1項 表紙
 
2項 ミニ説法

 築地本願寺に勤めていた頃、当時前門主となられた西本願寺23代勝如上人の東京ご駐在の折りの秘書(侍僧)を仰せつかっていました。毎月何日かは築地本願寺にご滞在になられるので公私にわたるお世話をする仕事でした。
 1986年1月、祐天寺のご住職がご逝去され、国際仏教協会のメンバーということで、私的ご用として香典をお預かりして代香に伺いました。
 焼香を済ませ戒名を見るとなんと文字数が長い。「祐天寺第20世中興」とありましたので、何か大きな手柄を立てたのだと思います。戒名は、
「一心光院徹蓮社貫誉上人顕阿白道愚精進勝雄上座大和尚」とありました。25文字です。翌年、増上寺の門主がご逝去されたときは27文字ありました。どうも浄土宗は、この世での手柄のたて具合によって、文字数が多くなるようです。もとより仏教者ですから、物質的な面だけではなく、精神的な面での手柄もあるでしょう。
西洋の文化は「足し算」の文化で、東洋は「引き算」の文化だと聞いたことがあります。どれだけシンプルであり、簡素化してあるか。それが美徳です。この文化は、仏教的な「こ

だわりを捨てる」という精神によって培われたものと思われます。
 さて浄土真宗の法名は、釋○○です。徳のある方も、入門して間もない人も、賢者も愚者も、同じく釋○○と名乗ります。釋は、釈尊の弟子であることを伝えています。この短い法名の上に、仏教本来の精神を伺うことが出来ます。私はこのシンプルな法名を用いる浄土真宗でよかったと思っています。
 だからといって原理主義的に、「こうであらねばならない」と強要すべきものでもないでしょう。
 喜劇のエノケン(榎本健一)は「天真院殿喜王如春大居士」であり、花菱アチャコは「阿茶好院花徳朗法大居士」、東洋の魔女を育てたバレーボールの大松博文は「最勝院克堂博文居士」、古賀政男は「大響院釋生楽」という。それぞれ人となりが伝わってくる名前もあれば、鈴木大拙「也風流庵大拙居士」、尾崎放哉「大空放哉居士」のように風流なものもあります。
 ちなみに浄土真宗では「居士・信士・大姉」なのど位号は付けません。もしこの位号がついている方は、何かの機会に浄土真宗の正しい法名に統一したらよいのですが。



3項 上段 今月の詩

形見とて何か残さん
春は花 山ほととぎす
秋はもみじ葉 良寛

 この詩を味わっていると、良寛さんの、宇宙大の人格が響いてくる。どうも私を代表とする凡人は、形あるものを残したがります。ここまで書いて、ふとご門主の言葉を思い出しました。
それは平成2年朝の法座でのお言葉です。「蝉のことを考えながら思ったのですが、人間に宗教があるのは、果たして動物より高級であるからなのだろうか、反対の考え方もできるのではないかと思ったのです。動物には、人間にあるような宗教は必要のないようないのちが恵まれている。自然の摂理といいますか、天地自然の移り変わりというものと一体になったいのちが恵まれている、とも考えられるのではないでしょうか。
 私は、宗教が人間にあるというのは、人間が高級だからあるのではなく、それだけ欲が深く、罪の深い動物であるから、おのずからそこにまた宗教という問題もある、という受けとり方が出来るのではないかとふと思ったのであります」。
天地一体の移り変わりと一体になったいのち、良寛さんと重なります。 願いや行為によって形が成就します。私たちはできあがった形にこだわります。じつは、形より、願いや行為自体が、かけがえのない私そのものだという思いを持ちます。


3項下段 仏事アラカルト
 
法名(戒名)について

Q 戒名・法名から宗派は分かりますか。
A 各宗派とも法儀法式にしたがい名前を付けるので、よく分かる宗派もあります。

Q たとえばどのようなものですか。
A 釋○○と、釋のついてあるものは浄土真宗です。
 日蓮宗は、男性には「法○」、女性には「妙○」を付けることがよくあり、位が高くなると日号といって、日蓮の日を用います。
 禅宗は道号(四文字中の最初の二文字)に「山・岳・峰・雲・月・室」といった実字を入れることになっているとのこと。また禅が入っていれば禅宗です。

 浄土宗では、位が高くなると「誉」を入れてます。

Q 法名・戒名の上に梵字が書いてあるものを見かけますが。
A 梵字で「あ」と書いてある場合と「か」と書いてある場合があります。「あ」は、阿字と言って大日如来を表しており、「か」は地蔵菩薩を表す文字です。子どものの場合はこの「か」を書くそうです。共に密教で、大方、真言宗です。

Q 法名・戒名の上に「新帰元」「新円寂」と書いてあるのを見かけますが。
A 浄土真宗では用いませんが、新しい生霊と言う意味で、四九日まで、用いるのだそうです。
 以上


4項上段 集い案内

4項下段 通信

● 築地本願寺報恩講への参拝者は9名でした。その報恩講で頂いたパンフの中に、次のようなことが認められていました。

アメリカの中学の先生が、教え子たちに流したメールの一部だそうです。
 もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮小するとどうなるでしょう。その村には…
 57人のアジア人
 21人のヨーロッパ人
 14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます
 52人が女性です
 48人が男性です
 70人が有色人種で
 30人が白人
 70人がキリスト教以外の人で
 30人がキリスト教
 89人が異性愛者で
 11人が同性愛者
 6人が全世界の59%を所有し
 その6人共がアメリカ国籍
 80人は標準以下の居住環境 に住み
 70人は文字が読めません
 50人は栄養失調で苦しみ
 1人が瀕死の状態にあり、1人 はいま生まれようとしています
 1人は大学教育を受け
 そしてたった1人だけがコンピ ューターを所有しています

この数字で見る限り日本は恵まれています。しかし、その恵まれている中にあって、恵まれていることを有効に生かせず、生きる方向を見失っているのが現実ではないでしょうか。上記の数字からそんな思いが持ちました。
 

いのちの学び寺報 「いのちの学び」は

  2月・4月6月7月9月10月12月発行です。
            執筆者は、西原祐治です

NO135 平成13年12月1日号

134号