてきます。地水火風空の五つは、地上世界の物質です。しかしながら、そこには、識という魂がこもっていると、いうのです。ですから、人間が魂を感じるように、無機物の物質にも精神があるのです。心があるものも、ただの物質も共に、大切な仏の表れなんです。だから、肉体の手の指にも地水火風空の五つが宿っているから、指を合わせ合掌すれば、仏と通じ合えるのであります。 このようにして、塔婆で法事をしたり、施餓鬼法要で供養したりすることで、御霊に本来の生命を察知してもらうのであります。 |
| 焼香 | 葬儀もそうですが、仏事には、焼香がつきものです。神事には、榊の奉納があるようにです。これは、霊魂が香りを食する、という教えからきています。お香には、いろいろな効用がありますが、霊魂をくようするのに実際に使用しています。むろん、お線香でもよいことです。 |