1項 表紙

2項 ミニ説法

 「心にしみいるいい話し」という本の中に、室蘭市の泉寿子さんが、エッセイを寄せています。
 題は「クラスメート」。小学校の時の思い出話です。
 寿子さんは、生まれながらに心臓に欠陥があり、9才の時、手術を受けます。手術は成功しましたが、胸には傷跡のケロイドが残りました。 小学校4年の時です。身体測定があり、胸囲を測るために上半身裸になる。シャツは脱がないまでも、シャツの襟元から傷がみえます。そのケロイドをクラスメートが認めます。そしてひそひそ話。しまいに一人の女子が、「この人に触れると、この傷がうつる」というと、「気持ち悪いと」寿子さんのそばか友がいなくなったといいます。
 それから引っ込み思案な暗い性格になったとあります。
 その後、父の仕事の関係で転校して6年生を迎えました。新しい友達も出来、わくわくした生活。そんなある日、やはり身体測定があった。今までの満ち足りた思いから、奈落の底に突き落とされたような暗い気持ちとなり、その当日を迎えます。
 何度も何度も休もうと思ったそうです。やっと学校についても、「これでまたひとりぼっちになる」と、学校に来たことを後悔したそうです。
 いよいよ身体測定の時間。みんなは次から次に服を脱いでいきます。しかし自分はモジモジして脱ぐことが出来ません。心の中でどうしようどうしようと思いながら時間は過ぎていきます。思い切って服を脱ぐと、みんなの突き刺さる視線を感じました。「またひとりぼっちになるんだ」と思うと、涙があふれ、ほほを幾筋も流れます。
 その時だそうです。
「そんな傷、気にするんじゃない。気にしちゃダメ」と一人の女の子が言うと、遠巻きにしていたクラスメートも、「そうだよ。気にするんじゃない」といたわりの言葉をかけてくれた。
「ああ、私を受け入れてくれたんだ」と思うと、今度はうれし涙が次から次と溢れてきたとあります。
 身体の傷が心の傷を生み、その心の傷によって、深い友情が結ばれました。その友情が、心の傷・身体のだ傷を潤したのです。
 私の煩悩によって、阿弥陀如来と結ばれ、阿弥陀如来の大悲によって。
私の煩悩が菩提に転ぜられるように。


3項 上段 今月の詩

 お前はお前で丁度よい
 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
 貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫もそれはお前に丁度よい
 幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
 歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない 
 お前にとって丁度よい
 地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
 うぬぼれる要もなく 卑下する要もない
 上もなければ下もない 死ぬ日月さえも丁度よい
 仏さまと二人連れの人生丁度よくないはずがない
 これでよかったと 頂けた時億念の信が生まれます         南無阿弥陀仏
篤信家の詩

 年賀状と共に1通の手紙が届きました。そこには親しい友人が肝臓がんで死に至ったこと。それと「丁度よい」の文章が死後見つかり、この文章を幾枚も幾枚も墨で書き写しては、自分をあるいは状況を納得させようとしていたことを死後知ったことが認められてありました。
 「丁度よい」にも自力と他力があるようです。自力は自分の都合で「丁度よい」と自分を頷かせようとします。
 では他力は?。「信心の智慧とは、この宿業のみを深信する力である」。本棚から取り出した柳田智照師の「月愛三昧」の中から、こんな言葉を見つけました。宿業とは、ジタバタしてもどうにもならない自分が、またどうにもならないままに、どうする必要もない世界に開かれることです。
 まず「丁度よい」と思えない自分があります。その「丁度よい」と思えない自分の愚かさが明らかになり、阿弥陀さまの慈しみの中に、「丁度よい」と思えないまま、我が身をゆだねていく。そこに他力が味わえていきます。

3項 下段 寺院活動案内記事

4項 上段 集い案内

4項 下段 通信

● 人生は航路のようだと聞いたことがあります。航路は、既に敷かれた路の上を進のではなく、進んだ後に路が出来きます。今年はどんな路が出来るのか。期待としっかりとと自分を励ます新年の初頭です。

● 10月のことでした。出かけにポストを見ると、郵便物の中にかとうみちこさん(いのちよ、ありがとうの著者)からのハガキが2通入っていました。かとうみちこさんは、詩人として活躍されている方です。
「あるがままの自分を生きる」の中に、みちこさんのエピソードを勝手に挿入し、勝手に挿入しましたと本と手紙を送ってあったので、その返信ハガキでした。
1通のハガキは、浄土真宗の友人に本を紹介して喜ばれたこと。
もう1通は、「ありのままの自分を生きる」を読ませていただき生まれた詩です。とあり、詩が1編書かれていました。

鏡 かとうみちこ

自分をみているだけなのに
ニコーとしたり
ちょっと いい顔したり
自分をみているだけなのに
すごい発見をしてしまう

なかったホクロをみつめたり
なかった白髪をみつけたり
ハダは乾いてないかしら?
心はくもってないかしら?

ものをいわず
ものをいわせ
雄弁に いまを語る


● 鏡は、教典にも再々登場します。
「経はこれを喩ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す」(善導大師)。
 仏前に向かうときは、心を映す鏡に向かうがごとくということでしょうか。しかし曇った鏡は用を足しませんが。  合掌

いのちの学び寺報 「いのちの学び」は

  2月・4月6月7月9月10月12月発行です。
            執筆者は、西原祐治です

NO136 平成14年2月1日号

NO135