会報 がん患者・家族の語らいの会 編集後記08

08.12月号
【編集後記】●避けることのできない死や病に起因する苦悩は、苦しみそのものが智慧ではないが、苦しみが明らかになることは智慧の働きによる。その意味からいえば、苦しみが問題となることそのものが智慧の働きだといえるのではないか。

●釈尊の四門出遊、お釈迦が王宮にいたとき、城から遊びに出ようとした。東の門から出たときには老人、南門では病人、西門では死者を見た。ところが、北門から出たときに出家者が歩いているのを見て、心を強く動かされ、出家を決意したといわれる。普通、苦しみが問題となったとき、老人に対しては若さを、病人対しては健康を、死に対しは生を求める。苦しみの解決を外へ求め苦しみそのものを問題とすることはない。しかし釈尊は違った。安らぎを外に求めることを絶対唯一としている心そのものが苦しみの正体であることを明らかにされた。これが冒頭に私が言った苦しみが明らかのなるとはこのことです。思い通りにならないという苦しみの中で、思い通りになることを絶対とする自己中心性が明らかになり、自己のリアリティー(真実性)に触れる。それは自我によって作られた自分からの脱却であり無量のいのちへの回帰でもある。

●東京ビハーラの活動は苦しみに向かい合っている。それは苦しみを通して出遇っていける世界があるという確信に基づいている。苦しみを否定せず苦しみを大切にしようとするそのものが、如来(智慧)の働きにもようされた出来事だといえるのではないか。

●テレビ出演していたある高名な僧侶が、「お寺は、老病死の苦しみを和らげる場である」と言っていた。わたしはその言葉を耳にして“自分とは考え方が違う”と思った。苦しみを和らげるという考え方には、苦しみを苦しみとしている自己の変容は想定にない。苦しみを和らげるのではなく、苦しみによって自分が変わることこそ大事ではないかと思った。スピリチュアル・ケアを問題とするすべてといっていい団体や研究者は、苦しみを和らげるという方向で問題を捉えている。真宗の言葉で言えば“転ずる”という言葉になろうか。ここに浄土真宗の苦しみへの対応があるように思う。ここに民族や思想を超えて万人共通の成長があるように思う。


08.10月号
【編集後記】過般、「自殺防止センター東京」の創設者である西原由記子さんの講演をうかがった。聴取者の僧侶に「衣を脱いで自殺願望者の話を聞いてほしい」とお話されていた。話には体験から来る説得力があった。その流れを受けて袈裟にまつわる話をしてみたい。

●人間関係の中で権威というやつはそれなりの役割を果たしている。“公務員です”“大学の教授です”と自己紹介されると、公共機関や大学という権威が後ろ盾にあるので、初めての人でもある程度、信用します。日常生活は国という権威の基礎があってこそ成り立っています。初めて訪ねた寺院が大きな伽藍だと安心できるもの、そこに仏教や歴史の営みといった権威を感じるからでしょう。ところがこの権威というものは、悩みや悲しみを聞く場においては、邪魔にこそなれ一つも役に立たない。“私は大学の総長です”などと持ち出しても、むしろその権威が邪魔になって話が聞けなくなります。

●僧侶がつける袈裟には色々な意味がありますが、その中に仏教という権威が織り込まれています。説教や儀式のなかでは、その権威は人を導く重要な意味をもってきます。ところが人の悩みを聞く場では、“私は僧侶です”と言ったって屁のつっぱりにもにもなりません。権威や先入観を捨ててこそ、その人と向かい合うことができるというものです。

●私は現代に浄土真宗がその真価を発揮するには、袈裟という権威を離れたところでどれだけの現代人の質的な転換に関われるかがキーポイントであると思っています。そのための新しい伝道モデルの構築こそ早急に取りくまなければならないことです。私が牛歩のごとき日日であっても、ビハーラに関わっている一つの目的がここにあります。まだ見ぬ新しい伝道モデルは、真宗の方でも、天理教の方でも、所属の宗教、老若男女選ばず、その恩恵を受けるはずです。

●その伝道モデルは、苦しみは新しい成長の扉であるという考え方に立っています。また現代の伝道の主流である大衆伝道(説法)から、仏教本来の応病与薬という個と個の結びつきの中で成り立っていくものだと思います。その伝道モデルは、生命体そのものの感性や闇に響くものであるはずです。一緒にその新しい伝道モデルを構築して行きませんか。


08.8月号

【編集後記】私が住職を務めいている寺の総代・Sさんが亡くなった。前立腺がんで入院して1年半、病院側の言葉からもうお別れだろうと思い、別れの言葉を告げて40日間、病院の数少ない個室に約2ヶ月入っていた。別れを告げてからの40日間、私のことを理解しているか、いないのか不明な状況の中で再々病院を訪ねた。そして2030分、Sさんに触れながら私は念仏を称えて過ごした。法蔵菩薩(阿弥陀仏の前身)が都見(隙間なく見ること)した国土の人天の姿の中には、こうした今まさに死に至るしかない人々が、累々とあったという教説を思い、時には「南無阿弥陀仏の仏さまがご一緒してくださっていますよ」と耳元で告げた。その40日間は、Sさんの存在を通して阿弥陀如来の肌の温もりを直接感じるといった尊い時間だった。最後の2日間は、正信偈をお勤めし、やはり15分くらい念仏を称えた。帰り際、私は意識していないのに、自然とSさんの寝ているベットに手を合わせ頭が下がった。あんなに静かで豊かな気持ちになったことはないと思うほど厳かな時間だった。

●Sさんは総代として、留守がちな私に代わり築地や京都へ門信徒を引率してくれた。私の法話も聞いてくれた。でも私とSさんは住職と総代の関係で、歳も離れているのでSさんから仏法を教えてもらったという記憶はない。それが最後に得がたいものを残してくれた。Sさんと意思疎通がままならなくなってから、私はSさんが仏さまの領域に入ったという思いでいた。その自力無効の状況下が阿弥陀さまを親しく感じる好機ともなった。おそらくSさんを通して学んだことは、すべての人から学びえるのだと思う。ビハーラとは心身をゆだねること。それは自力無効の体験でもある。その演出をして下さるのが阿弥陀如来なのだろう。

19878月、がん患者・家族語らいの会がスタートして、21年目に突入した。私自身、遅々とした歩みで、学びの少なさにため息が出ます。どうせ最後は凡夫で終わるのだからと開き直っても、凡夫であるという賢さを演出しようとしている虚しさが残ります。これからどうなるか。背負ったものに導かれて一歩一歩。これ21年目の心境です。(西原)



08.7月号

【編集後記】● 六月中旬、山梨の大月市にご縁を頂き新しく開通した池袋新宿線を興味深く走りました。車中、ラジオからニュースが流れてきた。“今朝、福田総理がヘリコプターで岩手・宮城内陸地震の被災地に見舞いに訪れた。現地では、被災者のひとりが直接総理に「山崩れで道路が遮断された。早く復旧してほしい」と訴えた。総理は、「心配することはない。政府は全力で取りかかっている」”そんな内容でした。私はニュースを聴きながら“総理はつまらんこと言うなぁ、なぜ相手に対して「ない」という否定形の言葉を用い、了解しましたと不安をそのまま受け止められないのか”と心の中でつぶやいていました。いま活字にしなかったら忘れていくたわいのない生活の一場面です。総理は不安や心配を取り除こうと思って言ったものでしょう。総理の興味のある事柄は、心配しているその人ではなく、安全な町、道、生活です。行政職の長としては当然のことなのかも知れません。

●私たちは、を悲しみや不安、悩みがないこと理想としています。だからそうしたマイナスと思われる感情や言動があるとそれを否定しがちです。しかし悲しみや不安、悩むこと、そのものがいのちの現場です。ビハーラとは、“安らぎの場”ですが、悲しみや不安、悩みを否定して安心にいたるのではなく、安心して悲しみや不安、悩むことのできる場なのだと思います。それが浄土真宗のお寺の本来の機能でもあります。つまりお寺はビハーラそのものでなかればと思います。

● そして“安らぎの場”で本当の自分と出会っていく。カウンセリングの指導を受けている大須賀発蔵先生の言葉を用いれば自業自得していくことを大切にします。「わがいのちの独自なはたらきを、それを自業として引き受けて生きるとき、あえていえば、『自業を自得していく』ときに仏さまが直接の姿ではなく、いわば化身して、私たちには見えない影の姿として寄り添ってくれていて、そして私たちを悟りの世界に導いてくれる」、端的にいいますと「自分の業を引き受けて、つまり自業を自得していくときに、深い宗教的境地が開けてくるのだ」ということをいっているのだと思います(「心の架け橋・・カウンセリングと東洋の智恵をつなぐ・・」(柏樹社)。
(西原)



08.5月号

● 前号でビハーラは、ノン・オペレーションだと書きました。ではノン・オペレーションの中でなにが起こっているのか。

●平成
17年の10月の日のことでした。あるお寺で法話を終えて控え室に戻ると、顔見知りのFさんが訪ねてこられた。聴けば昨年、お連れ合いをがんで失い娘さんと共に看取ったという。かねてから死別を覚悟していたFさんは、ある場で私から父との最期の日に病室で正信偈を読んだという話を聴き、自分も正信偈を読んでこの世での最後のときを迎えたいと思っていたそうです。そしてそのときが来た。病室で娘さんと共に正信偈を読み、娘さんが「お母さんお父さんにお経あげてもらってよかったね」というと、ふた呼吸して息を引き取ったといわれます。

●お経をあげたことが重要だというのではありません。普段、家族で大切にしていたことを共に分かち合えたことが意味をもっています。それは日常大切にしている当たり前のことが、死を前にして当たり前ではなく、そのものが持っている本来の色合いを輝かせるからです。

●芭蕉について
「花屋日記」書によると、芭蕉の病気が重く、再起が難しくなった時、弟子が枕元に集まって芭蕉に向かって言ったという。「昔から、有名な文人や武将は必ず辞世の歌や句を残しています。世間の人は先生がお亡くなりになったら、あれほど有名な芭蕉先生の辞世の句がなかったのですか、と言うことでしょう。私どものためにも、是非、辞世の一句をお読み下さい。」と。苦しい息の中から芭蕉が答える。「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世、われ生涯に言い棄てし句々、 一句として辞世にならざるはなし。もし我が辞世は如何にと、問ふ人あらば、この年日頃、いひすておきし句、いずれも辞世なりと申したまはれかし」と語った。

●日常の当たり前のことが永遠に連なる意味をもっている。聖者は平素よりその理(ことわり)を理解して歩むのでしょうが、私たち凡人はその理を、死に及んで初めて知らされます。死を意識した場は、日常性とは違った質をもった場であるからです。その質に出会うために大切なのがノン・オペレーションです。このひと時は、芭蕉の言う“われ生涯に言い棄てし句々、 一句として辞世にならざるはなし”に触れ得るときであり、往く人が私に下さるかけがえのない宝物でもあります。
(西原)

08.4月号

【編集後記】●2月のビハーラ講座は、昨年に続き「浄土真宗でなぜビハーラなのか」というテーマでの開催でした。「なぜ」の部分を明らかにしたい。ここ数年来、私の抱えている問題でした。その模索の足跡がこの後記でした。その意味でご迷惑をかけたことだと思います。

●「がん患者の方が入る施設を作って何をするのか」と問われます。何かをする内容には2つあります。1つは、私が患者さんに近づくために何かをしなければなりません。父が何度目かの脳梗塞で一切の記憶が絶たれたときのこと。子である私を理解できない父のそばに初めてはべったとき、ふと居づらさを感じた。そのとき、ひげを剃ったり爪を切ったりなど、何かすることは私がその場に安心して寄り添うためにするのだと理解しました。患者さんに何かすることは、私がそばに近づくためにするということです。その内容は、看護、介護、傾聴などです。もう
1つは、ではそばに近づいて何をするか。これが問題です。何かする内容にノン・オペレーション(無操作)、何もしないことがあっても良いのではないか。悲しみや苦しみ、慶びをご一緒することです。

●以前、遠藤美恵子先生からご自身が翻訳された「ホームへ帰りたい」という記事を頂いたことがあります。その記事の当人が
HIV感染による症状の悪化のなか、苦しみの中で到達した境地を一休のことを引いて述べていました。【15世紀の日本の詩人である一休が、カラスの鋭い鳴き声を聴いてついに悟りの境地に達し、「目的地がなければ迷うこともないのだ」と叫んだという話があります。私はこの一休の叫びがもつ簡潔さが非常に気に入りました。目的地がないという考えに自分自身を委ねた今、私はもはや迷うことがないのでしょう】。一休さんの原文の歌は、“有漏路(うろじ)より無漏路(むろじ)へ帰るひと休み雨降れば降れ風吹けば吹け”(*有漏とは、善を積むと善を積んだという驕慢をもつなど煩悩に汚染された心。無漏とは完全であること)です。この歌の英訳したものを和訳したのもが“目的地がなければ迷うこともない”です。まさに関わる側が目的地を持たずご一緒する。そしてあえて目的地を言葉にすれば、その時その時を受け入れることのできる優しさ、ぬくもり、考え方に触れることです。ノン・オペレーションという行為そのものが目的地ということです。(西原)


08.3月号

【編集後記】●築地本願寺である小冊子を出しています。数年前、この冊子を増刷するときのことでした。担当者から「西原さん、これはまずい」と、例話の差し替えの依頼がありました。例話の主旨は「願いが大切」というものです。不可となった話しは徳川家康の逸話です。●家康が初め、三河に兵を挙げたときは、負けてばかりで、とうとう数人の兵となり、菩提寺である大樹寺に逃げ込み、住職の登誉上人にかくまってもらう。その時、家康が礼を言うと、上人は「お前さんは、たいそう苦労して戦いをしているが、何の為に戦いをするのだ」と聞かれた。すると家康は、とうとうと、敵を滅ぼし、領土を広げ、わが力を示すことは男子の本懐」と申し上げた。その時、登誉上人は、「あんた、それだから負けるんだ。敵の国をとるというのは泥棒じゃないか。なぜ志を改めて、もっと立派な志をたてんか。天下が乱れていては、国の全ての人が安んじて日暮らしができん。それで天下を平らげて、万民が安心して暮らせることを願って戦争をおやりなさい。神仏は泥棒をまもりません」といわれた。家康は考え違いをわび、上人から「南無阿弥陀仏」「厭離穢土」「欣求浄土」と書いた旗をもらい国の安泰、万民を安んずるためと戦い連勝を続けた。といった話です。●担当者の不可の理由は「これではアメリカの平和のためと戦争を続けることと同じ」とのこと。そういわれればその通り。平和のためと自分の行為を正当化する誤りに気づき原稿を差し替えました。家康の逸話で考えさせられるのは、理想をもつことの弊害です。もちろん理想の内容にもよりますが、こうあろうとする欲求には、どうかすると理想に反するものを排除する志向が隠れています。阿弥陀如来が凡夫の私にこうあれと願わなかったのは、理想という物差しで私を評価しないことの表明でもあります。●社会生活の中で、どうそのことを大切にしていくのか。まずは評価してしまう自分と向き合うこと。それは同時に大切にしたいものと触れ合うときでもあります。その大切なものは、みんなが安心できるもの。そう思います。(西原)



08.2月号

【編集後記】●毎年、当寺の新年会ではハズレなしの抽選会がある。特賞は門信徒の書家に文字を書いてもらい差し上げている。文面は私が考えて依頼する。昨年は“今 ここを 生きる”。今年は“捨ててこそ 幸あり”です。

以前、ラジオの文化講演会で山田太一さんが“可能性の断念”を肯定的に語っていた。「現代は、可能性の断念を欠いているからこそ、落ち着かない社会なのだという。お金持ちは病気になっても、より良い高度な治療を求めて、なかなか自分の病気を受け入れることはできない。女性は男に比べて、化粧で顔を整えるので、老いた自分をなかなか受け入れられない。可能性を断念したとき現実を受け入れられる。」そんな講演でした。五木寛之と大塚初重の対談集『弱き者の生き方』も、「断念」を肯定的にとらえようとしている。「あきらめる、とは明らかに究めることです」と五木寛之は述べている。

●ビハーラもまた可能性の断念を大切にする活動です。その
ために何をするのかといえば、アクテイブリスニング、積極的傾聴です。この積極的の中身が問題です。この積極的が持っている内容を実践と論理で構築していくことがビハーラの課題です。いま頭に浮かんでいることを文字にすると、大枠は“浄土の慈悲を共有する”ことです。そのためのケアとして、実践者が“何も出来ないところに意味をみいだしていること”“相手に変化を求めないこと”“無条件の受容に意識が開かれていること”“同じ方向に向かっているという意識”です。同じ方向に向かっているのだから、不自然な沈黙よりも、実践者が自分にうそをつくことなく思いを言葉にすることも重要だと思う。(西原)



08.1月号

【編集後記】● 以前、会報“この一冊”で景方さんが紹介された『失われた物語を求めてーキッチンテーブルの知恵』(レイチェル・ナオミ・リーメン著・中央公論社刊)に掲載されている話しです。

高校でも大学でも運動選手として活躍した彼は、右足骨肉腫の告知を受けて2週間後、脚の上部から脚を切断した。彼の怒りは強烈で、学校をやめ、大酒を飲み、自滅的な行動に向かった。ある医師と出会い、画用紙に自分の身体のイメージを書くことを進められる。青年は乱暴に輪郭だけの花瓶をかき、中央に深いひびを描き入れた。歯ぎしりをしながら、紙が破けるほど力を入れて、黒いクレヨンでひびの上を何度もなぞった。目には怒りの涙を浮かべていたという。その後青年は、「心の傷がだれにも理解されていない」という思いから、外科病棟に入院中の、彼と同じような問題をかかえた若者を訪ねていくようになった。21才で両方の乳房を手術で切除したある女性を訪ねた。女性は深い鬱状態で目を閉じベットに横たわり、彼の方を見ることもこばんだ。青年は今までの経験と知恵を絞り、身体の形が変わってしまった者同士でしか言えないことも言葉にし、冗談を言い、ついに腹を立てたのに、いっこうに反応がなかった。ラジオからは静かなロックミュージックが流れていた。彼は立ち上がり、義足を外すと床にどさっと落とした。はっとした女性は彼を見る。彼は声を挙げ笑いながら音楽に合わせてはね回った。彼女も笑いだし「あなたが踊れるのなら私だって歌えるはずよね」といった。まもなく二人で入院中の患者さんを一緒に訪ねるようになったという。最初のひび割れの絵を描いて1年後、再びその絵に向き合った。彼はその絵を手に取り、「これまだ描き終わってないんだ」と言うと、黄色いクレヨンを選びとり、花瓶のひびから、紙の端まで放射線状の線を書き込んでいった。太い黄色い線で。笑いながらひびに指を当て静かに言った。「ここから光が差し込んでくるんだ」。

●いい話です。苦しみは自我で出来たひび割れだと思う。それは固く結ばれた執着のほころびであり凡夫であることの悲しさです。そのひび割れから阿弥陀さまの光が射しこんでくる。だからこそビハーラでは苦しみを大切にしています。その人が新しい自分と出会うために。(西原)

07年