会報1994年9月 報告とお願い
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 暑い夏がまだ終わりません。お元気でお過ごしでしょうか。この会の募金活動にご協力いただいて感謝申し上げます。

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募金報告

 91年秋から始めた募金は、目標額の5000万円には達しませんが、3年間で2026万円になりました。心からお礼申し上げます。応答下さった方は個人1948名、団体20039名、あわせて21987名です。使途はその都度ご報告してまいりましたが、ここに3年分をまとめてご報告いたします。

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記念碑除幕式

 93年9月3日、温州華蓋山上での記念碑除幕式には、日本側から世話人ら10名が自費参加。中国側は王希天の遺族、労働者の遺族のほか、政治協商会議、友好協会、政府関係者等多数。碑は1990年山中で発見された当時の物をそのまま使用。<吉林義士王希天記念碑>の上部の横線は,1944年日本軍がこの碑を破壊した際失われた部分を、建立当時の写真を参考に原形を再現し接続した部分です。碑の背面に<温処旅日蒙難華工記念碑>と今回加えました。碑は木々の間から海を隔てて遠く日本を望み、王希天の故郷吉林を望み、背面は労働者の故郷甌海や青田の山々を望む丘の上に建てられました。

 同日午後、温州山地教育振興基金会が結成されました。1000万円の基金と93年度助学金20万円を贈りました。山の小学校で授業を見せてもらい、ピアニカ50台、算数セット50個、体温計20本、鉛筆10000本をさしあげました。

大田団長の挨拶

 私たちの今回の訪問は、謝罪すること、償いをすること、そして世々代々の日中友好、地球環境の平和を目指して、自己改造と自己学習の旅でございます。何よりも過ぐる日中戦争において中国人民に筆舌しがたい苦痛をお与えしたことに対して心からお詫び申し上げます。
 上からの権力によって欧化、脱亜政策が進められた日本の近代化は、アジアの他民族蔑視の気風を生み戦争以前にも数多くの過ちを引き起こしました。
 そのひとつが、70年前の1923年、関東大震災に際しましての朝鮮人中国人の大虐殺でありました。温州地域を中心にして700余人の中国労働者がかけがえのない生命を奪い、その遺族に長く耐え難い苦痛をお与えしたのでした。
青年時代の周恩来元首相にも並ぶ英才、王希天の生命は余りにも短こうございました。しかしながら、その短い生涯の中で中国人民の苦痛を一身に背負い、それを象徴するような大きな役割を果たされ、歴史に輝く人物であります。当時在日中の温州労働者の心の中に王希天はなお生きております。今日その碑が再建されることによって、王希天は労働者と共に温州にあることが具体的に表されたわけでございます。(中略)
 ささやかではございますが、この記念碑の設建を通じて、犠牲者の魂がやすらかに眠られることを祈り、さらに末永く多くの人々の心の中に、この尊い犠牲が平和の教訓として残ることを期待いたす次第でございます。

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東京記念集会

 9月11日、東京山手協会で<王希天と中国人労働者問題を考える>記念集会が300人ほどの参加者を得て開かれました。中国から王希天の遺族王振圻氏らと温州政治協商会議の黄勝仁氏を迎えました。生存者の話は千葉の高校の先生たちが演劇で。王希天の八高時代の友人磯部巌氏、王振圻氏の」新京医科大学の同窓高村憲氏、東京華僑総会会長江洋龍氏もおいでいただき貴重なお話を伺うことができ、またシンポジウムでは、この事件が明るみになる経過、外国人労働者問題は現代の問題であることなどが明らかにされ、克服する道を探りました。

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教科書に載った震災下の中国人虐殺

 高校日本史の教科書11種に関東大震災中国人虐殺が記述されました。昨年度検定と今年度検定の分を合わせてです。中学校の社会科では、朝鮮人虐殺、亀戸事件、大杉栄虐殺事件の3点セットで記述されています。(92年度検定)早晩中学校の教科書にも、、この中国人虐殺は載ることでしょう。関東大震災70周年を迎えてマスコミや、さまざまの市民運動の成果にほかなりません。事実が明らかにされ、市民権を得てきたことを一緒に喜びたいと思います。

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ビデオ「関東大震災の中国人虐殺〜謝罪と償いの旅」のおすすめ

 あのとき何があったのか、当時の映像、温州の山地に住む90歳をこえる関東大震災を経験した老人の証言、出稼ぎに行ったまま帰らなかった人々の遺族の証言、大島町に住む人の証言。王希天はなぜ殺されたのか。事件が明らかにされていく経過。事実を提示しながら、今、私たちはなにをすべきかを考えさせます。集会や、授業の導入にご利用下さい。言葉は中学生に分かることを目安に平易に砕いてあります。

  • 製作 関東大震災の時殺された中国人労働者を悼む会(現、中国山地教育を支援する会)
  • 製作協力 日本電波ニュース社
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奨学金の支給は本年9月から

 本年度は基金1000万円の利子20万円弱と別に100万円を本年度分奨学金として贈りました。1年生から3年生まで複式で1人の先生しかいないという山の学校は、甌海、瑞安、青田の県境に60校もあります。4年生からは大きい村の学校に行かなければなりませんが、7、8里もあるところへは通えなくて中退しています。寄宿舎を建てることと、奨学金の充実は急務なのです。

 基金会の設立をきっかけに行政の山の教育への関心も深まっています。今まではみな無資格の先生たちでしたが、今年は若い師範卒の先生が入り始めていました。村の人々も村興しのためにがんばりだして、外界とつながる道路の普請が始まっています。やまのてっぺんまで段々畑が開墾された海抜1000メートルほどの村々に他にどのような生活手段があるのか、子どもたちの未来を開くための技術教育の必要を思わされています。

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山の学校で授業する日本の先生立ち
 8月3日から6日まで温州に滞在した13人の日中教育研究交流友好訪中団の先生たち(全員自費参加)は、毎日、山の学校で算数セットとピアニカを使った授業をし、先生たちと交流しました。昨年算数セットとピアニカをさしあげましたが、どのように使うか、実際に使った授業をして中国の先生方に見ていただいたのです。沢雅小、五鳳ヨウ小、麻宅小の1、2年生。子どもたちは目を輝かせていました。一張羅を着せてもらって、どの子もかわいく。
---中国の先生たちの感想---
  • 子どもたちがあんなに生き生き活動する授業は始めて。私たちの授業は教師ばかり躍起になって詰め込んでいる。
  • 民主的な教師集団を目の前に見た。(授業者以外も裏方で教材運びやその他の授業の成功を支えたからでしょう。)
---日本の先生の感想---
  • かしこい子どもたちだ。基礎がきちんとできている。あの目の輝きを失わせないよう勉強を続けさせたい。
  • 日本の子と同じだね。自分のが友達のと一つ違っていても(算数セットの中身のこと)おおさわぎになる。
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1トンを越える教材の輸送

 みなさまからお送りいただいた算数セット320個、ピアニカ300台、顕微鏡その他理科実験用具、地球儀、工作道具、その他文具類。1.5トンあまりの教材の輸送は各方面のご援助で届けることができました。

 まず東方航空の全面的協力に感謝しなければなりません。通関の手続きは上海宋慶齢基金会が前もってしてくれました。上海からは温州政治協商会議のトラックが、徹夜で20時間走り続けて翌3日の夕方には荷物が温州に着き、4日からの授業に間に合いました。

 上海少年児童出版界の社長張氏は、1500冊の児童書を、図書館もない山の学校に寄贈してくださいました。上海宋慶齢基金会はたて笛を100本用意してくださいました。それらもいっしょにのせてトラックは走ったのです。

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山の子どもたちとともに生きる

 いくつかの村で90歳を越える関東大震災の生存者や、遺族の話を聞きました。桂川の村の責任者は、日本からわざわざ何度も訪ねてきてくださってありがとう。日本でやられた人の遺族たちも心和む思いをしている。と述べられました。私たちに出来ることは、遺族たちの安否を問いながら、とりあえず子どもたちの就学援助をすることでしょう。山地の未来を切り開いてゆくために、村の人々とともに生きる姿勢をもつことが償いの証になるのかもしれません。

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王希天研究会の設立

 7月、王さん(王希天の孫娘)と長春市の副市長ら一行が来日、王希天ゆかりの土地や資料を撮影して帰国。1997年8月5日王希天誕生100周年までに王希天資料館を造る予定。9月4日長春市で王希天研究会設立。日本から山住正己氏ら3名が参加。

 

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