「家の宗派は、なんやろう」「うちのお寺は、何宗やろう」と考える事はめったにないでしょうね。宗派を知っていることが、生活になんら関係ないからでしょう。しかし、大げさですが、人間は、だれでも明日流す涙がわかりません。今日、にこやかに過ごしていても、明日は、悲しみのどん底にいたり、恐怖におののいている事もありうるのです。そのような時、宗教は、私たちを支えてくれるものだと思います。知り学んでおくのもよいでしょう。そのような観点から、仏教の中の真言宗を南福寺流としてお話いたします。


                  
 序の口 

 宗教、宗派を考える時、私は、それらは、ヤッパリ人間が作ったものだ、という諦観はあってもいいと思います。宗教が民族、文明を作るのではなく、地球上の風土、環境、民族、の中から宗教が育まれ、突出したリ―ダ―である教祖によって、不思議な力を示されたり、大いなる安堵感に包まれたりする考え方が示され宗教・宗派というものが形成されるのだと思います。とどのつまり、同じ人間が作ったにしろ、宗教の中で、考え方に誰でもが安心できる普遍的な要素を持っていればいるほど、世界宗教として民族や時代を超えて時の為政者、民衆に受け入れられ広まっていくのだと思います。
例えば、千年を超えて微笑む法隆寺の弥勒菩薩(みろくぼさつ)像、日本民族の営々たる信仰を集めながら、張り詰めた静けを保つ伊勢神宮、いわゆる神々(こうごう)しさに自然に頭が垂れる浦上天主堂など、私たちにとって、何様が祭ってあるかよりも、そこにある霊気が私たちに何かを与えてくれます。人間が作ったものでも、そこにあるなにものかが、時代を超え多くの人に何かを与えている証拠と思います。
そういうことから、ことばで言えば、「精神、魂、いのち、霊、人生、人間」といった『宗教以前の感覚』を大切にしなければ、と思うのです。


              
    序二段

 と申しますのも、宗教は、日本人にとって敬遠されるものです。現代世界では、宗教戦争といわれるものが日夜繰り返されている事は周知の事です。日本から眺めていれば、他人事のようですが、その宗教戦争も人間臭く、政治経済の思惑から宗教の正義をかざしての戦争ですよね。日本も巻き込まれて行ってます。それぐらい見え見えだよねえ、と誰もが思っているんではないでしょうか。ましてや、日本では、神道という宗教と天皇国家との未分化によって、世界大戦をも実際経験しています。戦争に駆り立てた宗教への恐ろしさを知り、結局は、宗教自体を無視している風潮です。このようなことから、現代日本においては、宗教が無視されていると思います。
そして、その無視は、宗教以前の感覚「精神、魂、いのち、霊、人生、人間」すらも無視しているのではないでしょうか。今、日本におこっている様様な社会問題の根底に、そこのところの枯渇が原因といわれて久しい気がします。宗教を毛嫌いするあまりに、自身の大切な感覚すらもすてているのでしょう。
例えば、感謝の気持ち、敬虔な気持ち、満足する気持ち、懺悔する気持ち、奉仕の気持ちなどです。それらは、宗教という枠組の中で、教え、儀礼、習慣として自然と育まれてゆくものです。それらが無視される風潮の中で、いかに、一度きりの人生を歩むか、とても難しい時代であります。


              
    三段目

 人生には、様様な問題が山積しています。例えば、
「なぜ、生きていかなければならないのか」
「なぜ、生まれてきたのだろう」
「なぜ、死ななければならないのか」
「なぜ、こんな目に私は会うのか」
「死後どうなるのだろうか」
「激しい感情・欲望に自分自身を持て余してしょうがない」
「なぜ、同じ過ちを何度も繰り返しているのだろう」

これらの問いを感じた時、現代日本では、経済的物質的な保障を充分にすることで一応安心している気がします。例えば、老後が独居であっても、ケア付きマンションを購入し、社会制度使い、デイサ―ビスで毎日を過ごし、いざとなれば、ホスピスへ行って安楽な最後を迎える、という計画もできるでしょう。確かにいいことです。貧しさからの困苦よりずっとましです。でも、それは、環境の整備であって、自分の人生がどうであったのかという、自身の人生の評価につながるものではありません。人生、生きて来てよかったか、自分の人生は恥ずかしいものでなかったか、人生これでよかったか、を回顧し、思い巡らすのに環境を選ぶ必要はないでしょう。
では、これらの問いに宗教は、答えられるでしょうか。私が思いますに、既成宗教よりこのような問いに、新興宗教といわれるものほど明確に答えを準備しているなあ、と思います。むしろ、このような問いで悩んでいる人を積極的に、熱心に勧誘していると思いますよ。
だいたい苦しみは、自分の枠が崩れる時です。いつもの自分では到底消化できない大事件が生じた時、苦しみの感情が起こります。例えば、夫婦がうまくいかない、とします。いい相手であったはずの伴侶が、自分では理解できない行動を起こしてしまったり、説得に応じなかったりします。その時、落胆とか怒りとかが生じます。自分の理解できる枠を超えた他人の枠を理解する事は、難しいですよね。そうなると、自分の枠がぐらつきます。こんなはずではなかった。どうすればいいだろうかと。そこで、宗教の救いとは、いわば、宗教の考え方の枠を提供する事です。この宗教に入れば、こんな考え方ができ、あなたはこんな枠を再構築できるからいいですよ、という感じです。自分の枠が壊れた時、宗教に入信して、その枠にどっぷりつかれば、楽になるでしょう。
新興宗教は、いわば、この枠の提供が上手ですし、様様なパタ―ンの枠を準備してありますよ。

で、そこでです。
例えば、家の子供たちに不幸が続くとします。通常考えられない事態です。そして、両親は、自分たちを責め、なぜ、こんな事が起こったのか、苦しみます。その時、ある宗教団体より、あなたの持っている印鑑がこのような不幸を招いているんですよ、言われます。その宗教は、印鑑によって、人生を評価する枠を持っているのです。すると、その両親は、その枠にすがり、印鑑をその宗教のものに作り変えます。これで、安心されます。もちろん、高価な印鑑代です。第三者が聞いていると、ホンマかいな?と思うような事でも、当人にとっては、真剣な事なのです。これに類似した話は聞いたことがないでしょうか。人殺しでも、ポアであれば、救われると枠を作られたならば、そう思い込んでしまうのです。死体も生き帰ると思えば、何日も介抱するのです。白い布がいいのだといえば、白い布で全てを覆う事を行うのです。このような現代のカルト系宗教は、またまた、私たちに宗教の恐ろしさを植え付ける結果となっています。また、逆の面は、人生の困苦を受け入れてくれる場所や人がいないとも言えます。まあ、そのようなウサン臭い宗教かどうかは、金銭がやたらからんできたら、そうだと思ってください。さっさと止める事です。バチかぶりません。

さて、先の人生の問題に戻りますが、カルト系宗教がはびこるように、いくら高学歴社会になっても、人生の問題は尽きないし、物質文化が進んでも、魂の問題は、かたづかないのです。やはり、宗教以前の感覚を取り戻し、宗教的な受け皿が必要なのだと思います。
 そして、仏教は、世界の宗教の中でも、自分が不安や恐怖や苦悩で、自身の枠が壊れかかっている時、新たな宗教という信心の枠を提供するよりも、自心の枠を追求する事を仕向ける宗教といえるでしょう。
その宗教がすごいから、力があるから信ずるのではなく、その宗教によって、自分をどれだけ気づかさせていただくか、そちらに向うのが仏教でしょう。宗教は、自分を掘る道具です。決して、ある宗教を信じる事で自分が偉くなることではありません。どの宗教であろうと、掘って掘り当てた井戸水の味は、皆世界どこでも同じと思います。そこが、宗教が世界に必要な理由と思っています。

前振りが長くなりましたが、宗教的なものは必要ないと考えている人、宗教以前の感覚は必要でも、手垢のついた宗教団体はいらないと考えている人、今必要でないが必要な時だけ儀式をしてくれればと考えている人、どうでもいいや、と思っている人も、宗教の感覚を付けてゆくことが今後の生き方に有意義であるとお勧めする次第です。
この秘伝帳 その六 では、そのところも含め、話を進めて行きたいと思います。

 


              目 次

一、 お寺の宗派は何?         ― お間違えのないように ―

二、 それってなあに?         ― 宗派の基礎知識 ―

三、 どうせ同じ仏教でしょうもん?   ― 仏教分派の歴史 ―

四、 人生の辻辻に           ― 人生へのことば ―

五、 質疑応答             ― 家の宗教は変っていいの?他 ―

六、 あとがき          
                                                                                    

 


一、お寺の宗派は何?  ― お間違えのないように ―

南福寺の宗派は、真言宗(しんごんしゅう)です。

詳しくは高野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)といいます。 

               
 南福寺の宗派は、真言宗といいます。この真言宗も十八分派しています。その中でも、高野山真言宗という宗派です。この分派は、戦後の政策上作られてもいますが、高野山真言宗は、真言宗の中でも、一番大所帯であります。
 前振りに、ありますように、実際に宗派が必要かどうか、どちらでもいい感じがします。でも、実際の話なんですが、なんでもいいから仏教で法事をしたいといっていた家に、初めてうかがい、法事を終えた後に、「あんなお経は聞いたことがない」「本当に仏教か」と怒る方がいました。なんとも説明に困まったことがありました。また、お葬式で、祭壇の本尊や準備が、浄土真宗になっていたことがあります。その家は、檀家さんなのですが、「真言宗」の「真」と「真宗」の「真」とが同じですから、「うちは、真宗です」といっていたようです。
心情的に、何もこだわらずに、仏教なり信仰があるといいのですが、いざ、世間では、トラブルの元にもなります。知っていて損はなし、といったところ。先ずは、お見知り置きを。



二、 それってなあに? ― 宗派の基礎知識 ―

 じゃ、この真言宗ってなんなの?仏教じゃないの?同じ仏教ならあんまり気にしなくてもいいんじゃないの、となります。ここでは、真言宗の基礎知識を羅列します。

仏にもいろいろありますが、真言宗は、この大日如来です。そもそも、お釈迦様は、真理を悟られました。しかし、お釈迦様が、真理を作ったのではありません。そもそもあった真理に気がつかれたのです。そこで、真言宗は、お釈迦様が気づかれた真理そのものを仏として、大日如来と呼び、宇宙の本質、自然の現れ、いのちの働きをも大日如来としているのです。

本尊 だいにちにょらい
大日如来
仏にもいろいろありますが、真言宗は、この大日如来です。そもそも、お釈迦様は、真理を悟られました。しかし、お釈迦様が、真理を作ったのではありません。そもそもあった真理に気がつかれたのです。そこで、真言宗は、お釈迦様が気づかれた真理そのものを仏として、大日如来と呼び、宇宙の本質、自然の現れ、いのちの働きをも大日如来としているのです。
開祖 こうぼうだいし
弘法大師
=空海=お大師さま (呼び名は違いますが、同一人物です)
今の香川県、奈良時代末期の七七四年に誕生します。三一歳で中国に渡り密教を受け継ぎ、帰国後、真言宗を開宗します。高野山を開き、全国に真言宗を広めるかたわら、土木、治水、教育、文化活動を行い、八三五年六二歳で高野山にてご入定(にゅうじょう)します。
本山 こうやさん
高野山
真言宗には、正式に十八本山がありますが、その中で、高野山真言宗は、高野山を本山としています。和歌山県と奈良県の県境で、標高千m、東西4kmの盆地です。ここで弘法大師は、修業され、また入定されました。この徳を慕い庶民から武士大名の墓が二十万基あり、今も一二三の寺院があります。(入定=死んだのではなく、精神がこの世で救済し続けること)

真言宗のお経 日頃は、理趣経(りしゅきょう)を読みます。真言宗の元になる根本のお経は、金剛頂経(こんごうちょうぎょう)と大日経(だいにちきょう)です。その他に、般若心経、観音経をあげます。特には、真言と呼ばれるインドの言葉を呪文のように唱える事をします。
真言宗の拝み方 これは、仏事秘伝帳―お勤めのし方―を参照下さい。
真言宗の
お唱え文句
常にとなえるお唱え文句を、御宝号(ごほうごう)といい、
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごうというのです。


真言宗の教え
  

@現世利益である 真言宗は、即身成仏(そくしんじょうぶつ)を標榜します。この世で生きているうちに仏のような生き方ができるよ、あなたもりっぱな仏の子だよ、といいます。だから、この世における物質的な俗っぽいお願い事でも、祈ります。煩悩多い欲望・活力から大いなる欲望に昇華する事で仏としての役割を果たす生き方を勧めるからであります。だから、護摩(ごま)を焚きます。
A神秘主義である 真言宗は、即事而真(そくじにしん)といって、この世の中の現象は、すべて仏からのメッセ―ジである、とします。自然界、宇宙と共にある人間です。生命の大本には同じ共通するものがあり、それらを持って生まれ存在するとします。と、同時に、人間が知り得る世界だけでなく、人間の感知しないとされる世界(深層心理・霊界)と共にあることも認めます。
B調和と個性を尊ぶ 真言宗は、古くは、曼荼羅宗(まんだらしゅう)と呼ばれていました。曼荼羅とは、仏の世界を図解したものですが、そこには、中心に大日如来を置き、そして、その大日如来の化身として様様な仏を画きます。その中には、鬼も邪気もいまして、その時、その場にあわせて大日如来が変化し活躍する姿なのです。お互いに尊敬し合い、お互いに助け合う精神がこの曼荼羅に画かれ、その人がその人らしく生きることを喜び合うのです。

 


◎ 真言宗本尊「大日如来」と南福寺本尊「不動明王」との関係

 先に言いましたように、大日如来が真言宗の本尊ですが、南福寺にお参りにきますと、お寺の真中には、お不動様が祭ってあります。正式には「倶利伽羅不動明王(くりからふどうみょうおう)」といいます。皆さんのご仏壇には、多分、中央に大日如来が安置されているはずです。なのに、お寺は、どうしてお不動様なのでしょう。 先の ◎真言宗の教え で言いましたように、大日如来は、変化をして、その時、その場に合わせて現れます。特に、大日如来が、慈悲の現われとして怒れる姿をし、この世の人を教導しようとした場合、この不動明王の姿になるのです。ですから、南福寺には、開祖の牛尾弘雄大和尚が阿蘇山中において修行の末感得された不動明王を、この福岡市桜坂に安置されるのですが、この機縁、この仏縁も、大日如来のおおいなる計らいと考えられるのです。

*棚田のたとえ
棚田は、おわかりでしょうか。山の斜面にだんだんにある小さな田んぼです。その棚田の上に夜、満月が輝いています。すると、その棚田の一つ一つに満月が美しく映っているのを想像してください。そこで、一つの三角な棚田に映っている三角な月を指して、「これは、三角月と呼ぼう」とします。
そこですね。真言宗(密教)では、この三角月は、満月が、三角な棚に現れていると考えます。三角月を独立したものとはしません。一方、ヒンズ―教や日本の神道では、八百万の神ですから、三角月そのものを三角月としてあがめるのです。その根本を想定しません。真言宗との違いです。
このように真言宗本尊大日如来と南福寺本尊不動明王との関係を考えて頂けたらと思います。
 


三、どうせ同じ仏教なんでしょうもん? ― 仏教伝播の歴史 ―

インド・中国・東南アジア・チベット・朝鮮・日本の仏教歴史かんたん年表
 
年号は、大まか年号と年代です。

西暦前
566年 ゴ―ダマ・ブッダ(お釈迦様)生まれる
(お生まれは、今のブ―タンです。北部インドです。
シャカ族の部族王の王子として生まれます。)
467年 お釈迦様入滅 ・ その後、言われたことを
書き留め、お経ができ始める。
インドで戒律を守る派と慈悲を主とする派に分裂。
247年  スリランカに仏教伝来。
(大乗仏教は、シルクロ―ド経由で日本に来ます。
戒律の上座部仏教は、スリランカへ行きます。)
前1世紀 インドに仏塔の崇拝が始まる。
50年 石窟が作られる。シャカ以外の仏による慈悲の
救済による大乗仏教が起こる。
西暦
67年  中国に初めての寺 白馬寺建設の伝説 
100年代 インドに仏教彫刻起こる。
インド・大乗仏教経典成立。
般若経典類(般若心経・大般若経・理趣経など)
法華経(正法華経・妙法蓮華経・無量義経)
華厳経
浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)
150年 中国で大乗経典翻訳される。
200年代 インド・中期大乗仏教経典
大般涅槃経 勝曼経 など
インドで偶像である仏像彫刻始まる。
(それまで仏像はなかったんですよ。
以前は、輪などのシンボルを使ってました。
このころより、もっと具体的に仏像を作り始めました。)

300年代 インド・倶舎論
中国にて仏教教団の基礎ができる。
中国で念仏結社ができる。浄土教の基礎ができる。
中国で阿弥陀信仰、弥勒信仰、観音信仰おこる。
朝鮮に仏教伝来
400年代 インド・中期(第2期)大乗仏教経典
金光明経 地蔵菩薩本願経 薬師如来本願経 孔雀王呪経
中国に異国の僧侶による膨大な経典・論の翻訳が本格的になる。
450年 インド・大乗起信論
500年代 中国で盂蘭盆会始まる。
日本に仏教伝来。
日本・聖徳太子、仏教を流布する。
菩提達磨(ダルマ)中国に禅を伝える。その後、禅宗が発展する。
中国に天台宗の基礎ができる。
中国に華厳宗の基礎ができる。
ビルマに仏教伝来。
600年代 中国より玄奘三蔵がインドで学ぶ。
(西遊記で有名な三蔵法師のことです。)
インドで密教が栄える。
インド・大日経 金剛頂経 など
朝鮮に法相・華厳・密教伝来。
日本・盂蘭盆会始まる。
700年代 チベットに仏教が伝わる。
(チベットは、最初から密教が中心です。)
東南アジアに大乗仏教栄える。
インド・その後、イスラムの侵攻による仏教寺院破壊とヒンズ―教の隆盛をみてインドでの仏教は衰退する。
中国の鑑真和尚、日本に戒を伝える。
日本・奈良東大寺完成。
奈良の南都六宗(三論、成実、倶舎、華厳、法相、律) 
中国に密教広まる。
朝鮮に禅伝来。
800年代 日本・最澄と空海が中国に渡る。最澄は天台宗を開教、
空海が真言宗を開教

中国・廃仏毀釈と復興を繰り返す。その中で、禅は、曹洞宗・臨済宗、浄土宗、華厳宗、天台宗らが融合を繰り返し発達してゆく。密教は無くなる。
900年代 日本・念仏始まる。空也、源信。
1000年代 朝鮮の仏教全盛。
日本・新義真言宗起こる。覚鑁(かくばん)。
1100年代 日本・融通念仏宗起こる。良忍。
日本・法然、親鸞、浄土教布教に活動。
日本・栄に渡り臨済宗を学ぶ。臨済宗広まる。栄西。
カンボジアにアンコ―ルワット建設。
1200年代 日本・栄に渡り曹洞宗を学び日本に広める。道元。
日本・時宗起こる。一遍。
日本・法華信仰盛んになる。日蓮。
1300年代 タイ・上座部仏教を受け入れる。
その後、タイ周辺の国は、上座部に変る。
1400年代 朝鮮仏教衰退。儒教栄える。
日本・蓮如、本願寺中興。
日本各地で宗教による一揆。
1500年代 日本・織田信長、比叡山焼き討ち。
1600年代 日本・徳川家康、本願寺を東西に分立。
日本・寺院法度制定、檀家制度できる。
日本・天台宗、華厳宗、真言宗(古義)、真言宗(新義)、真言宗(戒律派)、浄土宗、真宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗、それぞれ発達。
(この時の宗派が現在も続いています。)
日本に明より隠元来る、黄檗宗を広める。
1700年代 日本・葬祭の仏教による習俗定着。
1800年代 日本・廃仏毀釈、神仏分離。
インドでの仏教復興。
(インドでは、ヒンズ―教が主ですが、六億の人口で、現在、350万人が仏教徒といわれています。)
1900年代 チベット・ダライ・ラマ十四世、インドに亡命 

   


歴史上に現れる宗派について
 
 いままでの歴史をこのように眺めると、同じ宗教宗派でも、こうもバラバラになるのか、あきれますな。でも、それにはそれなりの独立する意味があるのです。その差異を書く事は、とても偏見と誤りがあると思うのです。立場、見方で解釈が異なるからです。ここは、一つ、南福寺流ということを念頭に見てください。




世界の宗教

バラモン教 インドの仏教以前の宗教です。ベ―ダ―聖典祭儀により、儀礼がきまっており、 その通りにする事が神の恩恵を受けるとします。
ヒンドゥ―教 バラモン教の延長です。インドを中心とし、東南アジアに広まる。
ユダヤ教 中東。聖書の中の旧約聖書を経典とします。やはり、戒律や儀礼が細かいです。
儒教 孔子が中国で唱えた人生・人間のあり方。
仏教 インドでゴ―ダマ・ブッタが唱えた。縁起の法を説く。
キリスト教 イエス・キリストを信奉する宗教。新約聖書を崇める。
イスラム教 ムハンマドが啓示を得てコ―ラン(正しくはクルア―ン)を記し聖典とする。
世界の歴史上は、一番長く広大な国々から信奉されている宗教といえる。 

他に、シ―ク教、ジャイナ教、神道などなどある。


仏教の分派

上座部仏教 戒律を主とする出家至上主義。本尊は、ブッタのみである。
大乗仏教 慈悲を主として救いの手立てを多く持つ。本尊の種類は多種多様。
天台宗 法華経を主とし、大乗仏教を網羅する教え。
この世の中は、全て清浄であるとする。
女人成仏を初めて説く。比叡山延暦寺。
法相宗 唯識教学を基とする。大乗仏教のベ―スとなる。奈良薬師寺。
けごんしゅう
華厳宗
華厳経を主とし、ビルシャナ如来を本尊とする。唯識教学による。
この世の中に、全て仏が宿るという。奈良東大寺。
浄土宗 浄土経典を主とする。アミダ如来が本尊。
この世の中は、すべてアミダ様によって救われていると信心する。
京都知恩院。
浄土真宗 浄土宗より分離。特に日本で、親鸞を崇める浄土門徒。本願寺。
臨済宗 座禅を主とする。公案という問答を持つ。
人間の計らいを超えた仏の世界に入れる。妙心寺、大徳寺など
曹洞宗 座禅のみを行う。臨済に同じく人間の計らいを超えた仏の世界を体現する。
永平寺。
日蓮宗 法華経を主とする。特に、日本で起こり日蓮を教祖とする。久遠寺。
真言宗 密教経典による。大ビルシャナ如来(大日如来)が、本尊。
この身、この世での成仏を説く。金剛峯寺、成田新勝寺

このように歴史順に見てきますと、最初は、出家という特殊な人間のための宗教だったのが、一般の人にも説かれ、女性にも救いの手が差し伸べられ、皆に仏の種がある、というようになり、最後に登場する密教は、誰でもがこのまま成仏する、言い切るのでした。真言宗を考える時、この仏教の歴史的な流れから見るとよくわかられるのではないかと思います。


四、人生の辻辻に  ― 人生へのことば ―   
 
 ここに「ことば」を表して、密教・真言宗の教えを味わってください。

      ◎自灯明 法灯明 (じとうみょう ほうとうみょう)

これは、おシャカ様最後のことばと言われています。自灯明とは、自らを灯火とせよ、と言うことですが、
依頼心をなくせ、ということです。誰かのせいにするな、自分の人生をよくするも悪くするも、己れ次第。その己を常に自己探求しながら生きろ、というのです。次に、法灯明です。法は、法律ではなく、自然界の真理、宇宙の法則です。自分一人でいきているのではない。みんなのお蔭で縁で支えあっているのが、この世の中だ。自己の探求と、法にのっとった自然な生き方を勧めています。

      ◎如実知自心 (にょじつちじしん)

これは、大日経にあることばで、お大師さんも大切にしていました。密教の究極です。実のごとくに
自分の心を見なさい、と言いうのです。すると、何が見えるかなあ。何を見ることができるかなあ。自己探求の末には、大日如来と同体の自身が現れるというのです。先のおシャカ様のことばと呼応しますね。


      ◎生まれ生まれ生まれ 生のはじめに暗く
       死に死に死んで 死の終わりに暗し


お大師様のことばです。君は、どう生きているのか。君は、なぜ生まれてきたか、わかったか。そして、死んでゆく先は、どこかつかんだか。という問いかけです。きついですね。でも、日々朝生まれて、夜死んだとすれば、あまりにものんべんだらりの毎日であると気づかされます。

    
  ◎貧を救うに財をもってし 愚を導くに法をもってす
       財を積まざるをもって心とし 法をおしまざるをもって性とす 


お大師様が、中国から帰る際に、師匠である恵果和尚の碑文に書いた文章です。経済のあり方を言ってるのでしょう。財はあっていいが、ガメルことはしなさんな。人は、金品では変らん。人に善くしてあげる事に教え悟らせなさい。その努力はおしみなさんな。といいうのでしょう。私は、許される経済というものを感じています。

      
◎みなこれ父母

極端だなあ、と思いますが、六道は、地獄、餓鬼、動物、修羅の戦闘、人間から、天人までの世界。そして、四生は、卵で生まれるもの、胎生のもの、湿気で生まれるもの、化生という忽然と生まれるもの、これらがすべて、父母だというのです。生まれるもの全てがいのちでつながっているんだなあ、ということです。
    
  ◎もし、自心を知るは すなわち  仏心を知るなり
      仏心を知るは すなわち 衆生の心を知るなり 


自心を知ることの大切さをいいます。真言宗だけではないのでしょうが。つらい時、悲しい時、苦しい時、怒る時、皆これは、自分の心です。こんな心を見つめていると仏心に近づき、さらには、仏心というのは、世間一般の生きている人々の心を知ることになるんだよ。自分の苦労を知る人は、人の苦労がよくわかります。比べて見下す事は無いでしょう。むしろ、その人の立場で物事を考える事ができるでしょう。すると、それが仏の心だよう、仏の世界だよう、というのです。地獄もまた、苦しいけれども、自分を知る世界であります。父母であります。

      ◎
仏の智恵は を因とし 大悲をとし 方便をす  
   
大日経に説く文句です。仏というのは、みんな仏の子だようという確信と救ってやまない哀れみの心とがあり、そして、これを実現するためにあらゆる手立てを考え、あの手この手と方便を使う、というのです。
方便は亜流的な感じですが、それこそが、ずばりはまって相手に理解させる事は難しいものです。方便は、最大の課題でもあるのです。その方便には、欲望もあるし、金もある。世の中のあらゆるものが総動員されます。悪い事もいいのかって。そんなにこだわる事無いの。善いものを作るならば、悪いものを利用して、最後に善くなればいい、という考え方です。

その外いろいろありますが、都度都度の法話にておはなしさせていただきます。



五、質疑応答 



◎ 宗教、宗派はかわってもいいの?

人生は、一度きりです。その人生の間にどんな教えに会えるか、それは大きな問題でしょう。自分が生きてゆくうちですばらしい教えに出会ったらそれは、素敵ですね。でも、宗派を変ると、ばちかぶる、とか、御先祖様がおこる、とか思うのだったら、止めた方がいいでしょう。何らかのサインでしょうから。歴史的に
先祖の宗教は、江戸時代から確定しました。それ以前は、教えにもっと自由だったんですよ。



◎ ○×宗のお経じゃ、成仏しないんでしょう?

そんあことはありません。お坊さんの読むのが頼りなく感じるだけでしょう。宗派の経典で成仏の可否が判断できるわけありません。



◎ 嫁の宗教と家の宗教が違って、うまくいかない

深刻な問題です。新興宗教では、自分だけの信仰ではなく、家族全部の信仰を良しとします。そこで、お嫁さんは、嫁ぎ先の家族も熱心に勧誘するのですが、それがおもしろくないわけですね。夫の立場も無く家の中が気まずいんですよね。話合いが必要ですぞ。よければ、私も出て行きますよ。必ずしも、家族が全部一緒の信仰を、というのが難しいののなら、家族の和を第一番に考えて、宗教は、個々の問題にして行くことも考えられます。今は、ホント難しい時代なのです。



◎ この宗教で拝まないと家族が死ぬといわれたので高額のお布施を支払った

やめなさい。その宗教。脅迫行為ですから、あくどいのは、消費者センタ―に苦情を申し立て下さい。宗教の場合は、両者の合意とかなんとかいって、なかなかしっぽがつかめないのですが、最近、全国的に裁判では消費者が勝ってます。泣き寝入りは止めて、言うだけいいましょうね。



◎ なぜ、宗教戦争があるのですか

宗教は、同胞意識は強いし、また、人殺しさえも正当化できる洗脳能力があります。第二次世界対戦の時は、お坊さんは、精神的に軍人や住民を鼓舞する係りとして、精神報国活動を仰せつかっていたんですよ。すると、むしろ、利用されていたともいえます。真の戦争目的は、経済であったり、領土であったり、利権の問題であったりするのかもしれません。しかし、これらの戦争を、宗教が止めさせたのは、ガンジ―さんとかわずかでしょう。おシャカ様は黙認しました。人類の問題ですね。



◎ 宗教は、なぜ、協力しないのですか

そのとおり。てんでばらばら。やはり、おらが一番の根性ですから、協力はできんでしょうね。
無理でしょう。



まだまだあるでしょうから、その都度都度ご質問下さい。



六、 あとがき

 ながながとスミマセンでした。ヤッパリ大きな問題ですので説明もようしきりませんですいません。本屋とか南福寺の本棚で本を見られるのもいいかと思います。しかしながら、宗教という手垢のついた話よりも、もっと、宗教以前の素朴な感覚で、生きて行くことをお勧めします。そういう価値観もいいですよ。そういう考え方は、お大師さまもすきだとおもいます。曼荼羅であり、空であり、海であります。私たちも、その辺で生きて行くことが、自心に争いの心が無く、平和な心であり、そういう人が二〜三人いれば、それで世界平和につながるんじゃないでしょうか。みんなで学んで行きましょう。
                                          九拝   

 
                        仏事秘伝帖 その六
                         うちの宗派は何?の巻                                           終わり     


 2003年秋彼岸中日法要のために記す。南福寺伝なれば、他見を好まず。よくよく質疑問うべし。
誤記、誤解釈、一人よがりの越三摩耶の罪に恐れるのみ。本尊倶利伽羅不動明王、末資が微意を照覧したまいて、これを目にする人を導き給わんことを。
                                              南福寺住職 渡辺弘敦  合掌         
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