9回 溝は水路だった?三富開拓地割遺跡 

 平成22年の調査で発見された、上富地区の溝。果たしてこの溝は1694年に始まった三富開拓(さんとめかいたく)の際に掘ったとされる水路の跡なのか?その疑問を解き明かすため、様々な角度から分析を行いました。

溝には水が流れていた?
 溝の底に溜まっていた土を分析することで、かつて溝がどのような状態だったのかを推定できます。結果、溝の土からはきれいな水が流れる場所に生息する植物プランクトンの化石が検出され、この溝には当初、きれいな水が流れていたことが分かりました。
 下の写真にもあるように、溝は現在沿道に立ち並んでいるケヤキのほぼ真下に掘られていました。つまり、溝が完全に埋まった後、同じ場所にケヤキが植えられたことになります。ではケヤキの樹齢はどのくらいか。年輪を測定したところ、西暦1790年~1800年頃に植えられたことが分かりました。従って、溝は少なくともそれより前に掘られたことになります。
 また、1863年に描かれた上富村地割絵図(かみとめむらじわりえず)には、調査で溝が発見された場所と同じところに、かつて水路があったと書かれています。こうした事実や分析結果を考え合わせると、この溝は江戸時代の三富開拓の際に掘られたとされる水路跡である可能性がある、と考えられるのです。


ケヤキの根の真下にある溝


分析の結果、このケヤキの樹齢は約215~220年(2010年伐採)、
西暦1790~1800年頃に植えられたものと推定された
  
~~~~~~~~~~ 深掘り解説 ~~~~~~~~~~


堆積した土の様子から考える、溝の歴史
 今回の調査では、自然科学分析もあわせて様々な角度から分析を進めましたが、溝に堆積していた土をよく観察することで、この溝がどのように使われていたのか、その歴史を推測することができます。


溝を埋めた土の堆積状況

 写真は溝の土層断面です。2本の黄色線を見てください。ともに中央部分が大きく下へ曲がっています。これは、溝の底の土をきれいにするため、掘り返したことを意味します。つまり、この溝は埋まっていく途中で少なくとも2回は掘り返して使っていることが土層断面から分かるのです。さらに、赤色で囲んだところでは、他と比べて硬く締まった土が確認できました。溝が完全に埋まった後、表面を突き固めて整地したのではないかと考えられます。また、ケヤキの根はその硬い土よりも上にあることを考え合わせると、溝の歴史は以下のように推測できます。

1.まず、一番深いところまで掘って溝の形を作り、使い始める
2.徐々に埋まっていくが、途中で少なくとも2回掘り返して使う
3.完全に埋まった段階で、表面を突き固めて整地する ⇒ 溝はなくなる
4.整地した場所にケヤキの木を植える

溝はどのように使われた?
 溝は、当初はきれいな水が流れていたようですので、用水路として掘られたものと考えられますが、その後、掘り返して使った際には溝の形や深さも大きく変わっており、別の用途として使われたと考えられます。現段階で明確なことはわかりませんが、道に付属する排水用の溝(側溝)として使われていた可能性もあります。

 (『広報みよし』令和2年12月号掲載分を加筆修正)


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