栄冠は誰の手に

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第4試合は、岩長姫・忍人・アシュヴィンが出走した。拾った木簡の記述は、酒・柊愛用の眼帯・氷だった。迷うことなく岩長姫はそのままゴールし、木簡と腰に付けた酒を道臣の前に付き出す。
「はい、師君の1着決定です」
文句のつけようなどなかったが、邸や酒蔵どころか席に戻ることもなく走って来たと思ったら酒を携帯していた師に、心の中で深い溜息を付いた道臣だった。
「サティ、氷を出してくれ」
「良かろう」
ナーサティヤは炎を生み出すと、それを凝らせた。あっさり氷を手に入れたアシュヴィンは、程なく2着が決定する。
一人難儀したのが、忍人だった。これまでの試合を見ていて、この競技は木簡に記されたものを如何に都合よく拡大解釈して審判を納得させるかが重要なのだと知った。『眼帯』だけなら適当な布で自分の片目を覆えば済むし、そこに”柊の”が付いていても近くの柊の木から葉でも取ってそこに張り付ければ道臣は納得してくれるだろう。 しかし、”愛用”の二文字が付いていては柊の協力無くして課題を達成出来そうにない。
千尋に相談してみたが、柊に協力させる以外の方法は千尋にも思いつかなかった。ならば千尋が頼みに行けば、とも考えたのだが、誰が出走者なのか知っている以上、それも難しかった。柊はここぞとばかりに競技規則を利用して、千尋の頼みを断れない弱みに付け込んで脅しをかけた、とでも言い出しかねない。
「私に考えがあります。忍人さんは、柊の元へ行ってください。貸してくれれば儲けもの。ダメでも、何言われても食い下がって、我慢して……とにかく時間を稼いでください」
そう言われて渋々と柊の元へと赴いた忍人だったが、案の定、既に着順が決まっているにも拘らず、柊は協力を拒んだ。
「眼帯を貸して欲しい」
「嫌です」
「では、一緒に来てくれ」
「お断りします」
忍人と柊の遣り取りを見ていた布都彦が、感心したように呟く。
「成程…これが御二方の仰っていた”貸し渋り”なのですね」
騙されるな、布都彦。これは”貸し渋り”ではなく”嫌がらせ”と言うんだ。
忍人は心の中でそう毒づいたが、ここで癇癪を起こして殴り飛ばそうものなら失格だ。着順2位まで決定された現在の合計得点は、白140点、黒135点、紅140点である。たかが5点、されど5点。今の黒組にとって、この5点は大変貴重だった。
それに、今日までに忍人は柊の挑発に乗らないよう千尋からよく言い含められていたのだ。

「いいですか、忍人さん。どの競技であろうと個人的には柊が運動能力で忍人さんに勝てない以上、きっと柊は別の形で忍人さんを潰しにかかると思います」
「潰しに……闇討ちということか?」
「いいえ、それをやったら私が黙ってませんし……忍人さん相手に闇討ちなんて、そんな危ない橋を柊が渡るはずがありません。それよりも、競技規則を利用して忍人さんを失格させようと、何かにつけて挑発して来ると思います。ですから、絶対に柊の挑発に乗らないでください。手を出すのは勿論のこと、発言にも細心の注意を払ってくださいね。いつもの調子で言い返したら、脅したの何のと難癖付けて来ますよ、きっと…」
対戦相手を威嚇したり脅したりしてはならない。師が弟子に、女王が臣下に負けを強要しないよう設けられた規則だが、何もそればかりに適用される訳ではないのだ。
「敵の挑発に乗らず、己の使命を全うすることは、戦場では大切なことですよね?」
「その通りだ」
「では、忍人さんが率先して、皆の前でその範を示してくださいね」
そう言ってニッコリ笑って千尋は釘を刺した。それこそ、今日に至るまで表現を変えて何度も繰り返し忍人の言質を取り続けた。

千尋との約束は守らなくてはならない。
競技規則上、力技で連れて行くことは出来ない。取引も禁止されているので、どうしたら協力してくれるのかを本人に訊く訳にもいかない。こんなことなら先程あんなにあっさりと足往を貸してやるんじゃなかった、と思っても後の祭りだし、今それを口にすれば反則負けに持ち込まれそうだ。他の者なら問題にならないような言動も、忍人が取れば柊は難癖つけて問題とするだろう。
「……柊殿、眼帯をお貸しいただくかゴールまでご同行くださいませ」
「物凄い棒読みになってますよ、忍人。それはそれで面白いですけど……だからと言って、協力する気にはなれませんね」
チッと舌打ちしそうになって、忍人はそれも踏み止まった。とにかく、柊に付け入る隙を与えてはいけない。既に、この借り物指定によって完全に付け入られているが、反則を取られるようなことだけはあってはならないと自分に言い聞かせる。
今の自分の任務は、柊の自由意思によって眼帯を差し出させるか同行させること、もしくは時間を稼ぐことだ。しかし、如何にして柊を翻意させるか、間を持たせるか、元々弁の立つ方ではない忍人にはこれはかなり難しかった。
「ふふふ…幾ら粘っても無駄ですよ。何しろ、この忍人の5点が入らなければ紅白同点優勝です。自分の不甲斐無さ故に棄権という不名誉な結果を残して、自軍のみが敗退し、屈辱に歪む忍人の顔が見られると思うと、たまらなく心が躍ります」
「……っ!」
身体を小刻みに震えさせながら、忍人は千尋の言い付けを守って、柊を睨み付けない為に目を閉じて必死に怒りを堪えた。
「ああ、その表情…堪りませんね」
楽しそうに笑う柊と耐え続ける忍人を見ていて、さすがにこれがただの嫌がらせだと気付いた布都彦が柊に協力を促したものの、そんなものはあっさり柊に一蹴された。遅ればせながら風早も柊を窘めたが、味方であるが故に許される強い口調をもってしても、柊を翻意させることは出来なかった。岩長姫はと言うと、忍人が何処までやれるか観察するような目で離れたところから見ているだけで、まったく口添えなどしてくれない。
千尋からは時間を稼ぐよう言われたが、いつまで俺はこうしていればいいのだろうか。挫けそうになりながらも、忍人の頭には任務放棄の選択肢だけは浮かばなかった。今は、援軍は必ず来ると信じて戦い抜くしかない。与えられた任務を果たす為、忍人は柊と、そして自分自身と戦い続けた。

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