確執

「すぐに来い」との呼出しを受けて、忍人が急ぎ師邸へと駆けて付けると、待ち構えていた岩長姫は問答無用で彼を奥の部屋へと連れて行き、そこで待つように告げた。
「いいかぃ、大人しく待っといでよ。勝手に抜け出したら、只じゃ置かないからね」
何やら嫌な予感がした忍人だったが、ここで言い付けを破ると間違いなく只では済まないことが解っているので、不安に駆られながらも師が戻るのを待つしかなかった。 忍人にとっては長く、実際には短い時が流れ、扉は再び開かれる。
そして、師と共に入って来た見知った顔を見て、忍人は我が目を疑った。
「父上っ、何故あなたがここに……師君、これは一体、どういうことなのですかっ!?」
「いや、何ねぇ…親父さんが、親子で腹割って話したい、って言って来たのさ。その為に、わざわざ忍びで供も連れずにやって来たって言うんでねぇ……その心意気を買って、場所と機会を提供してやることにしたのさ。アンタにとっても、いい機会だろう。その胸の内に抱え込んでるもんや、腹ん中に溜め込んじまってるもんを、洗い浚いぶちまけちまいな」
岩長姫は、自分の言いたいことを言い切ると、忍人達父子を残してさっさと出て行ってしまった。

忍人は、あまりにも唐突に設けられた父子対談の場に、困惑することしきりだった。
幼い頃に植えつけられた”長の言葉には絶対服従”という観念からはとうに解き放たれ、相手はあの厳格な祖父ではなく影の薄かった父ではあるものの、こうして相対するにはそれなりに覚悟が必要なのだ。それを、何の心の準備もないままにいきなり「腹を割って話したい」などと言われても、どうして良いか解らない。
昔のことから今のことまで、言いたいことも聞きたいことも山のようにあるのに、上手く言葉が出て来ない。

「いつまでも、そんなところに突っ立っていないで、こっちへ来て座ったらどうだ?」
出て行く師の背中を見送ったままの姿勢で、閉められた戸の向こうへと視線を送り続けていた忍人に、父長の声が掛かった。忍人が振り返ると、父長は既に奥の敷物の上に腰を下ろしており、二つ並べた盃の片方に傍らの酒を注いでいる様子が見て取れる。
その余裕の態度が忍人の神経を逆撫でした。途端に、忍人の口から堰を切ったように言葉が溢れだす。
「俺は帰りません。長にもならない。大体、まだ楽隠居するような歳ではないでしょう。意に沿わぬ相手を娶るのも御免蒙ります。互いに想い合う相手としか添う気はありません。俺はもう、昔のような子供じゃない。着せ替え人形や操り人形にされるつもりはありません」
手を止めて自分を見つめる父に、忍人は更に言い募った。
「そもそも、いきなりやって来られて、簡単に話なんて出来る訳がないでしょう。勝手なことを言わないでください。俺の仕事を邪魔しないで頂きたい。師君にお手間を取らせて、俺を呼びつけて……何かと思って駆け付けてみれば、とんだ茶番だ。ふざけるな!幾ら、橿原の葛城邸とこの邸が殆ど目と鼻の先であろうとも、供も連れずに出歩くなんて軽率が過ぎます。万一のことがあったらどうするんですか?そうなれば俺が嫌でも長になるなんて思ったら、大間違いです。誰が何と言おうと、絶対に拒み続けてやる!」
長になれば、もう千尋の傍には居られなくなる。だから、絶対に長になどならない。 忍人が葛城へ戻って長になるとしたら、それは、千尋の心が忍人から離れて、顔も見たくない程嫌われた時だけだ。
「力づくで連れ戻そうとしても無駄ですよ。幾らあなたが腕に覚えがあったところで、単身で俺を拉致することなど不可能です。生半可な数なら負けやしませんし、数を頼めば人目に付いて葛城が恥をかくだけです」
目立たずに忍人を捕獲出来る者、それは本気になった岩長姫と遁甲出来る二人の兄弟子と黒麒麟で一気に間合いを詰められるアシュヴィンくらいのものである。勿論、全員が千尋を溺愛しているので、千尋の意思に反して忍人を葛城に引き渡すなど、そんな千尋に嫌われるような真似は決してしない。
「第一、親子で腹を割って話したい、などと……一体、どういう風の吹き回しですか?ええ、確かにあなたは俺の父親です。でも、親らしいことをしてもらった覚えなど一つもない。それどころか、構ってもらった記憶すらない。それを今更、父親面なんかするな!」
だから忍人は、羽張彦が親し気に自分を抱き上げようとする理由が全く解らなかった。勿論、理解したところで、今度は子ども扱いされることが不満でならなかったが、それでも郷里で誰かにそうされた記憶がないことはずっと心の中に棘となって突き刺さっていた。

忍人が一気にまくしたてると、少し間をおいて、父長は笑い出した。
「くくっ…ふっ…はははははは……」
「何が可笑しいんですかっ!?」
バカにされたと憤る忍人に、父長は抑え切れぬ笑いを堪えるようにしながら何とか答える。
「簡単に話など出来ないと言う割には、随分とよく口が回ったではないか」
「うるさい!俺が何を言ったところで、どうせ碌に聞いても居なかったくせに…」
既に時折乱れては居たものの、完全に頭に血が上った忍人の口調からは、とうとう敬意の欠片さえも消え失せてしまった。
しかし父長は、それさえも面白がったようだった。
「いいや、全部しっかり聞いていたさ。元々その為に来たんだ。一言一句に至るまで、聞き漏らしたりなど出来るものか。おまけに、お前がそんなに感情的になって乱暴な口を聞くのは初めてだしな。昔はいつでも言葉や立ち居振る舞いは丁寧だっただろう?あの素っ気なさは、まるで慇懃無礼を絵に描いたようだった。確かにあれでは、先代の操り人形と言っても過言ではなかったな」
そう言うと、父長は堪えきれずにまた笑い出した。それを何とか鎮めようとしながら、言葉を続ける。
「くくっ……そういうことか。お前がどうしてそう頑ななまでに里帰りを拒むのか、本当の理由が知りたかったんだが……まさか、こんなにあっさりその答えが聞けるとはな」
仕事が口実なのは明らかだった。そもそも、いつまでも宮仕えしていること自体がおかしいのだ。慣例では、とっくに郷里に戻って嫁をとり長の補佐を務めている年頃である。その上、本当に人材が居ないのならともかく、岩長姫がああも力に溢れている以上、忍人が職を辞するのは難しくはない。そんなことは忍人自身もよく解っているだろう。
更に言うなら、大将軍だって休暇くらいは取れるのである。葛城の領は橿原宮からそう離れておらず、里帰りしていても危急の際にはすぐさま駆け付けることも出来よう。
何度帰郷を促す文を送っても、返信は「帰りません」の一言のみ。その内、それすら来なくなり、使者を送って探りを入れようにも、最近では忍人個人への面会者は門前払い。それ程までに激しく拒絶される理由が知りたくて、思い切ってこんな真似をしたものの、この忍人の反応は意外と言えば意外だった。

「お前の言い分は、理解した。その上で、少しはこちらの話も聞いてもらおうか。とりあえず、座れ」
それでも動かない忍人に、父長はからかうように言う。
「力づくでどうにかされない自信はあるのだろう?」
すると忍人は、弾かれたようにスタスタと歩み寄って、ドカッと座る。それを見て、また笑いが込み上げて来た父長だったが、ここで笑うと更にへそを曲げられるのは明らかだったので、どうにか堪えて話を切り出した。
「何から話すか……そう、まずは誤解を解いておこうか」
「誤解…ですか?」
「ああ。促したのは単なる里帰りであって、職を辞して戻って来いと言ったつもりはない。まぁ、先代の帰還命令の例があるから勘違いされて当然か。そう思い当たって、何度目かの文には、一度くらい顔を見せに帰って来い、と明記したのだが……さては、碌に読まずに投げ捨てたか握りつぶしたな」
図星を刺された忍人は押し黙った。
「嫁については、確かに先代の選んだ許嫁候補やら戦後に押し寄せた縁談やらで大量にアテはあるが、お前に無断で決めたりはしないから安心しろ」
その言葉に、忍人は全身で不信感を表した。これでもかと言わんばかりの疑いの眼を向けられた父長は、苦笑して見せる。
「そんな顔をするな。信じられんのも無理ないが、本当に強制はしない。それが、せめてもの親心……いや、これまで親らしいことを一つもしてやれなかった罪滅ぼしだ。愛情を知らずに育ったお前には、出来ることなら、それを教えることの出来る妻を娶って欲しい、と心から願っている」
しかし、忍人は簡単には信じられない。
「まぁ、すぐに信じろとは言わん。それに、必ずしも願い通りに出来るとは限らないしな。実際、お前の元に自分の縁者を嫁がせて、外戚として一族の中で大きな顔をしようと考えている輩はそこかしこに居る。残念ながら、一族を完全には掌握出来てないからな。正に、己の不徳の致すところか……先代が居らした頃は、先代に逆らえずに大人しくしていたものの、私の代になってからは上位の者達の反発が強い。もし先代から生前に跡目を譲られていなかったら、私の長就任を認めないと声高に騒ぎ立てたことだろう」
父長は淡々と話しているが、忍人はそんな内情を聞かされて目を丸くした。しかし構わず、父長は続ける。
「幸いと言うのは憚られる気がするが、前線部隊全滅の報に憤死しかけた先代は一時回復されてな、その時に皆の前で私に跡目を譲ることを宣言された。更に、戦時中、長として一族や領内を何とか守り通したことで、領民や殆どの氏族は名実共に私を長と仰いでくれている。ただ、一部の者達が……特に血の濃い、上位の者達だな……彼らは私を長の座から下ろしたがっている。恐らく、お前の言った楽隠居の話もその筋だろう」
「正しい血筋で勲功も明らかな息子に早々に代替わりしたいと考えていると……その為に、俺に一日も早く本邸へ戻るよう望んでいるのだと聞きました」
「お前はそれを信じた訳か?」
「半信半疑でしたが、帰還を促す文が何度も届いたのは事実ですし……少なくとも、それを望んでいる者が居ることは間違いない。それが父上のお望みであろうとなかろうと、賛同出来ないことに変わりはありません。ですから、絶対に帰るまいと思いました」

忍人は徐々に父親に対して心を開き、父長と情報を交換し忌憚のない意見を語り合った。
酒を酌み交わしながら、自分が師の元へ弟子入りしてからの、自分のことを話し郷里のことを聞く。
そして、かなり打ち解けて来たところで、父長の口から衝撃の事実が語られた。
「私とて、避けたくてお前を避けてた訳じゃない。ただ、あの頃のお前はそりゃもう小さくて、長姫以上に頼りなくてなぁ……私の知る自由奔放に野山や田畑を駆けまわる骨太の子供らとは比べ物にならない程、か弱く見えたんだ。それに、時々、高熱を発して臥せったりもしてただろう?」
当時、自然と体力が付くような子供らしい遊びなどせず、一方で日々勉学や剣術に勤しんでいた忍人は、不調を周りに覚らせることなく無理を重ねて、急に倒れることがあった。その度に、体調管理がなっていないと祖父から厳しく叱責され、ますます不調を隠そうとするようになるという悪循環だ。岩長姫の元では、どんなに隠そうとしても目敏い師や兄弟子が気付いて無理矢理にでも休養を取らせたので、今では少しは自分からも言い出せるようになったが、心配をかけるまいとして千尋に隠していて後で怒られることはしばしばある。
それを思うと忍人は、俺はそんなに脆弱ではない、と怒鳴り返すことは出来なかった。
「下手に触ると潰しそうで怖かったんだ。大切な我が子を抱き潰しては堪らないし、大事な跡取りを失っては族の損失は計り知れんだろう?今だって、可愛い娘達を抱き上げてやりたいのを、我慢し続けてるんだ」
あまりにも意外な父の告白に、忍人は何処から反論したものかと思考を巡らせ、そして首を捻った。
「娘……達?」
「何だ、知らなかったのか?お前には戦時中に生まれた妹が3人居る。今、4歳と2歳と1歳だ。毎日、元気に駆け回っているぞ」
しかし、見るからに忍人よりも健康そうでも、やはり怖くて触れられずにいた父長だった。ようやく最近になって、大姫を抱き上げることが出来て、どれだけ嬉しかったことか。
「そういう訳だから、忍人……お前は心置きなく、王家に婿入りするがいい」
「……っ!」
忍人は、危うく酒を吹き出すところだった。言葉を失い、目で問う忍人に、父長は楽し気に言う。
「あれだけ愛おし気に陛下との戦いの日々について語って、その上、想い人と結ばれたいと言いながら長にはならないと言い切るとなれば、女王陛下に想いを寄せているとしか考えられないだろう」
女性の場合、血筋が問われるのは王家だけで、大抵は健康状態やその背後の繋がりの方が重視されるものだ。どれほど身分が低かろうと、例え、氏素性の知れぬ娘であっても、そんなものはどうとでもなる。身分など、懇意にしている者に後見になってもらえば済む話だ。おまけに葛城の長ともなれば、やろうと思えば他家から横取りすることも不可能ではない。ならば忍人は、想う相手以外娶らないなどと啖呵を切るよりも寧ろ長となってしまった方が、簡単に、周りに有無を言わさず好きな相手と結ばれることが出来るはずなのだ。誠意云々ということさえ除けば、政略で形だけ正妻を迎え、本命のみを事実上の妻とすることなど雑作もない。
葛城の長でも――いや、長だからこそ――決して妻として迎えることの出来ない女性など、女王と世継ぎの姫くらいのものである。
「己を唯一の長直系嫡子と思っていながらも、諦め切れなかったか。さては、陛下のお傍を離れたくない、というのが里帰りを拒み続けた最大の理由だな?」
「……はい」
面と向かってそう確認を取られると気恥ずかしく思いながらも、忍人はしっかりと頷いた。
如何にして長達を説得するか、それが難題だった。いざとなったら、柊に縋るしかないとさえ思い詰めていた。それでもダメだった時のことを思えば、千尋の傍で少しでも長く過ごしたかった。
「ふふん、一度でも郷里に帰って来れば、無駄に悩むこともなかったものを…。だが、そうと解れば、すぐにもお前を王婿に推す手筈を整えよう。これには奴らとて反対はすまいよ。何しろ、血筋と権威しか頭にないような、損得勘定で動くような輩ばかりだからな。そしてお前は一度は死んだものとされた身だし、輝かしい武勲を立てたとは言え、長の意向に逆らってばかりの不心得者だ。どうせ帰って来ないのなら、いっそ王家へ婿にくれてやった方が葛城にとっては得だと考えることだろうて。跡目については、自らが長として立つことも出来るよう、姫達に今から教育を施せば充分に間に合うだろう」
「何やら、えらい言われ様という気もしますが……千尋の婿になれるのなら、この際、不心得者でも不届き者でも親不孝者でも、何とでも呼んでいただいて結構です。妹達には苦労をかけるし、父上への風当たりも強くなることとは思いますが…」
忍人は、居住まいを正し、床に手を付く。
「長殿には、是非とも私を王婿に推挙していただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます」
「うむ、任せておけ」
改まって請い願う忍人に力強く請け負って、父長は葛城へと帰って行った。

その後、父長は本当に短期間で周りを説き伏せ、忍人は晴れて千尋の元へと婿入りした。
ただ、あまりにも順調に事が運び過ぎた所為か、せっかく父親との間に和解が成されたというのに、忍人は里帰りする機会を完全に逸してしまったのだった。

-了-

《あとがき》

微妙な立場」の外伝みたいなものです。
実は、柊も知らなかった話がここに…。

公式設定では「葛城の中でも高い地位にある方のご子息」であって、その程度は語られていませんが、うちの忍人さんは長直系です。
長の甥とかいろいろ考えたんですが、総領息子の方が萌えるもので…(*^^)b

うちの忍人さんと葛城さんちの間には、深~い溝があります。
忍人さんは、名や血筋に誇りを持っている一方で、様々なわだかまりを抱えているという設定になっています。
何せ、うちの忍人さんは、お母上に着せ替え人形にされていたことになってますし…(^_^;)q
弟子入り時のあの態度は、実家で厳し過ぎるくらい厳しく育てられてたんだろうなぁ、と思えて……だったら、冷め切った家庭環境だったんだろうなぁ、などと妄想がどんどん膨らんでしまいました。
弟子入り当時に長だったお爺さんは封建主義の頑固者だったり、お父さんは婿養子で周りに軽んじられてたり、そんな設定の元に何作か書いて、シリーズ化されて、LUNAの中ではこの設定がじわじわと定着して来ています。

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