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 雨の日が続きますが、みなさまお変わりございませんか。 今回は、補助金の実態をご報告し、ご一緒に対処法をお考えいただきたいと存じます。

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大杖子中学校の校舎落成

 興隆の大杖子中学校の校舎が、昨年11月に落成しました。当会理事のIとIが落成式に参加しました。何年にもわたる懸案事項でした。1階と2階までは、郷政府が、自力で建てました。しかし資金がつづかず、工事はストップしていました。洪水の夏が過ぎ、日照りの夏がつづきました。7割減収です。大使館に幾度も足を運びました。1999年の1月、経済部長S公使に会うことが出来ました。98年度の小規模無償援助資金は、中国の南と北の洪水の被害地域にまとめて当てられたのですが、。残りがありましたらお考えくださいとお願いに行ったのです。大杖子の事情を説明するとすぐ、行って見ましょうと翌週興隆県に行ってくださいました。貧困の度合いに驚かれ、小規模無償援助資金を出すことを決めてくださったのです。しかし98年度の費用では少なくなるので、99年度予算の中から、985万円を出してこの校舎を完成させてくださいました。しかし生徒を全部収容するには、この規模の校舎がもう1棟必要なのです。車河堡の分校の生徒は当分そのままにおかれることになります。

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1地方1箇所が原則

 興隆はすでに96年度予算1300万円で、97年11月に大水泉中学校が建ちました。この小規模無償援助資金は1地方1箇所が原則とされますが、興隆へは2度出たことになります。その衡に経済部長のSさんという人を得たからに他なりません。温習の場合も五鳳ヨウ中学寄宿舎と、湖嶺鎮中学寄宿舎が、この小規模無償援助資金で建ちました。これはいずれも上海総領事Kさんのはからいによるものです。戦時下、ユダヤ人にビザを発給し続けた杉原千畝の良識は、地下水の水脈のように生き続けていると思われます。

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国際ボランティア貯金の配分金

 国際ボランティア貯金の配分金は、今日通知がありました。 247万9000円です。内訳は高杖子小学校の建設費236万5000円。連絡旅費9万3000円。1人7日宿泊費2万1000円です。 西三岔口連合小学校の分は、出ませんでした。これはまたカンパでまかなうしかありません。 2000年12月現在、国際ボランティア貯金の加入者は2614万件です。 寄付金の配分は、10年間の累計で総額169億円になります。 ちなみに昨年は、6月2日に約6億5000万円が配分されました。 年度別配分状況は次の表をご覧ください。1995年をピークに総額はどんどん下がっていきます。今年は、まだ総額は発表されていません。ピーク時の5分の1くらいに減っているかもしれません。

寄付金の年度別配分状況

年度
配分金額
配分団体
配分事業
実施地域
1991年
10億1358万円
103団体
150事業
48か国
1992年
25億9636万円
186団体
254事業
49か国
1993年
23億0563万円
187団体
245事業
58か国
1994年
24億8272万円
197団体
265事業
56か国
1995年
28億1075万円
235団体
305事業
61か国
1996年
15億7569万円
223団体
264事業
57か国
1997年
10億6191万円
209団体
239事業
50か国
1998年
12億4228万円
204団体
234事業
52か国
1999年
11億2024万円
202団体
237事業
50か国
2000年
6億5041万円
198団体
225事業
51か国
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5年経過した事業はうち切る?

 5年経過した事業はうち切ると郵政省は言います。 私どもは、日本がその貧しさの原因を作った中国の山地の教育を支援してきましたが、同様砂漠に植林を続けるNGOもいます。医療を支援するグループもあります。気楽に5年たったから、打ち切りといわれても困るでしょう。 当会は今年打ち切りは免れていますが、早晩、ボランティア貯金の配分を得られない日が来ることを予想しなければなりません。

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興隆県の学校事情はどうなのか

 興隆県では、中学校を郷にひとつに統合して、教室不足と教員不足を乗り切ろうとしていることは前にお話ししました。寄宿舎は不可欠のものになります。

  • モクイの中学校は、600人収容する寄宿舎をつくりましたが、片道20キロメートル以上の生徒でないと寄宿舎に入れてもらえません。20キロまでの子は毎日通学します。学校は、平屋のままですが、修復し、理科室など建て増し費用は、唐山の労働者たちのカンパ550万円によるものです。
  • 大水泉中学は建ちましたが、統合するはずだった、白馬川中学校はそのまま元のところにあります。大水泉には、入りきれないのです。
  • 大杖子中学の場合も車河堡の分校はやはり取り残しです。中学の建築にはお金がかかるのです。この3つの郷は、興隆県の一番貧しい地域です。

 この3月、8月の旅のコースの設定と、学校視察に行きました。
 北京からまっすぐ東へ行くと興隆県の六道河郷に入ります。ここは興隆県の入り口です。隣は北京市密雲で、興隆の中では比較的良いとされるところです。ここはよく通るのですが、中学はどこにあるのか分かりませんでした。道路から入った裏通りに小学校の校舎がありました。
 こういう校舎が村の中に3つあって、先生たちは、先生たちは、自転車で3つの校舎を駆けまわっているのです。さらに分校は、二道河と前葦塘にあります。全県この状態は変わらないようです。
 山の子どもたちも、9年の普通教育を受けるべく親も子どもたちもがんばりだしているのです。一昨年でしたか前の孫教育局長と話している時、建物ではなく、教材の現地購入を考えましょうかといいますと、「いえ入れ物が先です。子どもを入れるところがない」といわれました。それほど校舎不足は深刻なのです。

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隣人の必要とするものを

 理事会でも話し合いました。この土地の事情を知った以上、村人の困難を一緒に解決する必要がないか、教材の持ち込みも続けますが、教室のない状況を早く解決しなければなりません。
 県政府も郷政府も自分たちの給料を切り詰めても、教育費の捻出を考える県ですから、私たちも仲間として、一緒に歩いていきたいと念じています。どうぞあなたのお力を貸してください。仲間を一人誘ってください。ひとりがひとり誘ってくだされば仲間は倍になります。よろしくお願いします。年金でお暮らしのご高齢の方も多くいらっしゃいますが、ご無理のない範囲でお願いいたします。若い方々はお志をひきついでくださいませ。

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平和教育研究交流会議

 5月26日、27日、神田パンセで、第4回平和教育研究交流会議を開きました。今年は、Sさんの基調講演「<断絶>を見つめる-東アジアに平和を構築するために」からはじまりました。
 この講演についてはいずれ文字におこされますが、Tさんとの対談「戦争の記憶をめぐる対話 断絶の世紀 証言の時代」(岩波)をごらんください。
 夜は現地へ旅した人々が、教室で生徒たちにどのように歴史を語り伝えているかの実践交流でしたが、流れの中の巌のように、ひとりたつそのひとのまわりに、人が集まり、渦になり、そこが抵抗の拠点になっている、いまは、その拠点が無数にできて、それが交流して学びあい、力と知恵を得て、散っていく、そういう場にこの研究交流会議がなっていることをうれしくたのもしく思いました。それは組合の質も変えていくものになるでしょう。
 2日目は、Tさん(子どもと教科書全国ネット21)の「今年の教科書採択問題」の問題提起のあと、各県議会の状況と対応について、討議しました。自由主義史観の「新しい歴史教科書をつくる会」の中学の「歴史」「公民」の教科書は文部省の検定を通りました。採択をしなければいいのですが、教員の意見を聞かずに、各県の教育委員会に採択させようと、各人に教科書を送りつけて宣伝しています。この法外なお金はどこから出てくるのでしょう。 今を戦前にしないために意思表示をして参りましょう。

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