怪しい関係

「風早と柊って、ねんごろな関係なんでしょうか?」
「それはまた、随分と思い切ったことを言うな。一体、何があったんだ?」
忍人が不思議そうにそう問い返すと、千尋からは意外な答えが返って来た。
「実は、昼間、柊のお見舞いに行ったんですけど…」
途端に眉間に皺を寄せた忍人を見て、千尋は慌てて言い募った。
「一人で行った訳じゃありません。布都彦も一緒です。執務の合間に、気分転換を兼ねてちょっと様子を見に行っただけで…」
「まぁ、そのくらいなら良いことにしよう」
揃ってホッと肩で息をつくと、千尋は話を元に戻した。
「……で、お見舞いに行ったら、私達が部屋に踏み入るなり柊が悲鳴を上げたんです」
「まさか、その…」
訊きにくそうにする忍人に、千尋は平然とした顔で言った。
「その手の場面に遭遇した訳じゃありませんから、安心してください。着替えの最中だったらしいですけど、柊の裸も見てません」
あっさり懸念を払しょくされて、忍人はまた安堵の溜息を漏らしたのだった。

寝込んでいる柊の様子を千尋が見に行ったのは、急な事ことだった。執務の合間に気晴らしに外を眺めていて、布都彦の姿を見つけてふと思い立ったのだ。
柊のことが気になっても、見舞いに行きたいから付いて来てくれと言ったところで執務時間内では忍人が付いて来てくれるはずもなく、風早は柊の看病にほぼ付きっ切りなので、仕方なく帰る時にでも忍人に頼んでみようと思っていたのだが、布都彦が付いて来てくれるなら都合がいい。布都彦は恐らく断らないだろうし、彼を護衛にすればちょっとくらい出歩いても忍人に咎められることもない。
そこで千尋は、布都彦を呼び寄せて、一緒に柊の見舞いに向かったのだった。

「きゃ~っ、いや~っ、見ないでくださいっ!!」
千尋が部屋に足を踏み入れるなり、柊が裏返った声で悲鳴を上げた。
目を丸くして立ち尽くす千尋と布都彦の視線の先で、柊は手近なものを引っ被り、その姿を風早が自分の身体で更に隠している。
「お着替え中だったのですか?」
布都彦に問われて、風早はコクコクと頷いて見せる。
「ええ、随分と汗をかいていたものですから…」
そのため、柊は手袋も眼帯も全部外していた。そこへ千尋達が飛び込んで来たので、柊は悲鳴を上げて身を隠し、風早がすかさず庇ったのだ。
「ごめんね、いきなり入ったりして…」
「いいえ、私の方こそ御無礼を……なにぶん、この肌を人目に晒す訳には参らぬものですから…」
「人目にって、それ…風早の目には晒しても良いの?」
風早とて目隠しをして手探りで汗を拭っていた訳ではない。間違いなく、柊の肌を見たはずだ。
「はい、風早に見られる分には、もう今更ですので…」
そう答えた柊も、そして困ったような顔で微笑んでいた風早も、頑としてその理由を教えてはくれなかった。

「そしたら布都彦が、お二人はねんごろな御関係なのでしょうか、って真っ赤になっちゃって……忍人さんは、何か知りませんか?」
千尋は無邪気に訊くが、忍人は柊の悲鳴の下りからこっちずっと頭を抱えていた。それでも何とか答えを返す。
「とりあえず、ねんごろな仲ではないと思うが…。確かに奴はどんなに暑くても、襟元を寛げもしないな。以前、不思議に思って理由を尋ねてみもしたのだが…」
「柊は答えてくれましたか?」
「奴が素直に答えてくれると思っていた訳ではないのだが……私の肌が見たいだなんてそれは閨へのお誘いですか、と言われたので、殴り飛ばして話を終えた」
「要は上手いことはぐらかされたんですね」
「…………その通りだ。念を押さないでくれ」
忍人は面白くなさそうに肯定した。
「しかし、昔は皆で一緒に風呂に入っていたし、風早は今でも君の前ですら構わず平気でもろ肌脱ぐからな……羞恥の問題ではない気がする。二人がそういう関係だからという理由なら、風早だって恥を知るべきだろう」
「皆で一緒にお風呂って、忍人さんも一緒に入ってたんですか?」
「いや、俺は入門したての頃に一度だけだ。その時、羽張彦に肌の白さや線の細さをからかわれて、それ以来、誰かと一緒に入るのは避けて来た」
熊野では、一緒に入らないなら女と認定すると言われて仕方なく皆と共に温泉に浸かったものの、忍人は今でも人前で――それも、異性よりも寧ろ同性の前で――服を脱ぐのには抵抗がある。それは、からかわれる以外に、身の危険を感じるからでもあるのだが、敢えて口にするのはさすがに憚られた。
そう言えば、あの温泉でも柊はのらりくらりと言い抜けて足先しか湯に付けなかったな、と忍人は思い返した。星の巡りやら身体の具合やら一族の掟やらと、まぁ胡散臭いものと実しやかに聞こえるものを取り混ぜて、相手によって違う理由を言っていたらしい。忍人が聞いたのは「古傷に温泉の湯が沁みる」というものだった。
もしも、あれが単なる口実ではなかったのだとしたら、本当のところは湯が沁みるのではなく迂闊に人目には触れさせられないような古傷があるのだとしたら、彼等が慌てるのも無理はない。特に千尋には、知られることさえ忌避したくなって当然だ。それならば筋が通るが、千尋にそれを告げる訳にはいかなかった。

「ん~、やっぱり違うんですね」
「残念がってるように聞こえるのは、俺の気の所為だろうか?」
「気の所為じゃないですよ。だって、そういう関係だったなら納得がいくなって思ってましたから……違うとなると問題が解決出来ません。あっ、でも、そういう関係だったとしたら今度は別の問題が生じますね」
千尋は深刻な顔で何やら考え込む。そして、たっぷりと間を取った後に、ボソッと呟いた。
「もし二人がそういう関係だとしたら……どっちが女役なんだろう?」
深刻な顔で発せられた言葉に、忍人はガクッとなった。
「問題はそこなのか!?」
「それ以外に何の問題があるんですか?私と違って血脈を繋ぐ義務もないし、忍人さんみたいに一方的に関係を強要されるんでもなければ、誰にも迷惑掛からないじゃないですか。だったら、個人の嗜好は自由ですよ」
何もそんなに力説しなくても良いだろう、と忍人は深く溜息をついた。
「そりゃ、忍人さんの場合は、誰が相手であろうと忍人さんが女役で決まりですけど…」
「誰が相手でも…?」
「そうですよ。柊やアシュヴィンは勿論のこと、風早や遠夜だって絶対そうでしょう?それどころか、布都彦……ううん、那岐が相手でも、忍人さんが女役で決まりです」
「何故、そうなる!?」
やけに力説する千尋に、忍人は反射的にそう叫んだ。
「那岐にまで押し倒されて堪るか!」
「だったら、布都彦までなら構わない、と…?」
千尋にそう返されて、忍人は「うぅっ…」と身を引いてから応えた。
「実際には誰が相手だろうと御免だが、とりあえず、柊とアシュヴィンを相手にそういう目で見られるのは仕方がない。背も経験値も負けてるし…。風早と遠夜も体格的にそういう立場になるだろう。布都彦も、背は俺より大分低いが、力があるから捉まえられたら不利であることは否めない。しかし、いくら何でも那岐にまでは…。彼もあんなに華奢なのに、どうして俺が女役で決まりなんだ?」
自分が男役なら良いと言っている訳ではないが、そんな風に決めつけられては堪らない。そればかりは、例え千尋の妄想の世界だとしても納得がいかない。そう嘆く忍人に、千尋は平然と言って退けた。
「それは、忍人さんが、無自覚天然の誘い受けだからです」
未だに意味は確とは解らないが、それが柊による評価である以上、碌な意味ではないことは解る。それを千尋にまでこうもキッパリと言い切られると、かなりへこむ思いだ。これには忍人も、二の句が継げなかった。
すると千尋は、この件は片が付いたとばかりに、本題へと戻る。
「でも、あの二人の場合はどっちもありそうで見当つかないんですよ。忍人さんはどっちだと思いますか?」
「そんなこと……俺に訊かないでくれ」
卓子に沈み込む忍人の前で、千尋は楽しそうに妄想にふけった。
そんなことになっているとも知らずに千尋の部屋へとやって来た風早は、呑気に忍人に声を掛ける。
「あれ、どうしたんですか?千尋が楽しそうにしてるのに、忍人は何をそんなに沈んでるんでしょう?」
「聞かない方が幸せだと思うぞ」
風早は、忍人の忠告も聞かずに更に聞きたがる。
「夫婦だけの秘密ですか?そんな事言わずに教えてくださいよ」
そこで、忍人は半ば憐れむような目で風早を見ながら、しかし少しだけ意地の悪い気持ちも抱えて教えてやった。
「千尋は……お前と柊がねんごろな関係だとしたらどちらが女役なのか、と真剣に想像を巡らせているんだ」
「いや~っ、やめて~っ、そんなこと冗談でも考えないでくださいっ!!」
風早は、昼間の柊と同様に声を裏返らせて似たような悲鳴を上げた。
それを聞いて現実世界に舞い戻って来た千尋は、改めて風早を追求する。
「えっ、やっぱり違ったの?じゃあ、どうして柊は風早にしか肌を見せないのか教えてよ」
「……言えません。でも、とにかく今更なんです。それ以上は、絶対に話せません」
変な疑いをかけられて尚どうあっても口は割らないと言い張る風早に、千尋も忍人も無理矢理聞き出そうとまでは思わず、結局は疑念の晴れぬままとなったのであった。

-了-

《あとがき》

千尋が明け方に汗ばんで水浴びに行っちゃうような気候の中でも結構厚地に見える服であんなに全身覆いまくっている柊は、絶対に人前で肌を晒すまいとしてるよね、ってことで…。
恐らく、黒龍戦でズタボロになって、消えることのない爪痕やら大火傷の痕があるものと思われます。
でも、逃げ帰れたくらいだから、足はそこそこ無事。傷は負ったけど、痕は残ってるけど、戦で負ったのと変わらない程度なので足湯はOK。

黒龍のことを知ってるのは風早だけなので、手当や看病したのは必然的に風早ってことに…。
だから、病気になった時の着替えのお手伝いは風早の役目となるのですが……それって、他人の目からは、二人が怪しい関係に映りますよね、きっと(^_^;)
特に布都彦なんて慌てふためきそうな気がします。

傷のことは遠夜も知ってそうですが、千尋に心配かけたくないとか何とか言い包めれば口外しないことでしょう。
風早も遠夜も人じゃないから、柊は人目には触れさせてません。

尚、温泉云々については、「熊野温泉」をご参照願います。
また「数多の書」に、事の発端を同じくする柊千小話「傷跡」がこざいます。

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