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  ◆2011年〜象たより表紙コラムより
 
2011年7月25日(165号)
「大切にしたい 思いやりの心」
   
 古典落語に「子ほめ」という演目があります。
普段から、あいさつするにも乱暴なもの言いの長屋の住人が、それを見かねたご隠居さんからお説教をされます。さらにほめ方やお世辞の使い方まで教わり、上手に他人と付合う手ほどきを受けるのです。

 しかし、そこはご承知のとおり、調子のいいこの男は、あわよくばなにがしかのご相伴に預かろうと下心を胸に早速町へ出て、生まれたばかりの赤ん坊に「歳いくつ」と尋ねてみたりと実践をするのですが・・・。
 いつもの通り、ばかばかしい噺なのですが、ご隠居さんはものの言いようひとつで他人との関係は変わってくるというもの、接し方しだいで相手は気持ちよくなれるものだと説いています。
 そして長屋の住人の行動は、積極的なコミュニケーションが大事なことを表しています。

 相手の懐へ飛び込んで理解しあい和やかに暮らす庶民の知恵、かつての日本人の国民性がよく表れているのではないでしょうか。
 特に江戸文化の『礼儀と節度』は現代において、忘れかけていることかも知れません。

 平和な世の中は何もせずに生まれてきた訳ではありません。日々の生活や仕事の中で、ご隠居さんのお説教に象徴される日本人の心を大切にしたいものです。
 
 
         
 
2011年5月25日(164号)
「子どもたちは 今」
   
 テレビや新聞ではあまり報道されていませんが、政府は「子育て支援策」と称して「子ども・子育て 新システム」の導入を行おうとしています。目的は、「すべての子どもへ良質な成育環境を保障し、子 ども・子育てを社会全体で支援するため。」となっていますが、その具体的内容は今までの保育制度に 逆行するようなことばかりです。
 まず、児童福祉法第24条で保障していた、市町村の保育の実施義務が無くなります。そして保護者 は自らの責任で施設を探し直接契約をしなければならなくなります。また補助金の仕組みも変わり、低 所得者層は保育所の利用が益々出来なくなるような制度となっています。これまで行われていた「すべ ての子どもたちへの質の高い保育」を国や自治体が放棄するということです。  そして、厚生労働省が所管する保育所と文部科学省の所管する幼稚園を廃止し「子ども園」として、 一体化を目指しています。保育と教育、保育士と教員、給食の有無・保育時間の違い等、まだまだ議論 を重ね、「子どもたちが育ち、学び合う場」を真剣に考える必要があると思います。
 また、国からの補助金は、自治体への包括交付金(間接補助金)となり、市町村の独自の裁量で、保 育への財源を減らすことも出来るようになり、それぞれの自治体独自で必要保育士の人数や保育面積の 最低基準さえ決められることになります。例えば2歳児以上の保育面積(遊ぶ・寝る・食べる為の空 間)は一人あたり1.98u以上と決められていましたが、これさえも変更することが出来るようにな ります。一方、年々増え続けている学童保育の待機児童対策については、なんの具体的な対策も取られ ていません。
 「子ども・子育て新システム」については、全国の自治体の議会や、日本弁護士連合会からも、見直 しや反対の意見書が多数提出されています。私たちも、白紙撤回に向け、声を出し行動して行きたいと 考えています。読者の皆様のご理解とご協力をお願いします。

明日の子どもたちの為に。
 
         
  ◆2010年〜象たより表紙コラムより
 
2010年11月25日(161号)
「天、将に大任を是の人に降さんとするや、
    其の筋骨を労し、其の身を空乏にする」

   
 先日、あるシンポジウムに参加した際、関東における大地震の発生周期についての話がありました。その講演によるとマグニチュード8弱クラスの巨大地震(プレート型地震)は、災害史研究から200年〜400年周期で起きると言われているそうです。直近で言えば1923年の関東大震災、その前は1703年の元禄関東地震となります。
 その説が正しいならば、次の巨大地震は早くて2120年過ぎなので、人体冷凍保存でもされない限り、我々がその巨大地震に直面することはまずないでしょう。しかし、マグニチュード7前後でも大被害をもたらす直下型地震は明治東京地震(1894年)、安政江戸地震(1855年)、天明地震(1782年)など70?80年の周期で起きていて、文部科学省の地震調査研究推進本部では、その様な大地震が発生する確率は今後50年で90%と算出されているそうです。
 それを聞きながら手塚治虫の『陽だまりの樹』を思い出していました。今は亡き祖母が小学校の卒業祝いで買ってくれたもので、その中に安政江戸地震の描写があるのです。その地震をきっかけに無骨で世渡り下手な下級武士、伊武谷万二郎が思ってもみない幕末の動乱へ巻き込まれていくという、とても重要かつ印象的な場面です。  タイトルの『陽だまりの樹』とは、太平の世に守られたが故に、木喰い虫の巣となった桜の樹を指し、作中で徳川末世を例えたものです。水戸の弁証家、藤田東湖は、万二郎に表題の孟子の言葉を引用し「人は安泰の時には仕事をなまけ、苦しいときには励むものだ。だから苦しみにあうことは次の発憤のきっかけになることだ。苦しむことだ。若い時は苦しめば苦しむほどよい。」と説くのです。
 関東大震災から既に87年が経過した今、次に起こりうる大地震への備えと共に、新たな時代を切り開いていくための行動力と、そのための労力を惜しまぬ覚悟を改めて感じた二十代最後の秋でした。

 
 
2010年5月25日(158号)
皆で切り開いた希望に逆行する今
   
 数日前、映画「いのちの山河」を見る機会がありました。岩手県沢内村の深沢雄村長の奮戦記です。
 終戦から9年後、長い冬の間は豪雪に阻まれて陸の孤島となる郷里沢内村へ、途中で馬そりが立ち往生し、歩いて犬伏峠を越して漸く村に辿り着く場面から映画は始まります。
 やがて村長になり、すこやかに「生まれ」「育ち」「老いる」を実現するために、「誰でも(どんな貧乏人でも)」「どこでも(どんな僻地でも)」「いつでも365日24時間生涯にわたり)」最新・最高の包括医療サービスと文化的な健康生活の保障を享受できるよう計画を練り、実行していきます。全国で最悪だった乳児死亡率をゼロに村役場と村民一体で実現させる道のり。
 豪雪・多病・貧困という村の「三悪」に真っ向から立ち向かう。65歳以上の高齢者に対する10割給付・医療費無料化を「国保法に違反する」と指摘する県に対し、憲法25条を基に「本来、国がやるべきことをやっていないから沢内でやる」と反論するくだりは圧巻です。そして、この信念が村の人々の心の柱となり、一つ一つ克服していく度に、村民が自信を高めていく様子が描かれます。

 映画の始めはダイジェスト的で少し荒かったけれども、中盤から後半に進むに従い大澤監督の狙いが鮮明になっていきます。
 村の人々の最大の敵だった「諦め」が、課題を克服していく度に「希望」へ変わっていきます。49歳で村に戻り、59歳で亡くなる10年の間のドラマ。最後は貧困の克服へと意欲を見せますが、食道癌に罹り福島の病院で息を引き取ります。
 映画のラストは、亡骸を乗せた車が今は除雪されて通れる峠を越え村に入る、大勢の村民が吹雪の中、道の両側に並んで待ち受ける、幼い子を抱き上げ「おまえの命の恩人だよ忘れるなよ」と車にすがりつく母親・・・「幽霊でも良い、もう一度現れてけれ」・・・。人々の想いが口をついて出てきます。見ている者にも、ふっと込み上げるものが・・・。

 後期高齢者医療制度の廃止を求める声が大きい中、半世紀前の深沢村長の偉業と逆行していく医療・保険制度に対して、沢内の魂を全国に拡げたいと思わせる学びの時でした。

 
 
       
 
2010年3月25日(157号)
しなやかな心で
   
 近年、世の中の成り立ちが複雑になり、生活していく上でとてもつらく感じることが度々あります。バンクーバー冬季オリンピックで空港での一選手の服装にマスコミ全体で大罪人のような扱いで毎日報道していました。その服装を認めている社会的背景があります。賛否はいろいろあると思います。ただ一方的に攻撃して良いのでしょうか。人は全面否定されたら心がおれてしまい、辛くなります。もう少し若者の将来を見つめて、選手の耳に入るやさしいスタンスでの忠告を含めた報道があっても良かったのではないでしょうか。
 人はそれぞれの個性があり生き方があります。自分の生き方、考え方と違うからと排除してしまうのではなく、しなやかな心で人と人との繋がりを大切にしていくことにより、もう少し思いやりのある社会になると思います。
 そんな時一冊の本に出会いました。鎌田實著「いいかげんがいい」です。とても心が休まる優しい文面で綴られていました。

   無理しない、こだわりすぎない、
    よくばらない、つっぱらない、
     頃合いに、融通をきかせる、

    ほどほどに、
    「いいかげん」には、
     こんなすてきな意味が、
      隠されている。

                  「いいかげんがいい」の帯符より抜粋

 考え方一つで辛く感じることが生きる力となり得ることを学んだ気がします。ギスギスした現代にあって、ほっとする経験でした。
 本との出会いは時に自分の思いこみと違う視点から考えることの出来る素晴らしい魔法を持っています。これからも書店の中を楽しみの一つとして散歩したいと思います。
 
 
       
  ◆2009年〜象たより表紙コラムより
 
2009年3月25日(151号)
保育園から保育園へ
   
 2歳になる娘が3月に認定保育室を卒園して、4月からは公立保育園に通います。ひとくちに保育園といっても、公立、私立の認可保育園、東京都独自の認証保育所、無認可ですが区の認定保育室、などがあります。最近では、認可保育園の中でも、区が設置し社会福祉法人が運営する公設民営園、さらに実験的に行われている幼保園(幼稚園と保育園を合体させたもの)も出てきています。
 子どもを認可保育園に通わせる為には区への申請が必要です。区は父母の就労状況などをポイント化し、困窮度の高い家庭の子どもを優先的に認可保育園へ入園させていきます。娘が通っていた保育室は、次年度の困窮度ポイントを上げるために9月から入園させる場合が多く、3月にほとんどの子どもが卒園し、新しい年度当初は、数人の子どもしかいません。9月くらいになると、園児は20人程になります。乳児が主ですから、保育士の人数も必要で園児数の変動に対応するためのやりくりも大変だと思われます。でも、園長を始め保育士さん全員がとても熱心で、本当にすばらしい園にあずける事ができ、ありがたく思っています。
 そんな保育室の卒園式で、園長が「できる事ならもっと長くあずかって、成長を見届けたいが‥‥、しくみ上仕方がないのです。」という話をされました。親からも、「できる事ならば、この保育所にずっとあずけたいけれども」という声が上がりましたが、費用負担を軽減させるため認可保育園へ転入させざるを得ない現実があるのです。
 卒園式の終わりに定番の"みんなともだち"が歌われました。その歌詞の中で、♪み〜ん〜な、ともだち〜。ずっと、ずっと、ともだち〜、保育園行っても、ずっと、ともだち〜、イェイ♪と、"学校行っても"のフレーズが替えられて歌われていたのでした。この園も献身的な保育をしている立派な保育園であることを思うと、涙があふれてきました。
 最近、厚生労働省の諮問機関である社会保障審議会で、保育園と保護者が直接契約するといった、「新たな保育の仕組み」の提案がされています。市町村の保育実施の責任が無くなり不安定な保育所運営や保育の質の低下が心配されます。また、この経済状況悪化の中、家計を助けるために働こうとして、保育園にあずけたいという保護者が急増していますが、特に都市部では全く充足していないのが現状です。少子化だからこそ、一人ひとりを大切にする保育園が増える事を切望してやみません。
 
       
  ◆2008年〜象たより表紙コラムより
 
2008年11月25日(149号)
気づかずにいる身近な問題
   
 家族が来春出産を控えています。日々大きなお腹を抱え、電車通勤をしています。その姿を見ていて今までは気づかなかったことに気づかされ、建築技術者として考えることも多いです。
 最寄りの駅には上り方面ホームにしかエレベーターが設置されていません。下りホームにはエスカレータがありますが、1本しかないので時間によっては登りやくだり専用となってしまいます。そのため、両手に赤ちゃんとベビーカーを抱え階段を登り降りするお母さんの姿も見られます。
 この様な事は改善されていくべきです。と思いつつ、今回問題に直面するまで、同じ駅を利用しながら私自身もこのことに気づかずにいました。
 首都近郊の主要路線の駅に限って調べてみるとエレベーター設置率は7割前後。上りと下りでホームが分かれていてその片方にしかエレベーターが設置されていない駅もあり、これらを加味すると充足率としてはもっと低くなります。またエスカレーターも予算や設置場所の都合から時間帯によっては一方通行となり、結局階段でしかホームや改札にアクセス出来ない事もあります。
 これらの問題はもちろん妊婦に限ったことではなく、高齢者、ケガをした方、障がいを持った方、多くの方々に関わる事です。それだけに設置が進めば多くの方がその恩恵を受けます。日頃から身近な問題に目を向け、声をあげ、一つひとつ解決出来るように努力していく事の大切さを改めて感じました。
 私たちの仕事は、打ち合わせを行い、建主さんの立場で住まい・まちづくりを行うことです。暮らしやすさや使いやすさについて日々追求することに加えて、駅の問題同様、住み手使い手への配慮や工夫が、まわりの多くの方々にとってより使いやすいものとなればと願い、日々建築活動を進めています。
 
       
 
2008年5月25日(146号)
日々の暮らしから
   
 宮本常一という民俗学者がいました。
 1930年から79年に亡くなるまでまで、日本全国各地の農村や、離島、山村をくまなく訪ね歩き、その集落の風土、歴史、芸能や、名もなき人々の日々の暮らしを克明に記録に留め、写真に納めています。
 そして、全国をくまなく歩いて得た知識と情報と技術を、他の集落の人々に伝え、励まし、生きる勇気を与え続けました。
 歩いた距離は、なんと地球四周分にあたるそうです。
 戦前の資料は、すべて空襲で焼かれて無くなったそうですが、主な著作としては、「忘れられた日本人」「家郷の訓」「民間暦」「民俗学への旅」等があり、宮本常一著作集は現在49巻まで出版されています。
 その著作を読むたびに、私達が、学校で習ったカッコつきの「歴史」ではなく、名もなき人々の暮らしや想いの積み重ねこそが、日本の歴史を創ってきたのだと、よく理解が出来ます。
 相変わらず、継続より変化が求められている時代ですが、リフォームや耐震補強、修繕等のお手伝いを通して、ひとつひとつの建物を大事に育てること、それは日本の建築文化を創っていくことだと考えています。
 
       
  ◆2007年〜象たより表紙コラムより
 
2007年9月5日(141号)
異国の川面で
   
 インドのヴァラナシに行きました。学生の時、ネパールから入ろうとしましたが、陸路は危ないと一度は断念した“まち”です。
 インドでは、人はここで最期を迎えたいと願い、身内に支えられて訪れると聞いています。ここで亡くなると次にまた生まれ変わることができるという信仰があるからです。
 大きな川(ガンジス川)に沿ってせり出すように建物が並び、その下に続く石段を下りると水辺に到着。人も、犬も、牛も、洗濯にもその水を使っています。
 朝、日の出に合わせて小舟で川に出ました。日に照らされた鮮やかな建物、人々の生活や川面を目に、「今終わるひとつのこと、今始まるひとつのこと」という詩を思い出しました。(しごとの関連で参加した卒園式で心に残った歌詞です。)ひとつひとつが繋がっているように感じたからです。
 そもそも、このインド行きもしごとを通じた人との繋がりから波及しています。人と出会い、悩みながらも共鳴して繋がっていく、しごとの中でそれをやれるということを大切にしていきたいと思います。
 
       
   
 
       
   
 
       
 
2007年4月25日(138号)
建築と環境
   
 建築をつくるという行為は、環境へ負荷を与えます。日本の全産業から排出される二酸化炭素量のうち、1/3程度は建築関連分野と言われています。また、「ライフサイクルCO2」(※)を事務所ビルの例で見みると、建設時20%、運用時50%、修繕時10%、更新時15%、廃棄時5%という内訳だそうです。建物が建設されてから壊されるまでの時間的配分を考えると運用時が大半を占めることも納得できます。使っている間の環境負荷を軽減していく工夫が重要だとも言えます。
 建築がつくられる時、商業ビルは採算性が優先されますし、戸建て住宅では住まい手の夢や希望、予算などの様々な条件がありますので、環境配慮という付加要素に予算を確保することが難しいという場合もあります。建物の維持修繕を通じて新築後十数年以上経った建物と向き合う機会が増えてきました。維持修繕のお手伝いをしていて思うのですが、すでに建っている建物でも「新たに木を植えてみたり」、「ペアガラスにして断熱性能を高めたり」と少しずつでも環境に優しい改善を行っていけば、間違いなく今よりも改善の方向へ向かうと思います。
 私たち専門家は、建築と環境について新築時に色々と思案することも重要ですが、世の中の大多数を占めている“既に建っている建築”にどれだけ向き合っていけるかということも重要な視点だと感じています。

※ライフサイクルCO2:建物の建設から取り壊しまでに発生する二酸化炭素の総量
 
       
 
2007年1月25日(136号)
食育について
   
 帰省時の新幹線内で雑誌を読んでいると「工場野菜」の記事をみつけました。工場野菜とは成長に必要な光や二酸化炭素、温度などコンピューターで管理された環境のもと、肥料を溶かした水だけで栽培できる野菜のことです。栄養は自然栽培モノに劣らず、アクが少なく食べやすい、自然土に含まれる有害物質を取り込まない、面積あたりの収穫が太陽光農業の何千倍と、あまりのいい事ずくめに驚かされました。安定供給できる強みからファミリーレストランやファーストフード店などで採用が進んでいるとのこと。今のところ主に葉モノですが、近い将来は果実や穀物にも広がっていくのかもしれません。
 一方で、人工光のみによって栽培された野菜が人体に与える影響はほとんど検証されていないともありました。科学的には太陽光と人工光に大きな違いはなく、そこに危険性が現れることはあまりないと思いますが、それだけで工場野菜=安全と決め付けるには早すぎるように思います。
 実家に帰ると、幼い姪二人が兄夫婦と食事をしていました。普段は食の問題には無頓着な私でしたが、近親に幼子ができ、昨今の食の問題が気になりだしました。健康な肉体と健全な精神は日々の食事が重要であることは近年制定された「食育基本法」にも明文化されています。
 しかし、私たちは本当に安全な食事を日々口にしているのでしょうか?食品添加物、遺伝子組み換え作物、環境ホルモン、BSE問題...。これら問題は一時的に大きく取り上げられても、そのうち日々のニュースの中で埋没してしまいます。

 幼い頃、母はなるべく無添加の食品を選び、食事を作ってくれました。添加物についての危険性も教えてくれた記憶があります。学生の頃は何とも思っていなかったことですが、今では母の気持ちが良く分かります。子どもたちの食の安全の為に、今度は伝えるべきことを見極めなければならないと思います。
 
       
  ◆2006年〜象たより表紙コラムより
 
2006年12月10日(135号)
たからもの・・・
   
 私が住むコーポに隣接して約15ヘクタールの大学キャンパスがあり、その8割は緑地(林・農場・庭園など)である。晩秋、フカフカの枯れ葉の絨毯で覆われた小径に足を踏み入れると、木々の葉っぱが絶えず降ってきて如何にも心地よい。虫や鳥も多く、自然を感じさせてくれる。鳥の声を聞くうちに知らぬ間に口笛を吹いてしまっている。
 シナサワグルミやヒマラヤスギなど20メートルを遙かに超える大木はいつから此処にいるのだろうか。こんな時間を過ごすと、現実の損得や悩みがちっぽけに感じる。
 散策のきっかけを作ってくれた幼い子は、不思議だね、どうして?を連発する。そして、黄色・赤色・中間色・頑固に緑を守ってる彩々の葉っぱや、木の実、形の良い石・照りのある石を宝物のように、用意してきた袋に入れてお土産にする。お土産をもらった大人は「なーに、これ?」とは言わず、「あ−ら綺麗ね、アリガト!」と世辞を言う。
 世辞を言いながらも、本当はこういったモノが宝物なんじゃないだろうか。お金や効率よりも大事なモノを見失ってはいないか、儲け第一の「市場主義」の世界に身を置く時間が圧倒的に長い現代人は、知らず知らずに陥っている感覚の麻痺、判断基準の取り違い、ねじ曲がった価値観を洗い直し、取り戻し、大切にしたい目標を確認する上でも、たった30分か1時間、こんな時を週に一度、月に一度でも持つことが、どうしても必要だと気付かさせてくれた。建築創造が人と生活に、自然と生物にこそ、しっかりと結ぶべきことを。
 
       
 
2006年9月10日(133号)
マイsweetホーム
     結婚して2年、当初は賃貸アパートに住んでいましたが、子どもが生まれ、物が増え、子どもの成長もあいまって、日々部屋の狭さを実感するようになりました。「せめてもう少し広い家に住みたいな〜」という思いも日に日につのっていきました。
 賃貸住宅でもう少し広いところへ引っ越すとなると、家賃は上がってしまう。でも購入するとなると、住宅ローンを組まなければならないので、それもまた一大決心です。マイホームといえば庭つき一戸建てですが、それは夢のまた夢。今の収入では、買うなら中古マンションしかないと思いました。
 住宅を購入することに初めはあまり積極的ではなかったのですが、子どものこと、将来のことを考え、家族で何度も話し合いました。そして月々のローンが今の家賃と同じくらいなら、なんとかやっていけるのではないかという結論に達しました。

 住まいづくりは新築だけではありません。建て売りでも分譲マンションでも、住まいのかたちにとらわれず、自分の生活スタイルに合わせた小さなリフォームや、家具の配置換えなども住まいづくりであり、それが自分の住宅を「マイホーム」に育てていくことだと思います。大切なのは自らの「住まい」を自分で考えることです。これから自分たちの素敵なマイホームをつくるのだと思うと、なんだか胸がわくわくします。
 
       
 
2006年8月5日(132号)
都市での生活
   
 最近、引越しをしました。今までは2DK(40 ・程度)のアパートに暮らしていたのですが、1階なのでバルコニーに出るとすぐ道路というのはホタル族にはなかなか肩身の狭いつくりでした。今度の住まいは鉄筋コンクリート7階建ての4階です。北側にルーフバルコニーがあり、思う存分タバコが吸える!などと思っていました。
 こんな些細な思いが達成されると今度は他のことが気になり始めました。東を見ると200mほど先に高速道路があり昼夜を問わず車が走っています。窓を開けて寝ていると車の音で目がさめることもあります。北側には環状7号線があり、これまた昼夜を問わず車が走っています。当然、排気ガスも多いでしょう。まあ、ここまでは都内ですし、仕方がないとして、それにしても、うーん、何かが足りない!と周囲を見渡してみると木々があまり見当たりません。

 マンションの1階は植栽があるのですが自宅のバルコニーからは目に入りません。唯一の救いは北側にある農家らしき家の庭にある木々が見えることです。それだけでは寂しいので鉢植えに植物を植えたりしてひそかに楽しんでいたりしています。

 建築の設計に携わりもう15年ほどになります。住まい手参加型の集合住宅の設計も何回か経験してきましたが、周囲の見え方や緑の配置などに注意を払って設計しないとただの箱になってしまうのではないかと考えています。戸建て住宅であれ、集合住宅であれ、気持ちよく暮らしたいのは誰でも同じはずです。緑を各階に配置できるだけでも随分雰囲気が変わるかもしれません。

 都市に暮らす限りこのようなことは多かれ少なかれあるはずです。そんな中で出来得る限り気持ちのいい住まいづくりを目指していきたいと再認識しています。
 
       
 
2006年6月10日(131号)
五月の長雨
   
 今年の冬、事務所の屋上でチューリップを植えました。春が近づくにつれ芽を出し、葉が出、蕾をふくらませ春とともに満開になりました。今は葉も枯れてしまいましたが、土の中では来年のために球根が命を蓄えています。自然の中で生物は命を育み、次の世代に引き継いでいきます。
 今、その自然がおかしくなってきています。五月の東京は、五月晴れのカラッとした季節ではなく梅雨のようでした。日照不足で野菜が高騰、稲も発育不足、大衆魚の鰯が不漁で高級魚なみの価格だそうです。複合的要素が関わり自然がおかしくなっているのでしょう。
 私たちが些細なことでも気をつけて生活し、自然へ悪影響を身近なところから一つでも無くしていくことが自然を守っていく第一歩になります。自然がおかしくなってくると私たちの生活も、いろいろなところで影響を受けますが、せっかく四季のある素晴らしい国に生きているのです。季節ごとの旬の食材で美味しい料理を食する喜びや楽しみは失いたくないものです。
 自然がひき起こす災害は防ぐことができません。私たちにできることは、生あるものが途絶えること無く生き続けられる環境を少しでも守っていく努力を怠らない事です。育み育てていくことは命あるものすべての共通の思いです。
 
       
       
 
まちの銭湯
   
 最近の温泉ブームの影響で、サウナや薬湯などを兼ね備えた「スーパー銭湯」から、リラクゼーション機能満載の「大規模スパ」が急増してきました。一方で昔ながらの銭湯は、大正時代の「町ごとに風呂あり」からはかなり減り、東京都では現在全部で1166軒しかありません。入浴料は東京都で昭和初頭の大人6円から400円へとかなり高額になりましたが、今もなお、お年寄りなどに入浴の補助を行っており、年齢や収入の分け隔て無く開放した地域の憩いの場として必要不可欠なものになっています。銭湯内で飛び交う話題は様々のようです。近所の美人お姉さんの結婚話、住宅の建て替え情報、新しく開店したお蕎麦屋さんやマンションの話題、近くで起った火事の話、最近見なくなったおばあさんのこと、相撲や野球の優勝の行方や選手のコンディション話など。時にはトラック運転手が今年の野菜の収穫情報を教えたり、大学生が物理学の研究成果を披露したりするそうです。銭湯に行くと、初めて合った人と地域の情報だけでなく、テレビを見ながら社会問題について意見を交わすこともあります。ある番台さんの話では、入浴中倒れたお客さんに救急車を呼んでお見舞いに行ったり、また外国人客には安く借りることができる家を紹介し、時に下宿先として部屋を提供することもあるそうです。銭湯は地域のコミュニケーションの場や情報の発信源として今も変わらず大きな役割を果たしています。その役割を考えると、銭湯の減少はとても残念でなりません。
 
       
 
とらえる力と想像力
   
 事務所の近くに盲学校があるからでしょうか、事務所前の通りや駅などで、しばしば目の不自由な方を見かけます。点字ブロックや白い杖を頼りにひとりで歩いている姿を目にすると、その能力には驚かされるばかりで、訓練や環境の整備によって、行動範囲を広げていけることが分かります。そうした反面、設備の不十分さや、店の看板や自転車が点字ブロック上に並べられている状況に、苦労している姿をよく目にします。仮に設備が十分になっても利用できない状況では意味がありません。ハード、ソフト両面の充実は多くの人の理解により進んでいくものだと思います。このようなことは、自分自身の経験や、身近に不自由な体験をしている人がいないと、なかなか意識が向かないものです。発想や行動は自分が出発点で、基準が自分の中にあることは確かです。しかしそれが強過ぎてしまうと、私たちの暮らしの中には見落としてしまうことが多くあるように思います。大半の人にとってそれほど大きな影響はないと見過ごしているとき、見えているはずの目には、多くのことが映っていないと言えるのではないでしょうか。体の不自由な方に限ったことではありません。人の気持ちや、その人のおかれている状況に心を寄せ、想像力を働かせる。建築とまちづくりに、そうした視点を忘れずに、取り組んで行きたいと考えています。
 
       
 
引き継がれる古民家
〜米蔵解体のワークショップに参加して

   
 先日、民家解体のイベントに参加してきました。千葉県の外房のまちに建っている民家で、その昔は、一階は米蔵、二階は住まいとして利用されていたおおよそ築100年とのことでした。これが今度新たに埼玉の与野で住宅として再利用される計画がまとまったそうです。解体にあたっては、再利用を考え、手壊しが中心となります。瓦を一枚一枚取り外し、下地材を壊していく過程では、伝統的な工法を直接目の当たりにし、昔の職人さんたちの丁寧な仕事に驚かされました。屋根の下地材と、屋根裏の木組み(小屋裏)から、当初は茅葺きの屋根だったのではないか、また瓦に葺き替える際に屋根勾配も変更されたかもしれないとの主催者の説明がありました。時代時代に応じ、改善され、大切に使われてきたことがうかがわれます。解体後、もう一度組むときに間違いないよう入念な事前調査を行い、番付(木に番号を振っていく)、外部の足場組み立てなど全て参加者で行いました。普段は設計者であったり、現場監督であったり、材木屋さんだったりする人々が週末に力を合わせてやり慣れない仕事を行うというのは、正直とても疲れるものの、結構楽しく貴重な体験となりました。一方では、こうした民家の移築再生を行う場合、手間がたくさんかかるため、イベントとしてボランティアにたよらざるを得ない一面もあるとのことでした。大切に引き継がれていく民家の歴史に少しだけ参加できたと、筋肉痛の体をさすりながら思いをはせてしまいました。
 
       

「老舗のそば」と「須玉のそば」
   
  先日、おいしいそば屋の特集をしている雑誌を見かけました。最近見かける幅広いジャンルを扱う雑誌で、洋服、映画などと一緒に「そば」を取り上げていました。もともとそばが好きなのと、取り合わせの面白さから買ってみました。そこには、通っていた大学の近くにある老舗のそば屋が載っていました。昼休みに時々食べに行きましたが、コシがあっておいしかったのを覚えています。老舗のそばをつくる専門性を実感しました。もう一つ、おいしかったそばで思い出すのが、事務所旅行で須玉に行ってそば打ち体験でつくったそばです。不器用ながらもみんなでワイワイ打ったそばはとてもおいしかったのを覚えています。須玉のそばが印象に残ったのは自分たちでつくったという充実感が大きかったと思います。横についていてくれた指導員の的確なサポートも大きく、それがなければとんでもないそばになっていたでしょう。老舗として専門的なそばづくりの技術を追求する姿勢。そば打ち体験の指導員の様に食べる人と一緒にそばづくりをきちんとサポートする姿勢。どちらもおいしいそばをつくるのに大切な姿勢です。これは、建築技術者にも共通するもので、住まい手・使い手の立場に立って建築技術を追求することと、建主さんと一緒に建物をつくりあげるという気持ちの両方を大切に、日々の仕事に取り組みたいと思います。
 
       
 
 

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