傷跡

「柊、具合どう?ちょっとは、熱下がった?」
「きゃ~っ、いや~っ、見ないでくださいっ!!」
千尋が部屋に足を踏み入れるなり、柊が裏返った声で悲鳴を上げながら寝台の向こうへと転げ落ち、風早がその姿を隠すように両手を広げて間に立ち塞がる。
「えぇっと……何、今の悲鳴?」
目を丸くして立ち尽くす千尋の視線の先で、寝台の陰から手近な物を被きにした柊がちょっとだけ頭を覗かせた。
「お騒がせ致しまして申し訳ございません」
「確かにちょっと驚いたけど…」
その行動も然ることながら、声と台詞にもっと驚いた千尋だった。
「着替え中だったの?」
千尋に問われて、柊は被きの下でコクリと頷いて見せる。
「……はい。風早に汗を拭ってもらっていたところでした」
手袋も眼帯も全部外して全身を拭き清めてもらっていたところに千尋が飛び込んで来たので、柊は慌てて身を隠したのだ。
「お目汚しとなりますので、着替えが済むまで席を外してはいただけませんでしょうか?」
「えっ、恥ずかしがること無いじゃない。だって、私達、夫婦でしょう」
これが赤の他人なら、異性の前で肌を晒すことに抵抗を覚えるのも解るが、幾度となく愛し合った仲で今更恥ずかしがることなどないだろうと思う千尋だった。
「いいえ、このように見苦しい姿を我が君のお目に掛ける訳には参りません」
「見苦しい?実はガリガリで、肩パットやら何やらで体形誤魔化してたり……してたはずはないよね。だったら、いくら寝室が暗くても私に解らない訳ないもの。記憶によると、ちゃんと肉はついてたはず…。うん、胸板も薄くなんてなかったし、腕だって…」
「千尋……それ以上、言わないでください。俺はそんな話、聞きたくありません」
風早は泣きそうになりながら、千尋に懇願した。柊も、弱々しく重ねて願う。
「お願いですから、どうか着替えが済むまで前の間でお待ちくださいませ」
「解ったよ。そんなに嫌なら、前の間で待ってる」
千尋も、柊がこんなに嫌がってるのに無理強いするほど鬼ではない。相手が忍人なら、いつぞやの仕返しに見てやろうかと思わなくもないが、それも前の次元での話だ。
千尋が前の間へと引き上げてくれたのを確認して寝台の陰から上へと戻った柊は、風早に改めて汗を拭ってもらうと、着替えて掛布を肩まで引き上げて横になり、手袋も眼帯もしっかり装着してから千尋を呼び入れたのだった。

「ごめんね、いきなり入ったりして…」
「いいえ、私の方こそ御無礼を致しました」
熱の所為か羞恥の所為か頬を染める柊に、千尋は改めて問うた。
「でも、お目汚しとか見苦しいってどういうこと?」
「……言葉通りの意味です。とても、我が君にお見せ出来るような代物ではございません」
千尋の手が伸ばされるのを警戒するように、柊は掛布を強く握りしめている。
「そう言えば柊って、あの最中でも夜着の襟元を寛げもしないよね。私のことは、あっちもこっちも撫で回したり舐め回したりするくせに、私が手を伸ばすと退けたり避けたりするし…」
「千尋……お願いですから、俺の前でそういう生々しい話はしないでくださいってば!」
柊はゴソゴソと褥に潜って行き、風早は涙ぐんでいる。それでも構わず、千尋は続けた。
「もしかして……薄明かりの中でもはっきり解るくらい鮮やかに、背中に唐獅子牡丹の刺青でも入れられてるの?」
千尋の言葉に、風早と柊は目を丸くしてあんぐりと口を開けた。どこからそういう発想になるのだろう。
「違うの?てっきり、レヴァンタのところでそんな嫌がらせでもされたのかと思ったんだけど……だったら、昔遊び歩いてた時に、相手に一服盛られて、寝てる隙に名前でも彫られちゃった?」
「……遊び歩いてたのは否定しませんけど、私はそんなヘマは致しません」
「それなら……どうせ叶わぬ想いだとか思い詰めて、”我が君命”とか柊&千尋の相合傘を彫り込んじゃったとか…?」
「千尋…いい加減に、刺青から離れましょうよ」
風早が疲れたように言うと、千尋は明るく言い放った。
「あっ、刺青は無いんだ。だったら、温泉で入湯拒否される心配はないね。それなら今度、一緒に温泉旅行にでも行こうか。立場上、遠出は出来ないだろうけど、近場で何処か探して……そうだ、貸切混浴露天風呂のあるところが良いね」
「か…貸切混浴って……千尋…」
「それは、我が君と一緒に湯に浸かれとの仰せでしょうか?」
「そうだよ。それ以外に、貸切混浴の意味が何処にあるの。折角だから、背中の流しっこもする?何なら、他のところも隅々まで洗ってあげようか?」
「いや~っ、やめて~っ、それ以上聞かせないで~っ!!」
千尋が無邪気とも言える顔で言って退けると、ついに風早が先程の柊張りの裏返った声で悲鳴を上げて、耳を抑えて退散した。

「ふっ…邪魔者は消えたようね」
満足そうに微笑む千尋に、柊は恐る恐る顔を出すと問う。
「まさか、我が君…風早を追い出す為に温泉へのお誘いなどをされたのですか?」
「ううん、そんなつもりじゃなかったんだよ。結果オーライってトコかな。刺青無いなら温泉入れるなぁ、ってふと思って言っただけで……貸切混浴露天風呂も超本気。でも、今のままじゃ一緒に入ってなんかくれないよね」
柊は申し訳なさそうに小さく頷いた。
「ねぇ、柊。もしも、黒龍と戦った時の傷跡を気にしてるなら、私には隠さなくていいよ」
「我が君……何故、それを…?」
「忘れちゃった?私は、前の世界でそこの柊からいろんな話を聞いてるんだよ。姉様達と一緒に黒龍に挑んだことを話してくれた時、私は片目を失っただけで済みました、なんて自嘲してたけど……片目だけしか傷付かなかったなんてはずがないよね」
「我が君…」
図星を突かれて柊は押し黙った。
「気にするななんて言っても無駄だってことは解ってるつもりだよ。だって、私がそうだったもん。風早達が何て言ってくれようとも、異形だの出来損ないだのって言われるの、すっごく気にしてた。だから、見せたくないのに無理に見せろだなんて言わない。でも、それならそれで、ちゃんと理由を話して欲しいの。理由も解らずに、この先ずっと着替えも手伝えない温泉にも行けないなんて、そんなの嫌なんだ」
すると、柊は掛布をずらして、夜着の袷をそっと開いた。その胸元から、袈裟懸けに深い爪痕と火傷の痕が延びている。
「この傷は、腰まで続いています。他にも、似たような傷跡が…」
「この火傷も黒龍が…?」
「いいえ、これは自分でやりました」
無惨な傷跡を見ても顔色を変えなかった千尋が、さすがにこれには眉根を寄せた。それでも、柊に話の先を促す。
「この目は光を失いましたが、爪が掠めただけでしたので、傷自体は然程深くはありませんでした。ですが、こちらは……深く切り裂かれていて、早急に出血を止めなくては命に係わる程でした。私は羽張彦と一ノ姫を残して脱出した後、必死に火を起こして手持ちの武器を焼き、無我夢中で傷口に押し当てました。気が付いた時には、手も赤く膨れておりましたが、元より私の武器は手袋を嵌めて扱うもの……その痕を隠すにも然して苦労は致しませんでした。そうして這う這うの体で中つ国に帰り着いた後は、風早が密かに手厚く看護してくれて…」
柊が淡々と語っていると、千尋はその身にそっと手を伸ばす。
「我が君…何をなさっておいでですか?」
伸ばされた手が慈しむように傷跡をなぞるのかと思った柊の目の前で、千尋はまず掌でさわさわとそれを触れ回した。更には、そっと指先で艶やかに撫で上げる。柊がビクリと反応したのを見て、何やら納得したように頷く。
「触っても痛まないみたいだけど、感覚はあるんだね。引き攣れて辛いことはないの?」
「痛むことは時折ございますが、もう慣れてしまいました。辛いと言う程のことはございません」
柊が正直答えると、千尋は続けて問う。
「水やお湯が沁みたりとかはしない?」
「はい、そのようなことはございませんが…」
柊は質問の千尋の意図が掴めぬまま、素直に答えを返した。すると、千尋は満面の笑みを浮かべて弾んだ声で言った。
「それじゃあ、元気になったら絶対に温泉行こうね。勿論、貸切混浴露天風呂のあるところ!」

-了-

《あとがき》

過去捏造と言うか、千尋が朝っぱらから水浴びに行っちゃうような気候の土地であそこまで着込んでいる柊は、肌を晒せない理由があるんだろうなってお話です。
風早や那岐もそこそこ着込んでますが、風早は暑ければ平気でもろ肌脱ぎそうだし、那岐は涼しいところを見つけてお昼寝してる気がします。

千尋には、下手な慰めは言わせないことにしました。
こういうのは誰に何を言われてもダメだと思うんですよ。本人が醜いとか罪の証とか思ってる限り、どうしようもないでしょう。
なので、男前な神子様は事実をあるがままに受け止めた上で、先のことだけ考えております。

微妙に大人の世界な表現を含んでますが、今どき小学生でももっと凄いの読んでるみたいなんで、注意書きなんてしなくてもこの程度なら問題ないでしょう(^_^;)

尚、「忍人の書」に、事の発端を同じくする忍千小話「怪しい関係」がございます。

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