「死ぬってどういうこと?」―子どもに死を語るとき
(アール・A・グロルマン・重兼裕子訳・春秋社刊)よりの転載
身近な人の死を体験した子どもに接するとき
親としての心構え
1「死」ということばをタブー視しない。
家でも学校でも教会でも、ごく自然に死について話せるよう心がけていたいものです。子どもに死の準備教育を行なう必要があるか否かを議論するより、子どもが今体験していることから何を確実に学べばよいのかに目を向けるべきだと思います。
人は子どものときから年老いるまで、一生をかけながら物事を理解していくものです。そう考えると死に対する教育は、この世に産声をあげたときからすでに始まっているといってもいいでしょう。
2悲しい気持ち、ひとを悼む気持ちは、年齢に関係なく、すべての人に共通しているのだという認識を持つ。
子どもは、年は下であっても、ひとりの人間だということです。
悲しみが子どもの心をひたひたと通りすぎようとしています。ぼう然と立ちすくむ子もいれば、死を受けいれようとしない子もいます。腹をたてパニックにおちいる子もいるでしょうし、体の具合が悪くなる子もいるでしょう。子どもはそのような形で悲しみを表現しているのです。ひとを失った悲しみの小道はゆるやかなカーブを描いて続いており、今、子どもはそのなかをゆっくり歩いているところなのです。
3子どもの気持ちを素直に表現させ、開放させる
。
たとえば子どもはこんなふうに言うでしょう。
「どうしてこんなことになっちゃったの」
「ぼく、悲しいよ」
「ひどいよね、こんなのって」
そんな子どもの気持ちをありのままに言わせてください。感情があふれて泣くこともあると思いますが、それでいいのです。ほかにも方法はあります。詩を書かせたりお話をつくらせるのもよいでしょう。歌をうたうことも、絵をかくこともできます。
要は気持ちを表現させることです。わきおこる思いを無理に閉じこめてしまわないよう気をくばってあげてください。
4家族のひとりが亡くなったことを学校の先生に知らせる。
なかには成績が下がったり、突然不きげんになったり、赤ちゃんがえりをする子どもがいるかもしれません。そんなとき、先生が事情を知らないと困ります。心ある先生ならば、その子の苦しみを理解してくれます。ふたりの間には固いきずなが生まれ、子どもの気持ちもかるくなるでしょう。
5子どもへの対応に自信がないときは、ほかに相談をしてみる。
たとえ親の側の知識が豊富できちんと教えたいという意欲があっても、それだけでは物事うまくいかないときがあるものです。牧師に話してみるのもいいし、児童相談所やセラピストに助けを求めるのもいいでしょう。それは決して弱さを露呈することではありません。子どもを愛し、どうにかしてやりたいと思う親心です。どんなに明るい性格の子の上にも、悲しみはいとも簡単にその爪痕を残してしまうものなのです。
6子どもに、死んだ人の生まれ変わりだといったたぐいの話をしない。
「あなたを見ていると、死んだあの人を思い出してしまうの」
というような言いかたをしてはいけません。子どもに、亡くなった知人や親戚の代役を求めるような態度をとるのは避けてください。そうではなく、友達や恋人に対するような、気の合う仲間や信頼できる人に対するような態度で接しましょう。
子どもは子どものまま、それ以上の重荷をあたえないでください。
7目先をごまかすような架空のつくり話をしない。
その場しのぎの話をして死という神秘をおおい隠してしまうと、先々いろいろな矛盾がでてきて、いつかそれを撤回しなければならなくなります。
たとえば「お父さんは長い出張にでかけているだけなのよ」といった説明をすれば、子どもは父親がいつか帰ってくると思いこんでしまいます。また若い母親が亡くなった場合、「神さまがお母さんをつれて行ったのはね、お母さんがいい人だったから」と言えば、子どもの頭は混乱します。いい人間でもこんなに若いうちに死んでしまうのなら、「わるい」自分はどうなるのだろう・・・と。そして子どもは、理不尽に母親を奪った神に対する憎悪の念を深めていくことでしょう。
不適切な説明は、子どもの心のなかに恐怖心と猜疑心を呼び起こします。
また罪悪感をあたえることもあります。現実からかけ離れた妄想が頭のなかを駆けめぐります。しかし真摯な気持ちで子供に接すれば、子どものなかに相手に対する信頼感が生まれます。子どもが本当に必要としているのは真実なのです。
8親の説明が絶対に正しいと思いこませない。
最初からこれが結論だと決めつけてしまうと、「本当にそうなのかなあ」と思う気持ちの芽ばえを摘みとってしまいます。親に質問をしたり、違う考えを呈示できるようなゆとりを残しておいてください。
「おかあさんにも本当のところはよくわからないの。おかあさんにだってわからないことはあるのよ。だから、こうしてお話してるんじゃないの。いっしょによく考えてみようね」
こう言える人は成熟した大人です。いずれにせよ子どもは、生と死に関する答えを自分自身で見つけだしていかねばなりません。そのためにも、子供は自分とは別個のひとりの人間であるという視点を忘れないでください。
9悲しい気持ちを素直に表現する。
親が感情を押さえこんでしまうと、子どものほうも自分の気持ちを閉じこめてしまいます。子どもは大人が嘆くようすを見て、自分も泣いていいのだと感じるからです。
子どもは涙を流しても立ち直ることができます。しかし気持ちを押さえこむと、自分をごまかしたという思いが残ります。また子どもは、悲しみをのり越えて進むことはできます。けれども、あのときの自分をうそで塗りかためたというつらい思いは消えません。
大人も子どもも、嘆きや悲しみをつつみ隠さずあらわしましょう。そうしていくうちに、愛する人の死を受けいれ、その苦しみを癒していくことができるのです。
10あふれる愛情で子どもを支え続ける。
親が親らしくあること・・・子どもにとって、これ以上の大きな贈りものはありません。親が惜しみない愛情と思いやりを子どもにそそぐことは、子どもが死の痛手から立ち直るためのはかり知れない原動力になします。
たとえ数分間でも、子どもの話に耳を傾けてやってください。それがもっともっと長く続くこともあるでしょう。でも子どもは、人から説明を聞くだけでは不十分なのです。やはり思ったことを口にだして、自分の気持ちを吐きだしてしまうことが必要なのです。
死によって人と別れるのは悲しいことですが、生前一緒に過ごした楽しかったころのことを思い出すよう、子どもに働きかけてみてください。子どものなかにその人の存在を失った空虚な思いが残ると思いますが、まわりを見回せば、自分も含めて大切なつながりをもっている人がたくさんいるんのだということを再認識させ、はげまして上げてください。
言葉がうまく見つからない場合は態度で表現しましょう。手を握り、肩をやさしく抱いてください。そのほうが言葉による説明よりはるかに大きな役目をすることがあるからです。愛をからだで表現することは、悲しみに沈む子どもにとってどんなにか力強い支えとなることでしょう。
愛する人との別離を克服することは長く苦しい道のりです。しかし子どもはその道を歩きながら、人間としての幅をひろげていきます。そのなかから愛すること、相手を思いやること、理解することを学ぶのです。
悲しみは時とともに癒され、ひとは自分なりの道をたどりながら立ち直ることを身につけていきます。その点では大人も子どもも同じ過程にあると思います。