生活情報ページ(建物)-4


NO31 ティファニー銀座 2009.1.1

設計 隈研吾
所在地 東京都中央区銀座2-7-17

銀座のティファニーの入っているビルは築21年の9階建のテナントビルです。改修計画を行ったのが隈研吾で、2008年秋に完成しました。
すごいなと思うのは既存建物と銀座通りの数十センチのスキマに着目し、その部分を改修とは思えない方法で解答を出しています。
アルミハニカムパネルとガラスのサンドイッチパネルを自立させパネルの角度を微妙に変化させダイアモンドのようなきらきら感を出しています。
内部も薄い大理石を裏から光をあてて、なかなかですが、やはりこの建物は外部ファサードのイメージが強いように思います。
特に夕方暗くなり徐々にライトが入ってきたころが一番美しく、銀座を歩くのも楽しくしています。


NO32 武相荘 2009.5.1


所在地 東京都町田市能ヶ谷町1284

銀座の白州正子、白洲次郎の住んだ家です。

最近TVや本でもなぜか話題になっている二人ですが、二人の家が公開されています。
二人が町田郊外に引っ越して来たのが1943年の戦前です。かやぶき屋根の農家を改造し、武相荘と名づけ住んでいたようです。

武相荘のある鶴川も都市化が進みすぐ近くには大型店舗がたくさんでき、戦前の頃とは全く変わってしまったのだと思います。
それでも長屋門をくぐり敷地内に入ると別世界があります。竹林や庭も残り、石畳の先にはかやぶき屋根の母屋が見えます。
私が一番良かったのは、白洲次郎が使っていたという北側の書斎です。本棚のある納戸のさきに、その書斎があり、正面には窓があり、北の柔らかい光が入ってきていました。
こんなところで一日本を読んでいたいと思わせる書斎でした。
白洲次郎って何をした人?とわからない人も多いと思います。いろんな経歴を持つ人なのだと思いますが、そんな歴史を考えながらこの家を訪れるのかいいのだと思います。

NO33 国立西洋美術館 2009.9.1

設計 ル・コルビュジエ
所在地 東京都台東区上野公園7番7号

言わずと知れた日本で唯一ル・コルビュジエが設計した建築物です。

国立西洋美術館は第二次世界大戦中に敵国財産としてフランス所有となった松方コレクションを日本に戻し、収蔵・展示するためにル・コルビュジエが設計指名を受けて建てられました。
1955年11月に8日間だけ日本に滞在した68歳のコルビュジエは上野の敷地だけでなく京都や奈良にも足を延ばし、東大寺大仏殿の柱、梁のプロポーションや正倉院のピロティの木の肌に感動したそうです。

帰国後送られてきた図面には当初予定のなかった講堂、図書館、劇場ホールなどが計画されていました。しかし予算の関係もあり美術館のみを建築します。
実施設計はコルビュジエの日本人の3人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が担当し1959年本館の美術館が完成します。
 彼らはその後事務所・講堂、新館、地下の企画展示館の設計にコルビュジエの基本理念をふまえて携わります。

 さて、美術館をみてみましょう。
まず目に飛び込んでくるのは柱で支えられてまるで宙に浮いているような美しいファサードです。当時従来の石造建築と違い鉄筋コンクリート造により壁によって建物を支えるのではなく、柱によって床を支えることが可能となり、このような自由なデザインが可能となりました。ピロティをくぐって館内に入ると「19世紀ホール」に立ちます。
高い天井の三角形の窓が開くトップライトからの自然光がホール全体を明るくします。
 2階展示室へはジグザグの斜路を歩きホールの作品を見下ろしながら空間の変化を楽しみます。
2階に入ると展示作品を観ながら四角い部屋を一周することになります。角を曲がるとさっきと同じところを歩いているような錯覚にとらわれ不思議な感じがします。
 2階中央には天井から光の箱(照明ギャラリー)がありその下の天井は低く空間の変化を感じながら絵画の鑑賞をすることになります。

この美術館の個々の寸法は当時コルビュジエが考えた人体のサイズを基準とするルール「モデュロール」からなっています。
広場の敷石寸法から天井の高さ、階段の幅にいたるまですべてこの綿密なプロポーションの集大成によってできており、展示作品と同時に建物の美しさも感じとれる美術館です。


NO34 ルイス・バラガン自邸 2010.2.1

皆さんはルイス・バラガンという建築家を御存知でしょうか。

メキシコの裕福な家庭に生まれ独学で建築を学び、亡くなるまで40年間住んだといわれる自邸はユネスコの世界遺産に登録されています。

  昨年9月から今年の1月24日までこのルイス・バラガンの自邸の一部がワタリウム美術館において原寸大で再現されました。
 天井まで開いた十字窓が特徴のリビングルーム、どっしりと厚みのある机からのびる本棚のある書斎、バラガンが最も時間をかけて昼食をとったダイニングルーム、まるで修道院の個室のような寝室など、家具はもちろん絵画、装飾品にいたるまで再現され「静謐」な空間がそこにありました。

『私は「感情的建築」というものを信じています。人間にとって、建築がその美しさによって心を動かすものであるということが非常に大事なのです。』
ルイス・バラガンの言葉です。

展覧会は終わりましたが今回の展示を記念して写真集がつくられました。
この本によりルイス・バラガンの建築哲学を伺い知ることができると思います。

世界の名作住宅をたずねる 「ルイス・バラガンの家」 とんぼの本 新潮社 1500円


NO35 三菱一号館広場 2010.5.1

 日本における本格的なオフィス街の発祥を示す記念碑的建築の「三菱一号館」は昭和43年に姿を消しましたが、平成21年に設計者コンドルによるデザイン、材料、工法に基づき同じ街区に美術館として再生されました。

この建物と高層ビルの間の小さなスペースを活用して緑の空間が広がっています。

 街路から花屋の色とりどりの草花に引き込まれるように入っていくとどこか日本離れした庭が広がっています。
この中庭はイングリッシュガーデン風で、コンドルが日本で手掛けた多くの庭園に薔薇が用いられたことにちなんで多種類の薔薇が植えられています。
 中央にはわずかな面積の芝生があり、ヘンリー・ムーアの彫刻がおかれています。
なだらかな曲線を描く小道や高い樹木の廻りには至る所にベンチがあり、水の流れや噴水、ビルの柱の緑化などを眺めながら人々が読書したりおしゃべりに興じたり、思い思いにすごしています。
 又、オープンカフェに座り庭ごしに赤レンガの建物を見ると日本にいることを忘れてしまいそうです。

夜にはガス灯の灯りがともり昼間とはまた違う風景に変わります。

丸の内ブリックスクエアでショッピングを楽しみ、広場でホッと一息、こんな休日の過ごし方も良いかもしれません。

NO36 神長官守矢史料館 2010.9.1

 設計  藤森照信+内田祥士(習作舎)
 所在地  長野県茅野市宮川高部

 「じんちょうかんもりやしりょうかん」と読みます。
守矢家は紙に書かれるようになった歴史の始まりから諏訪大社の筆頭神官としての神長官の職を世襲し、現在まで諏訪の祭祀や歴史についての資料が伝えられており、その保管・展示のための施設がこの史料館です。
 今でこそ その独特な作風は広く知られていますが、この作品が建築史家である藤森照信氏の建築家デビューとなりました。
 
 緑豊かな山の裾野に大地の突起物のような建物があります。
形は個性的で入り口には枝打ちしただけのような柱が4本立っており、薄暗い中へ入るのを少し躊躇してしまいます。
しかしいったん入るとそこは別世界。はるか昔の時代にタイムスリップしたような錯覚にとらわれます。
それは展示物がその時代のまま置かれているようなリアルさがあるからです。
なぜでしょうか?  
 屋根や壁などはその土地の木や石、土をもちい昔ながらの加工にもこだわり、できる限り反工業製品の使用を貫いているのも理由のひとつです。
 また藤森氏がこの土地に生まれ育ったこと、また建築史家としての洞察力があったからこそこうした「場所の特性」が建築として表現できたのかもしれません。

 史料館を出てわきの坂道を上がって行くと目の前に小さな小屋が現れます。
それはたった3本の木の上にたっていて青空の中にポワンとしてました。
中へ入ることはできませんが、下から見上げることはできます。
 「高過庵」は藤森氏とお仲間で作られた高さ6mに位置する、高過ぎ床住宅です。

NO37 脇田美術館-アトリエ山荘 2011.1.6

 設計  吉村順三
 所在地  長野県軽井沢町旧道1570の4

 避暑地といえばここと言うくらいあまりにも有名な軽井沢ですが、数々の有名建築があることでも知られています。
 その軽井沢駅を歩くこと約10分、弧をえがいた美術館と展示されている画家のアトリエ山荘が見えてきます。

 美術館の名にある脇田和は昭和期に活躍した洋画家で、自然や人物への深い愛を表現した作品を多く残しています。
 美術館は画家自身が基本設計をし、1991年に建てられました。

今回紹介するのは脇田画伯が長年愛用してきたアトリエ山荘で、親交のあった建築家吉村順三が1970年に設計しました。

 自然の木立に内外の空間に溶け込むように建てられたプランは変形で、アトリエで仕事を終え小さなシンクで手を洗い気分を切替えてリビングに入っていけるよう流れるような動線になっています。
壁は漆喰、天井は唐松で絨毯やソファの色が鮮やかに映え、自然素材の中にいながらモダンな雰囲気にも浸れます。
 湿気の多い土地柄、すべての室を2階に配し緑の中に身をおいて開放的ながらプライバシーが保たれています。

 このアトリエ山荘は脇田美術館の企画展として建築ワークショップと合わせて年に一度特別公開されています。
 近代日本の木造建築を代表する重要な建物の内部から見られる貴重な経験ができると思います。

 アトリエ外観
NO38 世田谷美術館 2011.5.6

 設計  内井昭蔵
 所在地  世田谷区砧公園1-2

 世田谷美術館は「公園美術館」として設計されました。
広大な砧公園を歩くこと7、8分。樹々の間から建物が見えてきます。

 濃いベージュのタイルの外壁に屋根は緑青銅板でゆるやかなヴォールトを描いており外観を特徴づけています。
高さが低く抑えられているのと、建物を小さく分割しているので公園の緑に溶け込み威圧感がありません。
 
 展示室、区民ギャラリー、講堂、レストランは回廊で有機的につながれ、外周はパーゴラが廻らされています。
美術鑑賞のあとにベンチに腰掛、目を休ませるのに心地よい場所です。

 建物全体は波、あるいは水の流れのモチーフでデザインされています。
入り口を入るとエントランスホールが広がり、2階バルコニーからホール床、ベンチにいたるまで水の流れや波紋をイメージしたデザインでまとめられゆるやかな曲線がやさしく展示室へ導いてくれます。

 美術館へは用賀駅からバスに乗って行く方法もありますが、徒歩約17分の道は途中水路やいたる所に花壇が作られ、今の若葉の季節花々を楽しみながら歩くちょっとした散歩コースです。

美術鑑賞としてでなく、自然に親しみ一日そこに居られる心地良い空間をもった美術館です。
NO39 根津美術館 2011.9.1

 設計  隈研吾
 所在地  港区南青山6−5−1

 表参道の南端に涼しげな竹が道路沿いに並ぶ一角があります。
そこが、今回紹介する根津美術館です。 

 美術館入り口までのアプローチは低く深い庇の軒下を50mほど歩いて行きます。
右側に竹の林、左側は丸竹の竹垣を進んでいくと次第に心持ちが静かになります。
 そしてドアを開くとロビーの大空間に圧倒され勾配天井にそって視線を動かすと吹き抜けは2階展示室と繋がっています。
 庭園側の壁は全面ガラス張りで展示物である仏像が森の中に立っているようです。
このロビーは美術館の中心的な空間となっています。

 展示室はいくつかあり、企画展示の他に常設として工芸、書画など分類別に展示されています。
照明はすべてLEDをつかい、展示物が効果的に照らされており鮮明に観ることができます。

 ホッと一息つきたくなったら庭園側出口すぐのカフェがお勧めです。
三方ガラス張りで、入って奥のカウンター席は全面ガラス越しに見る庭園が素晴らしく、トップライトからは透湿防水シートを通してやわらかな光が入り落ち着きます。


広大な敷地には美術館、カフェ、事務所棟の他、庭園に無事庵、閑中庵、一樹庵、斑鳩庵という4つの茶室が点在しています。
 明治39年にこの起伏に富んだ土地を気に入り求めた初代根津嘉一郎が庭園にこめた思いを現在にも伝えるべく、明治から昭和にかけて移築されました。
 それぞれの茶室へは入り組んだ飛び石の小径を通り庭園を回遊できるようになっています。

 美術館の切妻屋根と茶室の屋根がなだらかに繋がれ、本館、カフェ、庭園全体が
「根津美術館」といえます。
NO40 ハルニレテラス 2012.1.1

 設計  東環境・建築研究所  東利恵
 ランドスケープ  オンサイト計画設計事務所  長谷川浩己

 ハルニレテラスは軽井沢の星野リゾートにできた新しい商業施設ゾーンです。
先にできていたトンボの湯・村民食堂エリアとは川沿いの遊歩道で結ばれています。

 名前の由来となったハルニレは湯川の清流に寄り添うように自生していた100本をこえる巨木の林でこの場所の主役となっています。

 このテラスはウッドデッキで出来ており、元々あるハルニレを生かしているのが特徴です。
廻りを囲む建物はすべて切妻屋根の木造で、軒高を低くおさえより人に近い空間スケールとなっています。
 テラスのベンチに腰掛けるとさわめく木々の音が何とも気持ちがよいのです。

 星野リゾートと建築家とランドスケープアーキテクトの3者が共に「元々ある自然との共存」
を熟慮し創り上げた結果といえるでしょう。

 皆さんも自然に包まれながら心地良い時間を満喫してみてはいかがでしょうか。



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