目次
1998年7月号
暑中お見舞い申し上げます
1999年1月号
五里霧中
1999年2月号
身代わり泣き不動の話
1999年3月号
時事所感 臓器移植を仏教的に考える
1999年6月号
高野の南に、筑紫上人、出家登山の事
1999年7月号
私のいのち観 キャナルシティー映画館論
2001年8月号
カブトムシ
2002年2月号
宗教は、戦争ばかりしとるが、いるもんじゃろか?
2002年4月号
今年も,「たけの子学級」お寺の合宿「なまでも食べさせて」の巻
2003年2月号
冬もそろそろ飽きてきて…
2003年4月号
戦争ですね。
2005年1月号
心のあり方
1998年7月号
いやはや、すみません。
ついに、5ヶ月休んでしまいました。皆様ご無沙汰でした。お元気でしたでしょうか。
暑中お見舞い申し上げます
このところの暑さで大変ヘトヘト。でも、夕方から夕立があって少しはしのぎいいですね。今年の夏は山笠の前から始まってまして、例年より早いですね。まあ、雨もよく降ったし、今年の夏の水は安心かな。
この雨のせいか、植物の育成がすさまじいと感じるのです。雑草しかり、きゅうりにサクランボ(梅は裏年でした)も、それに山の木々も。たとえば、お寺の上の金毘羅神社を毎朝拝むのですが、そのあとでお日様と、玄界灘を遥拝(そっちの方角を向いて拝むこと)いたします。ところが、今年は,全くお日様たるや木漏れ日でかすかしか見えないし、海の方角も全く緑の葉っぱのみで緑緑の空間になってしましました。すごい緑の繁殖ですね。
この緑が多くなったからかどうなのか解りませんが、虫も多い気がします。昨年、一昨年とオガムシ、マルムシが大繁殖してましたが、今年は、全体的に多いな、と思います。カブトムシ、クワガタ、トンボ、もよく飛んできてますもんね。
すると、どうしたものか、鳥も多いですね。5〜6月ころアカハラという鳥がわんさかサクランボについて早朝5時ごろから騒いでました。今は、なんか知らんけど、虫を追いかけスーイスーイ飛んでます。
この間、蛾が死んでいたんです。畳の上で。すると何時間かするとアリが畳の上に群れてきて、その蛾の死骸を運んでいきました。セミも死ねば、アリが運んだりしますね。ススメバチもセミの死骸を食べてたな。緑→虫→鳥、動物の様子はこのところよく見れてます。
確か食物連鎖とかいう言葉があったですね。バクテリアがいて、それを植物、小さな虫が食べて、それを動物が食べて、その動物の死骸をバクテリアが食べて、というふうに、クルクル廻っているというのです。そんなことを彷彿させる情景です。
お釈迦さんは、まだ出家してない7歳のころ、春祭りのとき父親と一緒に田園に出て、農夫が畑を耕しているところに出くわしました。その時、耕す土から虫が出てき、その虫を鳥がついばんで行き、その鳥を狩人が狙っている、という情景を見たのでした。そこで、お釈迦さんは、
「哀れ、生き物は、すべて殺し合う」
と言われ、木陰で沈思した、といいます。この体験が、お釈迦さんが出家した原因の一つだと言われています。
食物連鎖、また、環境ホルモンしかり、昔からの大きな自然の営みであるわけですが、そこを人間が断ち切ってしまっているとは、私一人の思いでないでしょう。
断ち切ってしまったことで、生き物みんな、生きているな、とか、食べたり、食べられたりしながらできてんだ、という感触が薄れるのでしょう。虫をむやみに嫌う小学生がおおい気がするな。
この分断されてしまった感覚は、すべての命への広がりのイメージを失うと共に、霊魂観にも影響してるな、と思えます。
ある日のこと、子どもが言いました。
「セミさん、死んでるよ。なんで、セミさん死んだの?」
「生まれたものはみんな死んでいくの。(あんまり難しいこと聞かないの)」
「何で死んだの?」
「(こいつ納得しとらんな)体がね、もう動かないとよ。(う〜ん、答えになってない)」
「ふ〜ん、なんで死んだと」
「(こやつ。)またね、生まれ変わる為に死んだとよ(どうだ、まいったか、これでも、お坊さんだぞ、我ながら鋭い答えだ)」
「生まれ変わるの?ふ〜ん」
と、苦し紛れにいっちゃいましたが、輪廻転生と言う生まれ変わり死に変わりする感覚は、正直私自身は薄いと思います。いや、日本人自体がこの輪廻転生観は薄いと言う先生(山折哲夫)もいます。
でも、今の世には目の前での生き死にがなくなっていく中で、命とか、魂とかを家の人から昔話のようにでも聞いたり、教わったりすることがなくなって、計るべき価値尺度も失せてしまったような気がします。
大切なお盆を迎えます。ひとつ亡くなった方の話でもしませんか。
1999年1月号
五里霧中
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。昨年は、この便りは3回しか出てないですね。にもかかわらず、多くの方から、有難い投稿、古切手や、古布を頂戴いたしております。ご好意を裏切っておりまして申し訳ございません。だから、というわけもありますが、
五里霧中が今年の巻頭言。まあ、何でかといいますと…
年頭早々でありますが、一月七日夜の9時ごろ。まだ松の内。お寺の近くのコンビニエンスストアで私は夜でありますが、子供の食パンを買いに行っておりました。私がお店に入るとき、正面に車を止めてお店に入ろうとする人がいます。ライトがまぶしかったのを覚えています。その人は、私の後にお店に入り、私より先にお店を出ました。さて、私が、レジにいるとき、なにやら、外で声高に騒いでいる人がいます。私の後に入った人のようです。だいたい野次馬の私は、すぐ外に出てみますと、先の人が血相を変えて私に言いかかってきました。
「あんた、ここに停まっとった車知っとろう。あんた私の先に入ったはずだ。」
「ああ、ホンダのシビックですかね。ライトつけてたでしょ。」
「いいや。セルシオ。車盗られた。あんた知らんか。」
「え!車を!今の間に。いや知らんが。」
「本当に知らんな。よし。」
というと、あの人は携帯電話に今度は向かってなにやら、言い始めています。
私は、(わし犯人と関係ないがナ)と思いつつ店の中に。
「あの人、車盗られたんだってよ」と、私は、レジに戻って情報を流しますが、レジの兄ちゃんは、へ〜、ぐらいなものであんまり関心がなさそう。店としてはあんまりかかわりたくない、という顔。私は、非日常的な事件に遭遇したことの物珍しさが大部分なのですが、店を出て、城南線をドオドオ―走る車の後姿をながめます。(あっという間に、車盗られたんだろうな、キ―つっけぱなしなのを目ざとく見つけて盗まれたんだろうけど。どこに行ったかわからんだろうな)と、ぼや〜と眺めます。目の前は、今の事件もなかったのように車はドオドオ―と流れています。先のおじさんも、もういません。警察にでも連絡していっちゃったのかな。もう何もなかったかのように、そこはいつものコンビニ屋さんの前。
今年を言い表したような出来事でした。
干支(えと)のうん蓄 今年は、乙卯=つちのと・う、というウサギ歳。ちょっとここで、干支(えと)のうん蓄をば話てみましょお。昔は、だれで知っていることだったのでしょうけれどもね。 乙は、つちのと、と呼び、十干(じゅっかん)という暦の読み方です。ポピュラ―なのに、ひのえうま、という言い方するでしょ。「ひのえうま生まれの女性は、うんぬんカンヌン」ていいますよね。ひのえうまは、丙午と書きます。ひのえ、のウマ歳なんですよ。 古来中国の思想として、木・火・土・金・水の五つを宇宙の成り立ちの要素としてます。そして、その五つのそれぞれに、陽と陰があるというのです。陽が兄で(え)といい、陰が弟で(と)といいます。
木 木の陽(きのえ)甲 火 火の陽(ひのえ)丙 土 土の陽(つちのえ)戊
木の陰(きのと)乙 火の陰(ひのと)丁 土の陰(つちのと)己
金 金の陽(かのえ)庚 水 水の陽(みずのえ)壬
金の陰(かのと)辛 水の陰(みずのと)癸
この十通りに、十二支の動物が配当されていきます。それで、六十通りの暦が出来上がります。この十通りを干(え)と言い、木で言うなら幹を意味し、動物の十二を支(と)と言い、枝を意味します。そこで、干支と書いて「えと」と読むのです。
今年は、つちのとう、でしたね。ちなみに、昨年は、戊寅で、つちのえとら、であったわけです。もうお分かりでしょう。来年は、かのえたつ=庚辰となります。 ここでこんな話をするのも、私たちの周りにある、古来からの知識を大切にしたいと思うのです。自然、環境、もっと言えば、宇宙とか天体とかの影響もあって私たちがあることを謙虚に知っておくこともいいとおもいますよ。ちなみに、阪神大震災は、乙亥(きのとみ)1995年でしたが、六十年前1935年の同じく乙亥には、関東大震災があってます。
そこで今年は、といいますと、暦によりますと、しばしば善悪正邪の間に立ち取捨選択を必要とすることがあり、常に正しい判断を冷静に迫られるので、堅固な意思と常識ある人格を養うことが肝要と言います。試しに、六十年前の同じ己卯になにがあったかと言うと、1939年には、中国の権益をめぐっての米英対日本の決定的な決裂の年であります。ノモンハン事件があり、満州国とモンゴルとの国境をめぐっての戦争があり、関東軍とソ連・モンゴル軍とが武力衝突いたします。そして、第二次世界大戦が9月に始まっています。ドイツ軍がポ―ランドに進撃開始したのです。日本は、アメリカとの条約破棄、イギリスとの会談破棄といったことをしています。ますます激しくなって行く欧州での戦争に日本も準備を進めて行きます。そんな年が、60年前でした。 現代日本の取り巻く状況、日本の実情は、どうでしょうか。見方はいくらでもありますが、私は、あんまり明るいみとおしが今年もないきがします。皆さんどうですか。
という、ところで、五里霧中と言うわけですタイ。
こんなとき、お釈迦さんが曰く、
「一人一人が、ともしびをかかげよう」
というのです。
「部屋の暗闇に、ロ―ソクを持ってきたらどうなる? 明るくなるだろう。すると、今までの闇はどこに行ったのだろうか。どこにも行ってない。闇は、光によってうせるしかない。」
だとすると、この五里霧中の闇だってどこにやろうとも、どこにも行かず、むしろ、光をかかげることが闇を駆逐することだと言うのですな。一筋の光が欲しい今なのです。しかし、あえて、お釈迦さんは、自らの輝きを大切にしなさいと言い、むしろ、あなた自身が輝いていることに気がついて!、と言っているかのように思えるのでした。どうですか?
1999年2月号
身代わり泣き不動の話
今年は、インフルエンザが猛威をふるっていますが、いかがお過ごしでしょうか。うがい励行が一番の健康法のようですが、水が歯にしみてなかなかしない私でありました。
一昔前では薬もなく死んでしまったのでしょうな。
その一昔前のお話…
身代わり泣き不動の話し
大阪市にいろいろある区のなかでも《阿倍野区》というのがあります。ご存知のかたもいるでしょう。でも、この名称が、人名から取られていることまではご存知ありますまい。この名称の元は、平安中期の人物「安倍清明」(あべのせいめい・921〜1005)にちなんでいるのです。現に、この阿倍野区には、清明通り(せいめいとおり)というのがあるんですよ。福岡にも、渡辺通りがありますね。これも、人名から来てます。残念ながら私も渡辺なんですが、ちょっと違ったようです。
さてさて、この清明さんは、当時有名な陰陽師(おんみょうし)であったのです。陰陽師とは、中国古来の学問である陰陽道にもとづく天文、暦・占い・方角、地相などの術を司る人です。日本には、7世紀初め、韓国より僧が伝え、その後、朝廷では、中務省の中に、陰陽寮というのができてたぐらいですから、当時の国家がとても重要にしていたのが伺われます。この陰陽師の家筋には、加茂家と安倍家があり、まさしく清明さんは、生え抜きなわけです。この
陰陽道を駆使して人間のさまざまな願いをかなえるのがこの人たちの役割です。
さて、この清明さんは、陰陽師であるばかりでなく、お坊さんでもあったのです。天台宗でした。その当時、三井寺(園城寺)には、智興内供(ちこうないぐ)というえらいお坊さんがいまして、清明さんは、その弟子であったのです。
あるとき、智興内供が当時の流行病を引かれ、重態になってしまわれたのです。インンフルエンザだったかも。お弟子さん方は、全員集まりまして、そのありさまを泣き悲しみました。その時、かの安倍清明がすくっとたち上がると、
「この様子だと、寿命であろう。どうしようもない。しかし、この弟子の中で、もしだれか、師の身代わりになるものがあれば、二人の寿命が入れ替わるように私の力で祈念いたしましょう。それしか助かる方法はない。」
と言うのでした。すると、それを聞いた内供もあまりに苦しいものだから、
「もしや、代わる人はあるか〜」と申されます。(情けない話しですが、えらい坊さんといってもこんなものでしょうな)
弟子たちは、「おまえ代われ」といわれるのが怖いので、全員下をうつむいて、顔色を変え清明と目を合わせないようにしています。この緊張した中に、一番地位の低い證空という若い坊さんが、進み出ると、
「私が代わりましょう。仏法を重んじ、我が命を軽んじるは、師から学んだこと。師と代わるというほど尊いことはありません。これっぽちも命を惜しくはありません。ですが、…」と申し出たのです。言葉は続き、
「ただし、私には八十にる年老いた母がいます。そして、私より子はいません。もし、暇乞いをせず私が死んだら、多分、母も死ぬでしょう。その母を説得してまいりますので、しばしお時間を」
と言います。これを聞く内供、弟子は、涙を流したと申します。さて、證空は、急いで母の元に帰り、かくかくしかじかで私は師と命を代わろうと思う、これは大変功徳のあることだ、と申しますと母は泣く泣く聞いておりました。
「そんな功徳のことなど言われてもわからん。あなたが小さい時は、あなたは、私を頼りとして過ごしましたね。私が年老い、明日をも知れぬ今となりましては、私は、あなたを頼りとしております。あなたに先立たれるのは親としてどんなにか心細いことか。でも、あなたは、師と命を代わろうと言うことは、死後浄土にいくことは間違い無かろう。この世は、明日をも解らぬ身。親に先立つこともあってしかるべし。あなたの信ずる道を行き、浄土より私を救っておくれ」
と言うではありませんか。(すごいセリフです。ここに、昔の自立した親子像の精神世界を見ますな。)證空は、泣く泣く三井寺に喜び帰ったと申します。
一方、三井寺では、清明が秘術の準備に今晩からかかろう、とする時でした。(何か、オカルトっぽい怪しげな感じです)内供は、年齢と、名前を浄書した紙を清明に渡します。準備のためです。
證空は、帰りつくと急いで自室に行きます。何せ若い坊さんの部屋ですから大変散らかっています。死んで部屋が散らかっていてはみっともない。部屋の後始末に帰ったのです。そのうちに、だんだんと頭が痛くなり気分が悪くなり、熱が出てきました。清明の術が利いてきたのです。いよいよ来たな、と思うとき、いつも自分が拝んでいる掛け軸のお不動様の前に向かいました。(坊さんは、本堂にある仏様とは別に、自室に枕本尊といい自分のための持念仏を安置しているものです)そしてこう念じました。
「お不動様、私は命が惜しくないわけないのですが、師のご恩に報いるため、命を代わろうと思いました。けれど、まだまだ修行が足りてません。ですから、死後の世界が怖いです。地獄に落さないで下さい。もう、病の苦しみが始まっています。拝む時間はありませんがどうぞお救い下さい」
證空は、こう念じ、お不動様のご真言を唱えはじめましたが、さらに、額から汗が流れ、気分は悪くなり、真言は乱れ、意識は薄くなってきます。
その時です。掛け軸のお不動様の目がきらっと光ったと思ったら、目から、血の涙が流れてきたのでした。そして、
「汝は、師に代わるか。わしは汝に代わるぞ」
と、大きな声が響いてきました。そのとたん、證空は、我に帰り、骨の髄まで響き渡ったその声に「ああ、有難い、恐れ多いことだ」と合掌しておりますと、今までの身体の様子が嘘のようにどうも無く、とてもさわやかなのです。
さて、師はどうされたか。その日より内供は回復していったのです。證空は、その後とても信頼される弟子となったと言うことです。
この掛け軸の本尊・お不動様は、三井寺の中にある、常住院の泣不動として伝わっているとのことです。
鴨長明著 「発心集」より
まあ、途中に言葉を挟んでしまいましたがなかなか良いお話ではありませんか。私たちの忘れていることが多くあると思います。
命を惜しむ高僧智興内供は、今も昔も変わらぬ感じです。臓器移植ではないですが、生きる、ことの人間の感情問題は変わらんとでしょうな。こっけいです。命を差し上げることに仏法を納める者としての熱い使命を感じている證空は、まっすぐな人に感じます。坊さんとして、みんなの前で良い格好したけど、やはり、命が惜しく、死後が恐ろしく、地獄に落ちたくない、そう言う弱さをありのままにお不動様にお祈りするとこなんぞ、読者も安心します。一方、その息子を許す八十になる母親は、親子の恩愛よりも師弟の恩に生きるようとする息子の生き様を認めてあげることで、さらに際立っています。一層、息子へ恩の大切さを説いているも同様だと思いました。
みなさんは、どうですか。どうとらえられましたでしょうか。
私は、この話しがおとぎばなしではなく、こんな話もあっただろうという気もします。そして、特に、昔の人が、信仰という生き方の指針を持っていたことに、現代の私はきっと忘れている気持ちがあるんだろうという気がします。
1999年3月号
時事所感
臓器移植を仏教的に考える
昔々、高野山の周辺には、念仏聖が住んでおりました。その聖の中でも、近年住み付いてた聖の中でもがいました。伊勢の出身の人らしいのですが、たまたま住みついたようです。徳もあり、帰依する信者もあり、そんなに、貧しくもなければ弟子たちも。数人いました。
その前に今回の移植についての報道のあり方については公の場にて謝罪されたのかな、と思いましたが行き過ぎだったようですね。(私はどう報道されてドナ―〔臓器提供者〕のプライバシ―が守られなかったのか知りません。その報道を見てないからです。)私が見たのは、臓器移植があってからのテレビ報道です。どのチャンネルもこの報道をやってました。そして、共通なのが、「この臓器が各地で待つレシピエント(臓器を受ける人)へ、いかに速く到着するか」を報道していたように思えます。それは、緊急特番のように、緊迫感あふれるバックミュ―ジックや、悲壮感的口調のアナウンサ―に感じます。どのチャンネルもこうですから、鼻につきますね。この段階でマスメディアは、臓器移植以前の報道是非をかわして、視聴率をねらったトクダネにしています。生命線で戦う医療者、命を載せて飛び立つヘリコプタ―と飛行機、命を守るために最新のテクノロジ―が動き出す。人間の挑戦に感動を呼びます。けれども、ここで、決して、マスメディアは、臓器移植に賛成でも、反対でも言っているわけではないのです。にもかかわらずこの報道が、視聴者に与えるイメ―ジは、臓器移植を内容ではなく、外面的にどう動いていくのかを印象づけすぎのきらいがします。日本で初めてのネットワ―クですからどう運ばれるのかが、知りたいとは言え、臓器移植の内容がないために先走った報道になったと思えます。臓器移植は何なのか、つまりは、命をどう考えればいいのか。これは、個人が個人の考えを持たねばなりません。一人一人の命なんですから。そこで、参考に仏教の考えを拾い出してみましょう。
仏教的生命観を見る
私は、仏教の生命観は、無常観と輪廻転生と考えます。これが、仏教特有の考え方といえば嘘で、インド古来、仏教以前の考え方でもあるのですが、それを仏教化している点からしてもこの二点を中心に考えます。難しい話は難しいのですが、ひとつ、仏教説話の中から見てみましょう。
身を捨てて虎を助けた話
むかしむかし、インドの国にサッタ太子という王子がいた。ある日、二人の兄と一緒に森に遊びに行った。すると、飢えた母虎が自分で産んだ7匹の子供の虎を、飢えに迫られてあわや食べようとしているところに出くわした。二人の兄の王子は、恐ろしくて逃げでしたが、サッタ太子だけは、そこで考え決心した。
「この身は、砕けやすく変わりやすい。今まで施すことを知らず、ただわが身を愛することばかりかかわってきた。自分は、今こそこの身を施して、悟りを得るために捧げよう」
すなわち、太子は、絶壁によじのぼり、そこから身を投げて、砕けた身体を飢えた虎に与えた。これによって、母虎の飢えを満たし、7匹の子虎の命を救った。
《解説》
残酷な話! といわずに聞いて下さいよ。死んだら何もならんやろうもん、と理解し難いのですが、そこなんですよ。いのちは、今、この人生だけでないと考えるのです。太子は、今、虎にわが身を施すが、この行為によって、来世さらによき生をまっとうしよう、と思っているんです。この人生だけの命ではない、来世もあれば、過去世もあるいうこと、これは、輪廻転生の考えですね。ところが、この考え方は、日本人には薄いと言われてますから(日本国際文化研究所・山折氏)ピンと来ませんよね。でも、死後の命がどうなるか、ということは気になるところ。現在の行いが、その報いを受けるという考えはできると思います。太子は、そのところで言えば、施すという行為は、よき行為であり死後もよき報いがあると考えたのです。とにかく、人生いかに生きるか、をこの今の命だけで考えず、永遠に旅する命の尺度で考えているのです。
では、なぜこの行為がよき行為であるのか、その価値観は何なのか? いわば、この行為は自殺ですよ、なぜこれがいいのか。そこで質問です。「皆さん、この世で一番かわいい物はなんですか?」 子供、家族、財産、仕事? いろいろあるでしょうね。でも、正直言ってわが身ではないでしょうか。この点が忘れやすいところでもあります。人のため人のためといいつつも、結局はわが身のために、あくせくしていることがないでしょうか。自分の喜びのためにです。お釈迦さんは、純粋にこのようにわが身かわいいが本当の姿だろう、と看破され、そこで、わが身かわいいがためにいろんな苦しみを生じているんだよ、といいます。生きる、その行為自体、俺が、俺が、とこだわっているんじゃないのか、というわけです。じゃあ、そんなにこだわる、わが身という物の実態はなんだろう、というと、小さなもんじゃないか、といいます。宇宙の大きさ、地球の歴史、人類の営み、大自然の力、こんなのに比べたら、あなたの人生、命、も有為千変のひとかけらの姿でしかないのでは? 何にこだわり悩んでいるか、こだわる実態も、今日あっても、明日はわからぬ営みの中にあり、私というものをこだわり、持ちつづけることこそが理に反した苦しみの原因でもあるんじゃないのかね、というわけです。無常、という考えです。物質も精神も常なるものはなく、永遠にあると思えば、そこに苦しみを生ずるというのです。時の権力も永遠でなく、かのロ―マ帝国、ソ連もしかり。大企業だって、山一證券、玉屋とわからん、わからん。
そこで、太子は、この無常の世の中であるにもかかわらず、わが身かわいいのことしか考えなかったことを、今こそ、わが身のこだわりから自身を解き放ち得られる境地にいざ入ろう、としたわけです。無常であることを体得し自身の束縛を離れようとしたわけです。
太子の価値観は、仏教で言えば、純粋なものでありましょう。実際にあった話しか、単なる説話なのかわかりませんが、こういう価値観を説いていたことは確かです。
身を捨てて虎を助けた話でもこのように、輪廻転生と無常とが説かれてあります。次に挙げる話は、無常をさらに進め、無我を説いてます。この臓器移植を考える点でいい話です。
バラバラにされた男の話
一人の男が旅をしていた。ある夜、ただ一人でさびしい空家に宿を取った。すると、真夜中になって一匹の鬼が死体をかついできたではないか。男は、部屋の隅に隠れぶるぶる恐ろしさの余り震え出した。間もなく、なんともう一匹の鬼が入ってきたではないか。そして、「この死骸は俺のもだ」と言い出して激しい争いが始まった。しかし、決着がつかないものだから、始めの鬼が、後の鬼に言った。「こうしておまえと争ってもらちがあかぬ。堂だ、この死骸がどちらの物か、部屋の隅で震えている人間に聞いてみよう。」と言うのだった。男は、絶体絶命である。どちらの見方をしても殺されるのに決まっている。男は、決心して正直に見たままを言った。案の定、後からきた鬼は怒り狂い、男の手をつかむや否やひきちぎってしまった。これを見た先の鬼は、すぐ死骸の手をもいできて、男に補った。後の鬼は、ますます頭にきて足と胴と、とうとう頭までもひきちぎってしまった。しかし、先の鬼は、次々に死骸の足、胴、頭と補ってしまった。こうして、二匹の鬼は争いを止め、あたりに散らばった、手、足、胴、頭を食べて満腹し、口をぬぐって帰っていった。 男は、一人残った。しかし、親からもらった手足胴頭はなく、見知らぬ手足胴頭であた。いったい、自分は自分なのか、自分でないのか、全くわからなくなってしまった男は、夜明けに気が狂いこの空家を出たのだった。気が狂って道を行く男は、途中、一軒の寺を見つけた。男は、喜び入り、ことの始終を話し、教えを請うたのである。人々はこの男の話に無我の理を感じたのであった。
《解説》
ホラ―映画じゃあるまいに、とお思いでしょうが、これは、お経の中にある一説です。全く、臓器移植の問題に関わっているようですな。ここで言う問題点は、無我なんです。さきほど言いました無常は、この世の中には、何一つとして永遠なのものはなく移り変わって行くのだ、と言います。すると、そういう無常なものに、果たして、これは俺のものだ、という事が出るのでしょうか。移り変わっていくものに、一つの決まった実体はあるのでしょうか。例えば、子供子供、と思っていたら、いつのまにか、大人になっていた、とかいうのはよくあること。俺の身体、俺の手足、と思うでしょうが、つめが伸びるのを止めれますか、皮膚のしわをのばせますか? 生命の誕生から、死滅にいたるまで、いったい己がどれほどの力があるというのでしょうか。ただ、自分のもんだと思いこんでいるだけでしょう。そこに、また苦しみの元ができてしまう、あの旅人のように。
説話はとても極端ですが、でも、臓器移植にしてみれば二点の指摘があります。一つは、無我の立場からすれば、自分の臓器に名前が書いてあるわけでもなし、臓器を自分の物と思いこむことはどうかと思うし、逆に、人の臓器は自分のじゃないからだめだと言うのもおかしい、というのです。臓器の誰それにこだわることは意味がないというんですね。なんとなく、移植推進の論調です。
あとの二点目が重要でして、どちらかと言えば、こっちがいいたいのではと思います。それは、私たちに移植の必要があるのかな?を問うものです。 無我の物である私たちの身体は、その体が壊れたからといって、すげ替えてもいいのだろうか。まるで、この身体は、俺の自由になってあたりまえなんだ、そうなるべきなんだ、という頑固な思いのままに臓器さえも我欲・エゴまるだしであさっていくのではないだろうか。人間は死ぬ。死は、誕生と同じく自分の意思ではない。その見極めを誤るととんでもなくなってしまいます。私たち人間は、数知れぬ生命から支えられ、永遠に旅する命のワンシ―ンを演じているだけです。そこに己の都合による我が物の身体を永らえることにキュウキュウとしていいのでしょうか。つまりは、臓器を頂く側の心を問題とし、無我による諦観をもって死を頂くこともあっていいのだ、ということです。道教の言葉に「有限な命の人間が、無限の学問をして何になろう」というような言葉あります。まさしく、あなたは、どう生きるのか、全力を尽くすことが美徳ではない。パワ―全開、なんでもプラス思考、前進前進、と、まるでバブル崩壊後もバブル時期の経済力を目標としていっている頭がちがちのお偉いさんと変わりない。
こういう消極的な考え方には反論もあろう。
輸血はどうなるのだ。輸血の科学のおかげで、みんな生きているではないか。発展を目指せば、恩恵は大きい。
臓器を待っている人にそんなことが言えるのか。死ねというのと同じではないか。
そうなのです。でも、それはそれで、臓器移植をすればいいのです。輸血をし、科学が進めばいいのです。なぜなら、仏教は、救済の宗教だからです。結論を出し、正邪をはっきりしないのです。結論を出すことで、そうでない人が必ず出て救われないからです。論理で割り切らないのです。要は、その人の心ですかね。 ですから、悪い面として、仏教の心を失い権力に迎合しやすいのです。例えば、第二次世界大戦の時、仏教は、「身を捨ててお国の盾となれ」とか「無我の境地となって国に奉公」「私欲をすてよ」などなど言って来たわけです。まるで、臓器移植の錦の旗見たいな文句です。でも、臓器移植の問題の時、このフレ―ズで推進した仏教団体は一つもないですね。私も臓器移植の問題を語る以上、ここは避けられません。仏教の考えにある命は、個人個人が、やはり、考えなくては行けないと思います。それでいいのです。仏教がこう言うから、こうでなくてはならない、とするのは迷惑なこと。そんな束縛さえも、否定して行くのがまた仏教でもあります。そして、個人のその場その場で出てくる様様なわだかまり、執着、こだわり、思いこみ.偏見、これらを打破して行き、気づかされるのが仏教でしょう。国家、権力に仏教理論を利用される筋合いではないと思います。
輪廻転生=何度もやりなおせる命、くやしみを生かせる命。無常無我=明日また生きる生まれる命、永遠に生かされ、いだかれている命、数知れない命に支えられているもったいない命。このようなものが仏教の生命観でありましょうか。
さて、紆余曲折しましたが、いかがでしょう。仏教説話から、何か感じる物があれば、よかったと思います。どうか、みなさん家族や、友達でもこの手の話をして見てください。あなたの命なんですから。
1999年6月号
高野の南に、筑紫上人、出家登山の事
鴨長明 発心集より
一、発心のきっかけ
昔々、高野山金剛峰寺に南つくし(〜一一○四年没)と言う貴い聖人がいました。生まれは、筑紫の人らしく家の前に五十町(五十ヘクタール)もある立派な方であったといいます。
まだ筑紫にいた八月のある朝、外に出てみると、穂波はゆらゆらと出て、見事に実っており、露などがかかりそれは見事な光景でした。その時こう思ったのです。
「この筑紫の国に豊かな人は多い。けれども、家の前に五十町も田んぼを持っている人はめったにいないだろう。私は、身分不相応であるかな」
と、心にしみじみ思っていました。すると、前世の因縁がそうさせたのか、また、ふと、こう思ったのです。
「そもそも、この世がいったいなんであると言うのか。この世のありさまは、昨日見る人、今日はなし。朝に栄えた家でも、夕方には無し。一度死んでしまえば、惜しみながら蓄えた物など、なんの意味があるというのか。はかなく執着心にほだされて、あの世で苦しむとしたらなんとしよう。」
と、たちまちに無常を悟る心が強く起こったのです。そして、「もし、家に帰ったならば、妻子もあり、親戚も多いから、決まって、この心の妨げとなろう。されば、この地を離れ、知らぬ地へ行き、仏道に励もう。」
と、何気ないふうのまま、京都をめざして行き始めたのです。
二、娘に追い慕われる
その時、やはりその様子に、異常なものが感じられたのか、往来の人が、不審に思い家にその様子を伝えたところ、家の人が驚き騒いだと言うのは、最もであります。
家族の中には、かわいがっていた、十三になる娘がおりました。その娘は、父の後を追いかけて、追いつき、泣きながら、
「私を捨ててどこに行かれるというのですか」
と、袖をつかんで引き止めます。
すると、
「なにお! 己なんぞに妨げられるか」
というや、自分の刀をぬきて、自分の髪をばっさりと切ったのです。娘は、恐ろしくなって、袖を離し、家に帰ったと申します。かくして、そのまま、まっすぐに高野の山に登り、頭をそり、自分の思いを遂げました。
一方、筑紫にとどまっていた娘は、そののち、父を尋ねて、尼になり、高野山のふもとに住み、死ぬまで、父の洗濯やむ縫い物などして孝行を続けたのでした。
三、浄名居士来臨の夢
ところで、この聖人は、後には、徳が高くなって、身分のいろいろな人から帰依を受けたのです。
ある時、あるお堂をつくって、はて、誰を導師にして、このお堂の法要をしようかと思いあぐねている頃、夢を見ます。
「このお堂の法要の、その日その時、浄名居士(じょうみょうこじ)のおわして供養されるであろう」*註・ 浄名居士とは、大乗仏教で大切なお経の維摩経(ゆいまきょう)の主人公である維摩居士の別名です。
と、人が告げるのです。夢から覚め、枕もとのついたてに書きつけ、なんだろう、と思いつつも、その日がくるまで。なにもしないでいたのです。
正しく、その日になって、お堂をきれいに荘厳して、待ち遠しく思っていたところ、朝から、雨まで降ってきて、さらに、ほかに人がやってくるふうでもないのです。しかし、その時間になった頃、とてもみすぼらしい蓑笠を身に着けた姿の法師が現れて、拝んで行く人がいます。即座に、その人を捕まえ、
「お待ち申し上げておりました。早くこのお堂を供養して下さい」
と勧めました。法師は、驚きて
「全く、私はそのようなことができる学識ある者では在りません。つまらないものが、たまたまついでにお参りに来たにすぎません」
と、とんでもないという様子であったのですが、かねてからの夢のお告げであり、このようにと、ついたてに書いている日時を見せますと、のがれることもできず、
「されば、形にのっとって供養申し上げましょう」
というと、蓑笠を脱ぎ去って、たちまちに中央の拝むところに上がって、一通りでなく、なんともすばらしく法要をされ説法されたのでした。
この導師は、天台比叡山の明賢阿闍梨(みょうけんあじゃり)という高僧であったのです。高野山を拝まんとて、忍びつつ、身をやつして詣でたのです。これより、高野山では、この僧正を浄名居士の化身と呼ぶようになりました。
四、白河院の帰依と聖の往生
さて、この聖人は、誠に貴き名が知れ渡り白河院までもが帰依したのでした。*白河院とは、院政を始めた天皇で仏教に深く帰依した。(一一二九年没) 高野山はこのおかげでたいそう繁盛したのでした。そして、ついには不変の信心を保って臨終を迎えたのでした。
人が物惜しみする財産を因縁として、この世の煩わしきをいとう心を起こすという誠にめったにない物語であることです。
五、鴨長明の結語
賢き人は言います。現世と来世にわてって苦しむ人は、財産をむさぼるこころを源に致しております。人は財物にふけり、己れも深く心がとらわれているので、お互い争いねたみて、足ることを知らず欲しつづける心さらに盛んになり、怒りの心も栄えるのであります。人を殺し、人の物を盗む。家が滅び、国が傾くことも、皆これから起こるものです。この故に、
「欲深ければ、災い重し」
「欲の因縁をもって地獄・餓鬼・畜生の欲のおもむく世界に生まれ変わって行く」
とも言うのです。されば、弥勒菩薩が私たちを救いに来て下されるまで財産にとらわれなきよう財を見ては深く恐れ厭うべし。釈迦は弟子に曰く、
「足ることを知らない心、あくことなき欲望、それがために、戒を破り、罪を作り地獄に落ちて行く」
「毒蛇を捨てるが如く、その欲望は道のほとりにすつるべし」
といえり。 以上
またまた、発心集の鴨長明さんに登場してもらい文面を埋めていただきました。高野山に関することは、他にもでていまして、おもしろいですが、ここで取り上げることは、今も昔も欲張ることには、あんまりいいことはないという、教えのようであります。この本の中には、お坊さんの中でも、無名だけれども、その生き方には、隠遁者として仏に仕える鴨長明さん好みの坊さんが集められています。だから、なんら世の中の福利に益のない坊さんばかりが登場してきます。
しかし、信仰の道が、必ずしも社会福祉、済世に在るのではなく、その人の生き方そのものが、世の人の心を涼しげにし、欲に追われ焦がれる心を冷まさせることになっているということで世の中にあって尊い存在だったのだと思いまして、私にはできかねること、として押さえつつ、紹介させていただきました。
1999年7月号
私のいのち観
キャナルシティー映画館論
また、たわけたことを、とテレビの座興の合間にもお読みください。
お寺というのは、別に我が寺だけではないのでしょうが、なかなか大手を振って遊びにいくというわけにはいけません。寺はそんなイメージでない、というのを気にしているわけですが、また、いつご不幸が起こるとも限りませんので、決まった休暇を設けるのもできません。
そんなわけで、特に夫婦のみの外出もままなりません。でも、親の同居をいいことに年末は必ず午後から外出致します。まあ、どこに行くということもないので、映画にいくのが通例です。十二月にこの日を作るのですが、今まで見たというと、「インディペンデンス・ディ」「メンイン・ブラック」「タイタニック」という年末興行の映画ばかりです。皆さんもご覧になりましたか?
ところで、これら映画を見るのにどこの映画館に行ったかというと、キャナルシティーの映画館に行くのです。行った方はご存知のように、この映画館たるや、十二の部屋で十二種類の映画が一斉に放映されるという映画館の塊みたいな所です。そこに何回か行っていて面白いことに気がつきました。
次々映画に出る俳優
たとえば、「タイタニック」を見に行った時ことですが、この映画に出ている主演の若者は、すでに、次の映画に主演していることに気がつきました。映画館という所は、必ず、自分の見たい映画の前に放映予告やらがあるでしょう。あの予告編にとても映画館に来たなあ、という感じが私はするものです。「タイタニック」の時もそうですが、お目当ての前に予告編があってまして、その予告編に「タイタニック」の主演男優が恋愛ストーリーの幽霊役で出てきてました。勇敢な若者から次は幽霊の若者役です。他の映画の主演者もそうだったと思います。主演者ともなると忙しくて、次々に映画出演の依頼が来ていて、どんな役柄でもこなしていかないけないんだろうな、このように異なる役柄をこなして俳優さんも大変です。そして、キャナルシティーだからこそ思ったことは、多分、次に出演し放映される映画の部屋は、別の部屋であるんだろうと思ったことです。あちらの部屋に出たと思えば、こんだはこちらという具合に忙しくいろんな役をこなしている、と思えたのです。そこに、はは〜ん、と気がつくことがありました。
人生の主人公になれ
人生これ遍路なり
「人生の主人公になれ」と、よく禅宗の坊さんが言います。すなわち、人生一度限りではないか、誰の人生なのか、自らの足で歩んで行け、と人生に対して自己の自覚を促しています。次に、「人生これ遍路なり」と真言の坊さんがよく言います。すなわち、人間オギャーと生まれてから、山あり谷あり、雨あり風あり、遍路の道中も人生の日々も同じもんだ、と人生の起伏を旅になぞらえます。どちらとも、人生の格言です。
では、そこで私たちの人生を一つ舞台の中で考えてみましょう。オギャーと生まれた時、拍子木と共に、舞台幕が上がりました。舞台の上では、両親に見守られているあなた、赤ちゃんがいます。舞台は、回り舞台の如くに、日々の背景がくるくると変わっていきます。第一幕、第二幕、と幕幕であなたの役回りも違ってきます。
時には、せり舞台から思いもかけない人が現われ、ロミオのように恋に陥るヒロイン役をします。
時には、義経の勧進帳のように大見得を切るの役です。
時には、「おしん」のように耐え難きを耐える役であります。
時には、坂本竜馬のように時代を引っ張る役です。
時には、フーテン寅さんのように人情家です。
でも、そのあなたは、いつも主人公、いつも主演です。
人生の山場、泣かせるところ、笑いのところ、山谷、雨風をその時その時で演じきっているんです。人生の格言もこのように舞台で考えると面白いものです。
では、最後のときはどうなりますか。そうですね、舞台の中央で、ガクッと力尽きて倒れこんだ時に、再び拍子木が鳴り響き、そして、緞帳が下りてくるのであります。もしくは、花道を静静とさがっていくのかもしれませんね。
では、では、その次は?
楽屋というところに行くのですよ。そこで、よっこらしょっと、鏡の前で腰を下ろします。そして、やおら、化粧を落したり、かつらや、あなたというぬいぐるみを脱いでゆくのです。シミや小じわもとれ、病気の痛いのもとって、名前も肩書きも性別も年齢もすべてを鏡の前で落してゆくのです。
すると、何が出てくるのかって、そう、あなたの本性、あなたが見たこともない真実の姿です。別にエイリアンが出てくるわけでも宇宙人が出てくるわけではありません。いえることは、生きているうちには、なかなか会えない本当の自分ということです。
さて、そうして、化粧やら、衣装を脱いでいると、隣りでも、よっこらしょ、と同じようにぬいぐるみを脱いでいる人がいます。そして、お互いが、
「お疲れさんでしたな、おたくは、なかなかしんどい役まわりでしたね」
「おたくこそ、なかなかの悪役でしたな」
と、言い合っています。この辺の考え方は,ひろさちやさんに詳しいです。そうやって、みんなでわいわいやっておりますと、舞台監督というところの、仏さん、閻魔さん、ご先祖さんがやってまいります。
「お前さんは、まだまだ、さっきの役柄に不満足のようだな、うまくいかなかったて未練がましくこだわっているんだろ。そんなにくよくよするんじゃないよ」
などといわれて、それぞれが、自分の舞台での演じ方を反省致します。人生の反省ですな。それでも、仏さんは、
「いやいや、ご苦労さん。どうだい、次の舞台にもう上がってみないかい」
と勧めますが、たいがい皆疲れてますから、ちょっと休ませて下さいよ、という具合になります。すると、ご先祖さんが、
「そんなら、こっちの観客席においでよ。みんないい席とってまっているんだから」
てな具合に楽屋から客席に案内して下さいます。すでに自分専用の指定席があるわけです。どうして判るかと言うと、その座席には、ちゃんとあなたの戒名がついているからです。あなたの指定席と言うわけです。
つまり、客席は、極楽浄土と言うことですね。周りの席には、懐かしい肉親や、親戚がおせんにキャラメル、みたいにご仏前のご供物を頬張りながらおるわけです。
そこでなにを見てるかって? むろん、子孫の舞台ですよ。子供、孫が主演している舞台を、時には涙し、時には声援し、応援しているわけです。でも、舞台の子孫には、太陽というスポットライトがきつすぎて、客席なんてぜんぜん見えません。
逆にいえば、私たちも生きているときは、客席にいて応援してくれているご先祖さんや仏さんのことに気がつかなかったもんです。
そうやって、ご先祖さんとして客席から観覧していたのですが,いっときすると、後ろから肩をたたかれます。
「そろそろ次の役をやってみないかい」
と、仏さんが勧めるんです。勧められる役は、社長か大臣か、大金持ちかホームレスか、性別も国もちがい、はなはだしくは、人間のぬいぐるみでなく、他の生物かもしれません.植物、魚、動物、昆虫、自分で興味のある役があると、よっしゃー、とばかりに、次の舞台に立つ準備です。
こんだは、別の舞台になるかもしれません。そう、全く違うところ。
まるで、キャナルシティーの映画館のように、別の階の別の部屋で封切られる舞台に主演するのです。もちろん、子孫のことが気になって、子孫の舞台にそのまま出るのかもしれません.それもいいでしょう。でも、以前に先祖だったなんかの記憶はありませんよ。舞台に上がったら最後、その役で一生懸命なんですから。
そこで、またも、カチーーーーンと拍子木が鳴れば舞台の緞帳が上がり、舞台の始まりです。人生の主人公を演じ、人生の山坂を登り、谷あり雨ありの風景が展開します。
それぞれの人生が、いたるところの映写室で同じに一斉に始まります。それぞれの舞台で、喜怒哀楽のストーリーが始まるのです。キャナルシティーの映画館から、そんな生命の営みを考えたのでした。
先代・松本幸四郎談話
霊界、輪廻をキャナルシティーになぞらえてお話したわけです。こう考えますと、人生を演じるという点で、舞台俳優、特に歌舞伎の先代松本幸四郎さんのインタビュー談話を思い出します。
*「主演者を引き立たせるのは脇役である」
いうまでもなく、自分が主人公であるならば、脇役を大切にしなさい.そうでないと自分の主役ができない、と言うわけです。
*「身体がきつい時には、つらい役が真に迫ってできる」
辛い時、病気の時、それをそれとして受け入れることがその役になりきることだ。いつも健康なことはなく、常に順風満帆のことはなく、その時その時を自分で感じながら、そのままを生きたらいい、と言うことではないでしょうか。
さて、いかがでしょうか。皆さんも、観客席ならぬ霊界から大声援を受けて今の舞台の主演をしています。
最後の幕が降りるまでに、花道を飾ろうじゃありませんか。
あなたが、主人公です。この人生の道を歩むお遍路さんなのです。
2001年8月号
カブトムシ
今年のお寺は、「カブトムシ」の大発生です。七月下旬ごろから、2〜3匹毎晩網戸に飛んできてましたが、多い時には,十匹も飛んできました。目の前を、カブトムシがぶんぶん飛んでいる状態です。
でも,これにはわけありです。お寺では,カブトムシの飼育をしていまして、割れた大型水槽に飼育して越冬させています。ですから、この飼育ケ―スには、えさが入っています。このえさの匂いに集まってくるのだと思います。それと、雄が雌を呼ぶ声に反応しているとも思いました。
とにかく、当たり年のカブトムシですね。
これ売ったらいくらやろう? とやっぱし思いましたやね。
このケ―スは、もと金魚水槽ですから、カブトムシには多き方ですが、しかし、今何匹入っているのか、勘定してないのでそりゃ過密状態です。えさの取り合い、彼女の取り合い、寝床の取り合い(これは,昼間、土の中にもぐるスペ―スです。夜は動き回ってます) 見ているこちらも、がんばれ、まけんな、と声をかけたくなる始末です。
もう受精したかなあ,と思われる雌から逃がして行くのですが、それでもいっときは、満員ですね。
はたから見てますと、カブトムシの強いものが天下を取るという構図に見れるわけですが、そうでもないのが虫の世界。いや、人間様以外の世界の様子なのかもしれないと、言い始めたのが、これ、今有名な言葉になった「共生」「共生き」という理論です。
あの参議院選挙でも、この共生を柱とした福祉社会を連呼していた人がいますが、なんか薄っぺらいです。
その昔、ダ―ウインという人が、「進化論」を唱えました。人間は神から人間が創造されたのではなく、猿,類人猿,人間とこのように進化していったのだ、といって、そりゃ当時のキリスト教世界では、大変な反逆で、死刑にまでなりそうでした。しかし、化石が出てきて、人間も徐々に進化していったことが証明されてきました。この進化論は、今では、当然の理論としてみんな受け入れています。ところが、この進化論の大きな前提があるのです。それは、弱肉強食です。強いものが生き残り、選ばれ、進化をしてゆき、弱いものは滅んで行くのだ、これこそが、自然の成り行き、神の意志であり、強きものは,正しくも有り、だからこそ選ばれ生き残り進化して、未来に残って行くにふさわし種なのだ、と言うのです。弱肉強食と自然淘汰という前提があるのでした。
私も、この理屈を疑ったことはなく、さもあらんと思ってました。
ところが,戦後日本の千島喜久男が唱えた千島学説は、この進化論と真っ向反対の「共生」を唱えたのです。例えばアメリカの自然公園で、鹿を保護しようと、ライオンとか狼とかを増やさないようにしたところ、今度は、鹿が繁殖しすぎて草を食べて、公園の緑がなくなり、結局鹿も食べて行けなくなったという話(鹿とかライオンとかあやふやですが)があります。自然界のバランスは、人間の浅智恵ではどうにもならないことばかりでなく、強いものをセ―ブすれば弱いものが繁殖するという進化論のようには行かないということです。
生存競争に勝ちぬき、勝つものが生き残り、破れたものが自然淘汰され滅んで行くのだ、勝つものだけが、進化して行くにふさわしいのだ、という考えにおかされているのが、いわば、わが身であり、日本の現状のようです。
千島説は、二種以上の生物は、たがいに利益を与えながら生きている共生をしており、相互扶助による共存共栄の中からよりよく生きて行こうとする、親和力または、愛が根源にありその結果進化して行く、といいます。この考えは、言われればそうだと思いますが、美しい空言のように聞こえてしまいます。
しかし、いま、日本から発信している「共生」理論は、確かに、現代の世界に必要な気がしませんか。おおもとの宗教もきっと同じことを言っていたはずだと思います。世界各地にある宗教それぞれがです。
さて、カブトムシ君、君は、進化論に犯されてはいまいねえ。
2002年2月号
宗教は、戦争ばかりしとるが、いるもんじゃろか?
皆様、お元気ですか。風邪がひつこいようで、充分お気お付けくださいね。
まちまちに出している通信ですが、春彼岸のお知らせとあわせてお送り致します。
毎月出せたらいいのですが、ついついだらくさなもので、こんな調子です。よろしく。
何も書かない間に,ずいぶんと世の中,いろんなことが起こっておりまして、オリンピックはいいんですが、なにせ、きな臭い世情だけは、ゆゆしき問題です。その原因が,宗教にあるんですから,いけません。アフガンの問題も、宗教がからんでいますね。イスラム原理主義とアメリカです。イスラエルのユダヤ教もやってますよ。アラブとの和平は、またまた怨念の塊となって、転がり始めました。仏教国も大変でして、警察が要らないと十年前までいっていたお国、ネパールでは、毛沢東主義派と内戦状態の様子。インドのヒンズー教も、パキスタンと一発触発で、核をちらつかせております。まあ、世界警察も自負するキリスト国家、アメリカによる善悪の色分けは、必ずしも正しいとはいえない気がしますね。「悪の枢軸国」は、第二次世界大戦の日本のようで、それなりに、いい訳もあるような気がします。宗教の役割、意味が,現代日本人には、いよいよ不可解なものになって映っている気がします。
戦争は、いかん
これだけは、言っとくべきところで、皆望んでないのであります。しかし、戦争の殺人を正当化するもの、味方の戦死を英雄と評価するもの、これまた宗教でもあるわけです。
宗教は,悪という存在を作ります。自分がなってはいけない者、認めてはいけない者、として悪を解き明かします。そして、自身その悪に打つ勝つことを勧め、自身その悪から遠ざかることを喜ぶのです。ですが、それが社会規範となって他人にその善悪を強要した時、その通念に反しているものは、悪人として抹殺されてしまいます。殺人を宗教が正当化するのは、世界の歴史の中で枚挙にいとまがありません。
また、どの宗教も、命の尊さを言います。どの宗教も平和を説いています。そして、宗教に信心篤くなると、宗教的情操、考え方から、自分の命を軽くして、他人の命を重んずる精神になってゆきます。それが、自国のため、同胞のためなら自分の命を投げ出しても、守るんだ、という精神をいよいよ強固なものとして行きます。そして、さまざまな武器を持って、戦場へ行き英雄伝説が生まれてきます。それらは、信仰の証しとして、誉れとなってゆくのです。
以上のような考え方を宗教は、育み、教える要素を持っていることは充分な事実であります。
では、宗教自体どう考えたらいいのでしょうか? ちょこっと、ぶち上げて物申しておきましょう。
宗教は、自分を掘り下げる武器だ
私論でありますが、このように思います。いろんな宗教がありますが、私が見てて、この人は,ええ人やなあ,と思う人に出会い、あとから、その人が,ある宗教を信仰しているなんか聞くと,その宗教に興味を覚えます。逆に、これこれの宗教をしています、といって止まない人は、その人のアラが見えるたびにその宗教自体興味を失います。私自身のことは,棚上げですが。
やっぱり,宗教は,自分を作るもの,磨くものでしょう。私は、掘り下げるものだと思います。自身気がつかないこと、例えば、人を愛するといいながら,実は、自己愛にしかすぎないことや、善い事をやっているようで,実は、偽善でしかないことなど、自分のやっている事の本当の姿が、見えてない時に、宗教は、教えを物語風に教えてくれるものです。
ですから、こう思うんです。
仏教者は、念珠という武器を持って、念仏唱えたり,真言くりながら自身を掘り進んでゆく。キリスト者は、聖書を持って、自身を掘り進む。そして、掘ってゆくと、うまい地下水にあたります。その水は、仏教者でもキリスト者でも同じ水。うまいのであります。この地下水こそが、人類、そして、生命あるものすべてに共通する霊性であり、尊いものだともいます。必ず、この地下水は,あるものと考えます。これが,宗教の役割でしょう。
宗教は,西鉄バスの時刻表
もう一方,考えなくてはならないのが、じゃあ、その地下水はどこを、どのように掘ればいいのか、ということです。それについて,仏教では、戒律があったり、お経を読んだり、念仏したり、という項目があります。そして、その通りにしないと、地下水にあたらないのか、という問題です。私のような意志薄弱なものは、説かれている通りしないとだめだ、といわれると到底ついてゆけません。
しかしながら、私は、宗教自体、そのような徳目,実行すべき項目は、西鉄バスの時刻表だと思っています。
どういう事かといいますと、三時に天神に着こう,と思えば、
二時のバスに乗らないと間に合わないとします。そこで、時刻表には、一時五十五分の天神行のバスがあれば、それに乗ろうと、バス停にゆきますよねえ。でも、実際、バスは,来ますか? これが大抵来ない。たいがい二,三台連なって遅れて来るもんです。だからといって、時刻表通りに来ない,とわかっていても、時刻表がなかったら、いったい、いつバス停に行きます? 一応の目安としても,時刻表がないと困ってしまいますよね。
宗教も、その程度でいいと思います。
ラマダンで断食してる、そりゃ偉いね。タイの僧侶は、帯妻しない、そりゃ偉いね。中国のお坊さんは、お酒を飲まない、そりゃ偉いね。あのお坊さんは、山にこもって修行してる、そりゃ偉いね。まあ、その人その人で、掘ってる地下水は、やり方に千差万別、比べる必要も,けなす必要もないのでして、それができない私は、私なりにがんばろう、と思っておけばいいだけです。同じことができない事が、即、失格ではありません。やるべき項目は,目安。遅れたり,早まったり。しかし、項目がないと、どうしていいかが全く解りませんから,うるさく説いてあるのでしょう。
逆に、この修行をした、こういう功徳を積んだ、と時刻表通りをして偉ぶっている人は、もう、どこかの国会議員とかわらん。肩書きだけ。時刻表通りにやって、自分が磨けたかどうかは、人が判断してくれるでしょう。特に、子どもなんかがね。子どもは、難しいことはわからんでも、ホントの事はわかるものです。
こんないいかげんな事書いてますが、宗教とは一体なんであるのか,の前に、宗教のあり方について、述べたままです。宗教のいやな面を見る昨今ですが、やっぱり、仏教、特に、お大師さんの教え、なんかいいと思うんですよ。
2002年4月号
今年も、「たけの子学級」お寺の合宿
「なまでも食べさせて」の巻
なぜか,悲しい事件の多い昨今。人事ではなく、いつか自分にも起こりそうなことが、報道されています。この状況を、異常というのか、それとも、こんなもん,とすませるのか。その大人達の判断が、今の子供達に現れてくることは間違ありません。私たちが、未来を作っていることに間違いありません。
たいそうなことを書いてますが、まあ、なんとか続けていますお寺合宿。春休みは、「たけの子学級」で、夏休みは「せみの子学級」です。一泊二日の生活学習の合宿なんです。
毎回、エピソ―ドが、生まれていますが、今回も一つ。
夕食作りは、その時その時で子供達自身でメニュウを決定し、買物からすべて自分達で行います。調理は、女子達の腕の見せ所。また,男子達は、炉にへばりついて、火の調整に躍起であります。そんな今年の夕食メニュウは「やきとり」。なにんや、かんたんやんか、でありますが…・。
以前やったことがあります。そのとき、マシュマロの焼き鳥を食べさせられて、禁じてのメニュウとなってしまいましたが、マシュマロは,しないそうなので、久々の登場。しかも、焼き鳥屋で働いた子がいて、安直にすぐできる、と高をくくったのですが。
火を起こし始めて、1時間。炭もかんかんに焼けているはずと焼き始めたら、焼けない。もう,灰になってきている。炭を追加すれども、火力上がらず。火力を上げ過ぎると、竹の串が,先にやけてしまって、食べれなくなるので、火が落ち着くのをまちまち焼いて行く。前回は、もっと焼けたけどなあ、と炭の調子が悪いのを恨めしく思っていると、もう5時半。講師の先生も到着し、しょうがないから、、みきり発車の「いただきま〜す」。
となると、焼いても焼いても、間に合うわけがないのでして、「腹へった〜」のしょげた声の中、ついに、竹の子たちは、焼くために準備してある串に手を伸ばし始めたのでありました。
ウインナ―(小さいものと長い大きなもの)、ベ―コンのチ―ズ巻、があれよあれよとなくなってしまいました。
むむむ、たくましい限り。でも、今年は、よ〜食べよるなあ。
樹木札かけました
南公園の木木に、名前札をかけていこう、と思って相談に
植物園に行きますと、園長さんからこんな話を聞きましたよ。
「子供のときに緑や花に触れてない子は、大人になって、緑や花を見ても癒される感情がわいてこないんですよ。子供のときに緑や花に触れ合うきっかけは、大切ですね」
ということで、他の団体には,おいそれと許可しない樹木札付けを「たけの子学級」に許可がおりました。やった〜です。そして、宇賀興産さん(嘉穂)が、このようなノウハウをもってますので、ご指導いただき樹木札を制作していただきました。有難うございました。(鳥の巣箱にもお詳しい。機会があればチャレンジしたいところ)
そして、当日、植物園から「緑の観察員」と言うボランティアさんが来てくださいます。そして、ひと通り木の説明を受けた後、自分達で書いた名札の木を探すのにチャレンジ。これはチョット難しかったかなあ。でも、みんなで森の中を、自分の木を探しながら歩いていると、さっき木の説明受けたせいか、緑の色がみんな違うし、木が個性をもって、それぞれが語りかけてくるような感じがしましたよ。その緑の中、陽光がさし、竹の子の子供たちが群れ、声森に響き、歩いている情景は、今、この瞬間の時間が、とても貴重な大切な平和なものと感じ入りました。これがあるから、この合宿もやめられないんだなあ。
加藤ひとみさんのお話
『「太陽と北風」の話のように』
今年も竹の子のために岐阜県からおこし下さいました加藤さんです。もう十回以上もおこし下さってます。自身脳性麻痺というハンディをもって、その病気から見えることを子供たちに分かりやすくお話下さるのです。今回は、きつい内容でしたが。
加藤さんは、時々こんな目に合うのでした。子供が、加藤さんのような脳性麻痺者を見たことなかったなら、つい、じっと見入ってしまうものです。自分の意思通り肢体を動かせないので歩く格好など、大変そうです。加藤さんにとって、じろじろ見られることは、もう,慣れている事なんで、気にならないのですが、そこに親がいた場合、こういうセリフを言う親がいるのです。
「そんなに見ちゃだめよ。あなたも,悪い事するとあんなになっちゃうのよ」
と、いいながら引きずるようにいかにも悪いものを見せないようにするのだそうです。この事実には、まいりました。ショックでしたね。好奇な目で見ることは、仕方ない気がします。私もそうだから。でも、そこに、「悪いことしたから」という、なんかあたかも子供を教育しているようにいっていること、これは、間違ってますね。私は,加藤さんのお話から、あることの関連が見えてきました。
「なぜ、死ぬの」
今もやってるんですが、タ―ミナルケア、末期患者さんへの取り組みです。そのケアの取り組みの中で、一番ホットな話題は、「スピリチュアルケア」と言う奴でして、日本語で「霊的ケア」とも「存在に関わるケア」ともいわれています。今の医学では、がんの痛みを薬で和らげることができるようになっています。悩みに関しても、カウンセラ―がついてくれる病院もあるようです。経済的負担や保険に関しても,ソ―シャルワ―カ―という相談員がいるところもあります。ところが、「なぜ,今私が死ななければならないのか」「どうしてこんな病気になってしまったのか」「死ぬ事が怖い」という悩みは、医療界では、いまだ、ケアの方法がわかりません。ですから、これらのスピリチュアルな痛みに関して、なんとかケアしようとして、今,ホットなわけです。
そこで、私が訪れたある患者さんですが、こんな問いをされました。
「私が、こんな病気になったのは、なんか悪い事をしたんでしょうね。でも,私は、何も悪い事なんかしてないのに!」
私は,答えるすべがありません。
誰でも,天につばを吐きたくなるような気持ちありますよ。
さあ,この例にありますように、これがスピリチュアルな痛みなわけですが、このような問いには、やはり私にとっても重たいものです。ですから,気に止まっていた問いかけなのです。
ところが、加藤さんのお話を聞いていて、私自身にピンときました。
悪い事をすれば、悪い事がおこり、よい事をすれば,よい事が起こる、そのように教わり親しんできた私の頭は、人を裁き、自分をも裁くものだと。
悪い事をすれば、悪い事がその人の身に起こる、と思えばこそ、悪い事も止める。よい事をすれば、よい事があるだろうから、少しでも社会に,他人に、ご先祖に、神仏に、いいことをする。私は,それは当然のきがします。悪因悪果・善因善果は、自身の制御になっていると思います。やった事で,やり返される。泣かせた事で,泣かされる。やっぱりそうだから,やめておこう、と。逆に、つらい事があれば、自分の身から出た錆だろう、自業自得だろうと、自分を内省して、自分のほとほとあさましさをわかりきる、一つの諦観のような納得をしています。
ところが、他人に関して言えば、悪い事してのうのうとしている奴を見れば、いつか悪い事が起こるけんね、とのろいの言葉をかけ、泣いている人がいるなら、身に憶えがあろうもん、自業自得たい、とののしりの心にあるわけです。人を裁いているんですね。見下しているんですね。
一見,自分にはいさぎよいのですが、他人を裁いています。そして,その刃は、ある時同じく自分にも向けられ、自身の人生を裁いてしまうのだと思いました。
お大師さんの説
ところで,この悪因悪果・善因善果についてお大師さんは,こういってるところがあります。「吽字義」という著作の中に、
「原因と言っても、ずうっと、その原因,そのまた原因、と探って行けばきりがない。一つの結果に対して、これが悪かったんだ、と断定できる事もない。この原因にこの結果、という対立の中で判断はできないのである。このように、因縁・因果というものは、対立の関係から離れているものである。だから、全ての原因、また、縁、そして結果は、それぞれが真実なのである。」
と、いわれてます。
すると、悪いことしたから、こんな結果が出てきた、いいことしたから,こうなった、とひとつに決め込んで考えることはできないよ、という事をおしゃってます。
一つの原因だけで、不幸が起こっているのではない。
一つの原因だけで、幸せが起こっているのではない。
自身には、過去の人生を振り返り、その山坂を受け入れる心。あれもあり,これもあり、というのが必要なのか。
他人には、その人の苦しみを、自分が作っている事を恐れ、謙虚な心であれ、とおしゃっているのでしょうか。
加藤さんを見て子供に言った母親は、どんな人生を送るのでしょうか。そして、未来あるその子供は・…: 不尽
2003年2月号
冬もそろそろ飽きてきて、もういいから,春が来ないかなあ,と思いつつ、これは、気候ばかりのことではなく、経済、政治、戦争、人心にもいえることなのであります。イヤハヤ。実際。
こればっかしは、いい政治家、いい社長、いい宗教家、いい法律、いわば,いい社会が出来れば解決する,というわけでもない、と私は、考えているわけであります。確かに、いい社会があれば、よくない社会にすんでいる人にとっては、うらやましい限りであります。しかし、そう簡単にいかないもの。
むしろ、個人が、家庭が、変らないと、誰かがやってくれるではすまされないようですぞ。
お釈迦様に、ちょっと尋ねてみましょう。
お釈迦様が、サ‐バッティ‐の祗園精舎で、お弟子さん(ビク、と呼ばれる人たちです)たちにお話されました。
「ビクらよ、門が二つある家があるとしよう。君たちが、その門の真中にいたとすると、その門のどちらかに行く人たちを当然見る事ができるだろう。私は、清らかな不思議な天眼をもって、いろいろな人が、生まれ、死に行き、その行いによって、善き所に、また、悪しき所に赴くを知ることができるのだよ。行い、言葉、思いにおいて、善いとは、人をそしらず、偏見を持たない者は、肉体が滅び、命終わりたる後、善き所に生まれ変わる。その行い、言葉、思いにおいて、悪しきものは、命終わりて、餓鬼道(欲望の飢渇の世界)、畜生道(欲望のままの世界)、地獄道(欲望の報いを受ける世界)に生まれ変わる。さて、ある時その地獄に落ちた者が、獄卒に捕らえられ、エンマ大王の前に引っ張られていった。そして、獄卒は言った。
「こやつは、慈しみの心なく、人をそしる。家にあっても、年長者を敬おうともしない。大王よ、彼に罰を与えたもうべし」
すると、エンマ大王は、彼に問うた。
「お前は、人の中に、第一の天使を見たことはなかったか?」
「大王さま、私は、かって一度も見たことがありません」
「では、お前は、糞尿にまみれて道に汚れ横たわる幼児を見たことはないか?」
「それなら見ました」
「ならば、その幼児を見たのは、現実であったな。では、その様子を見て、お前は、行い、言葉、思いにおいて、善をしようと思わなかったのか?」
「私は、邪魔くさくて、何もしませんでした」
「そうか、お前は、怠って善をしなかった、そのために罰を受けよ。この悪行は、父母のせいではない、兄弟のせいでもない、神々のせいでもない、これらの悪行は、お前自身のことだ。だから、この報いは、自分で受けるのだ。 では、お前は、第二の天使を見なかったか? 歳八十、九十の老人だ。 次に、第三の天使を見みなかったか? 病める人だ。 次に、第四の天使を見みなかったか? 悪事を働いて刑罰を受け、さらには、来世にも罰を受ける者だ。 また、第五の天使を見みなかったか?死にゆく人だ。 お前は、多分、これらの天使を見たけれども善を行わず、悪をなしただろう。うとんじ、軽蔑し、いやがり、関心すらもたない。その報いを受けるのだ。これより、獄卒によって激しい刑罰を加える。この報いが尽きるまでは、何度でも、永遠に刑罰を受け続けるのだ」
大王は、思った。『生きている間に悪行をするものは、このような刑罰を受ける。私も、また人間として世に生まれたならば、仏の説法を聞いて悟りを得たいものだ』と。
このように説かれた後に、お釈迦様は、詩を唱えた。
「天使によりて 悟らずに 怠けてすごす 人々は
永き憂いに うちしずみ みずから学ぶ ことはなし
まことに人は これにより 正しき法を 怠らず
執着すに おそれを見 生と死との 因を知り
生死を滅し 解脱して 安らぎを得て 楽しめり
現世に悟りを 体得し 全てのうらみ 恐れなく
全ての苦を 超えるなり」 (南伝十一卷下 天使経)
これは、お釈迦様の言葉に近いといわれる南伝仏典なんですが、私が思うに、詩偈の部分からすれば、天使というのは、自分の人生を見なおす反面教師としても、とらえられそうで、お釈迦様の社会的弱者の対する見解を詳しく調べる必要はあると思いますが…。
さて、天使といえば、昨年の 第五三回NHK紅白歌合戦で瞬間最高視聴率52.8%を記録し、2000年7月の発売から130週間後に堂々のオリコンシングルチャートナンバーワンに輝いた中島みゆきの「地上の星」を思い出すではありませんか。企業戦士の地道な活躍を描くNHK番組『プロジェクトX 挑戦者たち』のテーマソングですな。天使は、どこに行ったのか?と歌い上げています。まあ、お釈迦様からすれば、それは、地上に一杯いるけどなあ、ということでしょうね。
殺伐とした世の中に、憂えることは、誰でも。でも、ひょっとして、私が、加害者に、被害者になってることだってあります。憂えることからの、少しでもの、行い、言葉、思いを持つことが、お釈迦様のメッセ‐ジでもあるかと思いますが。
2003年4月号
戦争ですね。戦争のいけない事は、重々言われているのですが、国際社会では、戦争もルールにのっとっていれば、外交手段であるわけでして、なんと言っても通じないみたいですね。
といって、この戦争を善し、とするわけにはいきません。
戦争は、人を凶器にし、狂わせる状況であると思います。だから、私は、戦争反対です。
しかし、特に、日本は、アメリカの傘下で、武力外交の恐ろしさにさらされていないだけに、何を言おうとも、発言に迫力が無い気がします。
しかも、食料は海外からの輸入に依存し、資源は、中東油田に依存し、経済は、輸出で儲けるお商売も多い日本。
だから、このような日本の戦争反対シュプレキコールに欠けているのは、平和への覚悟のような気がします。
日本は、今、軍備は持たない建前ですが、自衛隊はあります。日本の歴史の中で、軍備を持たないで平和を唱えた時代があったのか? どなたか知っていたら教えてください。何もしないで平和で居れることができるのか? アメリカの傘下でぬくぬくして平和を唱えていても、本心なのか?
第2次世界大戦時、ドイツナチス軍のイタリア首都ローマ占領時には、ナチス軍と地下抵抗運動メンバーとの間で戦いが繰り広げられます。そもそも、ローマは、サン・ピエトロ寺院に象徴されるバチカンがあります。キリスト教皇いるバチカンは、歴史的に軍備を持たない都市であり、この都市で展開された抵抗運動は、ファッシズムと反ファシズムの市民との対決でした。しかしながら、そのような単純な対決だけでなく、軍備を持たないことによる、それぞれの市民の生き方が、問われているのでした。神に仕える神父と抵抗運動者達、そして、それらを残虐な拷問に責めるナチスたちの生き方がです。もちろん、地下抵抗運動家たちは、殺されていきます。にもかかわらず、無抵抗でいるべきなのか。神の国であっても、命を守るために戦うのか。その戦うとは、何を持って、神から許される戦いなのか。そもそも神とはなんなのか。
今のは、キリスト教のお話ですが、仏教は、どうだろう。第2次大戦の折、日本の宗教は、天皇以上の神格が認められなかったから、どの宗教も戦争に右にならえでした。一部反対しましたが、平和のためではなく、自分の宗教を唯一とするために天皇の戦争に反対していたように見えます。
平和の為に、死んでも構わない。つまりは、戦争状態になっても、銃を取らず、征服という状態に甘んずる。そこまでの徹底した覚悟ある平和が、歴史をひも解くと光芒を放って実際点在しているようです。今「戦争反対」は、どの程度のものなんだろうか、そして、私は?と考えることでした。
2005年1月号
心のあり方
南福寺星祭りにお参りくださいまして誠にありがとうございます。
さて、私も歳を食いまして、餅つきの石臼が、持ち上がっても持ち歩けなくなって愕然としました。1年前はできていたのになあ。年々歳々移り変わるもの。その越し方行く末に喜怒哀楽が付きまとうのであります。これをどうしたもんでしょうな。
昔、こんなお坊さんの話があります。川の眺められる部屋から二人のお坊さんは、川をこいでいる舟を窓ごしにぼんやりと見ていました。すると、一人の坊さんが、もう一人に言います。
「あの舟を止められるか」
すると、もう一人の坊さんは、すくと立ち上がり、窓をさっと閉めました。これを見ていた質問をした坊さんは、「まだ、まだだなあ(未熟だよ君は)」と言います。そう言われた坊さんは、「ならば、おぬしはどうする」と詰め寄ります。すると、尋ねられた坊さん、にこっとしたかと思うと、静かにまぶたを閉じました。「なるほど!」と感心した、と申します。
へんなお話ですね。私なら舟を止めるのに、「お〜い、船頭さん、待ってくれ」と大声で言っているでしょう。しかし、二人は、心のあり方を問答しているのでした。まず、最初のお坊さんは、川にある舟の姿を止めるために、窓を閉めたのです。すると、舟は、もう見えませんから、次にどう舟が流れたかわかりません。つまり、窓の閉る前の姿で心の中では舟が止まったままになるのです。
そこでは、止めるために、わざわざ窓を閉めて外界を強制的に見えなくしたのです。目に、舟の代わりに窓の障子が入るようにしたのです。
しかし、次の坊さんは、自らの意思で目を閉じたのです。すると、まぶたには、目を閉じる前の姿しか残っていません。つまり、自分の今の心を見つめることは、今の心をしっかりと止めて見つめています。外界の流れは止まっているのです。
そこに「さすが!」と、もう一人は感心するのです。
自分の心のあり方で、動いたり止まったりしているわけです。
最近こんなことがありました。大正十二年生まれの元気な方に七年ぶりにお会いしました。数えの八四歳になっているのですが、以前と変わらず全くお元気。すごいものです。そこで、
「お若いですね。全くお変りないですね」
と正直に申し上げました。
「いいえ、もう七年もたっていますよ」
「けど、七年を全く感じさせませんが」
こう言うと、その方は、
「そうですか?七年は七年ですよ。私は、七歳とってます。」といわれました。
とても新鮮なお答えでした。私が予想した答えは、例えば、「私は、八十歳からもう歳をとらなくしてるんです」、とか、「毎年、一歳づつ歳が減っていると思ってますよ」とか、なんとか歳の呪縛から逃れる方法だったのです。この方法は、先のお坊さんの話でいえば、窓を閉めた口です。舟の代わりにふすまを見たように、実際の歳の変わりに別の考え方をしたのです。
ところが、八四歳の方は、目を閉じたのです。毎日毎日ですね。毎日の自分を自分として捉えていると見ましたよ。流れない自分を見ているのです。今日の自分は今日の自分。昨日の自分は昨日の自分。流れてないのです。昨日の自分と今日の自分と比べて動きの差を確認していると流れてます。流れていると、一日が二日になり、歳を食っていきます。
今日、朝起きたら「生まれ」、夜寝るときは目を閉じ「死んで」毎日を生きる。それが、まぶたを閉じる生き方です。今日一日を生きることです。
だから、感情に流されたとしても、今日の感情にしておきたいものです。悲惨な現実をまのあたりにしても、今日流した涙と、明日流す涙とが違うものと知ってください。現実は、変わってないかも知れないけど、今日感じる辛い現状を明日に流して、明日も同じ辛さを予想しないで下さいね。流れない。流されない。一日、一日ですね。
一日プラス一日=二日ではなく、一日プラス一日=かけがいのない一日が2回あった、ということです。八四歳の方は、この考え方ができるのでしょう。
自分の心をとらえずに、外界だけに目が向いていると、常に心は動いて流されるでしょう。そして、昨日と今日、去年と今年、比べることで積み重なって歳を食ってゆきますな。歳が重なってゆく呪縛から逃れるためにも、自心を見つめ、自分を大切にしたいなあ、と思いました。
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