第8回 道路と並行するように掘られた溝、三富開拓地割遺跡 

 三芳町の名産品「富(とめ)の川越いも」を生産・販売する農家が並ぶ上富地区のいも街道。沿道には通りのシンボルともいえる大きなケヤキが立ち並んでいますが、このケヤキのほぼ真下から、道路と並行するように掘られた溝が発掘されました。さて、この溝はいつ、どんな目的で掘られたものなのでしょうか。

三富開拓、水をもとめて
 今から約320年前の江戸時代中頃、三富新田の開拓で拓かれたこの地域。近くに川がないため、水の確保が課題のひとつでした。開拓当初、箱根ヶ崎(現在の東京都西多摩郡瑞穂町)の池から水をひくために水路を掘ろうと試みましたがうまくいかず、その後、三富地区全体で11カ所の深井戸(ふかいど)を掘り共同利用しました。しかし、この水路が果たして実在したものなのか、定かではありませんでした。

溝は水路だった?
 平成22年の調査で見つかった溝は、幅約1.1m、深さ約1.6mで、前述のとおり現在の道路と並行するように長く掘られていました。では、この溝は開拓当初に掘ったとされる水路なのでしょうか。溝の中からは、作られた年代の手がかりとなるものが見つからなかったため、様々な角度から分析を進め、その可能性を探ることになりました。次回はその内容と結果をお伝えします。


調査の様子。横幅は大人の体がやっと入るほどの狭さ


発掘された溝の一部


溝は現在の道路と並行するように掘られていた
  
~~~~~~~~~~ 深掘り解説 ~~~~~~~~~~


長く掘られていた溝
 調査は限られた範囲で行われたので、溝は部分的にしか見つかっていません。しかし、調査したほとんどの箇所で同様の形をした溝が見つかっており、それらをつなぎ合わせると、現在の道路と並行する位置に細長い溝が1条掘られていたのは間違いないと考えられます。


別の場所で見つかった同様の溝


こちらも別の場所で見つかった溝


調査区外へ延びる溝(赤点線)

調査の様子

 (『広報みよし』令和2年11月号掲載分を加筆修正)


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