1項 願いに生きる

 米百俵が話題となっている。概要を少しおさらいします。永岡藩は戌辰戦争(1968〜)で、羽越列藩同盟に加わり、新政府と戦い敗れます。その結果城下町長岡は焼け野原となり、禄高も三分の一に減らされます。明日の食べ物にもこと欠く状態になったのです。
 そんなとき子藩である三根山藩から岩室村で収穫された「米百俵」が見舞いとして送られてきます。われ先にと分配しようとした藩士へ佐久間象山の門下生である小林虎次郎が「この米を一日か二日で食べつくして何が残る。国が興るも滅ぶも、町が栄えるのも衰えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ。その日暮らしでは、長岡は立ち上がれまいぞ。新しい日本は生まれないぞ」とたしなめます。
 その米百俵を売り払い、その代価で長岡国漢学校(現・市立阪之上小学校)や洋楽局(現・長岡高等学校)を開校し、長岡近代教育の基礎をつくったという話です。米百俵は現在の金銭に換算すると、四千五百万円。金銭よりも心意気や願いが大切なのでしょう。
 願いが大切だという例をもう一つ引きます。
 これは「宇治捨遺物語」(鎌倉初期の説話集)にある説話です。
 良秀という画家がいた。仏像の絵を描く人で、常々、真実に迫る絵を描きたいという願いをもっていた。
 ある日のことです。近所の家から火が出て、折からの強風で良秀の家にも火事が移りました。良秀は、描きかけの絵も、家財道具もそのままに逃げ出しました。家から出ると、ジーと燃える炎を平然と見つめ、手出し一つしようとしません。「のんびりと何をしてるんだ」と人に叱責されても、燃える炎から目を離さず、時には頷き、時には笑みさえ浮かべていた。
 そして「ああ、これは願ってもないことだ。今まで、私はウソばかり描いたいんだなー。何度も不動明王の背負っている炎を描いてきたが、火はこのように燃えさかるものだ。私は仏画を描く画家。仏さまさえ真のお姿をお描きできたら、家などはいつでも建てることが出来る」と言い、じっと炎を眺めていた。
 その後、良秀の描く不動明王の炎は、真に迫っていたと言われたそうです。
 良秀の生活のすべてが、仏さまの本当の姿を描きたいという願いに貫かれていたのです。
 願いは単なる空想ではありません。
 仏教徒とは、仏さまの願いを大切にする人生を歩む人のことです。
 また浄土真宗の信仰とは「どのような状況にあっても、貴方はかけがえのない存在なのですよ」という阿弥陀如来の願いに開かれて生きることです。混迷の世なればこそ、願いをもっと大切にする必要があります。


2項・3項  「死ぬってどういうこと」ー子どもに死を語るときー


4項 集い案内

住職雑感

●情報化時代は、答えがすぐ手に入る社会だと思います。しかし大切なのは「問い」であって、どんな問いを持っているかによって、人間の可能性の開花が左右されます。
 小学1年生には1年生の問いがあります。6年生には6年生の問いがあります。問いという言葉は同じでも内容に差があります。
 もっと問いを大切にすることが重要です。

● 本願寺のご門主が「まことのよろこび」(本願寺刊)の中で、次のように語っておられます。
【浄土真宗の救いは、現代の私たちにどういう意味があるといえるのだろうか。
西谷先生は、よく生きるためのものではないとおっしゃっています。「社会秩序、人類の福祉、あるいは世道人心というようなもののために必要だというのは、間違いであり、少なくとも本末転倒である。宗教はその功用から考えられてはならない」とあります。
宗教が何のために必要なのか、何のためにあるのかというような面から聞くのではなくて、反対に私が何のためにあるのか、生きているのかという面から考えるべきだと。これは非常に重要な指摘だと思います。】
 宗教は人間の願い・欲望を起点とした教えではなく、自分の願いや欲望から解放されていく教えであると言うことでしょう。

清風 NO43 平成13年11月1日発行
             
         執筆者 西原祐治

清風は年4回発行しています。

清風 NO42