|
Studio Aikawa「さぬき和歌披講の会」 改修工事を了えた"Studio Aikawa"における和歌披講の会。いかなる幸運か、数々のCDやコンサートで共演してきた斎藤京子ちゃんがミラノから帰国中で参加して下さいました。とはいえプロのピアニストにタダで弾いてもらうのは心苦しいので、恥をしのんで私が《君が代》の和琴伴奏版とピアノ伴奏版を弾くつもりでした。ところが、倭琴の調絃を忘れており、調絃する間に京子ちゃんのピアノ伴奏で皆様に《君が代》を歌って頂くことに。これは出来の悪い先輩を後輩が助ける図!? で、坂高での御縁に感謝するばかり。
ピアノ・オルガン・倭琴(五絃&六絃)を弾き分けることが可能なのは"Studio Aikawa"のみでして、和歌披講そのものが広い会場でわさわさとやるようなものとは思えないため、出来ればここで続けたいと考えております。 手に円座を持っているのは、ウヅヒコ・ウヅメ、アヅミノイソラといった海の神を迎える《阿知女法(あぢめのわざ)》を説明するためで、わざわざ伊勢神宮の神具を扱う店から国内産の円座を取り寄せました。 |
高松「さぬき和歌披講の会」
|
宇多津「クラウンオルガンで歌う日本のうた」
|
宇多津「クラウンオルガンで歌う日本のうた」
|
志度寺「弁財天堂」「海女の墓」 平賀源内の故郷 志度。そこに四国八十八ヶ所霊場第86番札所志度寺があります。創建は推古天皇33年(625)という四国霊場屈指の古刹です。海洋技能集団たる海人族の凡(おほし)薗子尼が流れ着いた霊木を刻んで十一面観音像を彫り、精舎を建てたのが始まりとされます。
この志度寺の名を有名にしたのは謡曲『海人(海士)』かもしれません。世阿弥は『申樂談儀』(1430)に志度の海女伝説を主題とする能の一部について「金春の節である」と書いているので、当時すでに世に知られていたはずです。能楽「あま」については史実に脚色を施したと考えるのが妥当でしょうが、当地の伝承と照合しつつ簡単にまとめてみます。 「大臣淡海公(藤原不比等)の妹が唐の妃になるにあたって唐の高宗皇帝から興福寺に三つの宝物が贈られた。ところが、その一つ『面向不背の珠(珠のなかに仕込まれた観音像の顔がどの角度から見ても必ず正面にみえるという不思議な宝珠)』をこの地で龍宮に奪われたため、奪い返そうと大臣が身をやつして訪れ、海女と契りを結んで房前という子が生まれた。珠を取り戻したら房前を世継ぎにすると言われ、海女は我が子の将来のために海中へ入る。激しい攻防ののち、竜宮では死人を忌むと聞いていた海女が自分の乳の下を掻き切って珠を押し込め海底に倒れると近づくものがなくなった。海女は力をこめて命綱を引き、海上の人々によって引き上げられた。瀕死の海女が『わが乳のあたりを御覧ぜ』と末期の言葉を発し、大臣が傷跡をみると『面向不背の珠』があった。海女は落命し、淡海公は約束どおり房前を正式な息子として都に連れ戻った。のちに大臣となった房前は、行基を連れて志度を訪れ、母のために志度寺の西北一丁あまりの場所に千基の石塔を建立したという」 今も志度寺の西には約20基の五輪塔・経塔などが現存していますが、まるで牢屋のように囲まれています。 その西隣りにある弁財天は志度寺創建前より志度湾を背にした海人族の祀り場とされています。現在は砂浜との間に公道が通っていますが、社にめぐらされた堀からは汐の香が漂ってきます。古代海人族の祭祀では社殿などなかったと思われ、社殿裏の志度寺駐車場や道路を通過して浜辺で奉納演奏しているイメージを楽しみました。 さらに7月3日、竹生島の宝厳寺へ海女が取り返したとされる『面向不背の玉』(昭和51年発見!?)を見に行きましたが??? |
円座町「青龍宮」 三木町「鰐川天満宮」「和爾賀波神社」 高松市円座に鎮座する「青龍宮」は古来水の少ない讃岐にあって祈雨に霊験あらたかな龍神さんとして知られていたため、高松松平藩の護りとして遷座させられたそうです。それが氏子の皆さんの懇願によって戦後旧地に復されました。現在は「廣旗神社」の境内社です。開始90分前に着いたら、もうイスに座られている方がおられました。「うたの寺子屋」の新しいパンフレットを持参し、概要をお話ししたのち演奏させて頂きましたが、地域住民に大切にされている龍神さんゆえ、高松空港に近いことと、すぐ近くをコトデンが走っていることを忘れさせてくれました。
その後、三木町の「鰐川天満宮」と「和爾賀波神社」でも演奏させていただきましたが、讃岐には水を司る神社が本当に多いですね。画像右は御神体の鰐石!! |
庵治町「皇子神社」「住吉神社」 3月18日に料亭「二蝶」で神楽歌をお聴き下さった皆さんが、現場(!?)での奉納演奏を見聞したいとのことで、庵治の「皇子神社」「三座磐座」「住吉神社」という場を御用意くださいました。私はただ出掛けて行っただけですが、雨模様だったのに突然陽が射してきたりして現場での臨場感を楽しんで頂けたようです。全国的に暴風が吹き荒れたこの日、海に面した「三座磐座」で楽譜が飛んだり、重石として置いた巻貝が飛んで倭琴を直撃したり、私もスリルを楽しみました!?
|
寒川町「真清水荘」 皆さんで一緒に童謡や唱歌を歌いたいとの御要望を頂き、瀬戸内海を考えるシンポジウムの折、足踏みオルガンを貸して下さった平田景子さんに「真清水荘」へオルガンを寄贈してほしいとお願いしたところ御快諾くださいました。お父様の元宇多津町長 平田次郎氏に大変お世話になった上、今は景子さんにお世話になっている私。図々しい限りでしたが、皆さんが楽しそうに歌って下さって嬉しうございました。久々の足踏みオルガン、ちょっと火が点きそうな感じ…。
|
屋島「洲崎寺」 洲崎寺さんでの『継信・真念墓前祭』から再度お声掛け頂き「うたの寺子屋」を開催しました。前回ご参加くださった皆様に加え、初めて倭琴を聞いて下さる方もおられました。この日は二度目という安心感からか明治以降の日本音楽界の実情を嘘も匿しもなく喋ってしまい、ウケ過ぎました。ごめんなさい。ですが、洗脳された音楽家と違い、一般の方々は健全な感性で「音楽」に疑念を抱いておられたことがわかり、励まされました。ますます先鋭化して再びお目にかかりたく思います。
|
料亭「二蝶」 しばらく四国での「うたの寺子屋88」を休止していましたが、毎年3月19日に洲崎寺で行われる『継信・真念墓前祭』で「うたの寺子屋」を開催することを知った平井二郎氏が、『古事記を学ぶ会』の皆様に塩を焼く文化があったことを伝える記紀歌謡「枯野」(記74,紀41)を聞かせたいと「うたの寺子屋」を企画して下さいました。しかも場所が料亭「二蝶」!! 食事につられた感も否めませんが、ともかく一日前倒しして帰省し、高松のホテルに泊まりました。今回は90cmの六絃と80cmの五絃で「神楽歌」「大歌」「茲都歌歌返」などを演奏させて頂きました。画像を撮り忘れたため、終了後お世話になった方々と一枚。
|
「リーガホテルゼスト高松」 これまで3回「うたの寺子屋88」へ足を運んで下さった平井二郎氏が講師をつとめておられる『古事記を学ぶ会』100回記念講演における「うたの寺子屋」。天詔琴をイメージした90cmの倭琴と2mの和琴を持参し、国楽としての壱越調律旋の解説を軸に、「君が代」「越天楽今様」などを皆さんと一緒に演奏しました。『古事記』を学ばれているだけあって素晴らしい吸収力と理解力をお持ちの皆さんとの、短いながらも充実した時間を楽しませて頂きました。
|
「不動の滝カントリーパーク」 今回はじめて知った三豊市の不動の滝。右の画像は『源氏物語』にも出てくる中国伝来の風習と日本の祖霊信仰の神事が合体したとされる旧暦7月7日の乞巧奠で織女にあやかって裁縫の上達を祈願する五色の糸巻で、わざわざ金刀比羅宮から借りて来て飾って下さったそうです。こんぴらさんでは蹴鞠や雅楽も行なわれているので、冷泉家と同じようなスタイルで乞巧奠をなさっておられるのでしょうか。
|
「詫間町公民館」 浦島太郎で有名な詫間町とあって神社めぐりをしたいところ、2mの和琴と90cmの倭琴(五絃)を持参して、壱越調律旋、陰旋・陽旋などの歌を皆さんに歌って頂きました。せっかくステージを作って下さっていたのですけれど、この形は音が緞帳に吸われて前に出ないことを第3回で経験済みだったので、下で演奏しました。コーラスや洋楽とは違うため、和琴を聴いて頂くにはこれがベストだったと思います。
|
宇多津町「塩がま屋」 平安時代の催馬楽は2mの和琴でないと演奏できませんが、大和朝廷が和琴を六絃に定めるまでは九州の倭琴(わきん)は五絃、関東の東琴(あづまごと)は四絃が主流だったと言われています。そこで、これまで出土している琴が50cm〜140cmだったことから、いずれも約90cmの倭琴を特注し、その初披露を兼ねた五絃の神楽歌をテーマとする寺子屋を塩がま屋さんでやらせて頂きました。
|
屋島「洲崎寺」 屋島はかつて島で、源平合戦では対岸にあった洲崎寺も戦火に巻き込まれたそうです。義経は洲崎寺の僧に命じ、焼け残った本堂の戸板に自身の身代わりとなって敵の矢に射抜かれた佐藤継信の遺骸を載せて本陣まで運び、家臣を弔ってもらう代わりに名馬大夫黒を与えたそうです。毎年3月19日に行われている継信墓前祭にちなみ、平安時代の音楽や和歌披講などをさせていただきました。
|
詫間町「善性院」 今や三豊市となった詫間町の善性院龍光寺は奈良時代に創建された古刹です。畏れ多くもその祭壇に上らせて頂いての「うたの寺子屋」。御住職、副住職をはじめ檀家の皆様のやわらかくあたたかな雰囲気の中で、和琴の響きがいつも以上に雅やかに聴こえたことでした。15時から30分間は催馬楽を演奏しました。
100名を超える参加者の皆様とともに演奏させて頂いた様子が、RNC放送「ドリーマーズ」で放送されました。 |
宇多津町「こめっせ宇多津」 photo by Teraoka
今月初旬、スケジュールだけを従兄と叔母に伝えて帰宅し、前日に宇多津入りという人任せの私。高松での開催日が未定のため、わざわざ高松以東からお運び下さった方もおられ、ほぼ満席でした。
ちょうど神楽歌を演奏していた19時15分過ぎ、ぐぁらんぐぁらん…という大きい揺れ(香川県では滅多にない震度3)が長く続いたにも拘わらず、静かに聴いて下さったお客様に感謝いたします。 |
「さぬき市立 長尾幼稚園」 和琴でうたう日本各地のわらべうた・こもりうた photo by Lily とてもお行儀がよくて賢い子どもたちとの「うたの寺子屋」。さぬきの魅力を知っていること、初めての歌をあっという間に覚えてしまうことに驚かされました。カタカナ言葉の日本の歌が氾濫する世の中、普通の日本語のうたをたくさん歌ってほしいなあ…と感じました。私が時計を忘れたために早く終わってしまい、神楽歌を一曲しか演奏しませんでしたが、外国からのお客様もいらして下さっていたので、もう一曲演奏すべきでした。ごめんなさい。
|
宇多津町「平山コミュニティー分館」 16時〜平山神社(神楽歌奉納) 第2回は私が生まれ育った聖通寺山の麓・平山での開催でした(第10回の折、平井二郎氏に「宇多津は和名抄にある鵜足津になる前の地名が平山だった」と聞いてビックリ!?)。平山・太鼓台の幕には天の岩戸の前でアメノウヅメが歌い踊り、何事かとアマテラスが顔を出したところを↑筋骨隆々のアメノタヂカラヲが引っ張り出すという神話の一場面が描かれています。 平山神社は本当に小さなお社ですが、詰めて座って満杯という感じで、ふわぁっとした雰囲気の中、神楽歌の奉納ができました。さすがに地元、懐かしい方々にお会い出来、和気藹々とした時がアッという間に過ぎ去りました。 photo by Teraoka |
聖通寺山「サン・アンジェリーナ」 16時〜ゆるぎ岩(神楽歌奉納) 「うたの寺子屋88」第1回は、平日の昼間にも拘わらず、遠方より大勢の皆様がお運び下さり、無事終了いたしました。 天候は予報通りの曇りでしたが、「ゆるぎ岩」で神楽歌を奉納したらサァーっと陽が射してきて、さわやかな気分になりました。 また、「カフェ・クローチェ」が満席になってしまったため帰られた方々にお詫び申し上げるとともに、「ゆるぎ岩」までいらして下さった数十名の皆様に心からの御礼を申し上げます。 photo by Lily photo by Orange |