急転

千尋は天鳥船の回廊でショボンとして立ち尽くしている遠夜を見つけた。
「どうしたの、遠夜?今にも泣きそうな顔してるよ。良かったら、何があったのか話してくれる?」
コクリと頷いて、遠夜は口火を切った。
「オレは…棺から出てはいけなかった?」

遠夜の話では、棺を脱ぎ捨ててからこれまでにあちこちで兵達から冷たい態度を取られているとのことだった。
目が合いかけると慌てて反らす。近寄ると逃げる。ずっと、そんなことが繰り返されているらしい。
無論、兵達が戸惑ったことは間違いないだろう。遠夜に好意的だった自分ですら、初めて遠夜の素顔を見た時には驚いたのだ。
千尋は最初からあれを衣装と認識していたが、風早に聞いたところ、土蜘蛛が人前に顔を晒すことは殆どなく、棺は衣装と言うよりは肌もしくは皮のように思われているらしい。ならば、この世界で生きて来た者達の驚きは、千尋の比ではなかったことだろう。
しかし、実際にそんな態度を取られる方は堪ったものではない。元々、傷付きやすい性格をしているようだから、遠夜が泣きたくなるのも無理はない。
「皆が皆、そんな風に冷たいの?」
千尋が聞くと、遠夜は首を横に振る。
「忍人は……優しくなった…」
「そ、そうなんだ……忍人さんは優しく…って、えぇっ!?」
それは大変不可解である。しかし、それなら忍人に相談してみようと、千尋は遠夜と共に忍人の元へと向かったのであった。

「……という訳なんですけど、どういうことなんでしょうか」
遠夜と二人で忍人の元へ押しかけると、千尋は問答無用で話題を遠夜のお悩み相談に持ち込んだ。
忍人は、少しばかり嫌な顔をしたものの、真面目に答えてくれた。
「察するに、彼らは遠夜の姿に戸惑い、見慣れて来ると今度は戸惑っていた間のことが気に病まれて、またぎこちない態度を取ってしまっているのだと思う。この様なことを言うと君は怒るかも知れないが……俺達にとって、土蜘蛛は道具や武器のようなものなんだ。それが、急に自分達と似たような姿を見せられて、しかも姫に気に入られて傍に付き従っているとなれば、どうしていいか解らなくなったとしても不思議ではない。あまり気にしないのが一番だとは思うのだが……」
そもそも、彼らは姫の傍近くに仕える者達に気安く話しかけられるような身分ではない。では、遠夜の方から話しかけられるかと言うと、言葉が通じない。今までは姫が携帯している道具として無視出来ていたが、棺から出た姿はあまりにも人と似過ぎていて無視するのが難しく、つい不自然な態度を取ってしまう。
そんな忍人の見解を聞いて、千尋は何処となく納得がいくような気がしなくもなかった。
「だが、いつまでもそんなことでは戦いにも支障を来しかねないからな。俺の方で何とかしてみよう。だから、そんなに深刻にならないでもらえると有り難い」
「あっ、助かります。そういうことだから、遠夜も元気出してね」
千尋はパッと顔を輝かせ、遠夜も小さく頷いた。

話は済んだとばかりに忍人は背を向けようとしたのだが、千尋も遠夜も物言いたげな目で不思議そうに忍人を見つめて、それを許さなかった。
「まだ、何かあるのか?」
渋々と忍人が問うと、千尋が言う。
「確かに、忍人さんは遠夜に優しくなりましたよね。以前は、物凄くきつく当たってたじゃないですか。土蜘蛛などさっさと追い出せ、とか言って……遠夜が近付くと、寄るな土蜘蛛、とか叫んで今にも斬りかかりそうな迫力で威嚇してたでしょう」
「……そうだったな」
忍人は気まずそうに目を反らした。
「でも、遠夜が棺から出て以来、そんなこと言わなくなりましたよね。それに今だって、こうして私が遠夜と二人っきりで来たのに、それについて何も言いませんでした。以前なら、土蜘蛛と二人きりになるなど一人歩きよりも危険だ、ってガミガミ言ってましたよ」
「…………すまなかった。だから、そんな目で俺を見ないでくれないか」
「えっ、私は別に……あっ、遠夜!」
千尋が振り返ると、かつての忍人の冷たい仕打ちを思い出してか、遠夜が泣きそうな顔をしていた。
忍人は深く息をつくと、跋の悪そうな顔で言った。
「俺は、そういう顔に弱いんだ」
「そういう顔、って遠夜みたいな顔ってことですか?」
「造作ではなく、その……捨て犬みたいな目でジッと見られると、あまり強い態度が取れない。覆面がなくなった所為で、ひたむきに君を慕っているのがよく解ったし、足往みたいな表情で縋るようにされるとどうにも調子が狂う」
――忍人さん……向こうの世界に居たら、捨て犬や捨て猫を拾いまくりですね
千尋は心の中でそう呟いてから、 遠夜に微笑みかけた。
「ふふふ……大丈夫だよ、遠夜。忍人さんはもう遠夜のことを苛めないって……寧ろ、とっても頼れる味方になってくれそうだよ。だから、安心して、これからもそうやってちゃんと顔を見せて居てね」

-了-

《あとがき》

棺から出た遠夜のお話。
無視か侮蔑の視線が、恐怖に変わったようで……でも実は、接し方が解らなくての戸惑ってるだけだったりするんですが、遠夜の方からすれば、やっぱり傷付きますよね。

健気な動物というものには、誰しもキュンとしてしまうのではないでしょうか。
忍人さんも、捨て犬のような目でジッと見られては冷たくあしらうことは出来ません。「忍人の書」の「土蜘蛛の薬湯」でも書いたように、この時点では足往はレヴァンタに囚われてますし、「守られるもの」で書いたように、あの保護者と下僕すら意地悪出来ないほど遠夜は健気な小動物なのでございます(*^_^ ;)

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