会報1997年6月 報告とお願い
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温州の部

興隆県の部

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温州の部 -------------------

芳庄中学へミシンの寄贈 35台

 ボランティア貯金配分金45万円でミシンを現地で購入し、4月7日温州の山地の学校、瑞安市湖嶺区芳庄中学校に寄贈することができました。ミシンの種類は、先方の希望で次の通りです。

 普通動力ミシン 20台
 多機能ミシン   5台
 高速ミシン   10台

 贈呈式の後、午後いっぱい先生たちと懇談しました。日本の家庭科教育、職業教育について聞きたいとの事前連絡を受けていましたので、

  M.S  「日本の家庭科教育の推移」
  R.U  「中学校の家庭科教育・技術教育の問題点」
  N.I  「高等学校の男女共学の問題点」
  Y.I  「日本の高校職業教育の問題点」
  F.H  「通信教育の現状」

などを報告して、質疑を受けました。中国では家庭科という教科はまだありません。芳庄中学では労働科で飼育などをしているとのこと、職業教育の体系もまだたっていません。先生たちの関心は職業教育に集中しました。少数の高校進学以外は、こどもたちを無防備のまま社会に放り出している現状を何とかしたい痛切な思いは良く判りました。

 この学校は生徒数506人、みなさまのカンパでできた温州山地教育振興基金会から、助学金(年400元)をもらっているもの50余人。関東大震災の時の犠牲者の集中した村のひとつです。学校の中の選挙でなったという校長は29歳、大変好奇心旺盛な積極的な飾らない人でした。教員は29人。

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中学・高校の家庭科の先生4人奮闘の巻

 主たる授業者T.Iさんには、ベテラン通訳菫さんがつきました。

 2年生女子43人にスカートの製作を通して、洋裁の基礎とミシンの使い方を教えます。事前に中国語でテキストを作っておいたことは有効でした。説明は一斉授業、作業は分散指導。教室が狭いので、2教室に分かれて作業をすすめます。通訳のいないところは、いつのまにか、先生は一生懸命日本語で説明していました。すると生徒は「はい」と言って納得しているのですから不思議です。採寸、型紙のとり方、裁断、ダーツ縫い、後スカートの中心の縫い合わせ。1日目は順調でした。2日目はファスナーつけ、脇縫い、ベルトつけ、裾の始末、仕上げ。昨日よりうんとむづかしくなりました。やり直しが続出します。先生たちは家庭科もそうでない人もフル回転です。「休み時間をとりましょうか?」「不要プヤオ!」と一斉に声がはね返ります。昼休み以外は休み時間なしでがんばりました。今度は日本の先生たちが、昼ごはんを食べないと言い出しました。ミシンが不調なので、午後生徒がすぐ使えるように点検しておくというのです。どうぞごはんだけは食べに行ってくださいと教育委員会のひとにいわれました。ごはんは車で15分ほど離れた鎮まで食べに行くのです。帰ってみると、ミシンの調子は直っていました。村の家内工場から、数人の助っ人がかけつけて調子を良くしてくれたのでした。午後生徒たちは完成に向けてがんばりました。出来上がらなければどうしようと不安が先生たちのこころによぎりはじめた午後3時、1番目の完成者が出ました。みんな元気が出てがんばりつづけました。4時すぎには、全員完成。ひとりひとり自分の作った世界にただ1枚しかないスカートを穿いて、写真とビデオで記念撮影をしました。日本の中学生が3ヶ月かかる教材をまる2日で仕上げたのです。

 体育のIさんは、午後1時間この緊張の場を抜け出して、1年生の教室で、中国の体育の先生と一緒に生徒に「コロブチカ」を教えるという早業をやってのけました。
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団員の感想

    • 生徒代表の感謝の言葉は、私たちの気持ちを十分くみとってくれていてありがたく思うし、私たちの労をねぎらってくれた彼女たちの温かい心配りがとてもうれしかった。「再見」と握手して別れた彼女たちの手のぬくもりや、帰りのバスを小雨のなか道路の端に並んで手を振ってくれた顔がいつまでも熱く胸に残り、感謝の思いでいっぱいだった。(I)
    • 十分とは言えない教室の中。一斉に授業者を注目しているこどもたち。あの目の輝き。スカートの布地をしっかりと胸に抱き順番を待つ姿。だんだんと出来上がる様子に一喜一憂している姿。初めてミシンを使うこどもたちも飲み込みは早い、出来上がったときのうれしそうな顔。強引にひっぱっていった指導で疲れはしたが、喜びを分かち合い、充実した2日間を与えてくれたこどもたちに感謝する。(I)
    • 自然に囲まれて生活している人間に営みの原風景が温州にはありました。人間のふるさとに帰ったような3日間でした。スカート製作授業では、生徒たちのキラキラ輝く目と完成させたい意欲に圧倒され、完成の喜びを私たち指導者が共有できた感動は貴重な体験でした。言葉も通じない中国の生徒たちと2日間、悪戦苦闘の末、全員完成したとき、生徒たちと私たちの熱意が本当に一体になれたと実感しました。2日間の授業を終えてほっとバスの中でくつろぎながら、「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」を、中国の地で体験できたことの幸せをかみしめて宿舎に向かいました。(S)
    • 芳庄中学は、教室も不足し、用具類もなく、生徒がいて、教室と黒板、机、腰掛けがあるだけ、自然から学ぶ部分も大切ですが、教育に必要な教材、教具も必要でしょうと、何もないだけに痛切に感じました。寄宿舎の炊事場も日本では考えられないくらい何もない場所でした。蒸し器とかまどに取り付けた大きな鉄鍋、深めのアルミの弁当箱があるだけ、ここでは、一飯一菜です。地域全体が経済的にきびしいらしく、どんぶりを抱え、家の近くで食事をしているのをバスの上から見ると、みんなおかゆの上に炒めたらしい菜っぱがのっているだけ。生活が精一杯でこどもたちの教育費まで手がまわらないのだろうと思いました。(U)
    • 「オリンピックやその他各種大会での中国選手のすばらしい成績からいろいろと私なりに想像してまいりましたが、芳庄中学にはグランドをはじめ、体育施設はほとんどありませんでした。しかしいっしょにフォークダンスをしたときの、あのこどもたちの一生懸命な姿、習えなかったこどもたちがお互いに手を取りながら「一、二、三、四」と言いながら練習しているのを見たとき、次に機会があればゆっくり時間をとって多くのダンスやその他の種目なども教えてあげたいなと思いました。(H)
    • 家庭科に関しては全く無能な私は買ったばかりのビデオカメラを手に授業団とこどもたちの動きを追い続けた。
      温州の山のこどもたちの素朴さ素直さ、真剣さ、一生懸命日本語で説明する教師を取り囲んでうなずくこどもたち。2日間の授業の最後にこどもたちの示した感謝の言葉と表情。Iさんのもとに群がって握手を求め別れを惜しんだこどもたち。いずれも日本ではすでに過去のものとなった教育の場における師弟間の温かい交流として、授業団全員の忘れぬ思い出になることだろう。
    • 今感動から醒めて、あの生徒たちにとって今度の体験が将来の日本観、あるいは日本人観にどう影響するだろうかと考えている。(中略)温州のあのこどもたちのなかに、日本人に対する好意が芽生えたとしたなら、日本による侵略の歴史を学びつつなお民衆段階での日中友好の可能性を信じてもらえるなら、今回の授業団の行動は大いに意義があったと言えよう。(I)

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今後のこと

    1. 学校は、村の縫製の家内工業から2人、先生として指導に来てもらう契約が出来ている。
    2. 教育課程の問題は検討して新学年(9月)から。それまでは課外授業とする。
    3. 生徒が上手になれば、学校工場として運営する。村の家内工場の仕事をまわしてもらって教材費は自分たちでつくる。高校へ進学したいものは、ここで学費をつくる。
    4. 当面の教材費は、端安市教育委員会が出す。

 以上は、教育委員会、学校、温州山地教育振興基金会、当会で話し合ったことです。

女性の自立のための職業センターとして
 今、当会では将来的にこの学校工場を、村の女性たちの自立のための職業センターとして育成していくことを考えています。現在中2にこどもたちが核になって作っていくことは可能であろうと思われます。それまで今回の授業団を中心にあの村とつきあい、こどもたちをただの「縫い子」にしないために、創造的に仕事に取り組めるような洋裁の基礎を学習するための援助をすることを考えていますが、みなさまも力をお貸しください。

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五鳳中学の寄宿舎落成にキーボードを寄贈

 外務省小規模無償援助資金(600万円)で1995年夏竣工した寄宿舎は、岡の上に村一番の建物として美しく建っています。竣工式の時は、何が要るか聞いてからということで何も記念品をさしあげませんでした。校長が遠慮しながら楽器がほしいと言われましたから、今回ヤマハのキーボードを持参しました。音楽の先生に弾いてもらいました。音楽の先生は弾きながら、下を向いて、「シェシェ、シェシェ」とつぶやいていました。

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五鳳中学の炊事場改築、食堂建設はじまる

 この寄宿舎は水洗トイレ、シャワールーム、洗濯室、学習室、医務室付のよいものです。水源が高いので水は豊富なところです。こどもたちは一番良いものを受ける権利があることを村人は知りました。しかし、炊事場は芳庄中学よりひどいものです。薪小屋のとなりの暗い部屋にかまどがひとつ、生徒は蒸してもらったアルミの弁当箱を抱えて、その辺で立ったまま食べています。この7〜8月の夏休みを利用して、炊事場の改築、食堂の建設が始まります。資金60万円は、今回の授業団関係者周辺の特別寄付で準備しました。ちなみにここの生徒数は250人、寄宿舎は100人収容です。

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興隆県の部 ------------------

大水泉中学の校舎建設開始・・・
外務省小規模無償援助資金1300万円で

 興隆県の夏の洪水については、昨年報告しました。94年の水害で24の校舎が使用不能です。大水泉は五指山の入り口にあたります。うっそうたる山は、日本軍に焼き払われて、今は岩石むき出しの稜線の鋭い山々です。土も砂も流されて、雨がつづくと鉄砲水が走ります。興隆県では、教師不足のため、郷にひとつの中学校に統合しつつあります。

 95年から申請していた外務省の小規模無償援助資金が、今年の3月決定しました。3月7日、北京で日本大使館と興隆県長との署名が行われ、102510ドル交付されました。1300万円くらいです。96年度予算です。4月着工していますから、もうよほど進行していることでしょう。

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モクイ中学寄宿舎建設の経過

昨年ボランティア貯金から、建設資材購入費として440万円の交付を得て寄宿舎を建設中です。第1期工事として寝室棟だけです。現在生徒たちは村に分散して宿泊しています。できあがればすぐに450人が入ります。生徒数は併合後は800人規模、寄宿舎生は600人になります。

第1期工事の費用は次のようです。

建築面積 1495平方メートル 4階建

建築費  782016元 

ボランティア貯金34.1万元=約440万円

郷政府負担   44.1万元=約570万円 郷政府負担金は3年越しの借金です。

土地購入費 80000元

県政府負担 8.0万元=約103万円

1997年度ボランティア貯金の配分金の決定
6月24日配分金決定の通知式がありました。

 今年の当会への配分は391.4万円です。低利子のため、予算が昨年の半分だとかで、4月の郵政省の新生金削りは猛烈なものでした。他は落としてもモクイ中学寄宿舎の第2期工事分は確保したかったのですが、ボイラーとボイラー室のみ辛うじて確保したという惨憺たる実態です。

 工事は11月から3月までストップするという寒い地域です。マイナス28度にまでなる地域です。ボイラーの確保を最優先しました。今年は受ける団体が半減したそうですから、ゼロにならないでよかったと思って、お許しください。

 第2期工事費として当会の要求したものは、他に、炊事場・食堂(4.2万元)、湯沸かし場(2万元)、トイレ(4.6万元)、ベット(450床・6.8万元)、塀(4万元)です。いずれも欠かせない生活施設です。中途半端な援助は日本人の恥になります。このままではせっかく建てた寝室棟が空き家のまま、使えないものになります。郷政府はすでに3年分の借金をしています。県政府は水害でやられた24の学校復旧に奔走していますが、電話で話し合って、当会は、とりあえず炊事場・食堂の建設とベット購入費をなんとかする。残りのトイレ、湯沸かし場、塀を県政府で負担する。竣工次第生徒を居住させるということにしました。

 

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