1項 表紙 

 2項 ミニ説法

 十数年前、日野市に石川左門さんをお訪ねしたことがあります。左門さんは、当時筋ジストロヒイーの家族の会の代表者でした。お子さんの正一君が筋ジストロヒイーで亡くなり、生前書き残した詩が話題となっていました。
 その正一君から一四才の時、父子で入浴中に「ぼくはいつまで生きられるの」と尋ねられたそうです。真剣に自分の病気のことを質問する息子さんに、かねて覚悟していた通り、二十才までしか生きられないといわれている病気であることを伝えたといいます。
 正一君は顔色を変えずに「じゃあ、明日からどう生きるかが問題だね」と言いい、そうして正一くんは、想像もできないほどの生まれ変わりを遂げ、翌日から猛勉強を始めたそうです。
正一くんは同じ14才の頃、こんな詩を書いています。
 たとえ短い命でも生きる意味があ るとすれば それは何だろう
 働けぬ体で一生を過ごす人生にも
 生きる価値があるとすれば それ は何だろう
 もしも人間の生きる価値が 社会 に役立つことで決まるなら
 ぼくたちには 生きる価値も権利 もない
 しかしどんな人間にも差別なく  生きる資格があるのなら
 それは何によるのだろうか
 そして正一君は、「悔いなく生きた者だけが悔いなく死を受け入れられる」という結論に達したそうです。正一君にとって、学ぶということが、何かの手段ではなく、生きることそのものだったのです。
 何かのための手段ではなく、生きることそのものとは、どのなときの今も、かけがえのない今として接してゆくということです。
 その正一君も、最後には、「悔いなく生きる」という枠組みの取り払われ、悔いなく生きられない自分も受け入れていく信仰の生活に入っています。22才の時の詩です。
 ある日突然熱が出た
父も母も緊張した
 私の心は波一つ立たぬ水面のよう
 生きるも死ぬるのもただみこころ もまま
 ゆだねる生活とはありがたきかな 浄土真宗で言えば「おまかせ」という心境です。信仰は自分自身のとらわれや思惑から解放される道です。


 3項 今月の詩

念じつつ掌をあわせつつ思ふこと
いつしか我執となるが悲しき
上代絲子

花を見て美しいという思う。その思いを通して花の美しさに触れていきます。仏像を見て、素晴らしいという思う。その思いを通して、仏像の素晴らしさに触れていきます。心とものが相応してふれ合っていきます。
 人と仏とがどう相応していくか。尊いと思う心を通して、相応していく仏もあります。特定の行為を通して出会っていく仏もあります。
 親鸞聖人は、ご自身の存在の悲しみを通して、その悲しみに相応して下さっている大悲の仏さまに出遇って行かれました。その仏さまを阿弥陀仏と申し上げます。


 3項下段 仏事アラカルト 

お墓の改葬

Q 実家と嫁ぎ先のお墓を一緒にしたいのですがいかがでしょうか。
A 俗に「両家の位牌やお墓は一緒にするな。墓の中でけんかする」などと言い、今でも敬遠する人もあります。これは血筋や家柄を重視する氏族意識の表れだと思われます。
 個人の生活を尊重する現代では、あまりとらわれる必要はありません。
 仏の世界には他人と自分の隔たりがない世界です。子どもが二つの墓を見て無縁墓になるよりも、両家の墓を合葬する方がよいでしょう。

Q その場合、注意することがありますか。A お墓は個人のものというよりも、家のものという考えがありますから、嫁ぎ先の親族に声をかけておいた方がよいでしょう。
 それと改葬する実家の墓地管理者(寺・霊園)、受け入れる側の墓地管理者に事前に協議しておくこと。
 お寺に移転の了解を頂き、今までお世話になったこともあり、永代経を納め、法会を営みます。そうすると毎年合同の法要を営んでくれます。
 さらに改葬(埋葬した遺骨を他に移すこと)には「改葬許可書」が必要ですので、事前にお墓のある所在地の役場に問い合わせします。新しいお骨を納めたら、再び法会を営みます。出来ればそのことを墓誌に刻んだらいかがでしょうか。
   以上

 4項上段 集い案内

 4項下段 通信

● 行為の中に、自分でなければ出来ないことと、だれにでも出来ることがある。できれば、
自分だけにしか出来ないことをしたいと思う。
 しかしよく考えてみれば、だれにでも出来ることでも、その行為を通して、何を感じるかは、常に個性的なのだから、何を感じているかにアンテナを向けていれば、常に自分らしさを見失わずにすむはずです。
 なぜこんな事を言いだしたかというと、忙しいと、忙しさのあまり、自分を見つめることなく流されてしまっているという反省からです。忙しいとは、心を亡ぼすと書きますが、まことにその通りと思う昨今です。

● この度出版しました「あるがままの自分を生きる」(徳間書店刊)は、仏教とは何かを書いたものです。編集者とはじめは、仏教用語のない癒し系の本を作ろうと合意され、今までの原稿を渡したら、33才の頃書いた「仏教入門」を選んでくれました。バイバリの仏教書になりましたが、編集者は浄土真宗がよく解ると頷いています。はたして売れるものか。初版で8.000部ですから、一般書店にも並ぶと思います。応援して下さい。

● 9月は即如ご門主の随行で富山に行きます。今、ご門主の書かれた「まことのよろこび」(本願寺刊)を読んでします。ご門主の思索の深さに関心をしています。

いのちの学び NO133 (01.9.1発行)    NO132

2月・4月6月7月9月10月12月発行です。
            執筆者は、西原祐治です