過 去 の 「近 況」 よ り |
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| '09.11.30 | 古関裕而作品や古賀政男作品を歌い始めてからずっと批判されています。なぜクラシックの歌手がいわゆる歌謡曲を歌うのか…と。ですが、私は相手が嫌がるのに無理矢理うたっているわけではありません。古関裕而も古賀政男もクラシックの歌手に歌って貰いたがっていた、さらに言うなら自分の作品が日本のクラシック音楽として残ることを願っていたからです。私はクラシック音楽を西洋の一部の地域のある一時代の音楽とは考えていません。イタリアにはイタリアの、オーストリアにはオーストリアの、ポーランドにはポーランドのクラシック音楽があるからです。日本のクラシック音楽と言えば、雅楽がその筆頭にあげられると思いますが、シュランメル音楽の要素や仏教声明の伝統を生かした古賀メロディーも来世紀には日本のクラシック音楽になっているかも知れません。でも、『モスラの歌』はザ・ピーナッツでなきゃダメ、『悲しい酒』は美空ひばりの歌じゃなきゃダメと言ってしまったら道が狭められるのではないでしょうか。丘灯至夫先生のアルバムしかり、木下忠司先生のアルバムしかり。たまたま私が演奏させて頂いておりますが(そのため槍玉に挙げられることが多いわけですが)、そう望まれたから演奏しているに過ぎません。それを、藍川由美が歌謡曲やアニメソングを日本のクラシック音楽にするとか言っているのは許せない! とか、筋違いだ! とか批判されても困るわけです。私には、ある歌手の持ち歌をひらいているのだとの認識しかありません。自分でも損な役回りだと思ってはいますが、私が歌ったことで、「何だ、誰が歌ってもよかったんだ」と気づいた方も少なくないと聞きます。音楽作品を、ある歌手の持ち歌としてしか認めなかったら、作品の寿命が縮まりかねないのではないでしょうか。良い歌をいろいろな歌手がさまざまに演奏することで作品が新たな命をもち得るわけで、それを繰り返すことが古典として定着することにつながると、日本のうたを歌い始めてからずっと主張しています。古典=クラシックとして定着することを願っているのは私ではなく、詩人や作曲家なのです。私を批判するのはそれこそ筋違いです(いくら批判されても私は作品をひらいてゆく道を選びますが)。しかしながら十年一日の如く同じ批判が繰り返されているのは不毛としか言いようがないので、今度はもっと違う角度から批判して頂きたくお願い申し上げます。 そうだ、作品を後世に残すために出版社を探して頂くというのはどうでしょう? 前々からタダで楽譜校訂してもよいと言っているのに、歌謡曲は出せないと断られ続けているのです(権利関係をクリアするのが大変なのに儲けが少ないから?)。レコードは全歌詞を収録していない場合が多いので、何としても完全な楽譜を残したいのです! どうか無益な批判に終わらせず、有益なアイディアを御提供くださるよう伏してお願いを申し上げます。 | ||||||||
| '09.12.17 | 16日、何年かぶりに『摩周湖』を歌いました。1993年2月24日に浜離宮朝日ホールで初演するために、1992年末に伊福部先生から楽譜を頂いたのでした。たまに「同じメンバーじゃなく、他の演奏家で聴きたい」などと仰る方がおられますが、あまりに日本の音楽事情を無視した発言ではないかと思います(演奏は演奏家を雇えば即実現します。スポンサーがいないから演奏されないのではないでしょうか)。また、私がわざわざイタリアまで行ってバロック音楽を演奏しているのは、16,7世紀のイタリア音楽を再現するためには(その時代にはなかったピアノなどという楽器ではなく)作曲家が指定した楽器で演奏することが最初のステップだと考えているからですが(トレヴィの16世紀のオルガンしかり、マエストロが昔の設計図から復元したクラヴィオルガンしかり)、それでも我々はカヴァッリやドゥランテと同じ時代を生きたわけではないので、決定的にわからない何か…が、そこにあると考えなくてはなりません。 しかし、作曲家が演奏家を特定して書きおろした作品にはそんな心配がありません。作品が完成するまでに試演する上、完成した楽譜での練習段階で訂正加筆が行なわれたり、初演後に改訂されたりする現場に立ち会っているためです。それでも初演者が顔を揃えて演奏する機会が乏しい…。現代音楽のコンサートでは収支決算が合うことは稀で、多くの場合、演奏家が自らチケット代を負担することで会場費や印刷代、著作権使用料といった必要経費を賄っているからです。それでも演奏したい作品がある! ということが演奏家の支えであり、心映えといえるのではないでしょうか。1985年にカーネギーホールで伊福部昭作曲『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』を演奏し、ニューヨークの聴衆から鳴り止まぬ拍手を頂いた私は、それ以前もそれ以後も伊福部先生の薫陶を受けており、大好きな百武由紀さんや、爪の垢を煎じて飲む会の会長をつとめている木村茉莉さんのために曲を書いて下さるようお願いしていました。曲が出来上がるまでの経緯は、これこそ音楽家として一番大切なものを守ってこられた方々のふれあい…と納得させられるもので、いずれ文章化しようと思っていますが、ともかく音楽家が音楽家を深く認めた結果、'90年4月初演の『ハープのための「箜篌歌」』や'93年2月初演の『摩周湖』(ハープ版は'93年5月初演)が生まれたのです。それゆえ、今回、久々に3人での演奏が叶うことを涙が出るほど嬉しく思っています。他人様が何と仰ろうと、伊福部先生がわれわれ一人一人の顔を思い浮かべながら書いて下さった作品です。作品を献呈された者として、少しでも先生がイメージしておられた世界に近づけるよう、音楽できる喜びの中にも心を引き締めて演奏を重ねてゆきたいと思っています。 このコンサートシリーズは伊福部先生の室内楽をCD何枚かにまとめたいと言われ、ライヴ録音しています。仕事を通して大好きな先生や先輩に育てて頂いたことを実感できる私は何と幸せな演奏家なのでしょう。 | ||||||||
| '10.04.16 |
日本の歌における私のスタンスは演奏活動を始めた当初から全く変わっていません。 昨日のメモで偉そうに1000年前などと書いてしまったので、1000年以上前から続く日本の歌の流れの中から疑問を拾い出してみようと思います。
どうやら私は、たとえば日本古来の和歌である『君が代』を明治に作曲された形でしか考えようとしないことを不思議だと感じる人間のようです。どんな作品も大元まで辿って考えたいし、日本古来の和歌披講にしても、宮中歌会始を見るだけで終わらず、子どもたちが普通にやるようになったらいいのに…なんて思ってしまうわけです。 また、もともと一糸乱れぬマスゲームや行進が苦手な私にとっては、野球の試合や運動会における行進や応援音楽が軍国主義の名残のように感じられてしかたありません。 価値観は人それぞれですし、クラシック音楽至上主義の日本では、モーツァルトがオスマン帝国の軍楽の影響をうけて書いた『トルコ行進曲』なら良くて、瀬戸口藤吉が欧米の軍楽に倣って書いた『軍艦マーチ』はダメなんていう人も少なくないようですが、作品を情念で推し量っていては混乱するばかりなので、私としては今後も、時代背景を踏まえた上で、純粋に音楽作品としてどうなのかという一点に絞って研究を続けたいと思っています。 |
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