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2003年秋の報告とお願い

2003.11.15

  1. この会の始まり
  2. 戒厳令と有事法制を考える(9.14集会)
  3. 日弁連勧告書を出す
  4. 清明節に温州・長春から客人招待の予定
  5. 大田こども図書館落成
  6. 教材集めをお願いします
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この会の始まり

 この会は1991年9月1日、関東大震災の時、殺された中国人労働者を悼む会として、遺族の救援を呼びかけたことから始まりました。94年9月、現在名に改名。最初の呼びかけ人は次の方々です。・・・省略・・・

 呼びかけ人は、ひきつづきこの会の世話人になりました。1990年最初の調査に入ったとき、犠牲者の遺族たちは今も貧しくこどもたちは、小学校の3年までにみんな中退している状態でした。1軒の家だけではなく、労働力を失った村は、貧しさを回復することが出来なかったのです。 呼びかけ人たちはこの遺族のこどもたちにせめては人並みに人生のスタートをきらせたいとの願いから、とりあえず、9年の普通(義務)教育を保証することの支援から始めることにして、みなさまにお願いし、基金を作りました。

 1993年9月、関東大震災の70周年を記念して、温州に日本軍に破壊された王希天の碑を再建し、温州山地教育振興基金会を設立しました。

 今年は80周年を迎えました。しかし10年の歳月は温州の山の人々にも、支援する会の上にも無情に流れました。温州にいた90歳を越える関東大震災の経験者は、みな亡くなりました。当会の世話人もこの10年間に8人の方が亡くなりました。この会をそのはじめから無言で支えてくださったたくさんの方々も亡くなられました。感謝と追悼の思いをともにしたいと存じます。

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戒厳令と有事法制を考える

 関東大震災80周年記念「戒厳令と有事法制を考える」集会が、9月14日、亀戸のカメリアホールで開かれました。今年はSARSの関係で、中国からのお客様を迎えることができず、日本人だけの学習会になりました。しかし自衛隊のイラク派遣をめぐる問題等、不穏な政治情勢のもと、じっくりこの問題を考える機会をもてたことはよいことでした。

 集会は、虐殺事件の犠牲者への黙祷で始まり、事件を映像で紹介しました。関東大震災当時、現在の江東区大島町(当時、東京府下南葛飾郡大島町)には、出稼ぎにきていた中国人が住んでいましたが、震災直後の9月3日、宿舎から集団で連れ出され、路上や空き地で殺されました。またかねて中国人労働者を守り、支援していた中国人留学生王希天は軍隊の手で惨殺され川に流されました。千葉県の演劇グループは、王希天が官憲に危険人物とにらまれていたことを演劇で明らかにしました。これは外務省外交資料館に残っていた文書を劇化したものでした。この虐殺事件を時の政府は徹底的に隠蔽し、現在にいたるまで公式の謝罪はおろか事実認定も行われていません。衝撃的な事実に会場は思い沈黙に沈みました。

 この事実を知った人たちは、「関東大震災の時、殺された中国人労働者を悼む会」(現、中国山地教育を支援する会」)を結成し、民間交流の活動を進めてきました。虐殺された労働者の故郷である中国温州市に王希天と中国人労働者の殉難碑を建立、犠牲者の遺族の就学援助、学校や、寄宿舎の建設援助、日本の教師たちによる職業教育(ミシンの技術指導等)の交流をすすめてきました。これらの記録も映像で紹介しました。いつか桂川村の書記が言ったことがあります。「こんな山奥の村まで何度もみなさんが来てくれるので、村人たちの心も次第に和んできているのです。

  集会の最後は、今井清一さん(横浜市立大学名誉教授・当会世話人代表)による講演「1923年の戒厳令と今日の有事法制」でした。膨大な資料を使って、虐殺事件の背景として、国内外の民衆運動の盛り上がりとそれに恐怖を抱く指導層があったこと。郡が震災の中で敵と想定し、戒厳令を発し、さらに適用範囲を拡大解釈して実施した事実を示されました。今井さんの話は、先日成立した有事関連法の下で、仮想の「武力攻撃事態」を前提にした政府による強権発動と人権制約が起こるであろうと暗示するものでした。また虐殺事件の責任を回避した日本の指導部は、その非常事態体制を総動員体制に切り替えて侵略戦争にのめり込んでいったわけですが、敗戦にあたっても、国民が立ち上がるのを恐れて、非常体制を敷こうとしていたことも紹介されました。

 集会散会後、事件に関するフィールドワークを実施しました。当時東京市内に居住できなかった中国人労働者たちは、府下大島町に住み、主に荷揚げ人夫として底辺労働を担っていました。王希天はかれらのために僑日共済会を組織していたことなどをNさんから説明を受けて出発。僑日共済会跡では建物の大きさに驚き、そのすぐれた活動を偲び、労働者が引き立てられていった路地、虐殺の場所8丁目の広場跡では、犠牲者のことを心に刻みました。逆井橋の袂では、殺され、顔を切り刻まれた上、川に流された王希天の無念に思いを馳せました。 現地に行ってみて本当によく分かったという参加者の感想にほっとして散会しました。フィールドワークの参加者60数名、16台のタクシーを連ねて2時間の急ぎの見学でした。集会の参加者は、150人余。東京のみでなく、東北、北陸、近畿、九州からの参加もありました。ごくろうさまでした。

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日弁連勧告書を出す

 2003年8月5日、日本弁護士連合会会長本林徹の名で、小泉総理に勧告書が出されました。 勧告の趣旨は、

  1. 国は関東大震災直後の朝鮮人、中国人に対する虐殺事件に関し、軍隊による虐殺の被害者、遺族、および虚偽事実の伝達など国の行為に誘発された自警団による虐殺の被害者、遺族に対し、その責任を認めて謝罪すべきである。
  2. 国は、朝鮮人、中国人虐殺の全貌と真相を調査し、その原因を明らかにすべきである。

とうものです。

これには、「関東大震災人権救済申立事件 調査報告書」が添付されています。梓沢和幸弁護士、米倉勉弁護士等が精力的に取り組んでくださいました。 80年目にしてこの事件にも日があたろうとしています。

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清明節に温州・長春から客人招待の予定

 2004年4月5日の清明節に温州の関係者と、長春の王希天の遺族をお呼びいたします。王希天の息子王振祈さんは3年前に亡くなられ、お連れ合いも病気、孫の代とのおつきあいになります

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大田こども図書館落成

 興隆県の大田こども図書館は落成しました。内装もできて秋から使い始めたようですが、写真で見る限り、本がありません。みなさまからの図書購入のためにカンパ100万円はまだ送っていません。寄付以来をした出版社からもまだ本が届かないようです。それを督促しながら、継続して新刊書が寄贈してもらえるシステムを作りたいと考えています。図書館は1階は低学年用、2階は高学年用、閲覧室。3〜4階はコンピュータ室となっています。将来的に山の奥の学校へも、自動車で巡回できるだけの本が揃うといいなと考えています。

 100万円の内、30万円は山住さんの記念として奥様からいただきました。これで上海の少年児童出版社の基本的図書をそろえて第一陣として送りたい、春までに実現したいと考えています。

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教材集めをお願いします

 鍵盤ハーモニカ、リコーダー、算数セット、顕微鏡、地球儀等。 今年は大量に集めてください。

 北京で、宋慶齢基金会が、前面に出て通関事務をしてくださることになりました。6月中旬までに個数を知らせなければなりません。鍵盤ハーモニカ何個入りの箱が何個というように事務局にお知らせください。算数セットは、不足がないか中身を調べて、完全なものにして箱詰めしてください。 それぞれの県で集める拠点を作ってください。6月までに集荷の状況を事務局へお知らせください。あとどうするかは個別に相談に応じます。

  • 教材集めは、通関が大変なので、できれば今年で終わりにしたいと思います。ご協力ください。 ※中国の経済事情は確かに好転しています。しかし山の事情は違います。ささやかな教材の贈り物が、日本と中国のこどもたちをつないでゆくとしたら、本当に面倒がってはいられません。よろしくお願いいたします。
 
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