迷妄

部屋の片隅で息子の忍継にお手玉の手解きをしている忍人の姿を見て、柊は複雑な笑みを浮かる。
「昔の忍人からは想像もつかぬ光景ですね」
なるべく優しい声音を心掛け、辛抱強く手解きしている姿など、どう頑張っても昔の忍人からは思い浮かばない。
「確かに……昔は、子とは血脈を繋ぎ縁を結んで国や族を繁栄させる為の存在だ、って言ってましたからね」
「何、それ、酷いっ!」
「ええ、まったくもって、不愉快な発言です」
目を剥いた千尋とこめかみをピクピクさせている風早を、柊は「まぁまぁ、昔のことではありませんか」と宥める。
「忍人がそう考えるのも仕方ない環境だったんですよ」
「まぁ、忍人の両親は少々訳ありで……その所為か、忍人は家族の愛情には恵まれなかったと言えなくもありませんけど…」
千尋の問うような視線を受けて、柊と気を取り直した風早は声を潜めて事情を語り出した。

王家と違って、豪族達は直系男子が優先的に長の座を継承する。それは、女王が龍神の力を得て八岐大蛇を退治した神子の末裔であるのに対して、建国当時の豪族は神子を守って戦った英雄の末裔とされているからだとも言われている。
しかし、忍人の祖父は男児に恵まれなかった。
一夫多妻で正妻の他にも多数の妻を持ちながら、生まれるのは女児ばかり。そこで、傍流の者達の中からこれはと見込んだ男を正妻の末姫の婿に迎え、婿養子とした。その結果、早々にその二人の元に忍人が生まれたのである。

「頑迷な祖父殿にとって、忍人は可愛い孫と言うより未来の長でしかありませんでした。その為に必要な教育が徹底的に施され、忍人もその期待に良く応えたようです。今でこそ忍人には歳の離れた妹達がおりますが、当時は一向に次子が生まれなかったこともあって、忍人に掛けられた期待は並大抵のものではなかったことでしょう」
「葛城の総領息子ともなれば、物質面では何不自由なく育てられたはずですけど、その反面、情緒面では著しく不自由してたと思いますよ。何しろ、”長の言うことは絶対”の封建的な環境だったみたいですからね」
親に甘えることが出来なかったのは千尋も同じだが、千尋には姉姫や風早が居た。岩長姫の邸に行けば、羽張彦達も優しくしてくれたし、皆で遊んだこともあった。 しかし、忍人にはそんな相手は一人も居なかったのだ。忍人が生まれた後、一向に弟妹が生まれる気配はなく、傍近くに上がれる歳の近い者は存在しなかった。
子育てとは無縁だった母親は、顔を合わせれば息子を着せ替え人形にして遊ぶような、幾つになっても稚気の抜けない人だった。
父親は、祖父に見込まれただけあって有能な人だったようなのだが、出自を気にしてか息子と関わることは殆どなかった。

「そんなこんなで、忍人には誤った価値観が擦り込まれました。結婚は政略によって成されるもの、配偶者は目上の者の采配で宛がわれるもの、子育ては専任の従者がするもの……と、このくらいは王家や他の族でも当然のごとく罷り通っている、謂わば上流階級の常識なのでしょうが……肉親の愛情も知らず気を許せる相手も居なかった忍人は、自分のことをも歪んだ形で認識してしまったのですよ」
平静の世では血脈を繋ぎ、戦乱の世では兵を率いて国と族を守り、長じては族を束ねる為の存在。自分はその為に生を受け、そして自分の子もまた同じ。
「おかげで、先生のところへ来た当初の忍人は、感情表現の仕方が全くなってませんでした。そもそも、感情面が欠落してたと言えなくもありません」
「道臣が心を解きほぐし、羽張彦が澄ました仮面をぶち壊したものの、全くと言っていいほど笑いませんでしたね」
何しろ、郷里では笑うような機会には恵まれなかった忍人だ。せいぜい、迷い込んだ子犬でも見かけてほんの少し口元を緩めたことがあったかも知れない程度である。そもそも「感情を顔に出すな」と教えられていたと見えて、およそ使われることの無かった表情筋は、碌に動くこともなく、動くようになってももっぱら怒りや悔しさを表すことに使われていた。変わり者の兄弟子達との修行の中で価値観に変化を来しても、それは変わることがなかった。
「それが、今はどうでしょう、あの笑顔?」
「我が君相手にニコニコ笑うようになったのみならず……御覧下さい、一ノ宮に向けられたあの嬉しそうな微笑み。昔とは全くの別人のようです」
昔は、どんなに笑わせようとしても出来なかった。忍人を笑わせることは、柊をして効果的な方法を思いつけなかったという大変な難題だったのだ。
それが今は、日常的にその笑顔を見ることが出来る。それでいて柊は、何度見てもまるで夢でも見ているような気がしてならないのであった。

-了-

《あとがき》

忍人さんの過去捏造小話です。

以前、「お手玉」で忍人さんがチクチクと作り上げたお手玉が、息子の忍継くんの手に渡りました。
そして、忍人さんがその使い方を教え込んでいる隙に、柊達が忍人さんの過去を千尋にペラペラと喋っています。

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