3.第6会平和教育研究交流会議
この1年当会は理事及び理事長を次々失いました。10月にSさん、12月にMさん、2月に山住正己さん。黙祷をささげて開会しました。
Nさんの「良心の自由なき教育」の講演は、広島の民間人校長の自殺の状況から始まりました。この元広島銀行の東京支店長はリストラをすすめたい企業と民間活力を導入したい県当局との連携によって2日間だけの研修だけで赴任し、1ヶ月あまりで神経を病むことになるが、転勤も休暇も許されず、自殺に追い込まれた。この校長はこどもたちに「自分らしく生きよ」ということばを残しているが、こどもたちは、そこから、本音と建て前を分ける大人たちの生き方を知り、場面に合わせて生き方を変えることを学ぶことになる。教育の目標は自己を統合して自分らしさを身につけることなのに、これでは人格が分裂してしまう。がんじがらめの学校職場への同情と闘うものへの共感、権力への怒り、Nさんの厳しい姿勢を感じるお話でした。「アイデンティティは個人にのみあるものであって、民族や国家にはないのだ」「心に傷といって、対話を閉ざしてはならない」など刺激的なことばに参加者一同大きな宿題をもらったようでした。
実践交流では、紙芝居「同じ空の下で」の上演、興隆の悲劇の教材化第4作です。いやがらせ妨害に抗して層の厚いグループの地道な努力が成果をあげていることに参加者は励まされました。高校からは、韓国留学生の実践、地元図書館資料と国語教材を使った「満蒙開拓団」の総合学習、10年も続けている平和教育推進委員会によるフィールドワークなど多様なテーマの報告がなされました。
2日目はIさんから「震災下の虐殺事件の背景」についての講義をいただきました。国際情勢として第1次世界大戦と戦後における革命の進展(ロシア革命、中国国民革命)があり、それに呼応する民族運動や、日本国内の労働運動、社会主義運動の高揚があり、また革命ロシアと、三一独立運動を戦った朝鮮人への警戒感が、朝鮮人暴動のデマや戒厳令施行の背景にあった。中国人虐殺の背景には第1次大戦による労働力不足から朝鮮人、中国人の移入が増大し、日本人労働者と競合し軋轢が生じていた。戒厳令公布とその伝達を通じて流言蜚語が拡大し、戒厳令司令部は警察に「昼夜の別なく人民の家屋に立ち入り検査する」権限を認めたため、亀戸事件、大杉事件、王希天事件が起こった。その後の、「流言浮説取締り令」も虐殺など軍や政府に都合の悪い言論報道を抑圧するために使われ、この緊急勅令は次の議会で承認されて法律となり、治安維持法に引き継がれていく。戒厳令そのものも合法的手続きを経ないものであり、戦時適用が行われ、軍・警察が日頃警戒している人々を抹殺していったさまは、「有事法制もかくならん」と思われるものでした。
9月の集会では、その戒厳令と今日の有事立法の関係をご一緒に考えましょう。お大事に夏をお過ごしください。