2歳児との暮らしつれづれ
2002年2月前半(2歳5〜6ヵ月)



2002年2月14日(2歳6ヵ月7日) オカアサン、わすれもの、シタ!
  育児サークルへ。家を出てしばらく歩いてから、忘れ物に気付き、のいを抱いて家まで猛ダッシュ。
  庭に出ていた近所の人が、のいに「どこ行ってきたの?」。のい「オカアサン、わすれもの、シタ!」
  きあああー、正直に答えるのは止めてくれー!!(泣) 恥ずかしかった。
  今日サークルではは、いくぶん機嫌良く、少しは踊った。砂場で友達を叩くことはしなかったが、車には執着して
  友達が乗っているのを横取り。フォークリフト(型の遊具)に乗りたいと泣きわめいたので連れ帰った。
  午後、公園に行ったら、小学校中学年の男の子たちが、公園の隅でコソコソ。
  のい はそれを見のがさず「おにいちゃーん」と走っていった。彼らの秘密基地を見学させてもらった。
  1から10まで正確にかぞえられるようになった。浴槽で覚えたらしい。



2002年2月13日(2歳6ヵ月6日) 冒険野郎はちょっとの隙に……
  昨日住宅の外階段を砂だらけにしてしまったので、のい と一緒に階段掃除。のいも箒やチリトリを持って。
  私がテキトーに済ませようとすると、チリトリを持った のい が隅の砂だまりを指摘してくるので、
  手が抜けなかった。おかげで、見違えるように綺麗になった。
  昼過ぎ、隣の史蹟に、いつもの公園姉妹+母の姿が見えたので、のい と一緒に出ていったら、
  のい が姉の持っているリュックを欲しがって暴れた。「じゃあ、お母さんが のい のをとってくるよ」と
  相手の母に のい を頼んで、直線距離で20mほどの自宅に戻ったのが間違いだった。
  たった3分ほどの隙に、のい が石段脇を滑り下りるのに失敗して落ち、鼻の下を擦りむいてしまったのだ。
  女の子ばかりの母親には、のい の暴れぶりは予想もつかなかったとみえる。
  本人はちょっと泣いただけで、泥で薄黒くなった顔のまま、また元気に次の遊びを始めていたので
  大したことはなかったと分かったが、もし頭から落ちていれば大変なことになっていたかも。
  少しの時間でも、この暴れん坊を、プロ以外の他人に預けるのは不可能だ……と思った。
  夫以外の預け先を考えておかなくては……と予々思っていたが、のいの分別がつくまで、しばらくは無理だ。
  私が戻ってきた後も、のいは焼却炉の戸をイタズラして、指先の皮を剥き、手を血だらけにした。
  夕方、三輪車で散歩。お隣の犬2匹と会った。のい は、小さい方の老犬の手綱を持たせてもらった。
  フサフサの毛を撫でて、抱き寄せては「なに、なーに?」などと話しかけていた。
  大きい方の犬・マルちゃん(ラブラドール系の雑種?)にも、首っ玉に抱きついてスキスキ♪ していた。
  飼い主のおじちゃん すら「マルの顔は大きいけん、近寄ると気色わりい」と言っているのに。
  見ているこちらがハラハラしたが、マルちゃんも、のいには尻尾を振って喜んでいる様子だった。
  「おじちゃん、なにしてるの?」などと、他人にも分かる日本語を、ハッキリしゃべるようになった。



2002年2月12日(2歳6ヵ月5日) ギャルの大群/「ハイ」
  ちょうど三輪車で遊びに出ようとしたときに、夫宛の急ぎの郵便物が届いたので、
  そのまま徒歩5分の勤務先へ。構内に入るとギャルたちが、三輪車の のい を見て「かわいー」。
  急いで夫の研究室へ。私と手をつないでロビーを走る のい を見て、ギャルたちがまた「かわいー」。
  用事を済ませて、急いでギャルで溢れかえる構内から脱出。いつもの公園へ。
  着いたら、例によって、いつもの姉妹+母がいた。朝、焼いたばかりのクッキーをおすそわけ。
  遊びに夢中になっていたら、のい が、おもらし。パンツの替えを持って来なかったので帰ることに。
  家に着いたら、のいが機嫌良くしているのでつい、のい がオモラシしていたのを忘れてしまった。
  ドアの前でゆっくりしていたら、のいが三輪車ごとバックして階段を数段転落!
  幸いにも怪我はなかったが、油断大敵であった。
  夕方、眠そうなのに「昼寝しない!」と言い張って頑張っていた。こちらもつい喧嘩腰になっていたが、
  ふと気付いて、優しい声で「のいくん、ちょっとお昼寝して、また機嫌良く遊ぼうね」と言ってみたら、
  あっさり「ハイ」と言って(まるで『営業五原則』(バンバンバザール)の前振りの安達さんのよう)、
  自ら布団に入り、トントンと布団を軽く叩いてやっただけで、すぐに眠ってしまった。



2002年2月11日(2歳6ヵ月4日) 世間は祝日うちは平日
  世間では連休最終日の祝日であるが、この冬、インフルエンザが大流行している、ここ大分では、
  どこに出かけても感染の危険が有る。今日は夫には仕事(研究)に行ってもらい、
  私と のい は平常どおりの生活、つまりご近所ですごすことにした。
  思いついて、久々にクッキーを焼いてみた。ドイツではオーブンが使いやすかったため、気軽に焼いていたのに、
  帰国してからは全く焼いていなかった。手はじめに天板1枚分焼いたら、のい がペロッと食べてしまった。
  買い物帰りに公園へ。前に小綺麗な母子に会ったが、今日はその子と父親がいた。
  この公園に人気が少ないのをいいことに、父はゴルフの練習。
  とてもおとなしい男の子で、のい がワアワア言っていても、あまり乗って来ず、じーっとしていた。
  しばらくミニカーを借りて遊んでいたが、オモラシしたので帰宅した。
  家では、紙を指で細かく切り刻むのがブーム。お正月に見た、雪でもつくっているのか。
  段ボール箱を工夫して、機関車トーマスと客車のアニーなどもつくっており、どうやらハサミが欲しいらしい。
  「もうちょっとお兄ちゃんになったらね。おしっこを毎回トイレでできるようになったらね」と言っておく。
  だいぶ手先が器用になったが、ハサミを使うとなれば、今はまだ親がつききりにならざるをえないので。



2002年2月10日(2歳6ヵ月3日) 休憩
  たかが近所のスーパーに、夫と3人そろって行く羽目に。のい は両手に父母でご機嫌。
  近所の人にまで「マルショク、おかいもの、行くの」と宣伝していた。
  やはりお菓子を買ってもらわねば気が済まず、一つ選ぶとレジまでずっと自分で抱えている。
  (大抵フランかサラダせんべいあたり。幼児向け駄菓子は、今のところ、のい の視野外)
  帰りはやっぱり「公園、行くー」。砂場の縁にまず自分が腰掛け、お菓子を膝に乗せ
  「きゅーけー(休憩)。……おとーさん、おかーさん! きゅーけえー、すーるーのっ!」。
  一緒に砂場の縁に座れ、お菓子をここで食べるぞ、と言いたいわけだ。
  寒風吹くなか、親は震えながら食べているのに、のい だけ平気そうだった。なんでだ。
  大分新発売のムースポッキー抹茶味は、俺的には、いまひとつだったな。



2002年2月9日(2歳6ヵ月2日) 活発
  午前中、夫に のい を頼んで、街へ。エコエコプラザ(リサイクルセンター)に出品していた不用品の精算など。
  昼ご飯を用意するためダッシュで戻ってきたのに、のい は14時前まで、近所の小学生たちと遊び続けた。
  保育園組のきょうだいたちは、やはり各々のきょうだい同志で遊んで、外に出て来なかったらしい。
  のいは「いーっぱいアソンダー」と言いながら満面の笑みで帰ってきた。
  やはり のい は乱暴で、砂遊びにつきあってくれたお姉さんにまで、砂をかけて嫌がられたらしい。はああ。
  そして、家に入るなり「プリン、プリン!たべたーい」。プリンを一気にペロリと平らげ(こんなの初めて)、
  ご飯もガッついて食べ、半分ほど食べて満足したら、また遊び始めた。
  ヨーグルトゼリー(あかねグループ@仙台 を去るとき、高齢者配食のメニューから特別に教えてもらったもの)を
  つくったらばまたペロッと食べ、昼寝もせず、元気一杯「ソト、行くー」。
  またしても夫が、のいを公園に連れ出してくれた。「いーっぱいアソンダー」と言いながら、満面の笑みで再び帰宅。
  あまりの活動量の多さに夫はあきれていた。睡眠10時間だけでよく動くものだと。
  昼間、夫とたっぷり遊んだせいか、夜の寝かしつけには、のい自ら 私を指名してきた。久々である。



2002年2月8日(2歳6ヵ月1日) それでいいよだいじょうぶ/塩昆布
  昨日のことを思い出すだけで涙が出て来て、なかなか布団から出られず。鬱状態。
  ここ数年全くなかった肩こりが、突然、強烈に出てきた。
  「また叩くのでは」「泣かすのでは」と思うと、公園に行くのが恐い。
  昼前、3月上旬なみの陽気に誘われ、大分川べりまで散歩に出た。
  交通の激しいところを通るので、久々に乳母車にした。
  のい は、川べりについてもほとんど歩かず、結局、お弁当を食べただけ。食べることの要求だけは立派。
  途中、川べりの公営住宅に公園があるのを のい が見つけて遊びたがった。
  が、「のいは、すぐお友達を叩いたり、玩具を取り上げたりするから、行かない」と言って通り過ぎた。
  一昨日までだったら、何も気にせず、どしどし遊ばせていただろうが、今日は私の神経がもたないので。
  今日の のいは、飴を大きいまま飲み込んだり、梅干の種を飲み込んだりした。
  のい が昼寝している間に、昔買ってみた育児雑誌『プチタンファン』を開いてみた。
  買った当時は「何かクラーイ、この雑誌」と思っていたが、読んでいるうちに泣けてきた。
  育児に頑張っている人は「それでいいよ、だいじょうぶ」と、誰かに肯定されたいのだった。
  夜、実妹に電話したら気分が軽くなって、本格的に立ち直った。やっぱ姉妹ってアリガタイ。
  その後、のいが3日分のウンチを、3回に分けて見事に出し、絶好調に。
  調子に乗って、のい に、潮吹きの塩昆布 の俺的正しい食べ方を伝授。神妙に食べていた(笑)。
  のい は、塩昆布も梅干しもレモンも大好きで、どうやら味覚は私似らしい。
  私の一番好きな塩昆布、京都の伯母の炊いたもの などは、のい と争奪戦の様相である。やばい。
  夜、夫がドッジボール大のゴムボールをお土産に帰宅。寝室(家具一切なし)で3人で遊んだ。のい、大喜び。



2002年2月7日(2歳6ヵ月0日) もうダメ…だれか助けて
  育児サークルへ。会場に入るなり「すっぱいお菓子(→スナック菓子や煎餅のこと)食べるー」と大声でわめき、
  仕方なく口封じに、持ってきたスナック菓子の小袋を開け、「ひとつだけよ」と食べさせたが、
  今度は、袋ごと持っていたい!と暴れてきかない。他の子が欲しがるので、のいの服のポケットに袋を入れると、
  また怒る。手に持っていないと気が済まないらしい。
  お名前呼びの歌のときには元気良く返事が出来たが、あとは「踊らない!」「歌わない!」と活動の大方を拒否。
  せっかく当番のお母さんが、鬼の面や殻付き落花生など用意して、豆まきで遊べるようにしてくれていたのに、
  のい は私が面を被っただけで怒り、落花生もほとんど投げず。オヤツを食べるときだけ、嬉しそうにしていた。
  「ここ(サークルの会場)はお菓子を食べる場所だと思っているみたい」とぼやいたら、
  あるお母さんが「普段、お菓子を食べさせてないからやないの」と言った。何それ(怒)!むかーっ。
  案の定、のい は、スナック菓子の小袋を途中で「要らない」と放り、他の人にもらった煎餅を食べていた。
  私がつくって持っていった パリパリイリコ・マヨネーズ味 は好評を博していた。
  終了後の後片付けでは、のい はせっせと座布団を運んでいた。片づけは好きらしい。
  が、他の子が『きかんしゃトーマス』の玩具を抱えているのを見るや否や飛んでいって取り上げようとし、
  相手を泣かす寸前まで。引き剥がしたら、今度は のい が大泣き。
  外の砂場に出れば、置いてあった足蹴車のフォークリフトやショベルカーを巡って取り合い、力づくで取り上げる。
  スコップを持てば、自分の思う通りにならないと砂をかけたり、相手の頭を叩いて泣かす。
  その度に、相手と相手の親に謝り、こちらがヘトヘトになった。きつく言っても、のい本人は反省の色なし。
  ため息をついていたら、3歳児のお母さん(まだ若い)が、「のい くん、今、反抗期真っ盛りなのね。
  お菓子は、うちも、ここに来たとたんに欲しがる時期があったけど、いつの間にか分かるようになったから大丈夫」。
  また3人の子のお母さんが「私も、1人めは謝り通しだった。友達の髪を引っ張ったりで心配した」と慰めてくれた。
  慰められて元気が出たのもつかの間、また、のい がモノの取り合いで友達を叩いて泣かした。
  それを見た相手の姉(3歳児)が「のい くんは、イジワル!」と言い始めた。
  それにうなづく人は誰もいなかったけど、のい が“イジワル”に見えたことがショックでショックで。
  のい は結局、最後の最後まで砂場に居座り、やっとの思いで連れ帰った。
  のいの昼寝中に、こちらも立ち直り、夕方は公園の砂場や家の前で、のいと2人、面白く遊んだ。
  遊んでいたら、のいと歳の近い子たちを保育園に預けている母親が通りかかった。我々を見て、
  「いつもお母さんと二人。この近所には同じくらいの遊び相手がいないのね」と話しかけてきた。
  皆さんが保育園に預けてらっしゃるから、のいは、昼間遊ぶ相手がいなくて、私は苦労してるんですけど。
  ……と爆発しそうなのをグッと飲み込んで、「……保育園にお迎えの時間でしょ?」と返して、話を切った。
  立ち直っては、突き落とされ。立ち直っては、突き落とされ。
  夜、実家から電話があったので、今日の散々さをこぼしたら、
  逆に「男の子はそういうものだ。アンタがもっと大らかになさい」と叱られてしまった。
  張り詰めていたのがぶち切れて、涙が止まらなくなってしまった。もう疲れた。勘弁して。誰か助けて。
  1日中、張り詰めては緩み、張り詰めては緩みを繰り返していた私の神経。かなり図太いとはいえ限界はある。
  夫が私の状況を理解してくれていることだけが、救いだった。



2002年2月6日(2歳5ヵ月29日) 自分で昼寝
  お昼前に砂場へ行くと、育児サークルで一緒の姉妹+母がいた。
  のい は、たまたま持ってきていたオヤツ、ドイツのグミベアをせっせと配った。
  犬の散歩のおばさん(その犬シロちゃんは子供嫌いだが)とも、すっかり顔なじみになった。
  昼食後、「眠くなったら寝なさいね」と布団を敷いておいてやったら、自分で布団に入って寝てしまった。
  これまでは、絵本を読んでやらないと絶対に眠らなかったのに。
  起きて、テレビを見ていたら、赤ちゃんの映像に反応して、
  のいが唐突に「Iちゃん(実妹の子)、会いたーいーねー」と言ったので、吃驚してしまった。



2002年2月5日(2歳5ヵ月28日) ポジティブ・シィンキング(笑)
  昨夜、本部屋の整理をしていたら、バブル崩壊直後に流行した、ミス・ミナコ・サイトウの切り抜きが出てきた。
  久々に読むと新鮮。吉祥寺パルコの催事場でたまたまやっていた講演会で本物を見たが、強烈に面白い人だった。
  忘れていた点で発見があって、元気が出た。母のパワーとか、人間は進化するために生まれてきたとか。
  (後日、彼女がこの3週間ほど前に、亡くなっていたことを知りました。びっくりしました。合掌)
  砂場に行ったら、小綺麗な親子がいた。砂場に、フェイクファーのコートにハイヒールのブーツで来るか。
  子供は、のいより半年下。互いに相手の持っているもので遊びたいのに、相手には譲らず、
  砂のかけあい。叩き合い。その親子は、近所に遊び相手が全然いないので、毎日、街の公園に通っているという。
  私たちが参加している育児サークルを紹介しておいた。
  今日は、初めて「ウンチ、でる」とはっきり言ってから、トイレでウンチできた。またまたうれしい。
  最近は、NHKおかあさんといっしょの「やんちゃるモンチャ」(→子猿)を自分だと思って観ている。そっくりだ。
  夜、段ボールの切れ端で遊んでいたが、突然それを両手に山盛りにして、私の所に持ってきて
  「ユキ!」と言って、放り投げていた。おもしろい。
  寝かし付けに絵本を読んでやっていたら、読んでいる途中で私が寝てしまった。
  私の声が途絶えたので、驚いて叫ぶ のい……「ママ!」。見かねて、夫が代わってくれた。申し訳なし。



2002年2月4日(2歳5ヵ月27日) 大好きな「ヒチゴ」
  朝9時40分から公園の砂場へ。のい が遊んでいる間、私は砂場の整備とゴミ拾い。
  貸切状態でたっぷり遊んで、休憩のオヤツを食べていたら、育児サークルで一緒の姉妹+母が来た。
  のい も姉妹も喜んでいるので、そのまま遊ばせた。そうしているうちに、先日の姉弟+母も来て、
  賑やかになった。のい は、疲れ果てるまで夢中で遊び、とうとうワカランチンになったのを
  ひきずって帰るはめに。帰宅したら13時。友達と遊ぶのはいいが、帰りに泣きわめかれるのには、うんざり。
  午後、食料の買い物に出た。自分の好きなもの(苺やお菓子)は「のいが持つ」と言ってきかない。
  大抵、途中で私が のい を抱いて歩くはめになるので、持ってもらっても私は全然楽にならない。
  しかし今日は珍しく、のい が小さな袋を3つも提げたまま、家まで頑張って歩き通した。
  ちょうど出て来られた大家さんの奥さんに「おーやしゃーん!」。駆け寄って「ヒチゴ!」と袋の苺を見せていた。
  そういえば、お菓子でも苺でも、食べられる状態にして皿などに出してやると、自分が食べる前に必ず、
  私や夫に「ハイ、ドーゾ」と言って配給してくれるのは、おもしろい。



2002年2月3日(2歳5ヵ月25日) 節分
  3人で駅裏へ散歩。これから再開発されるため寂れ切って何もない駅裏だ。グラウンドの陶器市を覗いたが出物はなし。
  のい は、陶器市に来た同じような親子連れに積極的に近づいていっては、はしゃいでいた。
  はしゃぎ疲れて、帰り道はダッコさせるわ泣き叫ぶわ、ワカランチンになって、こちらが疲れた。
  疲れているくせに、のい はなかなか昼寝をせず(逆に、私が激疲労していたので昼寝させてもらった)。
  節分だが豆まきはせず(幼児に豆は誤飲の危険有り)、巻き寿司(具は壬生菜柚子漬と卵焼)をつくって、
  吉方(今年は北北西)を向いて、切らずに食べた。のい も小さいサイズのを一生懸命食べていたが、
  巻き寿司を食べ終わったら、やっと眠気が襲ってきたらしく、夕食の途中で眠りこんでしまった。
  起きて食事の続きを無理矢理させ、風呂に入ったらまた元気に。夜の就寝がどんどん遅くなり、悪循環。



2002年2月2日(2歳5ヵ月25日) ジブン、ハーイ!
  雨のため、のい を外に出してやれず。午後は2時間半も昼寝をした。
  段ボール箱をつかって、せっせと「ラピート(若林広幸氏デザインの南海特急)」をつくっていた。
  風呂を沸かそうと浴室に行くと、のい が付いて来る。「ママ!」と呼ぶので「はーい?」と応えると、
  のい が「ジブン!…ハーイ!」だって。のい=自分 という概念が分かってきたか。
  ここ数日、のいは、寝かし付けの絵本読み役には、必ず夫を指名。ワタシは楽である。
  これ幸いと、隣でうつ伏せになって本を読んでいたら、のいが「ナニ考えてるーの?」だと。爆笑。
  叱り飛ばすときに、夫も私もときどき「何を考えてるんだ!」と言ってしまうからかなあ。
  夜中ものいはずっと夫にピトッ。ワタシには来ないトホホ。寝相が良い方に行くのは自然の成りゆきか。



2002年2月1日(2歳5ヵ月24日) 教えてくれて初ウンチ
  天気がいいので、また しまじろう と一緒に踏切へ。今日は写真をとった。
  抱いて歩いていると転びそうで危ないので、しまじろうは、のい の大好きなリュックへ。首だけ外に出して。
  ちょうど踏切横にソニックが来ていて、通学用の歩道橋に上がって、長々と眺めた。
  午後はまたしても、ぼーっ。ウンチが腹に溜まって相当憂鬱な様子。小さな身体に、大人並みの量だもの。
  夕方やっと、のいが自分で教えてトイレに行ったとき、小便ついでに初めて、
  私の目の前でウンチ@トイレに成功。うれしいー!!!
  夫の目の前での成功は、半分出かかっていたのをトイレに座らせて得たもの。教えてウンチはこれが初めて。
  出した後は、もうご機嫌で、帰宅した夫を相手に絶好調だった。



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