00年1月11日掲載 タイトル お宝  サブタイトル 無条件の慈しみに触れる

 私の父も僧侶です。数日前のことです。実家に父を訪ねると、「何か形見に買ってやりたい」といいます。父は食道ガンを患い、家族で命の重さを感じるこの頃です。
 父が「形見を買ってやる」と言うのには理由があります。父は十年ほど前、脳梗塞を患いました。そのとき、自分の命もここまでを思ったらしく、自分が平素より使ってきたお袈裟やお衣類を、親族に形見分けをしてしまっているのです。このたびの大病では、これといった形見になる品がありません。
 父は私に「袈裟がいいか、何がいいか」と聞きます。私は少し考えて「伽羅の念珠がいい」とリクエストし話がまとまりました。伽羅の念珠は高価な品です。わが家のお宝の一つになることでしょう。
 その父に、「お浄土に往って仏に成ったら何がしたいか」と聞きました。浄土真宗で仏に成るとは死者のことではありません。すべのとらわれから解放され、自由自在に人々を済度できる働きに同化することです。
 すると父は「南無阿弥陀仏の念仏になる」と言いました。
 浄土真宗でいう「南無阿弥陀仏」の念仏は呪文ではなりません。無条件に私を救って下さる永遠のいのちの自己表現です。無条件に私を救うとは、無条件でなかれば救われないような闇をもっている。それが私だという阿弥陀仏の人間理解です。その私を、無条件の慈しみで満たすという仏の名のりが念仏なのです。
 私が「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える。それは念仏のなって躍動して下さっている阿弥陀如来の慈しみの触れるときです。
 仏さまだけではありません。念仏を称える中にお念仏と縁つけて下さった先祖を思います。またお念仏の理解を示して下さった親鸞聖人、そのお念仏を多くの人々に伝えて下さった蓮如上人、念仏を喜び生きそしてこの世を終わっていった人たちにも思いが及びます。
 父が往生した後、私はこのお念仏を通して父に出会っていくのだと思います。お宝もこれに過ぎるのもはありません。
 
  


 00年2月8日掲載 タイトル 系譜  サブタイトル 大きないのちの中の自分

 数年前、わが子の中学受験の面接に同席しました。面接官の先生が、「将来何になりたいか」と聞きました。すでに用意してあったのか、とっさに考えたのか「内閣総理大臣になりたい」とのことでした。その子どもが、幼稚園の頃、将来何になりたいかと聞きました。その時は、「大将になりたい」とのこと。これはマンガか何かで見たにちがいありません。
 私は、こうした大ざっぱな答え方が好きです。特に子どもの頃は、大切な考え方でもあります。
 日本では科学的なものの見方が一辺倒です。子どもは学校で科学的なものの見方を学びます。科学の科は、分けるたり分類することです。科学とは一つのことを、バラバラにして理解することです。バラバラにした途端、比べ合いが始まり、競争が生まれます。すべてが一つ、大きないのち、大きな理想といった概念のないままに、バラバラだけを教える。すると、責任の伴わない自己主張や、私の都合で、自分の生命すら粗末にする状況が生まれます。それが現代ではないでしょうか。
 文化や宗教といった一つ・全体という概念を学ぶことが大切です。
 私といういのちの系譜の学び。私がどのようにしてここに誕生したのか。個を超えた大きないのちの中にある私の発見。そうした人間理解を養うことです。 日本には、全体の中に個を埋没させてしまった歴史があります。私を埋没させるのでははく、私を発見することです。 昨年、父が食道がんを患いました。当初、気になったのは、「何ヶ月の生命か」です。しかし同時に、かけがえのない生命を何ヶ月という数量ではかる。それは非常に不遜なことだと思いました。生命を一ヶ月二ヶ月という数量にしたとたん、一ヶ月より二ヶ月、二ヶ月より三ヶ月の生命の方が価値ありという生命が物に転落してしまうからです。
 与えられた生命を、一日一日大切にしていく。いのちの系譜の頂点にある今のい生命。そのことを見失わないように歩む。それが大きないのちの中にある自分を生きることだと思います。
 



 00年2月15日掲載 タイトル パーテイー   サブタイトル 心の豊かさこそもてなし

 パーテイーの良さは、めったに会えない人に会えることです。懐かしい人、会いたかった人に出会うことができます。 しかし、バーベキュー形式のパーテイーで、残されるご馳走には閉口します。家族的は小さなパーテイーでしたら、余り物を頂戴して持ち帰ることもできます。大きなパーテイーだとそうはいきません。主催者側が工夫をして、素早く品のいいおみやげにしてくれると良いと思うのですが。そんな営みが野暮ではなく、贅沢な事として受け入れられる社会を実現したいものです。
 物中心の社会にあっては、物が沢山あることが贅沢です。しかし心の豊かさを大切にする社会では、少しのことで喜べる。それが贅沢というものです。
 私が子どもの頃はパーテイーをいったものとは無縁でした。誕生日には近くの食堂から好物の出前を取る。いつもとっておきはカレーうどんでした。懐かしく大切な思い出です。小さな事で喜べる。昔はそんな時代でした。
 小さな事で喜べる。それは時代の持つ精神的な風土でもありました。それに反し現代は、物が多すぎることから来る苦しみに囲まれています。
 長男がまだ小学校低学年の頃のことです。三人の子どもを連れて家族で温泉に行きました。夕飯は例のごとくのご馳走でした。食事を終え、くつろいでいると、長男が「お父さん、明日もご馳走?」と聞きます。私は深く考えることなく「うん、ご馳走だよ」と肯定的に返答しました。すると子どもは、「なーんだ」と、本当にがっかりした様子を見せました。子どもにとってご馳走の意味が違っていたのです。「あれも食べろ、これも食べろ」の洪水、また長い食事の時間は同席が強いられます。子どもにとってはあのご馳走が苦痛だったのです。
 物の豊かさの中にあって、その豊かさを苦痛と感ずる。過剰の故です。時代は確かに、「物によって心を満たす」ことから「物によって心が振り回されない」へとシフトしています。その次にくるのは「満たされた心によって物を扱う」ことではないでしょうか。





 00年4月15日掲載  タイトル 隠居  サブタイトル 成長期としての意味づけを

 ご隠居。いい言葉の響きです。私の心の中に、隠居に対する良いイメージがあるのだと思います。隠居について考えるこことは、老いの意味を考えることでもあります。
 ご隠居がご隠居として尊敬される。そうした精神風土がなくなったからでしょうか。近年、死の際まで現役にこだわる人が多くなったような気がします。生涯現役をほめる風潮もあります。
 「若く・明るく・元気で」がもてはやされる昨今です。それが最近、隠居がクローズアップされています。価値観が変りつつある現れと考えます。
 社会は「強く・明るく・元気」であるに越したことはありません。しかしそれが心のあり方までとなると、これはもう現代病です。
 強さは弱さの欠如でしかありません。弱い存在によって、優しさや慈しみは生み出されていきます。また夜が大切なように沈黙や暗さが象徴する営みは、明るさ以上に知的なものです。病気も質的な心の成長には重要な役割を担っています。
 「強く・明るく・元気」から、質の違う価値観の模索。それが隠居に象徴されているのだと思います。
 隠居は単なる人生のリタイヤではありません。それはある種の成長期です。「看護論」の著者、マーッガレット・ニューマンの言葉を借りれば「意識の拡張」という成長です。
 仏教は、老病死を見つめてきました。
それは単に、人間を否定的に見てきたのではありません。老病死をありのままに受容できる心の可能性を大切にしてきたのです。
 隠居という言葉に、人間の成長に即した新しい意味づけをしたいものです。
 そこで提唱です。仏教(宗教)に帰依した儀式を受けると、戒名や法名、洗礼名を頂きます。定年や還暦の折り、自分の所属している宗教・宗派で帰敬式、洗礼、受戒を受ける。そして今までと異なる成長を視野に入れた生活を送る。
隠居を生活様式の変化ではなく、一つの成長期をして復活させたいものです。





 00年5月17日掲載 タイトル 名セリフ  サブタイトル 脚光を浴びる場あればこそ

 名セリフという言葉を思い浮かべていると、プロレスで活躍された力道山の空手チョップが心に浮かんできました。名セリフと力道山の空手チョップ。この二つは同類項のように思われます。
 力道山の空手チョップは、最初からやたら連発しては、魅力がありません。出すべきところで出すから脚光を浴びるのです。名セリフも同じです。
 また主役ばかりが喝采をあびて、それをお膳立てした者には、関心が寄せられません。主役だけがオンリーワンです。
 仏教は、むしろ名セリフや空手チョップの主役よりも、それを成立させた背景の見事さ、裏方の巧みさに注目することを教えています。
 仏教教典には、それぞれの教典に花形に相当するお言葉があります。私が日頃親しんでいる「無量寿経」では、アーナンダが釈尊に問いを発する部分が、その花形に相当します。
 大衆の中で、ひとり立ち上がり、問いを発するのです。釈尊も待ってましたとばかりに、その問いを褒めます。神々から聞いたのか、それとも尊敬されるべき人から聞いたのかといった具合です。
釈尊の褒め言葉はその問いの持つ歴史的な役割、重大性を確認するかのようです。そして褒めるだけ褒めた最後にアーナンダに告げます。
 いわく「そのこと自体がすでに如来の計らいであったのだ」(梵文和訳・大無量寿経)。
 その問いがわき上がってくる背景には、問いがわき上がってくる必然の働きがあったことを告げたのです。
 これが仏教の考え方です。一つの出来事を単独的に見ない。大きな背景や関連、働きの上に一つの出来事を見て行く。
 話を名セリフに戻すと、名セリフや空手チョップだけに酔うのではなく、その主役を主役として成立させている脇役の見事さに関心を持っていこうとするものです。脇役もオンリーワンです。そうすると楽しみが2倍や3倍になります。
 人生も同じではないでしょうか。人生を二倍、三倍に楽しむコツは、嬉しいことがあったら独り占めしないことです。





 00年3月23日掲載 タイトル 日課  サブタイトル 町の中こそが修行の場

 毎日の日課は朝の勤行(読経)です。そのほか僧りょだからと言って、特異な修行をするわけでもありません。修行と書いてふと思い出した話があります。十数年前のことです。現在私は首都圏のある町に住んでいます。
 その町に、こころざしのある僧りょが、十数人、訪問伝道の体験学習に来ることになりました。宗派の僧りょ研修の一環でした。私は早速、知りあいの新聞社の人に取材を依頼しました。「一般の人は、修行と言えば山の中でするものだと思っている。今の僧りょは町の中こそが修行の場だ」と云々。
 今でも私は、修行とはそうしたものだと思っています。山の中の修行は、本来の修行の助走期間です。人々の悩み・悲しみが渦巻くちまたが、僧りょの修行の現場であるべきです。
 でも僧りょと言えば、出世間の人といい、社会から外れた人といったイメージがあります。格好も特異です。
 そうしたイメージが、逆に僧侶が世間に無関心でいることを当然としてきたようにも思います。
しかし昨今の宗教団体を巡る騒動は、僧侶が世間のことには無関心でいることを許さなくなってきているのではないでしょうか。
 願いがかなうと多額な金銭を取る。額こそ違い、在来の宗教団体がやっている行為です。除霊と言って、これまた多額の金銭を要求する。これもご法事でお経を読み志しを頂くことと構図自体は同じです。
 宗教を商売としている人と何がどう違うのか。お坊さんの側から発信していかねばならない時が来ています。
 政治家と政治屋と政治業者がいると聞きます。宗教者の営みも、宗教家と宗教屋と宗教業者がいるようです。それは帰する所は宗教者の責任です。しかし宗教に対する無知を肯定してきた社会にも大きな責任があります。
 社会人は、宗教に対する正しい知識を持っている。お坊さんの日課表には、宗教者ならではの社会奉仕が書き込まれている。そんな社会が望まれます。





 00年6月15日掲載 タイトル 以心伝心  サブタイトル 時代の濁り 静かに広がる

 「以心伝心」。この言葉は、本来よい意味で用いられます。しかし以心伝心はよいことばかりではないと思います。
 昨今の、少年犯罪の多発を見ていると、社会の病理が、無意識のうちに広まっているという感じを持ちます。
 『阿弥陀経』というお経に、「劫濁」(コウジョク)という表現があります。その時代、その時代に特有の濁りがあるというのです。
 元筑波大学の教授であった文化人類学の故我妻弘さんの研究成果です。
 地球上のどんな民族でも、経済的に豊かになると、物の感じかたに種々の弊害がでる。その一つとして「人は外罰・他罰的になる」教えて下さっています。
 他罰的とは、失敗の原因を外に求めるとのことです。町中で幼児がドブに落ちる。初めは親の不注意を悔いるが、次に思うことは「こんな町中のドブにフタをしない行政の怠慢」を攻める。学校でも先生の監督責任を攻め、心の荒廃を教育制度の不備に求めます。
 私の上にも思い当たる点が多々あります。これは現代日本の持つ1つの時代の濁りだといえます。
 また近年は、自己決定の尊重を大切にします。その前提として、情報開示を求めます。この自己決定の尊重は、人と人をバラバラにしていく考え方です。宗教や文化といった個を越えたものへの配慮のない個人の尊重は、単なる人間の孤立化です。現代日本はその傾向にあります。これも時代の濁りの一つだと思います。
 自己決定の尊重と人が孤立化し、都合の悪いことは他人のせいにする。そうした風潮が以心伝心と伝わり日本人の心の闇を作っているようです。
 その点私は、お仏壇のある家庭に生まれて良かったと思います。家族が同じ方向に向き、「共に」という連帯の意識が育まれます。頭の下がる大いなる存在の前にぬかずく。そこは自分自身との対話の場所でもあります。お仏壇は、大いなるいのちとの対話の場所です。
 その仏壇が死者供養だけの道具になっている。これも時代の濁りなのでしょう。 悪いことの方が「以心伝心」と人に伝わるようです。





 00年7月26日掲載 タイトル 誤算  サブタイトル 目に見えない「ちから」

 過日、下関の友人のお寺に一夜泊めてもらいました。ご馳走の接待を受け、夜も十時を回った頃です。共通の友人も来て、隣町のネオン街に行くことになりました。住職である友人は、なにやら電話をかけています。
 しばらくして隣家のお嬢さんが送ってくれるとのことで、車が回ってきました。先ほどの電話はその娘さんへの電話だったのです。
 車の中で、その娘さんの小さいときのことや、現在の仕事のことやらで話は盛り上がりました。嫌みのない娘さんの態度に、農村部地域社会が持っているある種の「ちから」を思い感心しました。
 家、学校、職場、地域社会など色々な場があります。それぞれの場が特有の「ちから」を持っています。その「ちから」を学風とか、家風、社風、風土とか語ってきました。その社会が持ってい特有の「ちから」が、特有の人を育んでいきます。
 さて誤算の話です。正しい計画があってこそ誤算があります。無計画で目先のことばかり。これではうまくいく方が不思議です。これは人ごとではなく私のことです。誤算を積み重ねたようは私が平生無事にこれまでこれた。これは私が暮らしてきた環境や社会に、ある種の「ちから」が整っていたのだと思います。
 思春期は人生の中で誤算が多くある時期です。その誤算を支え良い方向に整えてくれるある種の「ちから」が不可欠です。
 人には人格があります。同様に、家や学校、社会にも風格があります。その風格が人を育てていきます。
 家風、社風、風土。前近代的と思われる目に見えない「ちから」に意味を見いだし、その力を育てていく。そうした視点が大切です。
 そのためには大切なものは何かをしっかり見つめることが第一です。現代はその大切なものが見えなくなっている時代です。
 そう言うと「それがおまえの仕事だ」。そんな識者の声が聞こえてきそうです。「はい、はい」。





 00年8月16日掲載 タイトル 氷菓  サブタイトル 「脱常識」のおもしろさ

 私は、三人の子を授かっています。子どもがまだ小さい頃、日常のエピソードを書きとめていました。
 その綴りの中にアイスクリームの歌の話があります。
 次女が四歳の時のことです。車の中で、アイスクリームの歌を聴いていました。歌の内容は「昔の王様でも食べられなかったアイスクリーム」という歌詞です。子どもに「なぜ王様はアイスクリームを食べられなかったのか」と聞きました。すると「王様は貧乏でお金がなかったんだね」とのこと。思いがけない答えに苦笑。そんな記述です。
 子どもと大人では常識が違います。子どもとの会話は常識を異にしている愉快さがあります。また子どもとの会話は、自分の常識を再点検する楽しい時間でもあります。
 常識は必要です。しかし常識に縛られないしなやかな心も大切です。
 こんな話を読んだことがあります。靴のセールスマンがふたり、外国の地に派遣された。ところがその国の住民は皆が裸足で生活していた。早速本国に連絡を入れます。ひとりは「この国は靴を売る市場としては絶望的だ。何しろ、だれも靴をはいていない」。もうひとりは、「この国ほど有望なところはない。なにしろ、誰も靴を履いていない。靴をどんどん送ってくれ」。作り話でしょうが、ありそうな話です。
 雨の降らないアフリカの地に日傘として傘を売った話。これも傘は雨具という常識があっては見えてこない発想です。メガネは見るものではなく見られるものという視点から、フアッショナブルなメガネを販売したイタリアのメーカーの話。アイスクリームの天ぷらを売り出した商店。そんな話に耳を傾けていると、常識は、常識でしかない。そんな感慨を持ちます。
 ソフトな舌触りのソフトクリーム。アイスケーキ。アイス大福餅。そして天ぷら。氷菓も、脱常識の進化を遂げつつあります。
 老病死をかかえる人の精神生活も、脱常識の花を咲かせたいものす。





 00年9月14日掲載 タイトル 収穫  サブタイトル その時その時の「いま」を大切に

 東京でオリンピックが開催されたのは一九六四年です。その年の十二月、サルトルは、ノーベル文学賞を受賞しています。しかし「ノーベル財団を拒否するつもりはないが、信条として、個人と個人の間に差別を生じる事態は一切拒否している」と、アカデミーに手紙を出し、賞を辞退しています。
 サルトルは、そのときの心境を次のように語ったと聞きます。
「自分の作品を作っている間に、私は充分報いられてきた。……それ自体が報酬だった。他の報酬など欲しくない。私が受け取ったもの以上によいものなどあり得ないから」。
 「それ自体が報酬だった」。私はこの言葉が好きです。また日常生活もそうありたいと願っています。
 収穫には二種類あるようです。一つは、社会の評価です。その最高の評価がノーベル賞なのかも知れません。もう一つの収穫は、存在に対する感性です。
 社会的な評価は、何かできる、できたという量的な事柄を対象にします。存在に対する感性は、何も出来なくとも、存在そのものに意味を見いだせるこころでもあります。
 江戸時代、瓢水という居士がいました。明石の船問屋の跡取りとして生まれています。俳諧にこり、家業が没落します。沢山あった蔵も一つ売り、二つ売り、最後の蔵も失います。
 蔵売って、日当たりのよき 牡丹かな
その時、詠んだ瓢水の詩です。
 その瓢水に、ひとりの禅僧が訪ねてきた。あいにく瓢水は体調を崩し薬を買いに出かけていた。禅僧は「病気や死を恐れているようでは本物でない」と帰ってしまう。それを聞いた瓢水、詩を作ってその禅僧に届けさせます。それが有名な次の詩です。
 海までは 海女も 蓑着る 時雨かな
 その時その時の今を大切する。仏教もこれに尽きます。
 「自分に都合のよい今を生きる」。これが私の知恵です。「都合の悪い今も…」。これが仏さまの教えです。この教えとの出遇い。収穫もこれに極まります。





 00年10月17日掲載 タイトル 階段  サブタイトル 開き直って生きること

 昨年の自殺者は、三万三〇四八人。過去最悪の記録という報道がありました。生からの転落。生きる力、生の足場がもろくなっているようです。
 靴底に水をつけて階段を上る。振り返ると、自分の歩幅の足跡があります。階段を上るのに、最低限、必要なのはその足跡の部分だけです。ではと足跡以外を取り除き足跡だけを手がかりに階段をのぼります。結果は転落。そんなイメージを連想します。階段は自分の力だけでは上れません。足場への信頼が不可欠です。
 経験と知性。これが現代人の足跡の幅です。経験より、可能性への信頼が、知性より感性がより重要です。
 マザー・テレサが逝去した折り、追悼のテレビ番組の中で次のようなことを語っていました。
「すべてを神にゆだねることは、絶対的な自由を得るこのなのです」。
 わかりにくい表現かも知れません。通常の考えだと、絶対的な追従は、イコール、自分の自由の放棄だからです。
 神への追従。それは自分の人生をチョイスできる自由を失なうときです。そのとき実は、次に来るすべての瞬間を、自分の生として受け入れる、ある種の開放が手にはいるときなのです。自分の経験と知性からの開放です。ありのままの今を受け入れることであり、「みこころのままに」と言うことかも知れません。私の宗旨・浄土真宗では、「おまかせ」といいます。ある種の開き直りです。
 人生はチョイスできる。知性はここでは役に立ちます。チョイスできない生。これには知性は無力なのです。
 私たちは選択できる。ここに自由を見ます。選択が許されない。ここにも質の高い自由があります。それは自分の計らいや、計算、したごころ、欲得からの自由です。自分へのこだわりから自由になることです。
 なんだか難しくなりました。要は開き直って生きる。これが可能性への信頼です。
 次の一歩。そこにも仏さまがいらっしゃる。仏さまが可能性への信頼を容易にして下さいます。





 00年11月16日掲載 タイトル 闇  サブタイトル 失って初めて見えるもの

 少年の頃、高原で眺めた夜空に驚いたことがあります。満天の星を見た初めての体験でした。町中育ちで、本当の夜空を見たことかなかったのです。
 しかしどんな山奥でも、家の赤々とした明かりのもとでは星は見えません。その明かりを消した時、満天にちりばめられた星の輝きが手に入ります。
 そう考えると、闇も大切な役割を持っているようです。
 数年前のことです。知人が病院を退院したので、自宅へお見舞い伺いました。肺がんが肝臓に転移し、その肝臓治療のための入院でした。
 会話の中で、入院中一番嬉しかったことは何かと尋ねてみました。少し考えていた彼女は、数ヶ月の記憶の中から一つのことを取り出し、昨日の出来事のように話してくれました。
 病気や薬の副作用の中、食事は、ただただ、病気に負けたくないという思いからのどの奥に押し込む。そんな毎日であったそうです。ところが、ある日、ある瞬間、噛んでいたご飯の甘みを感じた。そのご飯の甘みの中に、生きていること、健康が回復しつつあることを思い、喜びに全身が満たされたとのこと。失うという経験によってもたらされた感動です。
 理屈では私にも分かります。しかし彼女のように失う体験をしていないので、甘みに対する感動は生まれません。
 だからといって、みんなで喪失体験をしようとは言いません。ただ、何かを失ったとき、失って初めて見えてくるものと、しっかり出会っていけることの大切さを思います。まさに、明かりを消したとき、明かりのために見えなかったものが手に入る時なのです。
 都会は、夜でも明かりに溢れています。それは現代人の精神生活を象徴しています。闇を知らない人は、夜空の星が見えません。そのように現代人は、本当に大切にしなければならないものが、見えなくなっているのではないでしょうか。
 健康一番。生きていることがすべてと過信せず、病気の人や、死が視野に入っている人から、教えて頂こうではありませんか。





 00年12月26日掲載 タイトル 北極星  サブタイトル 深い闇の中に輝く星
 
北極星が今まで人類に与えた恵みは計り知れません。一つの正しい方向が与えられる。どれほどの人が、この星に助けられたことでしょう。
 それなのに、北という文字は、「そむく・にげる」とあり、あまりよい意味では使われません。
 少年の頃、「敗北」と書いて、なぜ東ではなく、西でもなく北なのだろう。もし文字に人格があったら「北」がかわいそうだと思って、字典を引いたことがあります。
 北は、寒くていつも背を向ける方角です。「左と右の両人が、背を向けてそむいたさまを示す会意文字」とあり、どうりでと納得しました。
そのマイナスの意味合いを持つ北に方向の指針となる星がある。深読みかも知れませんが、ここに象徴的なものを感じます。人生には敗北と混乱があります。その敗北や混乱の中にこそ、重要な指針があるのだと思います。
 敗北と混乱。私たちはこれを歓迎しません。無価値と退けてしまいます。しかし敗北と混乱は、ハイレベルな秩序や価値観、思想を生み出す重要な役割を担っています。
 鎌倉時代、あの混迷と動乱の中から、親鸞や道元が説く、鎌倉新仏教が生まれました。これは偶然ではありません。闇が深ければ深いほど、強く光を求めます。
 人の成長も、敗北や混乱を通してもたらされます。過日、二十数年前の学生時代の日記を取り出して読みました。それは大学を卒業する頃の日付でした。そこには、日々苦悶の言葉が綴られています。よりよいものを求めていた証なのでしょう。今考えると、あの苦悶がなければ、新しい出遇いもなかったのだと思います。日記を読み、改めて感じたことは、そこに友や寄り添ってくれる人が居たと言うことです。
 平和が続いている日本。安易に敗北や混乱といったものを否定する傾向にあります。平和や安定だけに執着せずに、辛いことですが、未来を見据えて、じっくりと混乱の中に身を置くことも大切です。