2009年


がん患者・家族語らいの会 通信 編集後記 (2012年)

2011年

6月

この度の東日本大震災で明らかになったことを論者がいろいろと語っています。私も一つ上げるとしたら、“信仰と災害の当否は無関係だ”ということです。信仰心のある人も、ない人も同じように災害にあいます。では信仰とは何かということに想いが及びます。

●過般、ラジオ放送で芥川龍之介の『奉教人の死』を朗読していました。まずはあらすじです。

●長崎の教会にある美少年がいた。彼は自身の素性を周囲に問われても、「故郷は天国、父は天主です」と笑って答えるのみだったが、その信仰の固さは教会の長老も舌を巻くほどだった。ところが、彼をめぐって不義密通の噂が立つ。教会に通う傘屋の娘が、かの美少年に想いを寄せて色目を使うのみならず、彼と恋文を交わしているというのである。長老衆は苦々しげに美少年を問い詰めるが、彼は涙声で身の潔白を訴えるばかりだった。ほどなく、傘屋の娘が妊娠し、父親や長老の前で「腹の子の父親は、かの美少年だ」と告げる。かの美少年は姦淫の罪によって破門を宣告され、教会を追い出される。身寄りの無い彼は乞食同然の姿で長崎の町を彷徨うことになったが、その境遇にあっても、他の信者から疎んじられようとも、教会へ足を運んで祈るのだった。一方、傘屋の娘は月満ちて、玉のような女の子を産む。そんなある日、長崎の町が大火に見舞われる。傘屋の翁と娘は炎の中を辛くも逃げ出すが、一息ついたところで赤子を燃え上がる家に置きざりにしたことに気がつき、半狂乱となる。そこにかの美少年が現れて、火の中に飛び込み赤子を救う。そして倒れて死ぬ。聴衆は、わが子ゆえといったが、かの美少年の胸が放ていて、そこには乳房があった。(以上)

●そんな物語です。かの美少年は女であり、世間のあざけりを、あえて受けていたのです。神と共にあるという信仰は、人からあざけりを受けようと、苦しみの中にわが身を置くことができる。ラジオ放送を聴きながらそのような思を持ちました。

●もっといえば、苦しみの中でこそ、自分の価値観や生きる指針が、より一層見えてくるのでしょう。苦しみの中で、見えてくるものをしっかり見つめる場が、ビハーラの1つの役割だと考えています。●余談ですが白隠さんに『奉教人の死』と同様な逸話があります。不倫の娘の子を、わが子として預かる。世間のあざけりを受けるが一向に構わず、子育てにいそしむ。最後に娘が事情は話し、誤解が解けるという逸話です。
(西原)

4月

34月は、卒業式や入学式、別れと出会いの話題が花盛りです。カーラジオをつけると卒業式の話題でアナウンサーが「子どもが幼稚園を卒園した。1歳児の時からお世話になってきたので、さびしい感慨を持った」と投書メールを読み上げていました。その投書メールに誘発されて思ったことです。子育ては、子離れの実戦でもあります。抱っこから、ハイハイ、歩く、高校卒業、就職と、親と子が離れていく努力です。そして結婚して独立します。ラジオを聴いて思ったこととは“これは親子の間だけではない。私という一人称の上においても、死ぬための努力と言っては言葉がヘンですが、自分から離れていく努力があってしかるべきだ”ということです。続いて思ったことは、昨年のビハーラ講座で元国立がんセンター医師のT先生から伺った、アーサーヤングのV字図のことです。

●アーサーヤングのV字図とは、人は多くの自由をもってこの世に生まれる。ところが教育を受けて成長し、知識を得て、財産を得て、名誉を得ていく間に、人は、自由を失っていく。そしてどうにもならない苦しみに遭遇する。そこから逆に、今度は今まで獲得してきた財産や名誉などを捨てていくというプロセスに移行する。そのプロセスの中で、失った自由を獲得していく。それを図形で示したものです。浄土真宗的に言えば、“廻心”を契機として自力から他力へ転換していくということです。

●アーサーヤングの言う自由とは、“自分のへ執着からの自由”なのだと思われます。このアーサーヤングの得ることによって自由を失っていくという下降線から、捨てることよって自由を得ていくという上昇線に変わる、このV字図の考え方は、宗教的廻心ばかりではなく、一般の人生論についてもいえることではないかということです。人生、ある時点になったら、得ていく過程から、捨てていく過程へと移る。そして捨てていく努力を通して、自分への執着から解放されていく方向へ向かう。ラジオを聴きながら思ったことです。「がん患者・家族語らいの会」は、捨てていくことの意味を大切にしていく活動だと思う。捨てていくことを通して得ていくものがある。悲しみを通して、その悲しみの存在に寄せられている大悲に出遇い、苦しみを通して、苦しみを作り出している凡夫の自分に出遇うということです。
(西原)

2月

「春秋」2012.1月号に牧野智恵さんの「病を超えてー今、フランクリンを読むー」の中に、2011722日「クローズアップ現在 ヒューマンドキュメンタリー ある少女の選択―18歳“いのち”のメール」(NHK総合テレビ)が紹介されていました。(以下転載)

2011722日「クローズアップ現在 ヒューマンドキュメンタリー ある少女の選択―18歳“いのち”のメール」(NHK総合テレビ)で、
幼い頃から重い病気に苦しみながらも、最先端の医療に支えられいのちをつないできた18歳の田嶋華子さんのことが紹介された。彼女は「いのちは長さじゃないよ。どう生きるかだよ」(筆談)と言い、10119月になくなった。華子さんは、幼い頃に心臓移植を受け、十年以上が過ぎた18歳のある日、腎不全となり血液透析をしなければ生きられない状況になった。華子さんは今の厳しい病状について医師からすべてを聞き、透析をしなければ生きられないことを知らされた上で、「自分らしく生きる道」つまり、これ以上延命治療をせず、大好きな我が家で両親とこれまで通り普通に生きることを選んだ。はじめの頃は、両親とも娘の思いを尊重していたが、全身の浮腫や呼吸困難で苦しそうな娘の様子を目の当たりにした父親は、主治医に透析治療を依頼した。主治医は今後の治療方針については、華子さんの意思を尊重すべきと判断し、両親、主治医、華子さんで話し会うことになった。その中で、華子さんは、父親の「週三回の透析治療を受けてほしい」という思いを受けて、

●華子さん「もう十分生きてきたし、自分で決めたことだし、もうパパ追いつめないで。
………パパ、私の身体が変わっていくのが辛いんだね。でも私は納得しているんだよ。私は本当に幸せなんだよ。私はふつうの18歳の経験ができなかった、 でも誰にも負けないパパとママに出会えて幸せたった」父親 「生きていくことは大事なこと…、生きているときっといいことがある…。せっかく生まれたのだから、少しでも長く生きて…。死んだら終わりだよ華ちゃん」。華子さん「パパの気持ちは分かったから、これからも、華子らしく生きたいの。生きたいの」。主治医「華子さんらしく生きたいんだね。華子さんらしく生きるということは、治療を受けずに、このまま家で生活をしたいということなんだね」華子さんは大きくうなずいた。このわずかなやりとりの中で、華子さんが自分の運命を受け入れ、その上で自分らしく生きるこに意味を見出し決断している様が分かる。その数週間後、家で父親の腕に抱かれ息を引き取り、その最期は穏やかな表情だった。(中略)華子さんは次のようなメッセージを両親に残していた。「神様が私にいろいろな病気を与えてくれたことを私は恨んでいない。(病気を)与えてくれたからたくさんのいろんな人と会えたもの」と語っていた。(西原)



2010年

個性化の時代になれば、個性豊かな人が多く現れると思えば逆に、人間性が均一化しているようです。そして小さな違いを見つけるために“いじめ”が行われているとも聞きます。2007年「YK」(空気を読めない)が新語・流行語大賞となりました。その空気は、その場の空気で近しい存在に対する配慮です。評論家の山本七平氏が1977『「空気」の研究』を著わし、日本は大きな空気が支配していて、教育行政や戦争指導などの事例を挙げ、空気を読むことが時に集団の意思決定をゆがめ誤らせることを指摘しました。この場合は大きな空気による支配です。

●この大きな空気に支配される時代は終わり、小さな空気に支配されているのが現代だともいえます。建設的な言葉でいえば「大きな物語」が失われた時代と言ってもいいでしょう。社会の中に「大きな物語」がないと、中心がはっきりしていないと、その中心に対して自分が今どの位置にいるかが理解されにくいのと同様に、自己意識が不明確となり自分を肯定する感覚が弱くなるようです。

では単に「大きな空気」「大きな物語」を持つことが重要かと言えば、そうとばかり言えません。過去にあった「大きな物語」は、大きな歯車に私と言う小さな歯車を合わせていこうという構図だからです。これは浄土真宗以外の宗教も同じです。神という大きな物語(誠・愛)に自分を合わせるという構図です。この小(自分)を捨て大(神・社会の善)につくという構図は、どうしても他律的になり、またその構図にそぐわない者は切りすたられるという不完全があります。

●では浄土真宗という「大きな物語」はいかなるものなのなのか。それは私の弱さや悲しみといったマイナスの精神性や、病気や死という肉体の不完全さを肯定していける物語です。阿弥陀如来の慈悲活動は、私の弱さや悲しみといったマイナスの精神性や、病気や死という肉体の不完全さからくる悲しみを見捨てることなく、私に常に働きかけて下さっています。私は自分の弱さや不完全さの悲しみの体験を通して、その悲しみに応答して下さっている阿弥陀如来の慈悲に開かれていきます。この浄土真宗という「大きな物語」では、人間の弱さや悲しみといったマイナスの精神性や、病気や死という肉体の不完全さが大切な意味を持っているのです。ビハーラ活動は、まさに阿弥陀さまの「大きな物語」と出遇っていく活動です。


2011.10月号

●自殺が1997年から連続して3万人をこえています。そのうち4割が中高年男性です。自殺の理由は、色々言われていますが、その中で「中高年男性がジェンダーに捕らわれているがゆえの弱さ京都府立大学の高原正興氏が指摘しています。論文の中で、「男よメンツ捨て相談を」と題した新聞報道(朝日2009.9.3)に、全国49ヵ所の「いのちの電話」に寄せられた相談は男女半々であるが、50歳代以上では男性は35%に止まり、自殺者のうちで精神科の受診や家族への相談は男性の方が少ないとされている。そして、「中高年を中心に悩みをなかなか口に出せない男性」が多く、「男は弱音を吐いてはいけないという文化が男を苦しめている」という指摘を紹介されていました。男は“こうあるべき”という意識が、自らの弱さをさらけ出せずに自死に至るということでした。

●自らの“こうあるべき”という思い込みが、現実の受け入れを拒み、さならる苦しみを作っているという点は、自死に限らず病苦でも同じことです。その自分の弱さに向きある場が、現代社会には欠けているようです。

●過般、『奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)を読みました。
奈良少年刑務所で行われている「社会性涵養プログラム」に作家、寮三千子(りょうみちこ)さんが協力して、詩の授業をし、その少年たちの作品群です。その詩集の中に、ある少年の詩がありました。「ごめんなさい」/あなたを裏切って/ 泣かせてしまったのに/あなたは 僕に謝った/アクリル板ごしに ごめんね と/わるいのは このぼくなのに//あの日の 泣き顔が忘れられない/ごめんなさい かあさん

●お母さんの悲しみの中に、自分の犯した罪の大きさを知るということがあります。おそらく少年刑務所に入所する前も、母の涙を、また母の「ごめんなさん」を耳にしていたに違いありません。しかし真剣に、その母の涙や「ごめんなさい」と向き合う時が欠落していたのだと思います。少年刑務所での詩の時間は、その母の涙や「ごめんなさい」と向き合う時であったのでしょう。

●ビハーラとは「安心の場」という意味です。東京ビハーラの活動は、安心して私の弱さや悲しみ悩み、肉親の悲しみや声なき声とむきある場所でありたいと願っています。その為には、自分の中に起こっている本当のことを知り、そのあなたを評価することなく受け入れ、苦しみや悩みの中でも出会って行ける人としての真実があるという希望のまなざし重要です。



2011.8月号

15世紀の英国の道徳劇にエヴリマン」 という劇があります。エヴリマンとは万人という意味ですが、時代によって色々と脚色され演じられているようです。

エブリマンは虚しい快楽をむさぼる生活をしていたが、ある日突然、死に神と対面する。エブリマンは神の裁きを受けに行かねばならず、その道中を共に歩んでくれる仲間を必死に探す。友だちと思っていた富や知識や美などを象徴した人々にみな、彼の旅に同行することを拒みます。そして最後に「善行」に行き着くというストーリーです。

『法華経』にも同じような物語があります。ある国に一人の大金持の男が住んでいた。この男には四人の妻がいた。男は四人の妻の中でも第一夫人を最も愛し大事にしていた。男は第二夫人も第一夫人にかわらぬくらい愛していた。そして第三夫人も大事にしていた。が第四夫人にはあまり愛情をかけなかった。この男が、その国へ移り住むことになった。そこで第一夫人に、「わたしは、お前を最も愛し大事にしてきた。だからわたしといっしょに他国へついてきておくれ」と頼むが、「いえ、わたしはあなたとこの国でいっしょに暮らしましょうとは申しましたが、よその国へ移り住むなどという約束はいたしませんでした」と断わられる。第二夫人に頼むと、第一夫人同様に男の頼みを拒否します。第三夫人を連れて行こうとすると、「いえ、わたくしもよその国まではいっしょに移り住むことはできません。でもせめて国境まであなたをお見送りいたしましょう」という。最後に日頃そまつにしていた第四夫人に頼むと、「はい、わたくしは喜んであなたにお供し、どこへでも移り住みましょう」という。第一夫人は自分の肉体、身体であり、第二夫人は財産。第三夫人は自分の子供を、第四夫人は善い行いを表しています。

●私の上で言えば、日頃、念仏を称え、念仏を悦ぶ心こそ、最高の財産だということでしょう。
エブリマンの死に神との対面や4人の妻の話は、がんという疾病により“限りある命”を告げられた時の、心の展開を描写しているようにも思われます。“私にとって本当に大切なものは何か”が問われる時です。がん患者に寄りそうことは、“私たちにとって本当に大切なものは何か”に向き合うことなのでしょう。まさに仏教が大切にしてきた問題が、ここにあります。

2011.6月

過般、新幹線の中で、いま話題の『』もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著)を読んだ。

敏腕マネージャーと野球部の仲間たちが甲子園を目指して奮闘する青春小説で、小説という形式でドラッカーの『マネジメント』理論を紹介するビジネス本です。ドラッカーが教えているマネジメントの考え方をわかりやすく解説されていた。感想は“面白かった”という思いと、小説というスタイルでドラッカーの『マネジメント』理論を紹介するというアイデアがすばらしいと思った。

●と同時に、仏教もこの手法でメッセージを伝えることができそうだとストリーがよぎった。頭に浮かんだあらすじはこうです。ある人が終末期の癌を告げられ、健康体を失って失意のうちに家に帰る。元気だけが取り得と思っていた自分である。お先真っ暗で生きる希望を失う。そんなある日、亡き父の書棚を見る「釈尊の一生」という本にであう。ふとその本をパラパラとめくると、お釈迦様のご幼少時代の逸話が出ていた。
「お釈迦さまが、まだお小さい頃のことでありました。庭園を歩いておられると、トンボの飛んでいる光景に出会います。するとそのトンボを、陰に隠れていたカエルが飛び上がってトンボを喰ってしまった。カエルが満足していると、草むらの陰からするすると近寄ってきたへビが、カエルをひと飲み。すると今度は空を舞っていた鷲が、そのヘビをついばみ大空へ舞い上がっていきました。その様子をご覧になられたご幼少のお釈迦さまは、悲しいお顔をなされました」。主人公は、そのご幼少のお釈迦さまの悲しいお顔を想像した時、そのお釈迦さまの悲しみは、弱肉強食という命の連鎖の中で、力弱く終わっていく命に対する哀れみではなく、むしろ弱い命を殺してしか生きるすべを持たない強きものへの哀れみではないかという思いがよぎります。すると逸話で語られた悲しく思った強き者と、病気であることを卑下している自分とが重なります。哀れむべきは、病気の者ではなく、健康第一と奢っている自分ではないか。そんな具合に、病気の再発、そして余命告知という日々を、釈尊の伝記から学びを得て、心の成長をはたし、病気を受容して、最高の精神の領域に至るといったストリーです。

●ビハーラとはまさに、フイクションではなく現実の中で、そんなストリーに関心を持ちながら、苦しみの中にある人とご一緒していく活動だと思う。
(西原)



2011.4月

●以前、この後記で紹介した読売(22.2.11)に掲載された膵臓がんを病む東京都大田区の木下義高さん(61)の記事を、私のブログで紹介した。

●≪ 直腸がんの切除後は、半年間、人工肛門の生活を送った。その後、腸をつなぐ手術を受け、再び自分の肛門で排せつできるようになった時、「生きていてよかった」と涙が出た。「2度もがんになり命拾いしてわかったのは、目の前の生活をいかに豊かに生きるかが一番大切だということ」。それが、患者仲間にぜひ伝えたいメッセージでもある。≫
掲載してしばらくして、ご当人からコメントが入った。「私のことを取り上げていただき、ありがとうございます。実は我が家も浄土真宗の門徒でして、妻の方も仏光寺派ですが同じ浄土真宗です。しかし、信心とは無縁の生活を送ってまいりました。膵臓がんになって、幸いにも生き延びていますが、かといって悟りきっているかというと、どうやらまだ“欲”がのさばっていることを感じています。」

●コメントを頂いて思ったことは「欲
がのさばっている」ことが明らかになることの重要さです。病気になって健康の有難さを知る。この失うことによって得た有り難さは、いわゆる分別の域を出ていないので、多くの場合、病気が治れば、あって当たり前に戻り、治癒しなければ「健康な時にこうしておけば良かった」と愚痴に走ります。いわゆる心が自分より外へ向くのです。外とは、過去の自分であったり、他人であったり、自分の思う理想であったり、現実の事実以外のものへ意識が向かうということです。ところが仏教の大切にしている視点は、外ではなくて内、自分と向き合うことです。内を見つめた時に見えてくるものは、私の愚(おろかさ)です。たとえば「健康な時にこうしておけば良かった」と思う。幸い治癒しても「健康の時にこうしておけばよかった」と病気の中で感じた強い思いをもって行動することはない私です。愚痴は常にない物ねだりするのが愚痴の正体です。

●病気の体験を通して、この愚痴の正体が明らかになることは至極重要です。ここに自分の価値観への固執から解放される糸口があるからです。自分の愚かさが明らかになって自分へのこだわりを捨てる。ビハーラでの苦しみからの解放は、“愚の自覚”がターニングポイントであり、ここに分別を超えていく道があります。そのようなことに関心をもってビハーラ活動に携わっています。ビハーラはその為の場でもあります。(西原)



2011.2月

【編集後記】元旦、坊守が珍しい人から年賀状が届きましたという。みれば8年前、浄土へ往った父からの年賀状でした。ご推察の通り、暮れに私がポストへ投かんしたものです。自分で書いたものとは思っていても、書かれている言葉が浄土から届けられたような気持になり有り難いご縁となります。

一茶の『おらが春』の中にある逸話を真似たものです。その逸話とは次の通りです(西原意訳)。【昔、丹後の国の普甲寺という所に、深く淨土を願う上人がおられました。正月のことです。年の初めは世間では祝いごとをしてにぎやかに過ごすので、自分も正月を祝おうと、大晦日の夜、縁のある小坊主に手紙書いて渡して、「翌日の夜明けに今から言う文言を語って届けるように」と託して本堂でまった。小坊主は元日の朝、まだ暗いうち鳥が夜明けを待って鳴く時刻に起きて、教えられた通り表門をたたく。中から「どこから来られました」と返答があったので、小坊主は「西方弥陀仏より年始の使いの僧にございます」と答える。上人は裸足で驚いて飛び出て、門の扉を左右へ開けて、小坊主を上座に案内する。小坊主から昨日託した手紙を受け取り、うやうやしく押し頂いて読み始めました。「この世界はいろいろな苦しみに満ちているので阿弥陀仏の浄土へまいられよ。浄土の聖なる人々とともに出迎えます」。読み終わると、上人は止めどなく涙を流しました。(後略)

●こんな面白いことは、逸話だけの世界に留めておくのはもったいないと実践してみました。さて先の父からの年賀状には“
ご報謝の一年を送って下さい。父 正念とあります。ご報謝とはお礼するということです。お礼とはすでに恵まれていることへの気づきが根底にあります。先に浄土へ往った人や阿弥陀さま、そして有縁の方々と共に、この“気づき”を大切にしながら、この一年、ご報謝という言葉を頭の隅において過そうと思っています。

●お知り合いの方(患者ご本人、ご家族、ご遺族)へ『毎月第2土曜日午後1時半―がん患者・家族語らいの会―があります』とインフオメーションして下さると、ビハーラの輪が広がります。どうぞ、よろしくお願いいたします。
(西原)