君という存在

「狭井君ったら、本っ当に頭来ちゃう!」
部屋へ戻るなり女王の仮面を完全に脱ぎ捨てて叫んだ千尋に、忍人は面食らった。
「な…何があったんだ?」
そこで千尋は、昼間の狭井君の発言を言って聞かせた。

「陛下は、唯一人の王族であられます。お子様が宮様御一人では心もとのうございます故、一日も早く御世継ぎの姫を御産みくださいませ。そして、ゆくゆくは御一人でも多くの姫君を御産みいただきとうございます」

「……って、何で姫限定!?そりゃ、女王の方が尊ばれるから世継ぎの姫くらいはまだ解るけど、他の姫は結局お嫁に出されちゃうんでしょう?降嫁させて足元固めるのに使おうって訳?ふざけんじゃないわよ、子供は道具で、私は繁殖牝馬かっての!」
「さしずめ、俺は種馬か。まぁ、確かに大抵の者は、王婿なんてものはその為の存在だと思っているだろうな」
「忍人さん!」
千尋に怒鳴られ睨まれて、忍人は軽く身を引きながら続ける。
「俺達がどう思っていようと、大勢がそう考えていることは否定出来ないだろう。昔は俺もそう考えていた一人だ。さすがに、女王を繁殖牝馬だと思ったことはないが、子とは血脈を繋ぎ縁を結んで国や族を繁栄させる為の存在で、妻とはそれを生み出す為の存在だと思っていた。もっとも、もしも今、目の前にあの頃の自分が居てそんなことを言ったら、風早が百叩きにして川に放り込む前に、俺が一発殴り飛ばして懇々と説教しているところだがな」
途端に、千尋がポカンと口を開けた。
「どうした?」
訝しむ忍人に、千尋は我に返って確認するように問う。
「あの簀巻きにして川にドボンって、それだったんですか?だったら、それ、私のことと暗示させるように言ったとか…?」
「暗示どころか……千尋が母君から冷たくされて可愛そうだ、と愚痴った風早の相手をしていた時に言ったのがそれだ」
千尋から向けられた問うような視線に、「あまり思い出したくはないのだが…」と零しながら、忍人は淡々と当時のことを語り出した。

「今日は、一ノ姫のお部屋で絵巻物を見せてもらってたんです。そうしたら、先触れもなく陛下がいらして、采女に命じて千尋を部屋の外へ放り出してしまわれました」
あんまりだとは思いませんか、と同意を求める風早に、忍人以外は慣れた調子で適当な言葉を返した。
「そうですか、そのようなことがあったのですか」
「それは、さぞ、二ノ姫はお辛かったことでしょう」
「一ノ姫の部屋か…俺も行ってみたいもんだな」
実のところ、こういう時の風早はただ話を聞いて欲しいだけなのである。だから、「そうか、そうか」と聞いてやればそれで済むことなのだ。しかし、これまでにも忍人は、真面目に反応して風早を怒らせては道臣から「ああいう時は、ただ相槌を打ってあげるのが正しい対処法なのです」と説明を受けているのだが、今もってそれがどういう時なのかの判断が出来ずに居た。
「陛下が先触れもなく直々に一ノ姫のお部屋を訪れたとなれば、さぞや急務かつ重要な用件だったのだろう。ならば、二ノ姫は場を外すのが当然だ。無論、幼い二ノ姫ご自身にそのような判断を求めるのは無理があるが……そこは侍従たる風早が、速やかに二ノ姫を連れ出すべきだったのではないのか?その役目を果たさずにおいて陛下の為さり様を非難するのは、責任転嫁というものだろう」
自分が一歩出遅れたりしなければとの思いがなくもなかった風早は、この発言に対しては怒り出したりしなかった。しかし、そもそも愚痴を零すのが主目的のようなものなので、押し黙ることもない。
「でもね、忍人。陛下はいつだって、そうやって千尋に冷たく当たるんです。今日だって、千尋に退出を命じるのではなく、害虫でも追い払うかように采女につまみ出させて……陛下は、女王であると同時に母親なんですよ。ちょっと髪の色が他の人と違うからって、幼い我が子に対して一時が万時そんな態度を取ることないじゃありませんか。そんな陛下に倣って周りの者達も千尋を侮蔑して、千尋付の采女までもが千尋を邪険に扱うんです。酷いとは思いませんか?」
「確かに、髪の色が周りと違うから、という理由で姫を蔑むのは良くないと思う」
忍人のその答えに、風早は満足そうだった。
「でしょう、でしょう?母親なら、もうちょっと千尋に優しくして欲しいですよね。ほんのちょっと笑いかけてくれるだけで良いのに……お忙しいのは解りますが、千尋はまだほんの子供なんですから……全然構ってもらえなくて、千尋はいつも本当に寂しい思いをしてるんです」
そこで忍人は首を傾げた。
「母親なら、もうちょっと優しく…?構ってもらえなくて寂しい…?一体、何を言っているのか理解に苦しむ」
心底訳が解らないと言った顔で首を捻る忍人に、風早は驚いた。
「えぇっ、だって今、忍人は俺の意見に賛同したじゃないですか!?」
すると、忍人は真面目な顔で答えた。
「二ノ姫に対する陛下の態度には些か問題がある、とは思う」
念を押すように言い置いてから、忍人は続ける。
「子とは血脈を繋ぎ縁を結んで国や族を繁栄させる為の存在だ。一ノ姫は次代の中つ国を背負い、二ノ姫はその助けとなる相手の元へと嫁ぐべき存在だろう?ならば、二ノ姫をあまりにも軽んじていては、その価値が下がり、肝心な時に何の役にも立たなくなってしまう」
姿形はどうであれ二ノ姫を王族として遇しているからには、いずれは政略結婚の駒として使うつもりなのだろう。ならば、表向きだけでも大切にしておかないと価値が下がる。それは反って国や陛下の損益となるではないか。
二ノ姫に関することで風早に意見してはいけない、と道臣に繰り返し言って聞かされても懲りずに何か言っては百叩きにされていた忍人であったが、この時は二ノ姫に対してというよりは女王や側近に対する意見のつもりであった。当時の状況や有りがちな風潮を考慮すれば、寧ろ忍人の意見は二ノ姫に好意的な方だろう。
しかし、風早の目の前で千尋を政略の駒扱いして無事で居られるはずもなく、
結局その発言はそれまで以上に風早の怒りを買うこととなったのだった。

「そんなことで風早は忍人さんを、百叩きにした挙句に簀巻きにして浮を付けて川に放り込んだんですか!?」
事情を聞いた千尋は目を丸く大きく見開き、あっさり肯定されると憤慨した。
「もうっ、風早の莫迦!私のこととなると何かとやり過ぎるのは知ってたけど……柊が以前、”お仕置き”じゃなくて”折檻”って言ってたのも無理ないわ」
すると忍人は、何を今更とでも言わんばかりの顔で平然と応える。
「ああ、風早のあれは殆ど八つ当たりだ。普段は陛下や采女や官人達が君を悪しざまに言うのを止められず、文句を言うことも出来ずに怒りを押さえ込んでいたからな。俺に対してはそれに類する言葉に過敏かつ過剰に反応して、体よく鬱憤を晴らしていたのだろう」
「……って、そこまで解っていながら、失言繰り返してたんですか。まさか、わざとじゃありませんよね、忍人さん?」
今度は忍人に呆れる千尋だった。
「そう言わないでくれ、千尋。最初の時こそ、千尋のことを卑屈とは何事ですか、と言ったものの、あとはもう風早は、千尋の悪口を言うなと何度言ったら解るんですか、としか言わなかったんだ。それでは、何が悪いのか、どうして悪いのか、など理解出来ると思うか?出来たのは、せいぜい、道臣の見解を参考に禁句と思しき言葉を記憶するくらいだ。おかげで、 似たような失言で何度も酷い目にあった」
忍人は、目を反らし、恥じるように口元に手を当てる。
今考えると、あの頃は随分と人の情に疎かったと思う。まったく……君や忍継と過ごす中で、反省することしきりだ」
忍人は苦笑してから、真面目な顔で続けた。
「君も忍継も、俺にとっては大切な存在であって、決して
道具や駒などではない。ただ、先程も言ったように、君達を道具や駒扱いする者は少なくはないだろう。立場を考えればそれも仕方のないことだと、俺は今でも理解出来る。一方で、目の前でそのような発言をする者が居たら、黙れと恫喝するか、それ以上言わせぬために殴り飛ばすくらいはするだろう。その後は、相手の考えを改めさせようというのではなく、せめて俺の思いや考えを心に留めてもらえるように精一杯言葉を尽くすつもりだ」
それを聞いて、千尋は忍人が言ったことを思い出した。
「だから、一発殴り飛ばして懇々と説教、なんですね?」
「ああ、怒りに任せて暴力に訴えたところで、根本的には何ら解決されないからな」
確かに風早の行為は、当時は単に忍人の口を封じるだけでしかなかった。今となれば良い反面教師となったと言えなくもないが、それも今のような千尋との日々があってこそのものだ。
そこで千尋は、驚愕と脱力と悟りが綯交ぜになった複雑な顔でしみじみと言うのだった。
「普段は口下手な忍人さんが、どうして説教の時だけ饒舌なのか、よく解った気がします」

-了-

《あとがき》

千早ちゃんが生まれるよりかなり前のお話です。
忍継くんが生まれた後、なかなか次の子が出来ないので、狭井君から「早く姫を…」と言われた千尋。普段から面と向かってそんなことを言うのはこの人くらいでしょう。圧力抜きで、「千尋似の女の子も見てみたい(or 欲しい)」とか言いそうな人は何人か居そうですが…。

タイトルの”君”は千尋であり忍継であり、まだ見ぬ子供達でもあります。
彼女達を一纏めにしてではなく一人一人を指しているので、”君達”ではなく”君”としました。

尚、昔の忍人さんの”子”に対する考え方は、「迷妄」から引っ張って来ました。
百叩きや簀巻きについては「逆鱗」の流れを汲んでいます。

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