2009年


がん患者・家族語らいの会 通信 編集後記 (2012年〜13年)

2011年
2013年



2013年12月

【編集後記】●読売新聞(25.10.31朝刊)でよい話に出会いました。まずは新聞記事から。

●「薬物中毒を克服 歌手ライブに
140人」(記事のタイトル)
10代で薬物中毒に陥り、立ち直った経験を持つ歌手の杉山裕太郎さん(39)(さいたま市)の講演とライブが30日、松戸市民劇場で開かれた。約140人が聞き入った。杉山さんは、中学生時代にシンナーや万引きなどの非行に走り、高校中退や暴走族のリーダーを経て19歳の時、覚醒剤に手を出した。 薬を打つ回数が増えて食減少。「このまま死ぬかも」と思った23歳の時、脳裏に一両親の顔が浮かび、実家に戻った。「仕事を探せ」と諭す父に「おめえらのせいでこうなったんや」と、薬を注射する姿を見せつけた。その時、父が「今まで何も知らなかった。おめえは大事な宝。立ち直るために何でも協力する」と号泣。「おれは愛されていた。今まで何やっていたんや」と思った。その後、2年かけて薬物中毒を克服。つらい時、たびたび音楽に励まされた経験から歌手になり、全国で歌とともに体験談を伝えている。(以下省略)

●「ユウタ、お前はお父さんらの大事な息子だ! 一緒にがんばって、止められるように何でも協力する。お父さんたちが悪かった! お前がそんなに苦しんでいるとは知らなかった」と叫びながら、杉山さんを力いっぱい抱きしめ、泣いてくれたという。杉山さんは、ハッとして、世間体にしか興味がなく、自分への愛情などないと思っていた両親が、今、自分の悲惨な現実を目の当たりにして、自分のために泣いてくれている。その瞬間、杉山さんは、遠い幼年時代に両親から愛されていたことを思い出したと語っています。そして、岐阜県にある大学の法学部に入学、首席卒業。現在は、歌を歌い、親子関係を中心に、非行に走り覚せい剤におぼれていった自分のヒストリーを語っているそうです。

●恵みの中にある自分が知らされる。手を合わせる(手偏に合)と書いて「拾う」という文字ができますが、合掌の心は、すでに恵まれていることへの気付きなのでしょう。島倉千代子さんの生前の言葉、「私の部屋の中にスタジオができて、それで私はできる限りの声で歌いました。自分の人生の最後に、もう二度と見られないこの風景を、見せていただきながら歌を入れられるって、こんな幸せはありませんでした」も、こころの残る言葉でした。
(西原)



2013年10月号

【編集後記】●お二人の緩和ケア医師から、続いて「若者とヒトデ」の話が紹介されました。心ある緩和ケア医師にとっては、バイブルのようになっているのでしょう。原点は定かではありませんが、6月のご講師は、英国のイギリスの小児ホスピスの創始者の言葉と紹介されていました。

●「若者とヒトデ」若者が海岸の波打ち際に打ちよせられたヒトデを海に投げ返していた 波で打ちよせられたヒトデは太陽の光で乾いて死んでいってしまいます。そのヒトデを見つけると拾っては海にもう一度投げていた。通りかかった人が、いくら投げても世界中で何千何万のヒトデが波で浜辺に打ち上げられ太陽の光で死んでいっている。1つ2つを投げ返してもそれは意味のないことだと言います。すると若者は「でも私の手の中のヒトデにとっては意味のあることです」また1つヒトデを拾って投げ返しています。(以上)

●重要なメッセージを伝えていますが、この話には、前提があります。その前提とは、「生存することが最も重要なこと」ということです。その前提を否定することはないですが、それが唯一の道となると、疑問符が浮かびます。仏教は、「因果関係の中に意味を見出していく」という視点です。そこで仏教版「若者とヒトデ」を思い付きで作ってみました。

●仏さまは、ひとりの無慈悲な若者をご覧になり、その人の上に“慈しみの心”を発起したいと願われた。若者がいつも行く海岸の砂浜に無数のヒトデの死骸を演出された。その死骸の中に、1つの生きているヒトデを置かれた。砂浜を歩く若者には、無数のヒトデの死骸は、景色としか映っていなかった。しかし、歩みゆくうちにふと足元を見ると、そこには生きているヒトデがいた。そのとき若者は、景色と思っていた無数のヒトデの死骸が、ヒトデの死骸であることに気付き、虚しい気持ちとなった。そして目の前の生きているヒトデを拾い、海に向かって投げいれた。若者の心の中に、生き物を慈しみ心が起こったのです。(以上)

●この話だと、無数のヒトデの死にも意味が出てきます。仏教版「若者とヒトデ」の話だと若者は救う側ではなく、救われる側です。私は、緩和ケアでも、そこに関わる人が「自分を救われる側に置く」ことが重要なように思われます。救われる側とは、自分を低い場所に置くことであり、恵みの中にある自分に開かれていくことです。
(西原)



2013年8月号

【編集後記】●カーラジオの「放送大学」を聴いていると大山 泰宏という先生が『人格心理学』の講義をしていました。『第二次世界大戦のときの、ナチスによるホロコースト(大量虐殺)は、人類史上もっとも大きな過ちのひとつであります。ナチズムは、決して「20世紀の狂気」ではなく 「20世紀の理性の結果」だったのです!』といわれます。話しの概要は、ナチズムがそもそも目指していたのは、「人格と人間の向上」で、そのために、さまざまな政策を実行した。頽廃芸術の一掃、国民芸術の推奨、自然回帰の運動、健康増進運動など、健康増進運動の例では@タバコとアルコールの害についての啓蒙Aアスベスト使用の禁止B子どもを母乳で育てることの推奨C菜食主義や、自然と親しみながら明るく健康に暮らす家族のイメージ。
これら好ましいと思われることは、ホロコーストの延長上のもので、人間としての理想を強く打ち出すがゆえに、それに当てはまらない、と考える人々を差別し、排除していった。各国から強制的に連衡されたユダヤ人が約600万人のほかに、同性愛者、精神・身体障害者、重病者といった人々が、社会的な逸脱者の烙印を押され、合計で約500万人が殺された。精神疾患をもつ者や、身体的な障害をもつ者には、断種が行われた。…ナチスのホロコーストは、たしかに極端な事態でありましたが、しかし、それは私たちが「人間の進歩をめざす運動」の中に胚胎しているものである、ということを忘れてはいけない。(以上)

●私は放送大学を聴きながら、「善をも求めることの中にある闇」が思われました。現代には、“がん疾患”に関わる色々な患者団体があります。その多くは“がんの克服”を志向するもので、先の講義の言葉を借りれば「人間の(がん克服という)進歩をめざす運動」団体です。東京ビハーラの「がん患者・家族語らいの会」は、がんの克服ではなく、苦しみ悩みを通して、自らの不完全さに向き合い、より広やかな世界に開かれていくことを大切にする活動です。だからこそ寺院という伽藍の中ですることに意味があるのだと思います。ビハーラとは、安住・安心という意味で、寺院のコアとなるべきものです。
(西原)


2013年6月号

【編集後記】●過般(25.5.8)東京新聞夕刊に“憲法十七条と現代”とだいして小西徳應明治大教授が、次のようことを紹介されていました。“「和」は、ほとんどの人が集団内の調和を意味すると考えてぃますが、「やわらぐ」と読むべきだと唱える人たちがいて、さらにそれは「心の平和」だとの説があります。意味も意義もガラリと変わります”(以上転載)とのことです。

●ネットからの流用ですが
「和をもって尊しとす」 の原点(日本古典文学大系版)は、聖徳太子17序文に続く文で「一日、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨…」と続く文です。上記の文を中村元選集の『聖徳太子--日本の思想 IIでは、「一に曰く、和(やわらぐ)をもつて貴(とうと)しとなし、忤(さから)ふることなきを宗となす。人みな党(たむら)あり。また達(さと)れる 者少なし。ここをもつて、あるいは君(きみ)父(かぞ)にしたが順(したが)はず。(以下省略)」

中村元先生は、「和(わ)をもって尊しとす」と読むのは誤りで、「和(やわらぐ)をもつて貴(とうと)しとなし」と次に続けるのが正しいとのことです。「和」を「ワ」と読むのは儒教の影響で、聖徳太子は大乗仏教の教えに基づく「和」を述べておられるので「和(やわらぐ)」と読まねば本旨が伝わらないとのことです。

●“やわらぐ”とは、“しなやか”ということです。近代ホスピスの祖といわれる、イギリスのシシリー・ソンダースは、
19975月、来日の講演で、「ホスピスの使命」を次のように語っています。「物質的の世界に向けて、ホスピスが伝える最終メッセージは、人間の精神の逆境におけるしなやかさと言うことです。何度も、何度も、私たちは、人間の内からも外からも品格が現れてくるのを見たよう思います。人間の本質について、真の成熟や究極の現実について、私たちは伝えることがあるのです」。ビハーラも同じでしょう。

●ビハーラの本質は、その人の自己実現という成長であり、逆境においても、人は喜びを感じ、今を受容できるというしなやかな心の達成なのです。そうした人間の可能性を伝える場がビハーラであり、聖徳太子は17条憲法で“
和(やわらぐ)をもつて貴(とうと)しとなし”と仰せられた。1つ合点が行きました。(西原)




2013.4月号

【編集後記】●カーラジオの「放送大学」を聞いていると、次のような講義が聞こえてきました。「サルとチンパンジーの違いは、自己所有意識のあるか、ないかです。サルは芋を拾って食べ腹がいっぱいになると、芋をそこに捨てていきます。チンパンジーは、食べ残した芋は、持ち帰って仲間に配ったりします。これは自己所有意識があるからです」。この自己所有意識があると自分のものという思いが起こり「腹が立つ」という苦しみが生まれます。ところが、チンパンジーは、自己所有意識があるので物々交換をするが、まだ人間のように、自らの利益が最大限になるような交換は行なわないのだそうです。「腹は立つ」が、人間に比べて“勝った”“負けた”の苦しみは少ないようです。

●チンパンジーは憎しみを持たない。小泉英明著『脳科学者の真贋―神経神話を斬る科学の眼』に紹介されています。同書に「憎しみを持つのも人間だけらしいと最近言われています。人間特有の感情ですね。…ボスのチンパンジーに自分の子どもを殺されても、その母親はまったく恨みを持たずに、また同じボスと子どもを作るんです」とあります。また同書には、人間だけが未来を考えことができるとあります。おそらく未来を考える能力は、言語能力を獲得して得た機能であろうといわれています。脳卒中などで失語症になると、最初に「未来時制」が話せなくなるともあります。また「情緒障害や不安神経症のような症状は、われわれが“未来”という概念を持ったために発生してきたものかもしれない」ともあります。

●人間の脳は、自己所有意識を持ち、未来を考えるまでに発達してきましたが、それは同時に苦悩という副作用を生み出してきたようです。これを逆に言うと、副作用(苦悩)が深いほど、その人の精神性の発達は深いところまで到達しているということも言えないでしょうか。苦しみは成長のあかしでもあるようです。

●この苦しみを、焦点を当てて、共に歩んでいく。それがビハーラ活動です。毎月第2土曜日「がん患者・家族語らいの会」、知人にこんな会があるとご紹介ください。苦しみにしっかりと出会っていきます。



2013年2月号

【編集後記】●仏教、聖道門の信は、「道ありと信ずる」ことです。この道が目指すべき結果につながっていることが明らかになることです。

●「朝夕のつらきつとめはみ仏の人になれよの恵みなりけり」、税所敦子(1900年寂)さんの伝説の歌です。夫、篤之の死後、十数年間、薩摩藩主島津家に仕えます。その折、姑は、意地悪く心の冷えきった人で嫁いびりがことのほか酷く、鬼婆≠フ異名があったという。ある時、姑が「世間の人は皆、わしのことを鬼婆、鬼婆≠ニ陰口しているそうな。こんな鬼婆に使われる嫁の苦しさを、偽りなくありのままに詠んでみよ」と告げた。敦子さんは即、「仏にもまさる心と知らずして鬼婆なりと人のいふらん」と詠んだ。姑が、「なにゆえこの私を仏にも勝る≠ニ詠むのじゃ」と、さらに問われて詠んだのが、冒頭の歌だと伝説されています。

●辛い道であっても、それを未来の良き結果に至る恵みと受け取っていける。その道がよき結果に通じていると思えるからです。その意味では、人生にあって道が明らかになることは、大いなる恵みです。しかし道を歩むことは、許された時間の中に成立します。歩むべき時間がない時、今の歩みそのものが、そのまま大いなる結果そのものでなかれば、その人の安住はありません。

●南無阿弥陀仏の念仏は阿弥陀さまの修行(願と行)の賜であると聞きます。まさに浄土真宗の念仏は、念仏の先に結果を見ていくのではなく、念仏こそが阿弥陀さまの願と行の賜であり、果実そのものです。今を念仏と共に完結して生きる。ここの念仏者の信心の歩みがあるのでしょう。今号掲載の須藤さんが「 私に残っている時間は、まあ簡単に計算すると45日かな。……ただただ今、目の前にある出来事、目の前に現れた事柄を、ひとつひとつこなしていく。それしかない。皆さん方は、明日のための今日だと思います。しかし、私のように時間が限られてくると明日はない。今日のための今しかない。今あるのは今日のためなんです」と語っておられました。そのお話を聞いて、この道の先に果実を見ていく教えではなく、如来の摂取の光明の中にある今を生きる、浄土真宗の教えが有難く思われました。



2013年1月

【編集後記】● 真冬のまだ暗い早朝、温もっている布団から出て、外を見ると雨、これ幸いと、日課のウオーキングを中止して再び布団の中にもぐり込みます。その温もりの中で、数日前、たまたまラジオの「放送大学」で耳にした「現代社会心理学」の講義が思い出されました。結論から言えば「布団の温もりを手放したくない」ことの中にある心理的な普遍性です。

●社会心理学で解明されている心理に「遺失回避」という行動があります。人は10万円得ることの喜びよりも、10万円失うことの悔しさの方が大きいとのことです。あるいは、Aグループの人にチョコレートを与え、お菓子と変えてくれと頼むと、約9割が拒否をする。Bグループの人に、今度はお菓子を与え、チョコレートと変えてくれと頼む、これまた9割の人が拒否する。Cグループの人には、前もって何も与えずに、チョコレートとお菓子、どちらが欲しいかと聞く。約5割がチョコレートで、あと半分はお菓子を要求した。この実験から、人は一度手に入れたものを手放したくない心理をもっていることがわかる。そのような講義でした。これを「現状維持バイアス」というそうです。私が「温もっている布団から出たくない」という思いは、人間もっている普遍的な心理のようです。

●この「温もっている布団から出たくない」という思いは、おそらく私の命が尽き、この世が終わっていくときも、この娑婆世界に対して「なごりおしい」という心理として起こってくるに違いありません。これを仏教では「煩悩」といい、社会心理学では「現状維持バイアス」といいうのでしょう。

●その煩悩の中で、この煩悩を克服して生活していく仏道があります。浄土真宗は、この煩悩を克服していくのではなく「しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり」(歎異抄)と、阿弥陀さまに照らされて、この煩悩を抱えたまま、“そのまま抱き取る”という阿弥陀さまと共に、浄土へと歩んでいきます。「なごりおしい」心のままに阿弥陀さまにゆだねていく。安心という意味のあるビハーラとは、浄土真宗という仏道そのものです。(西原)



12月号

【編集後記】●浄土真宗では、人間のことを「機」(き)といいます。仏さまの教えを受け入れる対象という意味ですが、「機」の内容は、「さまざまな可能性を秘めている」ことと、「受容したものを表現する機関となる」ということです。簡単にいえば、仏にもなれば、鬼にもなり、縁次第でいろいろなものに染まりやすいということです。

●現在、世間を騒がせている「尼崎事件」、死体をドラム缶に入れコンクリートで固めて遺棄し、または家屋の床下に埋めたという、これ以上悲惨な事件はないと思うほど、特異な事件です。その事件の報道に接するたびに人間には、いろいろな可能性を持っているということを、思い知らされます。人間以外の動物や植物では、その種のもっている分限があります。たとえばペンギンは、いくら努力しても、その世代の中で、自らの力で空を飛ぶということはあり得ません。明恵上人に「大根さま」の逸話があります。

●明恵上人は、常日頃から「大根さま」「人参さま」と野菜に「さま」をつけて呼称していた。おかしく思った弟子が、その点を指摘すると明恵上人いわく「お前、考えてみろ、大根は土の上にまかれて長い間、風雪に耐え、大きくなったら抜かれて、刻まれたり、熱湯に入られたり、それでも不平不満を言うことなく、大根の生涯を全うしている。様という文字は、“らしく”という文字、大根は大根の分限を守っているところに、大根さまとなる。坊主は坊主らしく、女は女らしくその分限を守る所に“さま”という呼称が付。私は、出家しながら坊さんらしいことも不十分で、大根さまにも見劣りがする…」。人間以外の動植物は、その分限を守って生命を維持しています。ところが人間の分限は、縁次第でいかようにもなる。それを「機」という文字が示しているのです。

●仏にもなれば畜生や鬼にもなる。「尼崎事件」は、その典型であり、このいかようにも染まる点が、人間の素晴らしさであり恐ろしさでもあります。その可能性の1つに、「逆境における精神のしなやかさ」があります。人は終末期という逆境の中で、より深い精神の領域を見出し、現実を受け入れていくことができる。ビハーラとは「安心・安住」という意味ですが、その安心に至る可能性を信頼していく活動でもあります。(西原)



10月号

【編集後記】●少し古い話題ですが、『中外日報』(24.8.2日号)という宗教業界新聞に、本願寺派の話題として、毎年夏の行われている安居という学文僧の集中学習会自由討議で「念仏者と実践−寄り添うということ」をテーマに質疑応答を繰りひろげたという紹介記事がありました。

●以下記事からの抜粋です。「寄り添うというのはなかなか難しい。虚仮不実の身であり、阿弥陀様のような寄り添いはとてもできないけれど、困っている人がいれば自分ができる範囲で、自分をしっかりと立てて、やっていった方がいいのではないか」「寄り添うということに違和感を覚える」「寄り添うという言葉は、自分と他人という分かれた関係の中で成し、阿弥陀様に寄り添われているから、念仏者も寄り添っていくのだという直線的な考え方ではなく、自らの生きざまを恥じる中で寄り添うという歩みが出てくるのではないか」「一番大切なことは、自分自身と向き合うこと。自分自身に寄り添えるかどうか。『私か何かをしてあげる』『私だからこそこれができる』という思いを持っている人のそれは押し付けであって、その人の苦悩に寄り添っているわけではない。…自らの罪の深いことを知り、虚仮不実のわが身であることを知らされ、自分自身の無力さを知っているからこそ、その人の苦しみに共に涙し、悩むことができる」(以上)

●“寄り添う”ことについての私見ですが、源信僧都は「法は良薬のごとく、僧は瞻病人(せんびょうにん)のごとく」とあるように、病人への寄り添いは「瞻(せん)」の文字をもちいています。親鸞聖人も『浄土和讃』に「世尊の威光(いこう)を瞻仰(せいごう)し」ともちいられるように、「仰ぎ見る」という文字です。病人も仏さまも、瞻の文字であらわされていることは重要です。

●故大須賀発蔵先生も、カウンセリングで対面の場で、苦悩を語る人を蓮華座の上に乗っている人という心持で対面していると語られてことがあります。「瞻病(せんびょう)」とは、病気の人も私も、共に“如来に救われていく者”として、阿弥陀さまを仰ぎ見るという視座であり、患者に寄り添うことは、阿弥陀さまの願いが明らかになる、それは同時に私が明らかになるということでもあります。(西原)


8月号

【編集後記】●『寺門興隆』(2012.7)という雑誌に、大阪教育大学院教授の岩田文昭氏が「学校で生と死はいかに教えられているか」を執筆されていました。

●人間の誕生と死を取りまく環境は、ずいぶん変わりました。1951年自宅で死亡する人82.5%であったものが、2010年自宅死亡者は12.6%です。誕生はといえば、1949年施設外(主に自宅)で誕生する割合は96.4%、病院など施設で誕生は3.6%、現在では自宅で誕生する人は0・2〜0・1%です。生活の中からいのちの誕生と死が見えなくなっています。さて文章から要になる部分を転載してみましょう。

「いのちを尊重する根拠は何か」ところが、ここに難しい問題がでてきます。「いのちの教育」に関する原理的な問題です。それは「いのちを尊重する枇拠」という問題です。小中学生にいのちを尊重することを教えることに多くの人に異論はなく、教育関係者もそれを教えることを積極的に推進します。しかし、その恨拠になると判然としません。いったい、どのような枇拠が考えられるでしょうか。小学校の道徳授業のために、教科書会社が先生用の資料を出しています。その中に生命尊重の根拠として次の八つのことか挙げられています。

●【生命を尊重する理由としては、@ 無条件の価値を持つ人格の基礎だからA 生命は不可知なものだからB 生命は一回限り唯一固有性をもち、有限だからC 生命は宇宙開始以来の連続性をもつものだからD 生命は他の動物・植物の生命を犠牲にして成しするものだから 

E だれでも 「生きたい、死にたくない」という欲求をもっているから F 周囲の人々の「生きてほしい」という願いがあるからG 生命を勝手に左右してはならないという宗教的要請があるから、などが考えられる。発達段階に応じて理解させた】「小寺正一・藤永芳純他編『小学道徳生きる力』(教授用資料)大阪府版3年ー大阪書籍(以上転載)

執筆者の結論らしきものは“学校教育ができるのは、「いのちを尊重する根拠」そのものを教えることではなく、このような問いを問いとして育むことなのです”とあります。

●私も、執筆者の考えに賛同します。どうしても「いのちの尊重する根拠」を伝えたくなりますが、単なる“〜だから”の根拠は、“〜でないから抹殺”という根拠にもなってしまいます。先に挙げた「いのちを尊重する根拠」を、そうだと思えることが、重要なのです。「無条件に尊いと思える」「願われている命であると思える」等々です。
(西原)




6月

この度の東日本大震災で明らかになったことを論者がいろいろと語っています。私も一つ上げるとしたら、“信仰と災害の当否は無関係だ”ということです。信仰心のある人も、ない人も同じように災害にあいます。では信仰とは何かということに想いが及びます。

●過般、ラジオ放送で芥川龍之介の『奉教人の死』を朗読していました。まずはあらすじです。

●長崎の教会にある美少年がいた。彼は自身の素性を周囲に問われても、「故郷は天国、父は天主です」と笑って答えるのみだったが、その信仰の固さは教会の長老も舌を巻くほどだった。ところが、彼をめぐって不義密通の噂が立つ。教会に通う傘屋の娘が、かの美少年に想いを寄せて色目を使うのみならず、彼と恋文を交わしているというのである。長老衆は苦々しげに美少年を問い詰めるが、彼は涙声で身の潔白を訴えるばかりだった。ほどなく、傘屋の娘が妊娠し、父親や長老の前で「腹の子の父親は、かの美少年だ」と告げる。かの美少年は姦淫の罪によって破門を宣告され、教会を追い出される。身寄りの無い彼は乞食同然の姿で長崎の町を彷徨うことになったが、その境遇にあっても、他の信者から疎んじられようとも、教会へ足を運んで祈るのだった。一方、傘屋の娘は月満ちて、玉のような女の子を産む。そんなある日、長崎の町が大火に見舞われる。傘屋の翁と娘は炎の中を辛くも逃げ出すが、一息ついたところで赤子を燃え上がる家に置きざりにしたことに気がつき、半狂乱となる。そこにかの美少年が現れて、火の中に飛び込み赤子を救う。そして倒れて死ぬ。聴衆は、わが子ゆえといったが、かの美少年の胸が放ていて、そこには乳房があった。(以上)

●そんな物語です。かの美少年は女であり、世間のあざけりを、あえて受けていたのです。神と共にあるという信仰は、人からあざけりを受けようと、苦しみの中にわが身を置くことができる。ラジオ放送を聴きながらそのような思を持ちました。

●もっといえば、苦しみの中でこそ、自分の価値観や生きる指針が、より一層見えてくるのでしょう。苦しみの中で、見えてくるものをしっかり見つめる場が、ビハーラの1つの役割だと考えています。●余談ですが白隠さんに『奉教人の死』と同様な逸話があります。不倫の娘の子を、わが子として預かる。世間のあざけりを受けるが一向に構わず、子育てにいそしむ。最後に娘が事情は話し、誤解が解けるという逸話です。
(西原)

4月

34月は、卒業式や入学式、別れと出会いの話題が花盛りです。カーラジオをつけると卒業式の話題でアナウンサーが「子どもが幼稚園を卒園した。1歳児の時からお世話になってきたので、さびしい感慨を持った」と投書メールを読み上げていました。その投書メールに誘発されて思ったことです。子育ては、子離れの実戦でもあります。抱っこから、ハイハイ、歩く、高校卒業、就職と、親と子が離れていく努力です。そして結婚して独立します。ラジオを聴いて思ったこととは“これは親子の間だけではない。私という一人称の上においても、死ぬための努力と言っては言葉がヘンですが、自分から離れていく努力があってしかるべきだ”ということです。続いて思ったことは、昨年のビハーラ講座で元国立がんセンター医師のT先生から伺った、アーサーヤングのV字図のことです。

●アーサーヤングのV字図とは、人は多くの自由をもってこの世に生まれる。ところが教育を受けて成長し、知識を得て、財産を得て、名誉を得ていく間に、人は、自由を失っていく。そしてどうにもならない苦しみに遭遇する。そこから逆に、今度は今まで獲得してきた財産や名誉などを捨てていくというプロセスに移行する。そのプロセスの中で、失った自由を獲得していく。それを図形で示したものです。浄土真宗的に言えば、“廻心”を契機として自力から他力へ転換していくということです。

●アーサーヤングの言う自由とは、“自分のへ執着からの自由”なのだと思われます。このアーサーヤングの得ることによって自由を失っていくという下降線から、捨てることよって自由を得ていくという上昇線に変わる、このV字図の考え方は、宗教的廻心ばかりではなく、一般の人生論についてもいえることではないかということです。人生、ある時点になったら、得ていく過程から、捨てていく過程へと移る。そして捨てていく努力を通して、自分への執着から解放されていく方向へ向かう。ラジオを聴きながら思ったことです。「がん患者・家族語らいの会」は、捨てていくことの意味を大切にしていく活動だと思う。捨てていくことを通して得ていくものがある。悲しみを通して、その悲しみの存在に寄せられている大悲に出遇い、苦しみを通して、苦しみを作り出している凡夫の自分に出遇うということです。
(西原)

2月

「春秋」2012.1月号に牧野智恵さんの「病を超えてー今、フランクリンを読むー」の中に、2011722日「クローズアップ現在 ヒューマンドキュメンタリー ある少女の選択―18歳“いのち”のメール」(NHK総合テレビ)が紹介されていました。(以下転載)

2011722日「クローズアップ現在 ヒューマンドキュメンタリー ある少女の選択―18歳“いのち”のメール」(NHK総合テレビ)で、
幼い頃から重い病気に苦しみながらも、最先端の医療に支えられいのちをつないできた18歳の田嶋華子さんのことが紹介された。彼女は「いのちは長さじゃないよ。どう生きるかだよ」(筆談)と言い、10119月になくなった。華子さんは、幼い頃に心臓移植を受け、十年以上が過ぎた18歳のある日、腎不全となり血液透析をしなければ生きられない状況になった。華子さんは今の厳しい病状について医師からすべてを聞き、透析をしなければ生きられないことを知らされた上で、「自分らしく生きる道」つまり、これ以上延命治療をせず、大好きな我が家で両親とこれまで通り普通に生きることを選んだ。はじめの頃は、両親とも娘の思いを尊重していたが、全身の浮腫や呼吸困難で苦しそうな娘の様子を目の当たりにした父親は、主治医に透析治療を依頼した。主治医は今後の治療方針については、華子さんの意思を尊重すべきと判断し、両親、主治医、華子さんで話し会うことになった。その中で、華子さんは、父親の「週三回の透析治療を受けてほしい」という思いを受けて、

●華子さん「もう十分生きてきたし、自分で決めたことだし、もうパパ追いつめないで。
………パパ、私の身体が変わっていくのが辛いんだね。でも私は納得しているんだよ。私は本当に幸せなんだよ。私はふつうの18歳の経験ができなかった、 でも誰にも負けないパパとママに出会えて幸せたった」父親 「生きていくことは大事なこと…、生きているときっといいことがある…。せっかく生まれたのだから、少しでも長く生きて…。死んだら終わりだよ華ちゃん」。華子さん「パパの気持ちは分かったから、これからも、華子らしく生きたいの。生きたいの」。主治医「華子さんらしく生きたいんだね。華子さんらしく生きるということは、治療を受けずに、このまま家で生活をしたいということなんだね」華子さんは大きくうなずいた。このわずかなやりとりの中で、華子さんが自分の運命を受け入れ、その上で自分らしく生きるこに意味を見出し決断している様が分かる。その数週間後、家で父親の腕に抱かれ息を引き取り、その最期は穏やかな表情だった。(中略)華子さんは次のようなメッセージを両親に残していた。「神様が私にいろいろな病気を与えてくれたことを私は恨んでいない。(病気を)与えてくれたからたくさんのいろんな人と会えたもの」と語っていた。(西原)



2010年

個性化の時代になれば、個性豊かな人が多く現れると思えば逆に、人間性が均一化しているようです。そして小さな違いを見つけるために“いじめ”が行われているとも聞きます。2007年「YK」(空気を読めない)が新語・流行語大賞となりました。その空気は、その場の空気で近しい存在に対する配慮です。評論家の山本七平氏が1977『「空気」の研究』を著わし、日本は大きな空気が支配していて、教育行政や戦争指導などの事例を挙げ、空気を読むことが時に集団の意思決定をゆがめ誤らせることを指摘しました。この場合は大きな空気による支配です。

●この大きな空気に支配される時代は終わり、小さな空気に支配されているのが現代だともいえます。建設的な言葉でいえば「大きな物語」が失われた時代と言ってもいいでしょう。社会の中に「大きな物語」がないと、中心がはっきりしていないと、その中心に対して自分が今どの位置にいるかが理解されにくいのと同様に、自己意識が不明確となり自分を肯定する感覚が弱くなるようです。

では単に「大きな空気」「大きな物語」を持つことが重要かと言えば、そうとばかり言えません。過去にあった「大きな物語」は、大きな歯車に私と言う小さな歯車を合わせていこうという構図だからです。これは浄土真宗以外の宗教も同じです。神という大きな物語(誠・愛)に自分を合わせるという構図です。この小(自分)を捨て大(神・社会の善)につくという構図は、どうしても他律的になり、またその構図にそぐわない者は切りすたられるという不完全があります。

●では浄土真宗という「大きな物語」はいかなるものなのなのか。それは私の弱さや悲しみといったマイナスの精神性や、病気や死という肉体の不完全さを肯定していける物語です。阿弥陀如来の慈悲活動は、私の弱さや悲しみといったマイナスの精神性や、病気や死という肉体の不完全さからくる悲しみを見捨てることなく、私に常に働きかけて下さっています。私は自分の弱さや不完全さの悲しみの体験を通して、その悲しみに応答して下さっている阿弥陀如来の慈悲に開かれていきます。この浄土真宗という「大きな物語」では、人間の弱さや悲しみといったマイナスの精神性や、病気や死という肉体の不完全さが大切な意味を持っているのです。ビハーラ活動は、まさに阿弥陀さまの「大きな物語」と出遇っていく活動です。


2011.10月号

●自殺が1997年から連続して3万人をこえています。そのうち4割が中高年男性です。自殺の理由は、色々言われていますが、その中で「中高年男性がジェンダーに捕らわれているがゆえの弱さ京都府立大学の高原正興氏が指摘しています。論文の中で、「男よメンツ捨て相談を」と題した新聞報道(朝日2009.9.3)に、全国49ヵ所の「いのちの電話」に寄せられた相談は男女半々であるが、50歳代以上では男性は35%に止まり、自殺者のうちで精神科の受診や家族への相談は男性の方が少ないとされている。そして、「中高年を中心に悩みをなかなか口に出せない男性」が多く、「男は弱音を吐いてはいけないという文化が男を苦しめている」という指摘を紹介されていました。男は“こうあるべき”という意識が、自らの弱さをさらけ出せずに自死に至るということでした。

●自らの“こうあるべき”という思い込みが、現実の受け入れを拒み、さならる苦しみを作っているという点は、自死に限らず病苦でも同じことです。その自分の弱さに向きある場が、現代社会には欠けているようです。

●過般、『奈良少年刑務所詩集』(長崎出版)を読みました。
奈良少年刑務所で行われている「社会性涵養プログラム」に作家、寮三千子(りょうみちこ)さんが協力して、詩の授業をし、その少年たちの作品群です。その詩集の中に、ある少年の詩がありました。「ごめんなさい」/あなたを裏切って/ 泣かせてしまったのに/あなたは 僕に謝った/アクリル板ごしに ごめんね と/わるいのは このぼくなのに//あの日の 泣き顔が忘れられない/ごめんなさい かあさん

●お母さんの悲しみの中に、自分の犯した罪の大きさを知るということがあります。おそらく少年刑務所に入所する前も、母の涙を、また母の「ごめんなさん」を耳にしていたに違いありません。しかし真剣に、その母の涙や「ごめんなさい」と向き合う時が欠落していたのだと思います。少年刑務所での詩の時間は、その母の涙や「ごめんなさい」と向き合う時であったのでしょう。

●ビハーラとは「安心の場」という意味です。東京ビハーラの活動は、安心して私の弱さや悲しみ悩み、肉親の悲しみや声なき声とむきある場所でありたいと願っています。その為には、自分の中に起こっている本当のことを知り、そのあなたを評価することなく受け入れ、苦しみや悩みの中でも出会って行ける人としての真実があるという希望のまなざし重要です。



2011.8月号

15世紀の英国の道徳劇にエヴリマン」 という劇があります。エヴリマンとは万人という意味ですが、時代によって色々と脚色され演じられているようです。

エブリマンは虚しい快楽をむさぼる生活をしていたが、ある日突然、死に神と対面する。エブリマンは神の裁きを受けに行かねばならず、その道中を共に歩んでくれる仲間を必死に探す。友だちと思っていた富や知識や美などを象徴した人々にみな、彼の旅に同行することを拒みます。そして最後に「善行」に行き着くというストーリーです。

『法華経』にも同じような物語があります。ある国に一人の大金持の男が住んでいた。この男には四人の妻がいた。男は四人の妻の中でも第一夫人を最も愛し大事にしていた。男は第二夫人も第一夫人にかわらぬくらい愛していた。そして第三夫人も大事にしていた。が第四夫人にはあまり愛情をかけなかった。この男が、その国へ移り住むことになった。そこで第一夫人に、「わたしは、お前を最も愛し大事にしてきた。だからわたしといっしょに他国へついてきておくれ」と頼むが、「いえ、わたしはあなたとこの国でいっしょに暮らしましょうとは申しましたが、よその国へ移り住むなどという約束はいたしませんでした」と断わられる。第二夫人に頼むと、第一夫人同様に男の頼みを拒否します。第三夫人を連れて行こうとすると、「いえ、わたくしもよその国まではいっしょに移り住むことはできません。でもせめて国境まであなたをお見送りいたしましょう」という。最後に日頃そまつにしていた第四夫人に頼むと、「はい、わたくしは喜んであなたにお供し、どこへでも移り住みましょう」という。第一夫人は自分の肉体、身体であり、第二夫人は財産。第三夫人は自分の子供を、第四夫人は善い行いを表しています。

●私の上で言えば、日頃、念仏を称え、念仏を悦ぶ心こそ、最高の財産だということでしょう。
エブリマンの死に神との対面や4人の妻の話は、がんという疾病により“限りある命”を告げられた時の、心の展開を描写しているようにも思われます。“私にとって本当に大切なものは何か”が問われる時です。がん患者に寄りそうことは、“私たちにとって本当に大切なものは何か”に向き合うことなのでしょう。まさに仏教が大切にしてきた問題が、ここにあります。

2011.6月

過般、新幹線の中で、いま話題の『』もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著)を読んだ。

敏腕マネージャーと野球部の仲間たちが甲子園を目指して奮闘する青春小説で、小説という形式でドラッカーの『マネジメント』理論を紹介するビジネス本です。ドラッカーが教えているマネジメントの考え方をわかりやすく解説されていた。感想は“面白かった”という思いと、小説というスタイルでドラッカーの『マネジメント』理論を紹介するというアイデアがすばらしいと思った。

●と同時に、仏教もこの手法でメッセージを伝えることができそうだとストリーがよぎった。頭に浮かんだあらすじはこうです。ある人が終末期の癌を告げられ、健康体を失って失意のうちに家に帰る。元気だけが取り得と思っていた自分である。お先真っ暗で生きる希望を失う。そんなある日、亡き父の書棚を見る「釈尊の一生」という本にであう。ふとその本をパラパラとめくると、お釈迦様のご幼少時代の逸話が出ていた。
「お釈迦さまが、まだお小さい頃のことでありました。庭園を歩いておられると、トンボの飛んでいる光景に出会います。するとそのトンボを、陰に隠れていたカエルが飛び上がってトンボを喰ってしまった。カエルが満足していると、草むらの陰からするすると近寄ってきたへビが、カエルをひと飲み。すると今度は空を舞っていた鷲が、そのヘビをついばみ大空へ舞い上がっていきました。その様子をご覧になられたご幼少のお釈迦さまは、悲しいお顔をなされました」。主人公は、そのご幼少のお釈迦さまの悲しいお顔を想像した時、そのお釈迦さまの悲しみは、弱肉強食という命の連鎖の中で、力弱く終わっていく命に対する哀れみではなく、むしろ弱い命を殺してしか生きるすべを持たない強きものへの哀れみではないかという思いがよぎります。すると逸話で語られた悲しく思った強き者と、病気であることを卑下している自分とが重なります。哀れむべきは、病気の者ではなく、健康第一と奢っている自分ではないか。そんな具合に、病気の再発、そして余命告知という日々を、釈尊の伝記から学びを得て、心の成長をはたし、病気を受容して、最高の精神の領域に至るといったストリーです。

●ビハーラとはまさに、フイクションではなく現実の中で、そんなストリーに関心を持ちながら、苦しみの中にある人とご一緒していく活動だと思う。
(西原)



2011.4月

●以前、この後記で紹介した読売(22.2.11)に掲載された膵臓がんを病む東京都大田区の木下義高さん(61)の記事を、私のブログで紹介した。

●≪ 直腸がんの切除後は、半年間、人工肛門の生活を送った。その後、腸をつなぐ手術を受け、再び自分の肛門で排せつできるようになった時、「生きていてよかった」と涙が出た。「2度もがんになり命拾いしてわかったのは、目の前の生活をいかに豊かに生きるかが一番大切だということ」。それが、患者仲間にぜひ伝えたいメッセージでもある。≫
掲載してしばらくして、ご当人からコメントが入った。「私のことを取り上げていただき、ありがとうございます。実は我が家も浄土真宗の門徒でして、妻の方も仏光寺派ですが同じ浄土真宗です。しかし、信心とは無縁の生活を送ってまいりました。膵臓がんになって、幸いにも生き延びていますが、かといって悟りきっているかというと、どうやらまだ“欲”がのさばっていることを感じています。」

●コメントを頂いて思ったことは「欲
がのさばっている」ことが明らかになることの重要さです。病気になって健康の有難さを知る。この失うことによって得た有り難さは、いわゆる分別の域を出ていないので、多くの場合、病気が治れば、あって当たり前に戻り、治癒しなければ「健康な時にこうしておけば良かった」と愚痴に走ります。いわゆる心が自分より外へ向くのです。外とは、過去の自分であったり、他人であったり、自分の思う理想であったり、現実の事実以外のものへ意識が向かうということです。ところが仏教の大切にしている視点は、外ではなくて内、自分と向き合うことです。内を見つめた時に見えてくるものは、私の愚(おろかさ)です。たとえば「健康な時にこうしておけば良かった」と思う。幸い治癒しても「健康の時にこうしておけばよかった」と病気の中で感じた強い思いをもって行動することはない私です。愚痴は常にない物ねだりするのが愚痴の正体です。

●病気の体験を通して、この愚痴の正体が明らかになることは至極重要です。ここに自分の価値観への固執から解放される糸口があるからです。自分の愚かさが明らかになって自分へのこだわりを捨てる。ビハーラでの苦しみからの解放は、“愚の自覚”がターニングポイントであり、ここに分別を超えていく道があります。そのようなことに関心をもってビハーラ活動に携わっています。ビハーラはその為の場でもあります。(西原)



2011.2月

【編集後記】元旦、坊守が珍しい人から年賀状が届きましたという。みれば8年前、浄土へ往った父からの年賀状でした。ご推察の通り、暮れに私がポストへ投かんしたものです。自分で書いたものとは思っていても、書かれている言葉が浄土から届けられたような気持になり有り難いご縁となります。

一茶の『おらが春』の中にある逸話を真似たものです。その逸話とは次の通りです(西原意訳)。【昔、丹後の国の普甲寺という所に、深く淨土を願う上人がおられました。正月のことです。年の初めは世間では祝いごとをしてにぎやかに過ごすので、自分も正月を祝おうと、大晦日の夜、縁のある小坊主に手紙書いて渡して、「翌日の夜明けに今から言う文言を語って届けるように」と託して本堂でまった。小坊主は元日の朝、まだ暗いうち鳥が夜明けを待って鳴く時刻に起きて、教えられた通り表門をたたく。中から「どこから来られました」と返答があったので、小坊主は「西方弥陀仏より年始の使いの僧にございます」と答える。上人は裸足で驚いて飛び出て、門の扉を左右へ開けて、小坊主を上座に案内する。小坊主から昨日託した手紙を受け取り、うやうやしく押し頂いて読み始めました。「この世界はいろいろな苦しみに満ちているので阿弥陀仏の浄土へまいられよ。浄土の聖なる人々とともに出迎えます」。読み終わると、上人は止めどなく涙を流しました。(後略)

●こんな面白いことは、逸話だけの世界に留めておくのはもったいないと実践してみました。さて先の父からの年賀状には“
ご報謝の一年を送って下さい。父 正念とあります。ご報謝とはお礼するということです。お礼とはすでに恵まれていることへの気づきが根底にあります。先に浄土へ往った人や阿弥陀さま、そして有縁の方々と共に、この“気づき”を大切にしながら、この一年、ご報謝という言葉を頭の隅において過そうと思っています。

●お知り合いの方(患者ご本人、ご家族、ご遺族)へ『毎月第2土曜日午後1時半―がん患者・家族語らいの会―があります』とインフオメーションして下さると、ビハーラの輪が広がります。どうぞ、よろしくお願いいたします。
(西原)