2006年3月28日〜4月1日 興隆県を訪ねた交流団の写真集です。

詳しくは会報2006秋を御覧ください。

CONTENTS
     

日中合同登山 〜見えない八路軍の跡を辿る〜

この興隆の地で抵抗に立ち上がった民兵、八路軍の姿を求め、南大台の根拠地跡を目ざし、登山をしました。氷が溶けた3月末、やっと山に入れるようになった季節でした。

 

 

南大台登山

3月30日午前9時の南大台
これからこの山を登っていきます。

南大台登山

日本側は、Iさん(熊本県)Aさん(千葉県)の2人。中国側は案内役の張さんと若い体育の先生2名。通訳に北京師範大学のKさんです。

南大台登山

案内役の張さん

モクイ郷の理科担当指導主事です。この方が、根拠地跡への道を拓きました。

南大台登山
これから約2時間半、山道を登っていくことになります。
南大台登山
登り始めはなだらかな山道。しかしいつまでも続きません。
南大台登山 熊本県から参加のIさん。この興隆の旅は皆勤賞です。普段から山歩きを趣味にしているとのこと。
南大台登山
案内をしてくださる中国側が、私たちの様子を見ながらペースを作ってくださいます。
南大台登山
だんだん坂道もきつくなる。拾った杖が大きな頼りです。
写真先頭は北京師範大学のKさん。
南大台登山
ひたすら登りのつづく坂道。普段の運動不足がこたえます。
南大台登山
時々挟む約10分の休憩。息があがって、つらい顔をしているのは日本側の参加者ばかり。
南大台登山
すでに山道と言うより、薮の中の急斜面。枯れ枝が激しく顔にも身体にも当たります。趙さんの後を這うように必死で着いていくだけ。
南大台登山 案内の張さんが事前に結んだ緑色の紐だけが頼りの山道。目印の紐を確認しているところです。
南大台登山
やっと目的地、八路軍の根拠地跡に到着しました。
南大台登山 登り始めて2時間半。
火照った身体に冷たい風も心地よい。
水場 根拠地跡から約5分離れた場所にある水場。湧き水はまだ凍結していました。

南大台根拠地跡

根拠地跡は山の頂上を少しおりた所。20平方メートル位でしょうか。わずかに平坦になっています。
南大台根拠地跡 この石を県政府は机に使っていたのでしょうか。
南大台根拠地跡 3段の石垣が組まれています。当時は木で組まれていたそうです。
南大台根拠地跡 ここを根拠地に李運昌将軍率いる八路軍は、戦ったのです。兵士の息遣いが聞こえるようでした。
南大台根拠地跡 朝も早かったので、お腹もぺこぺこ。根拠地跡を見下ろしながら、みんなでお弁当を食べました。
南大台根拠地跡 日本側2名、中国側5名、通訳1名。これが登山参加者全員です。
南大台下山
下山
日本側がおそるおそる降りる斜面を、中国側は走るように降りていきます。
南大台下山 無事に下山をすると、14時を過ぎていました。
興隆街 当日夜の交流会
登山では、 日本側1名に中国側1名がサポーターとして付いてくださいました。
興隆街 熊本県Iさんとモクイの体育の先生王さん。
興隆街 千葉県のAさんとモクイの体育の先生趙さん。趙さんは常に先頭で山道を拓いてくださいました。
興隆街 日中の教師が汗を流し行動を共にした登山。
その 交流会の夜もふけていきます。

 

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