あなたの傍に

橿原宮の裏の森の奥、巨木の根元で柊が竹簡を紐解いていると、何者かが駆け寄る足音がする。
「柊、見~つけた」
顔を上げると千尋がパフッと抱きついて来た。
「これは、我が君。また、御一人で宮を抜け出していらしたのですか?お呼びいただければ、いつでも御許に馳せ参じましたものを…」
「何処に居るのか解らないんじゃ、呼びたくても呼べないよ。それにわざわざ呼ぶより、私が探しに来た方が早く会えるもの」
「だからと言って、このように一人歩きなど感心出来ませんね。もし私の知らぬ間に姫に何かあったらと思うと……御身を心配するあまりに、この胸が張り裂けてしまいそうです」
「もうっ、柊まで忍人さんみたいなこと言わないでよ」
「私もそのようなことは申し上げたくありませんが……例えご無事であっても、私ごときの為に姫が忍人に叱られるようなことがあっては心が痛んでなりません」
「ああ、それは心配しなくても大丈夫。叱られないように、最初から忍人さんに付いて来てもらったから」
「はぁ?」
呆気にとられた柊が千尋の来た方向を見遣ると、そこには忍人が立っていた。
「そういうことだ。わざわざ人を使って呼ぶから何事かと思えば、柊を探しに行くから付き合って、と言われた」
「だって、一人歩きするくらいならいつでも呼びつけろ、って言ったの忍人さんじゃないですか。今までは、そんなことしていいのかなって遠慮してましたけど、柊も風早もそうした方が良いって言うから今日は思い切って呼んでみたんです。本当は嫌だったんですか?」
「嫌とは言ってないだろう。これも仕事だし、勝手にフラフラされるよりはよっぼどマシだ」
ただ、目的が柊探しだと言うのが少々気に喰わない忍人だった。
「じゃあ、また呼んでもいいんですね?」
「好きにしろ」
忍人から許可が出て、千尋は嬉しそうに笑う。
「とにかく、柊は見つかったのだから、俺はもう戻る。柊、後はお前が護衛しろ」
忍人は、そう言い置いて踵を返した。すると、追うように柊が答える。
「言われずとも、姫は私がしっかりお守り致します。ですから、あなたは心置きなく仕事に励んでください。それで過労死したとしても同情なんて致しません。あなたの葬儀で友人代表として空々しい弔辞を読み、故人を偲ぶ際には有りもしないことを実しやかに語り、この国に鈍感で朴念仁のツンデレな仕事バカの将軍が居たことを末代までの語り草にして差し上げますから、どうぞご安心を…」
去りかけた忍人の足が止まった。そして、振り返って怒鳴る。
「安心など出来るか!?それでは、死んでも死に切れん!絶対に、お前より先にくたばって堪るかっ!!」
「ええ、そうでしょうとも。では、くれぐれもご自愛ください。私は姫のお許しがあるまで絶対に死ねませんから……かなり長生きしますよ」
グッと言葉に詰まって、忍人は悔しそうに顔を背けると、物凄い勢いで駆け去った。

瞬く間に小さくなっていく忍人の背を見遣って、柊がクスクスと笑っていた。
「柊って、忍人さんに対しては物凄い苛めっ子だよね。本当は忍人さんの身体を心配してるくせに、素直じゃないんだから…」
「ええ、楽しいものですから、つい…」
そんな柊を見ていると、千尋も何だか楽しくて、つい忍人を庇うことなく2人の遣り取りを眺めてしまう自分を顧みる。
「確かに、忍人さんって普段は仏頂面しかしないのに、柊が相手の時は表情豊かだもんね。ちょっと妬けちゃうかも…」
「おや、妬けるとは…どちらに?」
興味深げに問う柊に、千尋はあっさりと言い切る。
「勿論、柊と忍人さんの両方にだよ」
これには柊も目を丸くした。
「だって、忍人さんをからかってる時の柊って、本当に楽しそうなんだもん。忍人さんだって……今の忍人さんは私の前じゃ澄ました顔ばっかりなのに、柊の前ではコロコロ表情変えるし…。お互い、私には見せないような顔するなんて狡いよね」
「狡いと仰られましても……私は姫と居る時が一番幸せなのですが…」
柊はちょっと困ったように笑った。
「うん、知ってる。忍人さんと居る時の方が幸せに見えたりしたら、私は今ここには居ないもの」
「その時は、何処かに行かれるおつもりですか?」
「それも良いかもね。そんな浮気者の柊は捨てて、私だけを見てくれる柊を探しに行くのも悪くないかも知れないって思うよ」
さすがに慌てる柊を見て、千尋は楽しそうに笑った。
「ふふ…、柊でも焦ることってあるんだ。いつも、笑ってるか大げさな表情作ってるかだから、そういう顔ってなかなか新鮮だね」
「…からかったのですか、我が君?」
まるで忍人が照れてる時のような表情で、柊は自分の顔を覗き込むようにして笑っている千尋を見つめる。
「さぁ、どうかな?少しは本気かも知れないよ」
「我が君も、お人が悪くていらっしゃいますね。姫を失っては私には生きる意味などないと御存じでおいでのはずですのに…。どうか、私をお傍に置いてください。私はいつ如何なる時も、姫と共に在りたいのです」
「だったら、ちゃんと傍に居てよ。そんなこと言いながら、こうやって竹簡持ってフラフラと何処か行っちゃって…」
縋りつくような目をする柊に、千尋はちょっと不機嫌そうな顔をして見せ、それから堪えきれずに笑い出す。
「あはは…はははは…今の柊の顔、捨て犬みたい。段ボール箱の中からこっち見て、拾ってくださいって訴えてるよ。ははは…やだ、もう…おっかしい。ポチとか名前付けて連れ帰りたくなっちゃうくらい可愛いよ」
笑い転げる千尋の前で、柊はボソッと呟いた。
「…ポチでも良いです」
「えっ?」
呟きを耳にして笑い止んだ千尋に、柊は請い願う。
「姫に拾っていただけるのでしたら、ポチでも何でも構いません。ですから、我が君……どうか、この躾の行き届かぬ迷い犬を連れ帰ってはいただけませんでしょうか?」
勿論、千尋に否やは無かったのだった。

-了-

《あとがき》

苛めっ子で下僕の柊(^_^;)
声が元祖”青の忠犬”の三木さんな所為か、犬に見えることのある柊でありました。
尚、「姫のお許しがあるまで絶対に死ねません」は「願い」からの流れを汲んでいます。
忍人さんがタメ口きいてるのは「新たな伝承」で一緒に旅をしているから…。

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