微妙な立場

「どうしたんですか、千尋?何やら難しい顔してますけど…」
「何かご懸念がお有りなのでしたら、どうぞ私にお話しください。我が君の為とあらば、速やかに万難を排してご覧に入れましょう」
風早と柊から問いかけられ、千尋はそんな大層な話ではないことに恐縮しながら、正直に答えた。
「あのね、今更なんだけど……葛城の長には直系男子は忍人さんしか居なかったのに、よく向こうから縁談の申し入れがあったなぁ、と思って…」
幾ら相手が女王でも、たった一人の総領息子を婿入りさせようなどとは随分と思い切ったことをしたものだ。
すると、風早の目が泳ぎ、柊が苦笑しながら答える。
「実は、少々事情がございまして、郷里では忍人の扱いについて些か持て余し気味となっておりました」
千尋はますます首を傾げて見せる。不憫な幼少期を過ごした忍人が郷里に何やら思うところがあったとしても不思議ではないが、逆は理解し難い。本家に跡取りが居ない中で分家の者が華々しく活躍したなら、その扱いに困ることもあるかも知れないが、総領息子の活躍は一族の誉れでこそあれ、持て余すとは如何なることか。
「でも、その活躍の陰で、忍人は長の命令に真っ向から背きましたからね」
「ええ、再三に渡る帰郷命令を無視して、出征してしまいました」

岩長姫の元で修行していた忍人が、安全なところで守られているのを良しとせず、正式に軍に入ることを希望した際、戦と言ってもせいぜい地方の小競り合いを平定しに行くくらいで然程命の危険はなかったこともあってか、当時の長も反対はしなかった。事が起これば一族を率いて領地を守るのが族の子弟の役目なので、軍で経験を積むのも良いだろうと考えていたのだ。
忍人も時折細やかな手柄を立て、その報に「さすがは、我が孫」と喜んでいたらしい。
ところが、次第に政情は悪化し、ついには常世が本格的に攻め込んで来た。
その動きを察知した長は、忍人に軍を辞めて郷里へ戻るようにと促した。
本格的な戦を前に軍を抜けるとなれば臆病者の誹りを受けかねないが、そこは葛城の跡取りである。万一の際に一族を率いて参戦する為と言えば、反って歓迎される。後に道臣もそのような理由で橿原宮から落ち延びたが、とやかく言われることはなかった。
しかし、忍人は帰らなかった。この時の忍人は既に、葛城だけではなく中つ国を守る為に刀を振るうことを選んでいたのだ。そしてその戦いの中で、一人でも多くの民を守り部下を生かすために自ら進んで危険な役目を担って活路を切り拓いた。
長からの文の記述が帰郷を促す文言から明確に命じる文言へと変わっても、忍人は従わなかった。
長の命令に何度も逆らうようなら一族からの追放もありうるところなのだが、唯一人の跡取りをそう簡単に放逐することも出来ないし、そもそも忍人の行動はその名を汚すようなことでも族に敵対する行為でもないのだ。それ故の憤りと、その跡取りが戦地で命を落としたらとの不安を抱いて苛つく祖父を後目に、忍人は戦場で華々しく活躍し、ついには新女王と共に凱旋したのである。

あの戦で、葛城は橿原宮の御膝元だけあって早々と常世の者達に踏み荒らされ、一族は散り散りになって身を潜めた。
祖父長は、前線部隊壊滅の知らせを受けて、失意の内に亡くなった。
跡目を継いだ父長は、領民と家人達を良く守って耐え忍んだ。それは高く評価されるべきことなのだが、それでも忍人の方が一族のウケは良い。
「何しろ、出自のこともございますし、人は英雄を求めるものですので…。そこで一族の総意に近いこともあって、お父上も早々に忍人に跡目を譲ろうと思われたようなのですが……これまた、忍人は拒否しました」
「大将軍を拝命しましたし、長になったら千尋の傍には居られませんからね」
戦時中に妹姫が生まれた為、既にこの時、忍人はただ一人の長直系血族ではなくなっていた。しかし、帰郷命令にことごとく背いたからと言って一族の誉れである忍人を廃嫡になど出来るはずもなかった。第一、それでは本末転倒である。
「元より、頑迷な祖父長と違って、父長は忍人にそれなりに愛情を持っていらしたようですが……かと言っていつまでも勝手を許す訳にも参りません」
そんな中で何処ぞから忍人は女王と恋仲だなどとの話が伝わって来たらしく、これ幸いと王婿に推したという訳だ。
幸か不幸か、葛城には他に王婿に値する人材が居ない。そして、身分も名声も申し分ない上に女王と既に懇意の仲である忍人は、候補に名を連ねれば他の追随を許さぬ婿がねだった。
「王婿となれば、王家と強く縁を結ぶことも出来る上に、忍人の恋も成就させられて一石二鳥。それに、これなら表向きは忍人の勝手を許したことにはなりませんので、長の体面も保てます」
「方々丸く収まって、めでたし、めでたしですね」
「それに、確かに男子は忍人だけですが、女子にも長となる権利はございます。忍人でなければ務まらぬ王婿とは違って、葛城の長なら妹姫でも務まりましょう」
現に、そろそろ婿を迎えようかという年頃の大姫を始め、忍人の妹姫達は自ら次代の長を担う気概を見せている。長の代替わりと戦による環境の変化によってか、同じ頃合の忍人よりもまともな感覚と広い視野が備わっているという話だった。
「それに忍人は、何度帰郷を促しても決して帰ろうとしなかった親不孝で薄情な息子です。女王の婿に出そうが出すまいが、帰って来ないことに変わりはありません。寧ろ、婿入りさせてしまった方が、諦めがつくというものでしょう」
「……どうせ俺は、薄情な親不孝者で、勝手を尽くして妹達に重責を担わせる非道な兄だとも」
千尋達が戸口の方を見ると、仕事から戻って来た忍人が、好き勝手に他人の過去をペラペラと話しやがって、と不機嫌ブリザードを吹き荒れさせて立っていた。
「そのことで、当人達からなら何を言われようとも全て甘受する心づもりでいる。だが、お前にとやかく言われる筋合いはない。赤の他人は黙っていろ!」
そうしてギャンギャンと柊に吠えかかる忍人を見ながら、千尋は軽く肩を竦め、それから幸せそうに微笑んだ。
「誰のどんな思惑があったにしても、こうして私は忍人さんと結婚出来たんだから、それはそれで良かったんだよね」

-了-

《あとがき》

迷妄」の続編で、またしても忍人さんの過去捏造話です。
そして、またしても柊達が言いたい放題、勝手に忍人さんの過去をペラペラと千尋にバラしています。
もう、ここまで来ると1作目の「お手玉」全然関係なしなので、シリーズ名を付けるなら”葛城お家事情”とかどうだろうか、などと考え中です。

尚、忍人さんはこんな風に言ってますが、当人達は文句など言いません。
政治的な思惑を勝手に抱いてる親戚達は居るものの、お父さんは祝福してくれてるし、妹さん達は自分達で何とかする気満々だし、お母さんは何も感じてないし…(^_^;)q
忍人さんも、そのことは良く知っています。(外伝「確執」参照)

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