ミニ説法

  がん患者のkさんは、口癖のように「癌の福作用」といいます。副作用のふくは通常の「副」でなく幸福の「福」ですとのこと。なぜ幸福の福なのかと言えば、癌になって色々なことに気づいた。それらの気づきは、病気にならなかったら気づかなかったことなので、幸福の福の「福作用」なのだそうです。人は逆境の中で、福と作り出す力を持っているようです。
 ある仏教雑誌に、つぎのような話が載っていました。
 江戸時代、神田に鍛冶屋、今で言う鉄製品加工業をいとなむ源助という男がいた。この源さん、いつも「結構だ」「結構だ」というのが口癖です。
 ある年の梅雨に40日間雨が降り続いた。そんなある日、同じ町内で染物屋を営む男が、源さんの家に立ち寄った。
「この雨には本当にうんざりする。染め物の仕上がりは悪いし、商売はあがったりだ。その点、お前は、雨に関係ない商売だから羨ましい」とさんざん愚痴をこぼしました。
 すると源さん、いつもの癖が出て「でも結構じゃねえか」とつい言ってしまった。聞いたは男はカチンときます。「何が結構だ。いい加減にしろ。人が困ったと言っているときには、てめえも困ったようなツラをするもんだ」と血相をかえて噛みついてきた。
 源さんいわく「でもオイラ、本当に結構だと思ってんだ。この雨、40日も降り続いているんだが、だからいいのよ。これが1度にどさっときて見ろ、家は流され、田畑もおじゃん、あげくのはて人間まであっぷあっぷだ。染め物の仕上がりどころじゃねえ」
 昔も今の確かに人間の可能性の中には、逆境の中で幸福を見いだす力があるようです。自分の幸せを自分でつかむ力です。
 では仏様の可能性とはなんだと思いますか。
 それは弱く愚かで、どうにもならない人を、どれだけ抱き取っていけるかという他者に向けられています。その極まりが阿弥陀如来の慈しみだとお経にあります。自ら幸福を作り出すことのできない人の上に、「仏様と同じ値打ちを」創造していく力や働きです。
 この阿弥陀如来の力や働きを、拠り所とする仏教が、親鸞聖人が開かれた浄土真宗という仏教なのです。


今月の詩

大空のま下 帽子かぶらず

                尾崎放哉

子どもにこの詩を見せたら面白いコメントがかえってきそうです。貧しくて帽子が買えなかった。いや曇っていて帽子をかぶる必要がなかったんだ。汗をかき涼風を楽しんでいたのかも。 帽子とは、実際に頭にかぶる帽子ではなく、自分を飾るこころのことなのでしょう。かっこつけたり、偉く見せたりする慢心のことのなでしょう。
辞書に七慢とあります。

1.慢ー自分より劣った者に対してすぐれたと自負し、同等な者に対しては同等であるとたかぶる。

2.過慢ー同等な者に対してすぐれていると、すぐれた者に対して同等であるとする。

3.慢過慢ーすぐれている者に対して逆に自分がすぐれているとする。

4.我慢ー自分の心身を永遠不変の我であるとたのむ。

5.増上慢ー悟りを得ないのに得たとする。

6.卑慢ー多くのすぐれた者より少し劣っているに過ぎないとする。

7.邪慢ー徳がないのにあるとする。

どれもこれも私に当てはまることばかりです。そう思って放哉の詩をよむと、ただごとでない詩のように思われてきます。


通信

● 過日、宗派の仕事で広島へ行きました。広島は安芸門徒と言い、浄土真宗の盛んな土地です。その広島に行ったら1度確かめてみたいと思っていたことがあります。
 それは、新聞折り込みチラシの住宅案内を見るということです。聞くところによると、広島の住宅チラシに描かれている家の間取りには、「仏壇」の配置がしっかりと書き込まれていると言います。
 実際に住宅チラシは見ることが出来ませんでしたが、聞けばそれが当たり前だとのこと。生活に仏教が密接に関わり合っている証です。広島のご門徒の方、これは凄いことなのですよ。

● 一昨年でしたか、西本願寺即如ご門主の随行で、奈良へ行ったことがあります。昼食時、ご門主が、お子さんと、奈良のドリームランドへ(遊園地)行った折りのことをお話しをされました。私は「ご門主様も、お子さんとドリームランドへ行くんだ」とへんに感心したことがあります。またご門主も、本願寺から給料を頂いていると聞いたときも、意外な感じがしました。考えれば、法人組織ですから当然のことです。
 どうも私の中に、ご門主は特別なお方という意識があるようです。年に一・二度ですがお近くで、私生活に触れ行動を共にさせていただく毎に、特別なお方と言うよりも、浄土真宗のリーダーという意識が私の中で広がっています。
 浄土真宗本願寺派は、即如ご門主をリーダーとして、親鸞聖人が明らかにされた仏道を自らの依り所とし縁ある人に伝えていく。
 ご即如門主も私も、そして門信徒の方々も、同じ方向に向いて歩む。そんな感じがしている昨今です。

● 七月の法話会は、お馴染みの藤岡道夫先生です。山口からご多用の中、お越し下さいます。
時間を割いてご参拝下さい。
           合掌

いのちの学び NO132 (01.7.1発行)    NO131