お年忌法要は、なぜか、行われています。
何気なく行っているこの「お年忌法要」について、意義や、知っておくと便利なことをここに記しましょう。


 お年忌法要は、亡くなった方が、ある年限を経過するたびに行われる仏事です。だいたい仏教ならばどの宗派も同じ年度で行っています。これが、神道、キリスト教、儒教では、異なります。しかし、ここで大切なことは、宗派もさることながら、年忌法要のとらえ方は、ご先祖様をあがめる心と考えた方が身近な気がします。亡き人を偲び、供養し、生きている我らへの加護を願うことの心情を素直に感じ、手を合わすことが自然な行為と考えます。亡き人を偲ぶ、墓参りをする、水子供養をする、この心情や行為が生きる糧となると思います。
 だいたい、とても不思議なことですが、このような先祖崇拝の気持ちは、日本、朝鮮半島、中国、東南アジアにいる人が、自然と持ち合わせている心です。特に、墓参りは、日本、朝鮮半島、中国ぐらいしかないといいます。
 ここをもって、先祖供養が、習慣習俗であって、信仰に値する宗教といえない低俗なものであると、高尚なことをお考えの方もいるかと思います。例えば、ブッタは、年忌法要をせよとはいわなかった、霊魂に供養するなど、原始的だ、などなど。いざ考えてみますと、とるべき行動がわからなくなってしまう信仰のあり方がこのお年忌法要にあるような気がします。
 この秘伝帳第四巻では、そのところも含め、話を進めて行きたいと思います。



       目 次

一.なぜ、お年忌法要をするの? それは、御先祖様への素朴な気持ちがあるから。

二.お年忌法要の目的 

三.あの方は、今年で何回忌?

四.お年忌法要の行い方

五.お墓参り 

六.五十回忌すんだらどうするの?

七.最後に。年忌法事を忘れたら不運になるのか。

                                                  以上





一.なぜ、お年忌法要をするの? 
           
 そもそも、日本人の本来の宗教はなんでしょうか。仏教は、538年朝鮮半島の百済より渡来してきました。外来宗教ですよね。ご存知のようにお釈迦さまを祖師とする「インド」産の宗教です。では、日本のそれ以前というと、やはり、神道でしょうね。でも、厳密には、今のある神社本庁(ふつうの神社が属している宗派)の神道とまた違うようです。梅原猛さんという、そういうことに詳しい方の本など見ておりますと、明治維新の時に、国家神道として神道がゆがめられ、そもそも、ずっとさかのぼること、927年「延喜式」(平安時代に作られた神道の本)で律令国家体制に神道が組み込まれてしまって変化している、といわれます。このように、1000年も前から徐々に変わっているようなんです。
 そこで、日本の先住民族といわれています、今は北海道にいらっしゃるアイヌ民族の宗教観をみて見ましょう。アイヌ民族の大切な儀式に「イオマンテ」と言うものがあります。「熊送りの儀式」だそうです。その儀式は、調べた所によると、捕獲した熊から肉と毛皮を頂いたのだから、その熊に供物を捧げ、その熊の親がいる神の世界に、その熊を送り届ける儀式なのです。感謝の気持ちを捧げつつ。そして、また、この世に来て、私たちに恵みを与えて欲しいと祈るのです。このように、アイヌは、全てのものに、カムイ=神を感じ、アイヌ=人間と対等に生きているのです。先の熊も、取りすぎたりしませんし、熊の肉も、リスや小鳥にあげるために枝などにかけて自然と共生してきたといいます。
 引き合いに出しても、身近に感じないかもしれませんが、このイオマンテの考え方は、私には、先祖に対する感覚に近く感じます。いや、先祖だけでなく、あらゆる霊魂について、「イオマンテ」のような感情を持ち合わせている気がします。 ですから、年忌法要と言うのは、ごく自然な「先祖を祭る気持ち」の感情と思います。

神道では、どう考えているだろうか
 
 では、先にでました神道の見解を見てみましょう。これは、神社本庁のホ―ムペ―ジからの抜粋です。

『祖先のまつり』  
   〈 途 中 略 〉
 その悲しみは、時とともに、やがて亡き人への感謝や追慕の念に包み込まれてゆきますが、それは、決して「死」という場面が過去の出来事として風化してしまうからではなく、姿かたちは見えなくなっても、亡き人がいつでも傍らで見守ってくれている、励ましてくれている、という安心感が日ごとに強くなるからなのでしょう。
 「生は死とともにあり、死なくして真の生はありえない」と言いますが、身近な人との悲しい別れは、私たちにとって自らの生命の尊さを知り、今に生きていることの意義を見つめ直す、大切な機会であることも、また事実です。
 自分を生み育ててくれた両親、
 人生をともに歩んできた伴侶、
 悩みを打ち明けることのできた数少ない親友……
 失ってこそ、改めてその人の存在の大きさを知り、有り難さに気づく。
 多くの人々に支えられて生きていることを静かに顧みながら、個人の「死」を超えた生命のつながりを実感し、「生」への思いをより強くすることが亡き人に対する報いであることを、私たちは無意識のうちに自覚しているのかもしれません。
 以上のように『先祖の祭り』のコ―ナ―には書いてあります。くしくも、「私たちは、無意識のうちに自覚しているのかも知れません」と書いてありますように、不思議なことなのですが、亡き人、魂に関して身近なものとする感覚を持ち合わせているのだと思います。神道がこうしろ、といってはじめた先祖への気持ちではないのです。先祖供養は、神道だから、仏教だから、という区別なく感じられることなのかもしれません。実際、ここに書いてあることを読んでいて、普通のご法事のときのお説教とかわらないきがしました。
年忌法要自体が、日本固有の宗教「神道」にもあり、ホント、自然な感情だったと思います。

ブッダ・お釈迦様は、どう考えていたのだろうか
 
 そこで、ぐっと、翻ってそもそものお釈迦様はどう考えていたのかをみて見ましょう。
私たち仏教徒に、お釈迦様は、『ご先祖様をきちんと守りなさいよ』といっているのでしょうか。私の見るところ「ノ―」です。お釈迦様のお言葉であろうと思われる原始仏教経典の中に、
『国家を栄えさせる七つの方法』(長阿含経第二、遊行経)の第六に
「六つには、祖先の祭壇をあがめて祭儀を行う」 
とあります。または、『六方礼拝』(南伝八卷・長部三一教授シンガ―ラ経)に
「またもろもろの死者の霊にたいし、時に応じたる供養をなすべし」
と説いてあります。
私の勉強不足と思いますが、お釈迦様の説かれているご先祖供養の話は、この二つしか見当たりません。お釈迦様の御教えは、人間の幸せは、ご先祖供養にあると説いてなく、自己の修練による生き方を説いていることがほとんどなのです。確かに、シュラ―ダといって先祖供養はあるのです。しかし、日本と違って、輪廻の考え方(魂は生まれ変わる)が身についているインドの人には、魂の輪廻解脱が目的ですから、お墓もなく年忌法要もないのです。輪廻転生の言葉は使う日本人ですが、それほど、真剣に感じてないでしょう。死んで牛、馬になる話など、と古典に出ていますが、現代人がご仏壇のご先祖が、どういう生命に生まれ変わっているだろうか、と話し合うことはありません。むしろ、死んだらみんな同じ浄土へ生まれ変わる、と言う感覚の方が大多数のような気がします。お釈迦様の仏教は、時代とお国を超えてこの日本にやってきましたが、その間に仏教の教え自体が変容していることも事実なのです。日本の場合、中国の儒教の影響を受けた仏教を受容しているものと考えます。インド人の考えそのものを受け入れるのは無理でしょうから。世界宗教の仏教というのは、やっぱりそこそこの文化、お国柄で違ってきていることだと思います。

お大師様=弘法大師空海はどう考えただろうか

 お大師様は、年忌法要、追善供養をよく招かれてされていました。このことからしても、自然と先祖の供養は平安の時代にはすでにあったいえます。お大師様もなんら疑問にすることなく法事を行ってます。
お大師様の書かれた『三島大夫、亡息女の為に法華経を書写し供養する講説表白の文』の中に、
「逝者は化して金剛のみとなり、留まる人は変じて如意の身たらん」
とあります。「この法要の功徳によって、なくなった人は、大日如来の金剛の身となり、この世に残された人は、この功徳によって、この世を安楽にすごせよう」と言っている訳です。
 他にも年忌法要の文章が残っていますが、どれもが、真言宗のお経の功徳によって、亡き人が成仏をはたし、残された人には、その功徳の加護があるだろう、と言われています。ですから、お大師さんのころには、年忌法要は、ごく当たり前のこととしてあってますので、むしろ、その目的について、真言宗として教化されているようです。
 ここで、問題になるのが、この平安時代に特に顕著になった「怨霊の鎮魂」のための法要です。死者への法要は、同じ祭ることとしても、その根底には、生前の怨念が、私たちに災いを行わないように鎮める、という感情もあるということです。菅原道真は、天神さんとして祭られているのも、大宰府に左遷させれ死んで行った怨念を回避するためのものでありました。この感情は、またまた、神道以前の古来から、死者の蘇りを恐れていたことと充分関係すると思います。死者への法要が、魂を身近に感じる感情からあるとすれば、その感情のまた奥には、懐かしさもあれば、怨念の恐怖もあると思えます。お大師さんの時代にあったこの感情を充分汲み取り、仏教の教えにと昇華できたのは、真言宗の教えなればこそだったと思います。

以上、いろいろと見てきましたが、年忌法要をする意味自体は、私たちの自然な気持ち、亡き人を身近に感じる気持ちから行われるもの、とおもって差し支えないと思います。付け加えますと、こういった先祖を感じる感情が、原始的ではないかと言う批判に対して、現在のホスピスケア(末期患者への看取り)には、スピリチュアルケア(霊的ケア)が最重要な課題として、現在検討されていますし、心理学の世界でも、トランスパ―ソナル心理学といって、私たちの心のずっと深いところでの多重層の自我に目覚める治療や、別には、前世療法といって、生前の意識を呼び起こさせる、このような心理学も注目されています。
御先祖様に対する気持ちは、ひょっとしたら、世界人類に共通している感情なのかもしれません。世界に宗教というものができてくる以前は、先祖・祖霊に対して、今述べてきたような感情感覚を人類は持っていたかもしれないと思います。アフリカのある民族には、祖霊を祭る行事を正月・お盆の時期にしている様子をテレビで見たことがありますし、キリスト教以前の民族宗教には、それぞれ先祖供養があったようです。原始的であることの批判は、むしろ、頭でっかちな感じがしてなりません。


二.お年忌法要の目的

 このように年忌法要を、ご先祖様へのお祭り事と、とらえますと、以下ののような言葉も、同類ですので挙げておきましょう。
ねんきほうよう
年忌法要
ある年限で行うご法事
ついぜんほうよう
追善法要
故人のあの世での幸せ(冥福)をいのり行うこと
しょうつきめいにち
祥月命日
故人のご命日当日を祥月命日と言い、その日にお祭りをする
つきめいにち
月命日
故人の亡くなった日に毎月供養すること
えこう
回向
故人のために行う仏事は、功徳がある善根であるが、その功徳を故人のためだけでなく、この世の生きとし生けるものにめぐらし、幸せをいのる
くよう
供養
故人に対し、この世から送る供物。これは、物質的なもの(ご飯とかお水など)もありますが、精神的な供養の意味も大いにあります。(笑顔、親切、忍耐など)

 このように先祖のお祭り事に関して、言い方がそれぞれありますが、共に、年忌法要と同じく故人に対する思いからなるものですし、先祖をうやまう気持ちからです。
 では、それぞれ言い方はあるにしろ、共通する御先祖様への供養の目的とは,なんでしょうか?

法要・仏事の目的
 
1.故人を懐かしむ
この単純な行為は、愛する人を失って、心の穴があいたまんまの人にとって、有り難いことです。しかも、
一人でなく、家族,兄弟,親族,友人のかたと共に懐かしむことができるならば、さらにすばらしいのではないでしょうか。故人が、今も息づいていてくれているようで、命の永遠性を感じれると思います。

2.霊魂の冥福を祈る
あの世がどうであれ、私たちは、もうこの世にはいない人へ思いを引きづっているものです。これは,一方的な感情です。「親不幸かけたなあ」「もっとなんかしてあげたかったなあ」「つらい思いをさせてしまったなあ」
「一杯お世話になったなあ」など、いろいろな感情があるものです。これをその人に伝え,返事があったら、どんなにか楽でしょうか。これが、この世に生きている私たちには、できかねる行為なわけです。
そこで、唯一,残されている手段が、手を合わせる行為かと思います。この世からあの世へ、心を伝え、あの世では、安楽でいてくれと、願う気持ち(冥界の幸福=冥福)は、大切なことだと思います。

3.、畏怖の気持ちを導く
先の章にも書きましたが、霊魂に対して恐怖を持つ感情もあるわけです。死者に対して「たたられる」「呪われる」「霊がついてくる」などの感情です。悪い人間関係の中で、死別があれば、死後呪われているのではないかとおびえます。また、いわれなき不幸、原因のわからない不幸などに遭遇すると、仏事をきちんとやっていたか、浮遊している不成仏霊にとりつかれているのではないか、と心配になるものです。それらの感情に対して、仏の教えには、数多くの示唆と感情を昇華する手立てがあるのです。
神道以前の文字もない儀式では、神道という儀式化された宗教に吸収され、平安時代には、神道は仏教にとって変わられたのでした。神道は、故人の魂の上に,自然の命を想定し、仏教では、故人の魂の上に、仏という崇高なる魂を想定していることから、自然を含み宇宙的な生命観を提示したのでした。輪廻の考え方であったり、無常の教えであったり、無始無終の命を提示したのでありました。
 
4.亡き人への供養によって人生の指針を得る
先に言いましたように、法要を回向(えこう)とも言います。この回向は、仏に手を合わす功徳を、故人にだけ向けるのではなく、この手を合わす心・行為が、自身の生きる上での糧になるともいうのです。自分のためにもなるんだよ、といっているのです。
お大師さんは、よく追善法要の場で、
「魂は、この有りがたいお経の力で成仏して行くでしょう。そして、愛するものを失った哀しみをそれだけにとどめることなく、その愛を社会に向け、故人への感謝の気持ちを持って社会の人々を救済するならば、あなた自身と霊魂もともどもに、すくわれて行く身ですよ。」
とお説教されています。故人への報いたい恩を、社会へ目を向けさせ,社会に奉仕することが故人への供養になり、自身も救われると言うのです。この時、個人的な恩愛は、菩薩の慈悲へと昇華されているのです。一人寂しい気持ちは、社会へ参加し、奉仕する行為を持って喜びともなるのです。

以上のように、ご法事ごと、仏事、供養など、霊魂に対する法要は、その霊魂に物を与えるような即物的な意味ではなく、故人も施主も成仏するという本来の魂に目覚め、御仏・大日如来の永遠の命に生かされていることを実感することが大きな目的かと思います。


三.あの方は、今年で何回忌?

 さて,実際的なお話に入りましょう。
年忌の数え方は、どうすればいいのでしょうか。「今年は、年忌だったかなあ?」と迷われた方は、いらっしゃるかと思います。ここでは、その算出方法を解説しましょう。

年忌の年度

一周忌=ここだけ周忌を使ってます。まるまる一年だからです。
*  これ以後は、数え年で計算します。
三回忌=数えだから、まる二年を意味してます。一周忌の次の年です。  
七回忌
十三回忌
十七回忌
二十三回忌=ここでしたら、二十七もします。二十五はしません。
*二十五回忌=これは、二十三回忌、二十七回忌をしない場合にします。次、三十三に行きます。 
二十七回忌
三十三回忌=次に、三十七、四十三を説く所もありますが、五十に飛びます。
五十回忌=これが、最後の法要です。あと七十五、百など言いますがしません。

年忌の数え方
年忌は、数え年です。ただし、一周忌だけ、まるまる一年を経過して一周忌といいます。

ご命日が、平成十年一月一日の場合
一周忌は、平成十一年一月一日となります。お葬式の翌年が、一周忌です。

◎ 数え年での数え方

例二、 ご命日が、平成十年一月一日の場合
今年は、平成十三年です。今年の年号に一つプラスして、十四 とし、この十四から、
命日年の十 を引くと、四です。四と言う年忌は有りませんから、今年は年忌なしです。

 ご命日が、昭和五十八年一月一日の場合
今年の平成十三年は、昭和七十六年です。この昭和の換算が煩らわしいのですね。
そこで,一計。
終戦の年は、1945年昭和20年です。これが覚えやすい区切りですから利用しましょう。
今年は、2001年ですから、2001引くことの1945は56です。
そこで、昭和の20に56をたすと76となります。ですから、今年は、昭和76年なのです。
さらに、数え年ですから76にひとつ加えて77として、昭和58年ですから77引く58は19となります。すると、19という年忌はありませんから、今年はなしです。
昭和六十四年一月一日の場合
 
昭和最後の年で、平成元年でもあるわけです。その辺が、ごちゃごちゃになりやすいですが、これも、西暦から昭和に換算して考えてよいのです。今年は、昭和76年ですから、ひとつたした77から、64を引くと、13となり、今年は,十三回忌の年であるわけです。

平成元年二月一日の場合

平成最初の年です。右の昭和64年と西暦で言う1989年で同じなのです。でも、平成であれば、元年を一年と考えて差し支えありません。今年は,平成十三年ですから、13にひとつたして14とし、
14から元年の1を引くと13となります。今年が、やはり13回忌となるのです。

ここでは、五十回忌以上は算出しませんので、昭和27年以前の大正,明治の換算は致しません。

ポイント  
*1945年は昭和20年
年号にプラス1
周忌と年忌に区別あり

以上のようなことで算出してください。


四.お年忌法要の行い方 

日取り
 ご命日の当日、もしくは、前ならばいいとします。ご命日より遅れての法事は、最初から考えないようにしましょう。現代では、土曜日・日曜日にご法事は集中しています。ですから、ご法事のお約束は、できるだけ早く二〜三ヶ月前からのほうが、充分対応できます。悪しからず、お願い致します。

同じ年に二つ年忌があるとき
 二つ別々にするに越したことはありません。しかしながら、親戚も大変だから一つにしたい,と思われようでしたら、住職にご相談下さい。できないことはありません。

親戚はどの程度まで声かけするか
 その決まりごとはありません。故人との付き合い程度、施主の付き合い程度の判断で構いません。

いつの年忌まで親戚を呼ぶのか
 これも決まりはありません。こんだは身内でするよ、など一報入れておけば差し支えないことです。その分、親戚それぞれ考え方の相違があるので、十三回忌までとかいわれる場合があるかもしれません。あとは、コミュニケ―ションのとれ具合でありましょう。

引き物
 ご法事に来てくださった方に、おしるしとしてお渡しする品です。値段の額は、半返しなどといいますが、こればっかりは、最初からわかりづらいものです。先に出欠を取っていて数はあたっていたいものです。品は、日用品でもいいですし、故人にちなむ品でも構いません。品には、不祝儀の「のし」をつけてもらいます。
ギフト屋さんでは、手馴れたものでしょうが、書き方一例を挙げておきましょう。
                           


    戒名何回忌
      ↓       ここは、実際の戒名を書いて、その下に何回忌とか何回忌法要などと書きます。書き切れない場合は、書いた細長い紙をはり付けても構いません。

      名前
       ↓      この名前は、姓のみを書きますが、兄弟一同、姓の連名の場合だってあります。
                           
                           
水引は、白黒か白黄を使用。
 仏事ですから、蓮の模様いりでも構いません。


祭り方
 仏壇を使用します。初盆と違って、別に棚を設けることはありません。
仏壇には、お霊供膳を使います。お霊供膳については、秘伝帳の「お祭りのし方」を参照ください。
あとは、普段どおり、お花、お水、お茶、ご飯、を供え、仏壇をいつもよりきれいに掃除しておきましょう。
 お位牌は、繰り位牌や、過去帳の場合、供養する方の戒名を一番上にしてたり、ペ―ジを開けていたりしておきます。
 五十回忌のときは、お祝いとして、紅白のおもちをお供えしますので、ご注意下さい。これは、もう神のように崇高な魂になったというお祝いなのです。
 福岡では、あまりありませんが、お供えとしてサラシを一反お供えしてお衣替えをするところもあります。また、お饅頭=ご法事用のものが和菓子屋にあります、や団子を作るところもあります。それぞれのご出身地によって違う習慣がありますので,それぞれ大切にしてください。
 当日、ご親戚や参列者の方からお供えとして、箱菓子やお供えを頂戴した場合は、仏前にお供えします。そして、ある習慣として、お帰りの際に、みんなでそのお供物を分けて、引き物と一緒に持ってかえっていただくというのも一考かと思います。

法事の時間
だいたい60分から90分を考えてください。焼香・法話のし具合で時間も長短あります。

お斎(おとき)
ご法事の後に食べる食事を「おとき・お斎」といいます。これは、死者と共に,供物を分け合って参列者が食する意味ですが、いまでは、昼食をかねて、遠路来て下さる方へのおもてなしになっているようです。するもよし,しないもよし。食事をしながら故人を偲ぶわきあいあいの時間となればよろしいのではないでしょうか

塔婆のこと
 南福寺では、ご法事に塔婆と言う木の板を持っていきます。これは、本来、法事が終わったら,皆で墓所へ行き、この塔婆をたてて墓参りをするのでした。この塔婆には、宇宙の生命の仕組みをインドの言葉で書いてあり、この言葉に下に、戒名と年忌を書いていまして、故人に、年忌法要をねんごろに勤めたことを知らせるいわば、霊界へのお便りでもあります。もちろん、塔婆を建立することで、大日如来と同じ仏徳を頂き亡き人の菩提を弔うのに最良の功徳があると申します。
 そこで、お墓のある人は、この塔婆を立ててください。もし,霊園で建てれないようであれば、無理することはなく,お寺に持ってきてください。納骨堂の人も同じく、お寺にお持ち下さい。それで,故人へ思いを届けた、というふうにしています。

焼香のこと
 ご法事の途中で,焼香をして頂きますが、この焼香とは、霊が食するものとして、供養としては、大変尊ばれているものです。真言宗では、三回します。最初に,一礼して、焼香し、長い念珠であれば,すって祈念し、また一礼します。


お布施
 お布施とは、その法要のお坊さんに差し上げるものですが、値段など決まっていません。気持ちでよいのです。これは、お寺の本尊様に供えられるものでして、お寺の本尊様への供養として,その功徳を故人へたむけます。結局、お坊さんの日当?、というわけではありません。あくまでも、霊の救済者は,仏であり、人間の導き手は、仏の教えなのです。お坊さんは、その間に立つ者であります。布施の多い,少ないで功徳の大小はありません。心がこもった行いのみが、霊に通じるのです。
 これも、不祝儀ののし袋に、 「御布施」 と 「姓」 を書けばよろしいです。


五.お墓参り

 お年忌になんでお墓参り? と思われるかと思います。というのも、最近では廃れている内容だからです。そもそも、お墓参りを先にして、先祖を招き、年忌法要をし、また,送り届けるというのが、通例でした。お盆の時などは、そのようにしてますが、年忌法要も同じ理屈です。しかし、墓所も遠くなり便利が悪くなりました。できれば、年忌法要の前で構いませんから、お墓をお参りして、清掃もし、思いを語られるとよいのではないでしょうか。そうしなければならない理由はありません。古来の心情をここに記したまでです。


六.五十回忌すんだらどうするの?

 年忌は,五十回忌までです。これは,神道・儒教の影響です。五十年まで、魂は,人間臭くこの世への要求もあり荒霊(あらみたま)と呼ばれています。一方、五十年を過ぎますと、人間臭さがなくなり,崇高な魂として子孫を見守る礎になると申し和霊(にぎみたま)と呼ばれるのです。そこから、仏教でも,五十回忌を,一応の終わりとします。神になった、ということで、お祝いの紅白もちをお供えします。
 
 まず、お位牌があれば、名前・戒名を過去帳に移し、仏壇から、位牌をはずします。先ずもって、魂の拠る所をなくします。最初から,過去帳の場合はそのままです。繰り位牌なら、戒名の板をはずします。はずしたものは、お寺に持って行きます。そうやって,仏壇の中の位牌を整理して行くのです。

 この後の法事としては、75回忌や百回忌などを行うところもありますが、大きな店の創業者を顕彰するようなもので、一般では、こだわらなくていいです。


七.最後に。年忌法事を忘れたら不運になるのか

 さあ、わかりませんなあ。
お年忌は、先に言いましたように、故人への冥福を祈るためでもあり、また、祭主・施主の生き方に潤いや力を与えるものであります。御先祖さんが、ばち当てるわけありません。ご先祖さんのせいにしないと説明つかない人生があるとするなら、その人の人生は、きっと悪運に付きまとわれた忌まわしい人生であり、生まれてきたことすらいとましく思っていることでしょう。
弘法大師空海上人は、こういってます。
「原因は、本当はわからないんだ。ひとつのことに断定できないんだ。そんな原因をつきとめる事より、今を生かさせていただく事の方が大切じゃないかね」
そうだとすると、ご先祖さんを疎かにしてのバチもあるかもしれませんね。でも、それだけのはずないというのです。もっと,複雑にからんだ糸のように今の現象が起こっている,というわけです。
 それよりも、今、生かさせて頂いている命、それは、先祖という方々が、生きてきた証しであり、そこには,愛情の一片一片がつながっているのであります。あなたが、むしゃくしゃして、その糸を断ち切ってどうすんですか。今こそ、不幸なご先祖さんがいるなら、仏に救いを求め、あなたともども成仏させて頂いたらいいではないですか。自分の命をつまらなく考えるのもあなた、自分の命に目覚め頂いて生きるのもあなた。
 ひとつ、法事を通して、手を会わせ、御先祖様に,仏様に生かされている自分を実感しましょう。

 
                     仏事秘伝帖 その四
                                  
お年忌法要心得の巻  


 2001年秋彼岸中日法要のために記す。南福寺伝なれば、他見を好まず。よくよく質疑問うべし。誤記、誤解釈、一人よがりの越三摩耶の罪に恐れるのみ。本尊倶利伽羅不動明王、末資が微意を照覧したまいて、これを目にする人を導き給わんことを。
                                            南福寺住職 渡辺弘敦  合掌           
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