2003年3月26日(水)19:00開演/仙台市青年文化センター
共演:宮武 省吾(マンドリン)& 中根 康美(ギター)
主催&お問い合わせ仙台リビング新聞社 世界のさまざまな音楽の要素を取り入れた古賀メロディーは、 日本橋から (濱田廣介) 昭和5年 月の濱邊 (島田 芳文) 昭和6年 丘を越えて (島田 芳文) 昭和6年 窓に凭れて (島田 芳文) 昭和6年 サーカスの唄 (西條 八十) 昭和8年 白い椿の唄 (佐藤 惣之助) 昭和10年 望郷の唄 (島田 磬也) 昭和10年 愛なき言葉 (島田 磬也) 昭和10年 緑の地平線 (佐藤 惣之助) 昭和10年 さらば青春 (佐藤 惣之助) 昭和11年 青い背廣で (佐藤 惣之助) 昭和12年 人生の並木路 (佐藤 惣之助) 昭和12年 人生劇場 (佐藤 惣之助) 昭和13年 思ひ出の記 (古賀 政男) 昭和16/43年 湯の町エレジー (野村 俊夫) 昭和23年 赤い靴のタンゴ (西條 八十) 昭和25年 無法松の一生〜度胸千兩 (吉野 夫二郎) 昭和33年 悲しい酒 (石本 美由起) 昭和35年 藍川由美「日本の心を歌う」 2002.3.16(土)午後2時開演/仙台市青年文化センター 主催&お問い合わせ/仙台リビング新聞社 1.翻訳唱歌 2.和製唱歌 3.童謡 4.古賀メロディー 5.古関裕而 6.橋本國彦 藍川由美「NHK國民歌謠〜ラジオ歌謡」を歌う NHK國民歌謠(昭和11年6月〜)〜ラジオ歌謡(昭和21年5月〜昭和37年3月) NHKが作った歌の歴史は A春の唄 (喜志 邦三/内田 元) B愛國の花 (福田 正夫/古関 裕而) C海ゆかば (大伴 家持/信時 潔) D白百合 (西條 八十/大中 寅二) E出征兵士を送る歌 (生田 大三郎/林 伊佐緒) F隣組 (岡本 一平/飯田 信夫) G朝だ元氣で (八十島 稔/飯田 信夫) Hあゝ紅の血は燃ゆる (野村 俊夫/明本 京静) I勝ちぬく僕等少國民 (上村 数馬/橋本 國彦) J朝はどこから (森 まさる/橋本 國彦) K三日月娘 (藪田 義雄/古関 裕而) L山小舍の灯 (米山 正夫/米山 正夫) Mアカシヤの花 (松坂 直美/橋本 國彦) Nさくら貝の歌 (土屋 花情/八洲 秀章) Oあざみの歌 (横井 弘/八洲 秀章) P白い花の咲く頃 (寺尾 智沙/田村 しげる) Q森の水車 (清水 みのる/米山 正夫) Rみどりの馬車 (丘 灯至夫/古関 裕而) S登山電車で (丘 灯至夫/古関 裕而) 藍川由美 「古関裕而を歌う」 '99年12月13日(月)午後7時/仙台市青年文化センター 平成11年は、激動の昭和を生きた古関裕而の没後10年にあたると同時に、 「船頭可愛や」 「露営の歌」 東京日日新聞歌詞公募入選作 「曉に祈る」 映画主題歌 「南進男兒の歌」 NHK國民歌謠 「海を征く歌」 「若鷲の歌」 映画主題歌 「ラバウル海軍航空隊」 NHK委嘱作品 「嗚呼神風特別攻撃隊」 NHK職場の歌 「フランチェスカの鐘」 「イヨマンテの夜」 「白いランプの灯る道」 「あこがれの郵便馬車」 「長崎の雨」 「高原列車は行く」 「登山電車で」 NHKラジオ歌謡 「長崎の鐘〜新しき朝の」
022−265−2511
入場料(全席指定)前売り=4,500円, 当日=5,000円
同時代の歌はもちろん、のちの日本の音楽にも多大な影響を与えている。
いわゆる「演歌」も、彼の存在抜きにかつての隆盛を語ることはできないし、
その分野では未だ彼の才能を超える作曲家が誕生していないのではないかとさえ思える。
今回のコンサートでは、ともにドイツに留学して国立ケルン音楽大学の
ヴッパータール校とアーヘン校にて学び、ヨーロッパでの演奏経験も多い
マンドリンの宮武省吾氏と、ギターの中根康美氏の共演で
古賀メロディーのオリジナルの素晴らしさを味わって頂きたいと思う。影を慕ひて (古賀 政男) 昭和5年 東京ラプソディ (門田ゆたか) 昭和11年
022−265−2511
入場料(全席指定)/前売り=4,500円, 当日=5,000円
見わたせば〜むすんでひらいて (明治14年〜昭和22年) 柴田清煕・稲垣千穎〜不 詳/ルソー
故郷の空 (明治21年) 大和田 建樹/スコットランド民謡
埴生の宿 (明治22年) 里見 義/ビショップ
旅愁 (明治40年) 犬童球渓/オードウェイ
故郷を離るる歌 (大正 2年) 吉丸 一昌/ドイツ民謡
花 (明治33年) 武島 羽衣/瀧 廉太郎
荒城の月 (明治34年) 土井 晩翠/瀧 廉太郎
故郷 (大正 3年) 高野 辰之/岡野 貞一
朧月夜 (大正 3年) 高野 辰之/岡野 貞一
早春賦 (大正 2年) 吉丸 一昌/中田 章
十五夜お月さん (大正 9年) 野口 雨情/本居 長世
赤い靴 (大正10年) 野口 雨情/本居 長世
てるてる坊主 (大正10年) 浅原 鏡村/中山 晋平
赤とんぼ (昭和 2年) 三木 露風/山田耕筰
夕焼小焼 (大正12年) 中村 雨紅/草川 信
影を慕ひて (昭和 4年) 古賀 政男/古賀 政男
人生の並木路 (昭和12年) 佐藤 惣之助/古賀 政男
誰か故郷を想はざる (昭和15年) 西條 八十/古賀 政男
湯の町エレジー (昭和23年) 野村 俊夫/古賀 政男
船頭可愛や (昭和10年) 高橋 掬太郎/古関 裕而
浅間の煙 (昭和12年) 西條 八十/古関 裕而
イヨマンテの夜 (昭和24年) 菊田 一夫/古関 裕而
長崎の鐘 (昭和24年) サトウ ハチロー/古関 裕而
新しき朝の (昭和26年) 永井 隆/古関 裕而
舞〜六代目菊五郎の娘道成寺によせて (昭和 4年) 深尾 須磨子/橋本 國彦
2001年1月29日(月) 7時開演〜仙台市青年文化センター
お問合せ:仙台リビング新聞社
022-265-2511
昭和11年の「國民歌謠」から現在の「みんなのうた」に至るまで
60年以上も続いています。
一つの媒体(放送局)が「歌謡曲」という言葉を作ったり
自国の歌の歴史にこれほど深く関わってきた例は
世界でも珍しいのではないでしょうか。
NHKから生まれた歌で「激動の昭和史」を辿ってみたいと思います。
日本人は歌の好きな民族だ。わが国では、伝統的に見ても、純粋器楽より声を伴う音楽の方が発達してきたし、明治の洋楽輸入後もそれは変わらなかった。日本人が五線譜を用いて作曲した声楽作品の数は、器楽作品とは比べものにならないほど多いのである。
その要因としては、たとえば
@明治初期に、学校の教科目として「唱歌」が導入されたこと
A昭和11年に「國民歌謠」というラジオ番組が始まったこと
が考えられる。「唱歌」は、学校教育の成果によって国民の共有財産となり、近代日本の歌の土台を形成したし、電波を利用した「國民歌謠」は、短期間で全国に浸透していった。
しかし、歌は、それゆえに、しばしば過酷な役目を担わされることにもなった。
そもそも、巷に溢れるエロ・グロ・ナンセンス的な「流行歌」と一線を画すべく始められた「國民歌謠」だが、昭和12年7月以降は次第に軍国調のものが増え、ラジオからは戦況を伝える「ニュース歌謠」も流れるようになった。「國民歌謠」は、戦争の激化とともに、昭和16年に「われらのうた」、17年に「國民合唱」と番組名を変えて敗戦まで続いたのである。
そして敗戦後、NHKは昭和21年に歌番組を復活させた。それが「ラジオ歌謡」で、テレビ時代になると「みんなのうた」としてラジオとテレビで放送されるようになった。
このように、一放送局が60年以上にわたって歌番組を制作し続けるということは、世界的に見ても珍しい現象といえるだろう。しかも、これら一連の歌は、放送局の制作ということで、作詞・作曲・演奏に至るまで、クラシックとポピュラーの区別なく、レコード会社の専属制度の枠をも越えて創作されてきたのである。
にも拘わらず、この歌の系譜は、日本の音楽界で不当にも軽視されている。その理由は、NHKが戦後、戦時中の音楽をタブー視し、「國民歌謠」から「國民合唱」の歴史を回顧しようとしないことが大きいだろう。
かくいう私も、日本の歌の研究者でありながら、以前はその時代の歌を避けていた。だが、次第に、「日の丸」「君が代」、軍歌、戦時歌謡といったものに戦争責任をなすりつけるだけで、人間そのものの罪や、歴史的事実を検証しようとしない姿勢に疑問を抱くようになった。
激動の昭和史の中で歌はどんな役割を果たしたのか。NHKが作った歌の歴史を辿ることでそれを探ってみたい。こうして私は戦時下の作品にも取り組むようになった。
たしかに、いつ死んでもおかしくないといった極限状態で書かれた戦中の作品には得も言われぬ緊迫感が漂っているし、敗戦直後の歌には、茫漠とした喪失感がある。が、その一方で、《めんこい小馬》や《お山の杉の子》のように、詩を改作して戦後も歌い継がれている作品もある。歌詞はともかくとして、音楽そのものが戦争に利用されたことが裏付けられるのだろうか。
たとえば、橋本國彦が作曲した《大日本の歌》(昭和13年)と《朝はどこから》(昭和21年)、古関裕而が作曲した《南進男兒の歌》(昭和15年)と《栄冠は君に輝く》(昭和24年)の音楽はきわめて似通っており、音楽だけで、どの時代の作品かを判別することは困難である。
さらに言うならば、歌詞ですら、「勝って来るぞと勇ましく〜」と歌いつつ心の中で涙し、「死んで還れと励まされ〜」の一節に、必ず生きて還れとの思いを込めることも可能である。
歌は人々の心に何をもたらしたのであろうか。かつて「懐メロ」と呼ばれた歌が前世紀の遺物になろうとしている今こそ、われわれは、簡単に戦時中の歌を全否定するのではなく、歌の本質や役割について冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。@椰子の實 (島崎 藤村/大中 寅二)
昭和11年7月13日に東海林太郎の歌で放送された國民歌謠。戦後は教科書にも取り上げられている。
西宮駅近くの北口市場の様子を描いた國民歌謠で、昭和12年3月1日に月村光子の歌で放送。『椰子の實』同様、戦後の教科書にも採用された。
昭和12年10月18日に渡辺はま子の歌で放送された國民歌謠。昭和17年に松竹大船で映画化された。インドネシアのスカルノ元大統領の愛唱歌でもあった。
昭和12年10月13日にNHK國民唱歌として放送後、11月22日の國民歌謠の時間に再放送された。文部省と大政翼賛会が昭和18年2月より儀式に用いることを決定。
従軍看護婦を謳った西條八十の詩に、『椰子の實』で世に知られた大中寅二が作曲した國民歌謠。昭和13年11月21日に高島屋女子合唱団の演奏で放送された。
大日本雄弁会講談社の公募当選歌だが、陸軍省撰定として國民歌謠でも取り上げられた。曙合唱団の演奏で昭和14年11月13日に放送。
昭和15年に組織された「隣組」の普及のために漫画家の岡本一平が作詞した國民歌謠。その滑稽味は暗い世相の中で際立っていた。6月17日、徳山lの歌で放送。
昭和16年10月25日のわれらのうたで放送後、昭和17年2月24日に國民合唱でも再放送された。戦後、NHKが歌詞を変えて放送し、教科書にも掲載された。
昭和18年の學徒出陣、昭和19年の學徒勤労令を受け、學徒動員の歌として作られた國民合唱。昭和19年6月26日、日本放送合唱団の演奏で放送された。
昭和20年1月21日に東京放送合唱団・東京放送児童合唱団の演奏で放送された國民合唱。レコードは戦災で生産不能に陥っていた。
昭和21年の朝日新聞懸賞募集当選歌。同年5月1日に開始されたラジオ歌謡の第二弾として、5月12日より安西愛子の指導、東京放送合唱団の演奏で放送された。
昭和21年8月18日に松田トシの指導、東京放送合唱団の演奏で放送されたラジオ歌謡。レコードは南方から復員してきた藤山一郎の吹き込みによる。
昭和21年に復員した米山正夫が戦前のポリドール専属時代に書いた歌を近江俊郎に託し、それがラジオ歌謡として採用された。昭和22年10月6日放送。
松坂直美が石川啄木の足跡を辿って北海道を旅行した時の思い出を書いた詩に、病臥中の橋本國彦が作曲した。昭和23年1月11日放送のラジオ歌謡。
恋人を病で失った八洲秀章が詠んだ「わが恋の如く悲しや桜貝かたひらのみのさみしくありて」を元歌とする、昭和24年7月4日放送のラジオ歌謡。
『さくら貝の歌』のヒットにより、急遽、横井弘が復員後に書いた詩に作曲したラジオ歌謡。昭和24年8月8日に作曲者自身の歌で放送された。
寺尾智沙・田村しげる夫妻が昭和24年に書いた『さよならと云ったら』を、ラジオ歌謡『白い花の咲く頃』として昭和25年5月8日に放送。
アイレンベルクの管弦楽曲『森の水車』をヒントに作曲、昭和17年9月に発売されたが、戦時にそぐわないとの理由で発売中止になった。昭和26年4月9日にラジオ歌謡として放送。
丘灯至夫(当時・十四夫)としては初めてのラジオ歌謡。『白い花の咲く頃』と同じく岡本敦郎の歌で、昭和28年5月25日に放送された。
デンツァ作曲の登山電車のコマーシャルソング『フニクリ フニクラ』を意識して作った丘・古関コンビのラジオ歌謡。岡本敦郎の歌で昭和32年6月24日に放送された。
仙台リビング新聞社 TEL.022−265−2511
彼とのコンビで数多くのヒット曲を書いた、同郷の詩人、丘灯至夫の
作詩家生活60年という記念すべき年でもあります。
そうした観点から、今年は年代ごとの代表作を選んでみました。