第5回 溝に囲まれた弥生のムラ、本村南遺跡 

 春にはこぶしの花が咲き、初夏にはほたるも飛び交う竹間沢こぶしの里。今でも湧き水が流れるこの近辺には、たくさんの遺跡が残されています。今回はそのひとつ、本村南遺跡(ほんむらみなみいせき)を紹介します。

 
本村南遺跡の広がり

大きな溝に囲まれたムラ?
 本村南遺跡で平成19年に行われた発掘調査では、今から約2,000年前、弥生時代の住まいの跡や溝の跡が見つかりました。
 なかでも溝は、幅約3m、深さ約1.5mと大きなものでした。溝の中に積もった土を観察したところ、水が流れていた痕跡は見られなかったことから、この溝は用水路などではなく、外敵や獣の侵入を防ぐ目的で、ムラを囲むように掘られたものだと考えられます。また、溝の中からは、大量の土器や川原石が見つかりました。溝が使われなくなった後に投げ入れられたものと思われます。


V字型に深く掘られていた溝


溝から出土した大量の土器片を接合して復元したもの(一部)

暮らしやすい土地
 本村南遺跡では、ほかにも弥生時代の住まいやお墓の跡がいくつも見つかっています。眼下に川が流れ、見晴らしも良いこの地区は、太古の時代から住みやすい場所として、長くムラが続いてきました。その暮らしは、現代まで連綿と続いているのです。
  
~~~~~~~~~~ 深掘り解説 ~~~~~~~~~~


溝はどこへ続くのか
 溝の中からは、実に900点を超える土器片や川原石が出土しました。溝としての役割が終わった後、この場所にまとめて投げ入れられたと考えられます。こうした大きな溝はこれまで町内で見つかった例がなく、どこへどのように続いていくのか、今後の調査が期待されます。


溝の中で見つかった大量の土器片


調査の様子


溝は調査区の外へさらに広がっている

溝の内側に住居跡も見つかった

地域を治める有力者の墓も発見

 本村南遺跡では、これまでの調査で「方形周溝墓」という地域を治める有力者の墓が3基見つかっています。付近からは多くの土器片が出土していますが、特徴的なものとして、土器の底の部分を意図的に打ち欠いた弥生土器も出土しています。墓に伴う祭祀に使われたのではないかと考えられます。

       
 底部を意図的に打ち欠いた土器(左:横から、右:底から)

 (『広報みよし』令和2年8月号掲載分を加筆修正)


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