現代の病理

デジタル病


 某新聞に「若者に“もやもや相談” 都が18歳以上対象」という記事がありました。秋葉原の無差別殺傷事件など、動機が不可解な犯罪が多発していることを受け、東京都は若者を対象に、漠然とした不安や悩みを持つ「もやもや感」を受け止め、自殺や犯罪、ひきこもりを防ぐのが狙いだとあります。
 
 青年の「もやもや感」は昔からあったはずです。それが犯罪や自殺におよぶ原因となる。ここに現代がかかえている問題があるようです。
 若者は、幼いころよりメディアなどを通してもたらされる沢山の情報の中で育ちました。特に近年のデジタル化は、オンかオフ、あるかないか、白か黒かを、瞬時に判断することに追われています。この環境下でデジタル的思考パターンが条件づけされます。その結果、オンかオフか、1か2かを判断しないあいまいな自分でいることが耐えられなくなるのです。ここに「もやもや感」にストレスを感じる要因があります。それが現代です。昨今の若者が突然キレて事件を起こす「いきなり型非行」の多発も、このメカニズムに原因があるようです。これはあくまで私の考えですが。

 以前読んだ次のような学習実験を記憶しています。ネズミが台から白と黒の二枚のカードに向かってジャンプする。白いカードに向かってジャンブすると、ネズミは地に落ちる。だがもう一枚の黒いカードに向かってジャンプするとカードが倒れ、ネズミはカードの後ろに置かれた食べ物を得る。こうしてネズミは簡単にカードを識別します。カードの位置を変えても、ねずみは常に黒いカードに向かってジャンプすることを学習するのです。
第二段階の実験として、はっきり識別できる白と黒のカードを、徐々に中間色のグレーに近づいていきます。ある時点までくると、二枚のグレーのカードをネズミはそのカードの違いを識別できないほど似てきます。この曖昧な状況のもとでは、ネズミはジャンプすることを拒み、一種のマヒ状況、緊張した神経症的状態におちいるのです。このネズミの状態と「もやもや感」は似ています。
  社会はますますデジタル化していきます。もやもやの自分を受け入れてくれるアナログ的な環境や仲間が望まれます。
ネズミの実験からわかるように、多くの苦しみは学習によって身に付けたものです。身につけた学習をリセットする、または初期化する文化が宗教です。(いのちの学び181号掲載)



関係不全病

 霊長類研究者である杉山幸丸さんは4年前に「進化しすぎた日本人」を書いて話題となった。子どもは生まれて初めて出会う小社会集団である兄弟姉妹を稽古場として始まり、次に近所の子どもだちとの「群れて遊ぶ」場で、周りの者に気を配り、理解し、互いにうまく調整する方法を身につける。
 今、少子化によって崩壊の危機に瀕しているとのこと。これらの段階をすっ飛ばして、いきなり幼稚園や学校という公的な場に放り込まれた場合、不適合を起こす子どもが頻発するのは当然で、成人してもその不適合を抱え込んだままでいるから、心が内へ内へと向かってしまったり、逆に、突然爆発したりするようになるとありました。

 人間力が低下してきているようです。少年犯罪心理研究の第一人者である土井隆義氏は、近年、若者たちが使う「むかつく」という表現について次のような分析をしています。

 …「腹がたつ」にしても,「頭にくる」にしても,自分の怒りを向けるべき他者を必要とする。しかし,他者に対して怒りを示せば,当然リアクションが返ってくるだろうから,それにも対処しなければならなくなる。つまり,怒りを表現することは,「むかつく」のとは異なって人間関係を複雑にしてしまう。…斎藤孝は,聞き取り調査を行なった学生の言葉を引用しながら,「怒りを爆発させにくい相手や状況において,こみあげたものが吐き出せないときに『ムカつく』という感情はわきあがる……『ムカつくは,基本的にその当人や事物に怒りを向けられなかった時,その後に使う言葉』」だと述べている。すなわち,他者との間に軋柿や葛藤が孕まれやすい状況が生まれているにもかかわらず,その他者と感情をぶつけあって対話を進めることができず,むしろその対立感情を抑え込まねばならない状態に置かれているために最近の若者たちは「むかつく」ようになっているのだと推測される。…怒れば不満のエネルギーはかなり発散される。しかし,現実には怒ることができないから胸がつかえてスッキリとせず,その結果「むかついて」しまうのであろう。そして,怒りによって小出しにされることもなく自己の内部に溜め込まれたエネルギーは,「むかつき」の限界水位を越えたとき,ダムが決壊するように一気に放出される。一瞬にして「きれる」のである。(以上)
 
 土井氏は近年のいじめがクローズアップされる一つに、優しくあろうとする関係からくる“内向的な傷つきやすさ”をあげておられる。
 「進化しすぎた日本人」と共通する現代の病理がここにあるように思われます。その根底にあるのが、現代の個人の尊重という考え方にもとづく、人間関係不全による不安と孤独感です。みんな一緒、大きないのちというバックグランドを刷り込むことが不可欠です。