清風81号(21.12.1号)

前号

1項 天才バカボン

読売朝刊(21.11.1)、読者投稿コーナー(テーマ「遊ぶ」)に主婦 森田恵美子さん(福岡・40歳)が下記の文章を寄せていました。

 我が子は小学5年と2年。「何して遊んでいいかわからない」と帰って来ることがあり、驚いてしまう。友達はいてもどう遊べばいいのか悩むというのだ。
 私が子どもの頃は、そんなことは1度もなかった。鬼ごっこに缶けりなど、年長の子にマジって遊びながら自然とルールを覚え、また、誰かしら新しい遊びを考え出していた。退屈そうな子どもたちに縄跳びを勧めたら、半日以上も夢中になって跳んでいた。
 今は遊び方を伝える場がなくなっているのだ。ヒントを与えたい気もするが、親が遊びにまで口出しすべきかどうか悩む。

 「何して遊んでいいかわからない」。現代を象徴する言葉のように思われる。
 しかしここに考えさせられる事柄があるように思われる。1つは、前記にあるように「遊べる」ことの素晴らしさだ。ひとりにしろ複数人にしろ、遊びの中には沢山の知恵が詰まっている。子どもが「遊べる」ことへの感動といったら大げさだが、「遊べる」ことの素晴らしさは視野に入れるべきだろう。
 次に子どもに「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という。遊びと勉強を対立構造にしていることの過ちだ。勉強が面白くて遊ぶように学ぶということがあってもいい。勉強は辛抱しながらやるといった偏った見方がある。もう1つは、大人も遊びと仕事を対立的に見る現代社会があるように思う。

 遊びは見返りを求めない行為であり、菩薩は遊ぶように私をすくい取るともある。遊びの中には高い精神性があります。
 子どもが遊びに興ずるとき、無我夢中で損得の心がありません。本来の遊びは、打算や駆け引きといった小賢しい自分を離れた境地です。

 過般、法話会講師を囲んでの食事をしていると、話題が漫画家・赤塚不二夫の「天才バカボン」の話に及びました。その中のメンバーの一人が「天才バカボン」は、「バカなボンボン」から由来する説(赤塚自身こう説明していた時期がある。なお「ボンボン」は関西弁で「坊ちゃん」の意)もあるが、仏教語の釈尊を音写した「婆伽梵(ばかば)」「婆伽梵(ばかばん)」から来ているという話です。意味は「この世でもっとも幸せな人」で、天才バカボンはそんな人柄で周りの人を不幸にしないと話題が膨らみました。帰って仏教の辞書を引くと「婆伽梵(ばかばん)―釈尊のこと」とありました。

 バカボンもバカボンのパパも、憎めない存在で周囲を楽しませてくれます。それは打算のない遊び心に満ちているからだと思います。まさに遊びはバカバン(この世でもっとも幸せな人)に通じているようです。

2項  縁を育む

雑誌致知2005年12月号の特集「縁を生かす」に、文学博士、鈴木秀子先生から聞いたというお話が載っています。その「縁を生かす」より引用します。

 その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
 間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?判らないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。
 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起った。少年は自信を持ち始めていた。

 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
 「ああ、お母さんの匂い!きょうはすてきなクリスマスだ」
 六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
 「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
 それから六年。またカードが届いた。

 「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
 十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
 「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

人はよき縁を頂き、そして縁を生かして生きていくことを感じさせる逸話です。彼の少年も一人の先生の縁を頂き、その縁を生かして成長していった。ポツンとたたずむ一人のひとであっても、その人の歴史の中に多くのつながりがある。そのつながりを「縁」という。その縁は縦横無尽につながっていて無関係なものはないと仏教では説く。
 その縁を見るまなざしを仏教では大切にしている。そして浄土真宗ではその縁を大切にしない凡夫であっても、その凡夫の私を大切にして下さる仏さまがおられると示されている。

3項 この人

 椎木 俊郎さん
    ―柏市つくしが丘在住

 西方寺一泊旅行のバスの車中、隣り合わせになったご縁にお聞きしました。
 昭和14年8月、山口県防府市に6人兄姉妹の4番目として誕生。家業は自動車教習所を営んでいたが、大戦が進んでいくと鉄製品供出で車がなくなり教習所は閉鎖したそうです。18歳で東京に進学し、明治製菓に入社、結婚後3人の男子に恵まれて、現在はご夫婦での二人暮らしだという。

 明治製菓はお菓子だけではなく、菓子部門7割、医薬品部門3割の業績、医薬品ではペニシリンで業績を伸ばし現在はうがい等のイソジンが売れています。私はおもに機械工作部門におり、大阪、東京本社、静岡へ赴任しましたが東京が長かったです。長くお菓子業界にいたので、菓子を見ると、その菓子がどのような工程でつくられたかが分かります。会社の整理のために、戸畑工場や明治パンの部門へ派遣されたが、戸畑工場は立ち直りましたが転出十年後に閉鎖、明治パンは赴任中に神戸屋へ売却されたという思い出があります。今は仕事を引きましたが、最後の勤務地は、富士市にある印刷関係の会社で、6年半、毎日、日本一の富士山を見て過ごしたのはよかったです。その後、蓮田の子会社で6年、石油高騰で会社が閉鎖されました。

 柏市には、昭和47年に逆井に住んでいる先輩の所へ挨拶に行ったとき、小田急が土地分譲をしていたので冷やかしに寄ってみたことがご縁でした。
 座右の銘は「継続は力なり」です。昨年まで郷里の高校の同窓会の幹事をしていて、山口県では珍しく、東京方面が3分の一、大阪方面が6分の一で、昨年の同窓会では293人が集まり、盛況でした。

 ご母堂が小学校の教諭をしておられた関係か、ご兄弟のうち3人が先生の職にあったそうです。几帳面なご性格はお母さん譲りかなとお話を聞きながら思いました。今年の4月から西方寺世話人としてご苦労をおかけしています。甘い物がお好きでアルコール類はにがてだそうです。
*明治製菓は今年四月から社名を 明治ホールディングに変更

4項

住職雑感

● 今日の産経新聞(十一月十一日)に東京・秋葉原の無差別殺傷事件で殺人罪などで起訴された元派遣社員、加藤智大(ともひろ)被告(27)から、被害者で今も後遺症に苦しむ元タクシー運転手、湯浅洋さん(55)のもとに届いた、直筆と思われる便箋(びんせん)6枚の手紙の内容が掲載されていた。

【加藤被告から】
手紙の冒頭に 「この度は本当に申し訳ございませんでした。言い訳できることは何もありません。私は小さい頃から「いい子」を演じてきました。意識してやっているわけではなく、それが当たり前でした。そのことがあるので、取り調べを受けている時から「申し訳ない」と思っている自分は、はたして本当の自分なのか、という疑念がありました。形だけの謝罪文はいくらでも書けますが、それは皆様への冒涜でしかなく、これは本心なのか、いつもの「いい子」ではないのか、と常に自問しながら書いています。」とあった。
 自分自身が生きている実感がない。現代社会の病理の犠牲者という思いがよぎります。
 50年前の不幸は、乱暴な言い方ですが健康、貧しさなど「ない」ことが原因でした。しかし現代は、生きている実感のない、不安、虚しさなど「ある」ことが不幸の原因となってい
ます.
 現代における寺院の役割は、「あることが起因する不幸」への回答がその一つでしょう。まずは法話会です。