家族、主に私の家族が殺されました。村全体で13人が殺された。その家が私の家です。
9才位の時、当時川があって、川の向こうに洞窟があって、ひとつは遠くにあった。入れるが、狭くて細長い。
当時、日本軍がよく来るから、この村の人たちは、昼になると洞窟に逃げ込むのです。夜になったらまた家に帰って、寝るのですけれども。当時、洞窟の中では食べ物も無いし、お腹がよく空きました。泣くことも、例えばお腹が空いたら泣くこともできなかったのです。泣いたら日本軍に見つかり、見つかったら殺される心配があって、そのようにしました。当時、お祖母さんが70才位、お母さんが50才位でした。お婆さんとお母さんと私と3人は、食料を入れるところ、倉庫ですね、その後ろにいた。
ある日のこと、日本軍がパトロールしてきたと思います。けれども、当時はまだ子どもだからはっきり人数を覚えていないのです。確かに、村の人がたくさん中に逃げ込んだ。だから、他の家の子どもが泣き出して、日本軍に見つかって、出てこいと言われて、みんな追い出されたんです。出てもお腹空いたとは言えないし、何とも言えなかった。出てこいと言われて出てみたら、全部女性と子どもばかりです。お祖母さんは年寄りだから先に言いました。「私はもうこの年だから、出ても死ぬことに決まっているから出ないことにします。」と。お母さんもそのように言いました。それで3人が、やっぱり、死ぬならいっしょに中で死んでしまおうと誓いました。
私たちはみんな出ました。日が暮れるころですので、日本軍がのぞいても見つからなかったのです。それで日本軍が棒で探した。中は暗いからマッチで火をつけようと思っても、なかなかつかなかったのです。そんなことを日本軍がやっているうちに、他の人たちは全部遠くまで出た。遠くまで逃げた人たちを見て、それはみんな女性と子どもばかりで、日本軍は、たとえば連れて帰っても何も役に立たないと思って、鉄砲を出して銃殺しました。発砲しました。稲刈りのような感じで一人ひとり、鉄砲が当たったら倒れました。
お母さんを殺された子ども、14才位の子どもがいまして、その子は立ち上がりまして、お母さん、お母さんと叫んだ。それで日本軍がその子を見て、また発砲してその子を殺した。
夜中になって日本軍がみな帰った。ちょうどその時、4、5人が羊を追いかけながら、上の方から降りてきて、日本軍と彼らが一緒にここを離れたんです。
それから、村の人だけが洞窟の中にかき分けて近づいてみたのです。中に一人が、知り合いの叔母さんですけれども、お腹を銃剣で裂かれて、腸が外に出ていた。それで、私のお母さんが自分の服でそれを包んで、村まで運んできた。この時、その人の夫ですね、山の上に逃げていたのですが、帰ってきてそれを見て、他の人みんなに叫んだ。「しばらくして日本軍が来るから、食べ物を捜しに来るから、今のうちに逃げた方がいい。」と言うので、また逃げ出しました。今その男の人は生きている。
日本軍は日が暮れると、また山の上から降りて、何か食べ物を捜しに来るのです。家に帰ったら、洞窟へはもう行きません。洞窟は日本軍が向かっているから、逃げれないです。
家に帰ったら、お祖父さん、体が悪くて逃げなかったんですが、帰ってみたら家が焼かれて、灰ばかりになっている。それで、棒で灰を払ってみたら、ひとつ何かあった。何かと思ってお母さんに「これ何ですか」と聞いたら、「お祖父さんの腕です」と言って。それでお祖父さんの足と腕を外に出して、その日の夜は自分の家に寝ました。