清風82号(平成22年2月1日号)

前号

1項 仏の香り

朝日新聞(22.1.1)に「母と子のにおいの絆」の中に、童謡「おかあさん」が生まれた秘話が作者の言葉として紹介されていた。以下、紙面より転載。

おかあさん なあに
 おかあさんて
      いいにおい
せんたくしていた
においでしよ
 しゃぼんのあわの
     においでしよ

 作詞家の田中ナナさん(84)は、童謡「おかあさん」を生むきっかけになった50年前の出来事を、今もはっきりと覚えている。

 帰国したばかりの妹の式子さん(79)と、その娘ルビーさんが1年ぶりに再会する場に立ち会った。夫の仕事でフランスに渡った母。そして、伯母にあたる田中さんと、おばあちゃんのもとに残った娘。

 自宅の玄関で、久々の対面。なのに、母親の顔をすっかり忘れたルビーさんは、泣きながらおばあちゃんに抱きついた。耳元で、おばあちゃんは優しく語りかける。「ほら、ママよー。いいにおいがするでしょう」

 おそるおそる、式子さんに鼻を近づけるルビーさん。ほのかな甘いにおい。目を見開いた。「ママ!」。笑顔で駆け寄り、飛びついた。

 「においが結ふ親子の絆。そのすごさを、歌で伝えたかったんです」。田中さんは創作の経緯を振り返る。
 55歳になったルビーさんもあの日を忘れない。「ママのにおいをかいだとたん、空港で母を見送った切ない場面がよみがえったんです。その場にあったジュークボックス……。ありありと頭に浮かんだ」歌には田中さん自身の母への思いも込められている。母が出かけて寂しいとき、着物を引っ張り出して、いつもにおいをかいだ幼い日―。
  「子どもにとって、母親のにおいは心のふるさとなんでしょうね」(以上)

 母の香りに接したとき、自分の母に対する疑いがすべてなくなり、心がお母さんのことで一杯になる。お経には、阿弥陀さまを最高の香りにたとえることがよくあります。その香りに接したとき、どんな悪臭でも清涼な香りに薫じられいくとあります。
 今年も、よろしくお願い申し上げます。

2項 阿弥陀さまと共に

イソップ物語に「ライオンとねずみ」がある。
 ライオンが木陰に隠れて昼寝中、そこにチョロチョロと走ってきたネズミが現れ食べられそうになるが子どもライオンに、命を助けてもらう。ネズミは「私の助けがいるときにはいつでも呼んでください」と深くお礼を言うが、子どもライオンは、強い大きなライオンになる僕に、小さなねずみの助けなどと笑う。

 時は過ぎ、ライオンはジャングルでもたくましいライオンの王様になる。ある日、人間のしかけた罠に捕まる。その罠のひもをネズミがかじって助けるというものです。

 いろいろなメッセージを含んでいるが、なんといっても「善を積めば良い結果が生まれる」というものです。
 過般、この絵本を見ていた思ったことですが、こうした因果応報の説き方は、豊かさのなかで刹那的に今をすご
している現代人には、通用しにくくなっている、ということです。

 現在の若者の不安は、「自分探し」に代表されるような居場所のない悲しさや拒絶感や孤独感、生きているそのものが苦しみの対象になっています。

 四十年前なら「世間体を気にせずに」と言っていました。しかし現代は、世間体そのもがなく、自分勝手にふるまう人も増えています。また二十年前なら「あありのままの自分を大切に」と言っていました。しかし今では我がままを肯定する言葉として伝わってしまいます。

 つい最近まで「オンリーワン」という言葉が流行っていました。他者との比べあいではなく「ただ一人の自分を大切に」というメッセージです。

 ところが最近では、社会心理学の分野で「オンリー・ワンへの強迫観念」ということが言われています。社会からの期待や社会での役割など、多くの人たちとの関係性が見えなくなり自分に埋没してしまう生き方です。
『「個性」を煽られる子どもたち』(土井隆義著)の中に

 【NHKテレビの教育番組のなかで、ある小学校の児童たちが「先生と私たちとは平等なはずなのに、先生が私たちに指示するのはおかしい」、「先生は、私たちを教えて給料をもらっているのに、いばるのはおかしい」といった不満を口にしていました。(中略)ここには、社会化による成長という観念示欠落しているように思われます】と子どもたちが自分の主観のなかに埋没してしまって、社会的な立場や関係性の中にある自分が欠落していると指摘されています。

 また自分の感情や気持ちに埋没して「むかつく」がその表れであると指摘されています。
 昔は「腹がたつ」とか「頭にくる」などと表現していた。常に腹たつ頭にくる対象があった。ところが「むかつく」という表現は、本来、胸がつっかえてすっきりとしない、なんとなく吐き気をもよおす、などと使うように生理的な感覚を示す、不愉快な心の状態の表明で、自分ひとりの中での出来事である。相手と関係を持つ必要がなく、自分の個性の中で完結している言葉だそうです。

 そうすると今は「オンリー・ワン」ではなく、多くの人たちとコラボレーション(共同作業)していく生き方が最先端のようです。

3項 年回表

4項 各種案内

住職雑感

住職雑感

● 左記の親鸞聖人750回忌の大法要、来年の話ですが、締切はこの3月末日です。詳細のプリントは来月送付いたします。   ● 朝刊に折り込み広告が10点ほど入っていた。電気店の広告チラシで、パソコンを見ていると、「モバイルパソコン」とある。モバイルという言葉はよく聞くが、いつも知ったぶりをしていた。

 ネット辞書で引くとー移動性・携帯性・機動性などがあることを意味する表現。小型・軽量化、高性能化された情報通信機器やコンピューターなどの情報端末を形容する言葉として使われるーとある。

「なんだモバイルって念仏のことか」と思った。「阿弥陀さまは念仏となってすべての人に上にいたり届く」という願いの如来です。移動性・駆動性に優れていらっしゃいます。