会報 がん患者・家族の語らいの会 編集後記07
06年

07.12月号

 琴線にふれる。ビハーラでは、どうにもならない苦しみを聞かせていただいたとき、そんな感じを持つ。それは苦しみの底に流れている一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし」という人としての真実に通じているからだと思う。苦しみの体験が「清浄の心なし」の体験に突き抜けるとき、苦しみの受容が起こる。しかし難中の難の出来事です。親鸞聖人はその御著書に『涅槃経』の苦悩にあえぐアジャセ王の物語を引用されている。アジャセ王は苦しみの中で【われいま仏を見たてまつる。ここをもつて仏の得たまふところの功徳を見たてまつり、…無量劫のうちにもろもろの衆生のために苦悩を受けしむとも、もつて苦とせず〉と。】苦悩の受容を説かれている。苦悩をなくすのではなく、苦悩→仏との出会い→苦悩の受容の図式です。ここから導き出される視点は、1.苦しみからの解放とは、苦しみをなくすことではなく苦しみを受容すること。それは同時に、2.受容できない私が受容できる私に回心する、ことです。角度を変えて考えると、私が回心するためには、苦しみによって自身の欠点が開示されることが重要だということです。この自己の欠点の開示こそ、冒頭にあげた真実に触れるということだと思います。

●私は住職をしているので、通夜や葬儀に行く機会が多い。大方の葬儀会場駐車場には、住職専用のスペースが用意されポールが立ててある。普段、軽自動車を利用している私が会場の駐車場に行くと、顔や服装を見ることなく100パーセント、貴方はあっちと住職専用スペースをブロックされます。住職は軽自動車で葬議場に来ないという思い込は、完全に刷り込まれている。もちろんそう刷り込んだのは住職の高級車?です。こうした刷り込みは病人に対しても同様です。過般の集いの折、参加者のおひとりが「患者に対してかわいそうに思っていたが、それは自分のおごりであった」と述懐されていたが健康第一という刷り込みが多くの偏見を作り出しる。“あげることの中に生きがいをみる”これも一つの刷り込みです。人は人にいよいよの状況下でしてあげられることなどない。いやして差し上げる力などないということです。自己の無能さに直面することは、「清浄の心なし」に通じているのだと思います。
西原)



07.11月

●ビハーラ・ケアってなに?小難しい話ですみません。煩悩を仏教辞典で引くと「悪い心のはたらき・心のけがら」などとあります。一口に煩悩といっても、通常の生活では、その煩悩を楽しみとして日常をおくっています。しかし病や死に遭遇すると煩悩が苦しみの原因となります。この煩悩も大乗仏教の究極の心の領域では「煩悩即菩提」といって悟りの境地に通づると説きます。繰り返します。煩悩の三パターン体験は、楽しみ・苦しみ・悟りです。お寺の説教は、煩悩を楽しみとしている人たちに、煩悩の危うさを説き、「煩悩即菩提」となる信心の生活を勧めます。私たちのビハーラでは、病や死に遭遇し煩悩を苦しみとする人とともに、「煩悩即菩提」となる道を大切にしていきます。ビハーラ・ケアとは、煩悩が即菩提になるための行為だと思います。通仏教ではその行為を菩提心といいます。菩提心とは悟りを求める心のことです。親鸞聖人は、その菩提心と阿弥陀如来の働きであると教行証文類に著されました。「この心すなはちこれ大菩提心なり。この心すなはちこれ大慈悲心なり。この心すなはちこれ無量光明慧によりて生ずる」と。

●話を元に戻します。この論法でいくと浄土真宗におけるビハーラ・ケアとは、阿弥陀如来の働きである大慈悲心となります。私が大慈悲心を実践するとは、常に私は如来から救われなければならないという愚に徹することです。愚に徹することは同時に、その私ゆえの如来の大悲心に徹することでもあります。すなわち信心です。

●当寺で秋季彼岸会が終わって、千鳥ヶ淵法要の法話の話になりました。法話をしたのは私で自己採点
70点でした。法要に参加した門信徒はすごく良かったといいます。もちろん大舞台の雰囲気や住職というひいきもあってのことです。話した私は最高の話し方と内容をイメージして法話に望みました。それに比べて70点です。聞いた皆さんは、パーフエクトの話を知りません。そこで自分の価値判断で採点し点数が甘くなります。または別の考え方もできます。良かったと聞いた方は、比較対象して私の話が良かったのではなく、阿弥陀如来のお慈悲が伝わって、そのお慈悲が良かったということです。阿弥陀如来は、私に点数をつけることを断念し、点数のつけようのない私を摂取する百点の仏になることを願われた仏様です。その如来のお慈悲が最高だったということです。

●私の話が良かったのか。阿弥陀如来のお慈悲が良かったのか。その分かれ目が「愚」の自覚です。私を立てて評価するのではなく、愚に立つ。それはビハーラの原点でもあります。(西原)



07.10月号

生(せい)は私の領分です。領分とはある程度自由裁量が許され、目配りが届く範囲のこと。その生の中身は知識、経験、性格、欲や愚痴、喜びや楽しさなど、その領分の中で生活し、そして終えていく。浄土真宗の信心は、この私の領分だけに終わらず、如来の領分に足を踏み入れて生きる事です。如来の領分とは、仏の智慧と慈悲によって開かれていく領域です。その如来の領分は私の領分の上に「それ故に」という言葉で隣接しているようです。生の終わりに際して「それ故に浄土まします」と、煩悩の炎に焼かれる闇の中で「それ故に、仏かねてしろしめして煩悩具足の凡夫と…」と、私の可能性の断念に際しことごとく「それ故に」と如来の領分に開かれて生きる。煩悩具足という私の領分しか持ちえていないままに。だから断絶であるはずの死を往生と言うのでしょう。

平安時代末から鎌倉時代初頭にかけて、人類は未曾有の絶望を体験しました。『方丈記』の記述によれば、親鸞聖人が九歳で比叡山に上った養和(1181)のころの二年間、春夏の日照り・干ばつ、秋冬の大嵐・洪水など、悪天候が続き、加えて宋との貿易によって持ち込まれた病が蔓延した。仁和寺の暁法が大勢の僧を使って死体の額に阿()の字を書いて仏縁を結ばせたところ、四月と五月だけで洛中(北を一条通り、南を九条通り、東は現在の新京極あたり、西は現在の千本通りの長方形の区画)路傍に四万二千三百の死体があったといいます。平安京の人口が10万人強の中での数字です。

●死者の多さだけでは
人類未曾有とはいえません。絶望感に決定的な要因となるのが、この不幸は今後一切回復の見込みなし、闇はさらに深まっていくという末法観(仏教の終末思想)です。この人類未曾有の絶望が「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし」との仏になる可能性の断念を体験させ、その体験は同時に阿弥陀如来が無条件に救うという慈悲の深さへの気づきでもあったのです。ここに可能性の断念が絶望ではなく、阿弥陀仏の慈しみの深さや如来の領域に開かれていくターニングポイントであるという一つの道が経典の中から明らかになったのです。それが浄土真宗という仏道です。

●ビハーラは、可能性の断念を模索していく活動でもあると思っていますが、いかがでしょうか。
西原)



07.9月号

 8月6日、友が逝った。前月27日臍帯血を受け、以来メールで頭が痛い、嘔吐が続くといった会話をしていたが、急な肺炎でなすすべもなくこの世を終えた。葬儀は下関の自坊で行なわれた。会葬御礼で、住職後継者である息子が父である住職の言葉を紹介していた。病気の告知を受け、そして感じていたことを言葉にしては、寺の掲示板に書いていたそうだ。「老も死も避ける事のできない私の荷である この荷は予想以上に 厄介な重い荷のようである しかし この荷が今まで見る事のできない 世界を見せて下さる」。会葬御礼状にもその言葉が印刷されてあった。ビハーラもまた「この荷が今まで見る事のできない 世界を見せて下さる」ということを意識的に敬意を持って聞いていくことだと思う。

●寺の住職をしている知人との会話でした。私が細々とビハーラに関わっていることを知っているためか、「わが寺でも坊守がビハーラをしている」と、2.3の例を挙げて門徒とのやり取りを話してくれた。話の内容はともかく、私はその話を聞きながら、私が問題にしているビハーラって“すること”ではなく“起こること(あるいは見えてくる)”なんだなーという思いを持ちました。これは浄土真宗の行についても同じことが言えます。念仏という浄土真宗の行為は、阿弥陀様から言えば必然、私から言えば偶然(たままた)の賜物です。たまたまとは、私の能力の及ばないこと、必然とは、私の思いや可能性を超えて、“おのずからしからしむる”産物だということです。その力を他力といい阿弥陀如来の願いと働きの賜物であると受け入れていきます。先のビハーラとは「することでなく、起こる(見えてくる)こと」というのは、死に象徴される可能性の断念に中で、必然の世界、すなわち私を越えて私を私在らしめている世界を体験することです。私の殻を突き抜けて明らかのなると言うことです。
浄土真宗の“おのずからしからしむる”願いと働きの体験と、死に際して私を越えて私を私在らしめている世界の体験は、同質なものだと思われます。その違いは、浄土真宗の場合は、死の自覚のない平成において、教えや阿弥陀如来の回向の行を通して、万人が体験できることにおいて宗教的心境という名があたえられる。これは私の仮説に過ぎませんが。

07.8月号

●友人が白血病で臍帯血を受けるために入院している。入院前、仲間が遠近各地から集まり出陣式のような飲み会をした。別れるときに涙が出た。あの涙は何の涙なのだろうかと考えています。これから試練を歩んでいくだろう友に対するいたわりからくる涙か。それともこれが最後かもしれないという別れの涙か。そのときの涙を言葉にすれば、「友達になれてよかったなー」ということだと思う。よく生と死は紙の表と裏のようなものといわれる。人生が思い通りに運んでいれば、裏を見ることもないかも知れない。しかし病気や人生の危機に際して、紙の裏が見えてくることがある。偶然見えてきた紙の裏にこそ、表の本当の姿があるように思われます。

尾籠(びろう)の話で済みません。夕方(24日
6時)、その友人の携帯に電話を入れました。クリーンルームに入っていて、27日手術、明日から放射腺、数日前から抗がん剤を受けていて、その副作用で口内炎や肛門の粘膜がただれて痛いという。その状況化で、西原(私)は脱肛(字)なので肛門の粘膜がただれたらどうなるのだろうと思ったと言う。私いわく「毎日、トイレのたびに出したり入れたりしているので抵抗力が付いているので大丈夫」。お互いに爆笑。

●浄土真宗は、念仏を称える中に、念仏となって届けられている阿弥陀如来の願いや慈しみに触れていきます。私の感情に即して言えば、悲しみや苦しみを通して、その苦しみや悲しみに呼応して下さっている阿弥陀仏の慈悲に触れていくことです。苦しみや苦しみの持っている意味は、
涙を通して苦しみや悲しみの底に流れている一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし」という人としての真実に触れていくことができるという点です。その「清浄の心なし」の体験こそが、凡夫の計らいを超えて自然にゆだねるターニングポイントになるものです。それは同時に苦悩の衆生海にあって巧みに凡夫の私に呼びかけ続けている阿弥陀如来の働きの賜物でもあります。その体験は、おそらく浄土真宗の言葉や教えの介入がなくても、可能なのだと思われます。しかし教えの介在していないと、一過性の体験に終わり、苦しみが去れば苦しみとともに、人生の深さの体験も過去のものとなる。そう思います。(西原)



07.7月号

●神奈川県立 生命の星・地球博物館へ行きました。地球最古の生命体の化石を見るためです。オーストラリアの35億年前の地層から発見された岩石です。すでに複雑な構造で光合成を営み酸素を排出するというバクテリアの化石です。それから生物たちは約30億年かけて地球の大気を酸素に変え、さらにオゾン層をつくりました。現在見つかっている最も古い陸上植物の化石は47000万年前の胞子です。こうして改めて地球の歴史に触れると、35億年前に酸素を排出した生命体と私は繋がっているという思いを持ちます。また一呼吸の中に地球の歴史の重みを感じました。

●この繋がっているという感覚は重要です。その逆は孤独です。がん告知を受けたときの混乱の元凶は、“繋がりが断たれる”ことかも知れません。思い描いていた未来が断たれ、今までの人間関係が断たれ、社会との関係が断たれる。断絶という有限性の苦しみの体験です。しかしその“断絶”を通して、患者は新しい関係性に開眼していのだと思います。新しい関係性とは、深さであり重さであり質の転換です。その極まりが、虚しく終わりゆくかくあるままの私が無量寿の阿弥陀さまから念じられているという無量寿との関係性です。その具体的な了解が念仏です。

●地区の講演会で阿満利麿(明治大名誉教授)氏の話をお聞きしました。譬えで北極星の話をされました。【旅をする人間には北極星は不可欠である。だが北極星は悪天候では見えない。その時は天候の回復を待たざるを得ないし、嵐に耐えるしかない。だが、晴天が戻れば再び旅は始まる。また北極星は目印であっても、到達することは不可能である。到達できないがなければ旅はできない。阿弥陀仏の本願はいわば北極星であり、私たちの人生は北極星に導かれる旅のようなものではないか。嵐に耐えることができるのも、北極星の存在があるからだ】(同人雑誌「連続無窮」より)

私たちの会も常に目標に向かって進むことが重要です。阿弥陀仏の本願は“凡夫の救い”です。日常生活の中で凡夫でありながら見せかけの賢さにどれだけ振り回されていることか。ごまかしのきかない場で凡夫であることを直視する場、それが「がん患者・家族の語らいの会」なのだと思います。(西原)



07.6月号

「がん患者・家族語らいの会」は、1987年8月が第一回開催いでした。この7月で20年です。当初からゲスト講師のお話の後、グループでの話し合いのスタイルは変わっていません。グループでの話し合いで大切にしていることは、“苦しみなど語られることを通して、本当のことに出遇う”ことです。本当のことに出遇うために会として実行していることは、偽らないこと、相手を作為的にある方向にリードしないこと、そしてありのままのその人を認めることです。難しく言いましたが、簡単に言えば“何もしないこと”です。何もしないことの中に積極的な意味もあります。

世界の広海を行き交う船は、小さな力弱い船の発信しているSOSを受信すれために、定まった時間に数分間、一斉に通信を中断すると聞きます。もしかしたらと耳を傾ける中に、出力の弱い、小さな船が見出される様子が思われます。何もしないことの積極的な意味は、この航海の約束に似ています。その人の中にある本当のことに関心を持ちつつ聞かせていただく。これが何もしない中身です。そして本当のことに触れているという実感を私が持ったとき、そのことを感じたままに伝える。

阿弥陀さまもこの手を使っているようです。『仏説無量寿経』に「たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、わが行、精進にして忍びてつひに悔いじ」とあります。毒の中に身をおく。仏さまなのだから、さっーと来たって救えばよさそうですが、その場限りの楽に始終せず、真実(如来)に触れてくれることを毒の中に身をおいて待つ。これが如来の修行だというのです。してみれば、参加者の苦しみを聞き、その苦しみを解決しようとせずに、苦しみの中に隠れている本当のことに関心を持ちつつ、仏さまのように何もしない努力があってもいいのだと思います。本当のことに出遇うか出遇わないかは仏様に任せて。

●この通信の8月号は、20周年の通信記念号としたいと計画しています。その号に掲載する「私の遺言―パート
2」(400字以内)を募集しています。締め切りは7月14日、自分の心の中を見つめてみませんか。稿は匿名でも可能です。事務局宛送付か、nishihara@jade.dti.ne.jpまで送信して下さい。

07.5月号

● 一日の中で、考える時は朝の散歩のときです。48日の散歩でのことです。早朝のラジオ放送で“今日の誕生日の花は、れんげ草…花言葉は、苦しみを和らげる”とアナウンサーが語っていたことを回想していました。当日は4月8日花祭りの日です。蓮華は仏教の花、だかられんげ草なのかも知れません。そのアナウンサーは今日の一句として滝野瓢水(ひょうすい)の句「にとらでやはり野におけれんげ草」(手に取るな場合あり)を紹介していました。私は散歩しながらこの歌を何度も反復しました。瓢水がれんげ草を見て少し迷った「手にとらでやはり野に」という迷いを迷いのまま表現したところが、「野におけれんげ草」と重なって味わい深く思われました。

●過般
“植木等逝去”の報道に接しました。その日の午前中、ある雑誌に連載されている植木等伝を読んでいた夕刻の報道でした。浄土真宗の寺の住職を父に持つ植木等は、音楽の歌い手になる決意を父に伝えます。「坊主は死んだら人間を供養する。芸能人は生きた人間を楽しませる。僕は生きた人間を楽しませたいから芸能界へ入る」。そのとき父親から「生意気なこと言うな、馬鹿野郎」とげんこつをもらったという内容でした。植木等の父徹誠のことは「夢を食いつづけた男」(朝日文庫)に植木等自身が書いています。歌手となって「スーダラ節」の楽譜を渡された時に「こんなくだらない歌はイヤだ。これを歌うと人生が変わってしまう」と悩んだとき、父親に相談すると「わかっちゃいるけどやめられない」の歌詞は親鸞聖人の精神に通じると諭され、歌うことを決意したという話は有名です。「わかっちゃいるけど…」と親鸞聖人の “「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、”は通じます。が、「わかっちゃいるけど…」。これだけでは痛みや懺悔が欠落しています。痛みや懺悔がないと驕慢に陥ってしまいます。真宗的に言えば、救われねばならない存在として阿弥陀如来と共に生きるということ視座です。先の瓢水の歌で言えば「野におく」という自分を超えたものとの出会いです。

●瓢水は江戸時代、明石の廻船問屋の家に生まれ、親から受け継いだ財産をすべて歌道楽で失います。そのとき瓢水は“倉売って日あたりのよき牡丹かな”と詠んでいます。失って見えてきたものをしっかりと見ています。その瓢水の名を慕って禅僧が訪ねてきたが瓢水は薬を買いに行って留守であった。死ぬのか怖いやつはだめだときびすを返した僧に、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」と詠んだという逸話は有名です。この歌もその時々を生きるという仏教の考え方に沿っています。
(西原) 

07.4月号

● 朝焼けに色づく稜線を楽しみながら散歩をしていると、意識はさっき観た夢を回想していた。夢の内容はコウだ。どうしたわけか本願寺のご門主のお伴をして門主一行と共にワゴン車に乗り出発した。車がカーブに差し掛かると、タイヤの不具合が気になる。タイヤの空気圧が低いのか、それともパンクでもしているのではないかと思い案内役の部長さんに、「車を止めてタイヤを点検したほうがよいのではないか」と進言した。そのとたん車はカーブで横滑りしてクラッシュ。けが人も出ているようだ。一行は隣接の教会らしき建物に収容され、その施設の信者らしき人たちの手によって応急処置を受けた。中には流血している人もいる。私は頭を少し打っただけでたいしたことはない。信者らしき人が私の頭を介抱してくれ、なにやら毛糸で編んだネットらしきものを被せ、祈りの言葉を口にしている。他の人たちを見ると、同様に毛糸のネットを頭につけさせられている。

私はその宗教的な行為のネットをもぎ取ったところで夢は覚めた。しかし意識はまだ夢の中にあった。覚めた意識は、私はなぜネットも被ったまま責任者に会い、「災難の最中での介抱に対して礼を言い、貴方たちは善意であると思ってしるであろうが、かかる宗教的な行為(ネット帽)は望んではいない。もしこうした宗教的行為を強要するのであれば、私たちはすぐここを退去する」と申し入れなかったのかと悔やんだ。●おそらく散歩をしていなければ忘れたであろう夢を記憶にとどめることができたことは幸運でした。●なぜこんな夢を見たのかは詮索しません。しかし昨日届いた本願寺新報(19.3.20日号)に【本山が初の総合ビハーラ施設】【ビハーラ専門僧が常駐して医療スタッフとともにトータルペインに対応】の記事と結びつけずにはおれません。おそらく頭のネットはオウム真理教の頭に被るネットが夢に出てきたのであろうが、望んでいない者に宗教的行為を強要してはならない。善意であれば善意であるほど、断りにくく厄介なものです。●ではビハーラとは何か。224日築地別院で開催された《浄土真宗でなぜビハーラか》のシンポジウムは、そのことを明らかにすることが目的でした。内容詳細は会報「ビハーラ」でお伝えします。(西原)

07.3月号

● ビハーラの意味は「心身をゆだねる」ことです。本来「みんなと力を合わせてつくる」ものではなく、正見、すなわち正しく見つめる中に見出されるものと言ったほうが近いようです。『如来蔵経』は、お一人お一人の中に如来が蔵されていることを説く経典です。その中に「ぼろきれにくるまれ、道に捨てられた仏像」の節があります。『お釈迦様は次のように仰せられました。鼻につく悪臭に包まれた、宝石でつくられた仏さまの像が、幾重にもぼろきれをまかれて、道の途中に捨てられ放置された。天眼でもってそれを見れば、これは宝石でできた仏さまの像であることを知ることができます。それと同様に今の病は、煩悩の被われていて苦しみしか見いだせません。しかしその苦しみの内に、勝利者となりえる豊かな真実が隠されています。私はそのことを知っているから勧告するのです。「聞け、もっとも大切なものが苦しみのぼろきれにくるまれている。それを見出し勝利者となれ」と。』まさにビハーラは「苦しみの内に、勝利者となりえる豊かな真実が隠されて」いるそのものです。● 先月の例会では、数人の方から、がん患者を看取ったときの心のうめきが吐露された。それは通常、人に見せることのできない思い(?)です。「そんなこと誰にでもあること」と流されてしまうからです。後に残るものは虚しさです。人に見せられない思いを評価することなく聞いてくれ人がいる。そこに安心して見たくない自分と対面していけ場が成立します。集いそのものがビハーラであることが重要です。●2月は節分でした。成田山の節分は「鬼は」はなく、「福は内、福は内」だけ。それは「山内には鬼はいない」と報道されていました。花嫁がかぶる「角隠し」を広辞苑で引くと「浄土真宗の門徒の女性が、寺参りのときにかぶった被り物」とあります。私には角がある。自分には恐ろしい心があると目覚めて歩む。ここに念仏者の生活があります。節分の鬼は隠れるという「穏」(おん)がなまったものとされます。鬼はいないと否定せず、心の奥にある鬼を自覚するほうが凡夫の生き方には即しています。●3月はひな祭り。この節句も同じことです。本来は、祓(はらえ)の道具として人形(ひとがた)であり、「延喜式」にも記述されていますが、人形に不浄を託して川や海に流して、災厄を祓うという古代からの俗信仰が基礎となっています。「ここにも自分の罪人」という意識があります。ビハーラは、自分に正直になる場でもあります。

07.2月号

● 大乗12月号(18.12・本願寺派発行)のご門主の法話が掲載されていました。いわく「浄土真宗ではどうして修行をしないのか‥難しい修行をしなくても、人生には難問がいくつもあるからだと味わえます」とあります。宗派人の発言は、聖道門の修行を否定する内容が多い中、人生の難問と結びつけて修行を肯定した門主の言葉に新鮮な印象を持ちました。聖道門の修行は、自我の危機を作為的に作り出し、自我の分別を超えた広やかな世界へ己を開放する営みです。この自我の危機は、修行に拠らなくても失恋や病気など、日常的に苦しみ(思い通りにならない)として体験します。しかし失恋や病気は、体験しない人もいるし、自我の危機も「自我が傷つく」程度で終結することもあります。●ところが死に直面して起こる自我の危機は、すべての人が体験する普遍性があり、「自我が傷つく」程度ではなく、自我が根本的に回心(質的転換)せざるを得ない状況に追い込まれます。● ビハーラが自我の危機(苦悩)に寄り添い、自我を超える道を共に歩む活動であるとすれば、活動の対象は、失恋でも病でも老いでもよいのだと思います。また実際にビハーラ活動の大多数が老人を対象にした活動に始終しています。しかし自我の危機がもっとも顕著な形で露出するものは死なのです。東京ビハーラは、がん患者という死と関わりの深い一点に目標を定め活動を展開している理由がここにあります。自我の危機は、自我を中心に構築された考え方から、阿弥陀さまを中心とした考え方へと移行する機縁でもあるのです。●標記のビハーラ講座では、浄土真宗の教えの上からビハーラ理念を見つめ直したい、そんな思いから講座を開催します。この講座が、新しいビハーラ活動の再出発点になればと考えております。

07.1月号

● 12月例会のゲスト講師であった押川真喜子さんは、「在宅で死ぬということ」(文春文庫刊)の執筆者でもあります。講演の中で「小児ガンの経験をもつ両親は、お子さんが逝去した後、離婚率が高い」と言われていました。小児ガンという極限の危機の中で、平和であればさらけ出す必要のないお互いの価値観の相違を見せ付けられるからです。お互いの価値観の違いを包容してくれる大きないのちと言った生命観の不在が新しい不幸を生み出していくようです。と同時に小児ガンの経験は両親にとってもトランスホーメーション(質的転換)という成長の場でもあります。スピリチュアルペインという苦しみは、苦しみとして顕在化している自我の疼きでもあるからです。その自我の疼きを通して、自我を超えた考え方に出会っていく、ここにビハーラがあります。●ビハーラを仏教辞典で引くと「心身をゆだねる」とあります。ビハーラ活動は、どのような状態であっても心身をゆだねることのできる考え方や場、教えを大切にしていく活動です。●宗派の冊子に京都女子大の徳永一道教授の文がありました。【あるとき、宗祖の「信心」は弥陀の大悲に自らのすべてを「ゆだねる」だと話したら、ドイツの女性から「なぜ信ずることがゆだねることなのか?」と訊かれたことがある。答えにつまった私は、彼女が抱いているマリアという赤ちゃんがスヤスヤと眠っていることに気づいて、何気なく「マリアに訊いてみたら?」と言ったら、彼女はそのしぐさと表情で、私が言ったことを十分に理解したことを示した。マリアが何の心配もなく眠っていられたのは、母親である彼女の胸に抱かれていたからである】。信とはゆだねることです。●阿弥陀仏に私のすべてをゆだねるとは、わが身の上にこれから起こるであろう無限の可能性を受け入れていくことであり、私が、その瞬間、瞬間を十分に経験することでもあります。