前号



清風 79号 (21.10.1号)

1項
カー優勝秘話

九月三日、広島県ご出身の講師、福間義朝先生が遠慮がちに話されたお話です。
それは広島球団の初優勝の折の逸話です。
 野球の広島東洋カープが球団創設以来二十六年目で宿願の初優勝を達成した。一九七五年のことです。
 その年、三年連続の最下位チームは新監督にジョー・ルーツを起用する。
 プロ野球初の外国人監督である。ルーツは負け犬根性の染み付いた選手たちに闘争心を求め、けっして下を向くことを許さなかった。 チームカラーを燃えるような赤に変え、赤いヘルメット、アンダーシャツ、ストッキングに身を包んだ選手たちは、戸惑いながらも縦横無尽にグラウンドを駆け巡った。嵐はいきなり訪れた。あろうことか、開幕して一ヶ月もしないうちに審判とのトラブルがもとで、監督のルーツが退団してしまう。混乱の中、コーチだった古葉竹識が彼の精神を受け継いで監督となり、広島カープはファイトを前面に出した激闘を見せて快進撃を続ける。 主力の山本浩二、衣笠祥雄の両輪が大活躍し、そのチームカラー同様に炎のごとく燃えた。いつしか彼らは“赤ヘル軍団”と呼ばれ、初優勝を果たす。
 優勝から五日後に行なわれた歓喜の優勝パレード。沿道には、当時の広島の人口八十五万人のうちのなんと三十万人もの群集が押し寄せた。その中には、広島カープの優勝を夢見ながら、願いかなわず亡くなっていった親族の遺影を高々と掲げる多くの人たちの姿があったという。
 古葉竹識監督は、その光景を見て声を震わせて泣いたという。

 球団は昭和24年(1949年)、復興のシンボルとして、広島県下にプロ野球球団設立の声が高まり、新しいチームが誕生した。広島城の別名「鯉城」にちなみ「広島カープ(鯉)」と命名された。すでに峠を越えた選手や他球団の放出選手が集められたために、シーズンが始まると予想通りの最下位。他球団のように特定の大企業の親会社を持たない、唯一の“市民球団”として発足したこともあり、資金難で何度も解散の危機にさらされる。選手への給料が遅れる、遠征の旅費が足りない、とうとう球場の入り口に大きな樽を置いて募金をつのった。発足以来、常に球団の経営は切迫し、広島カープはそのほとんどのシーズンが下位に低迷した。こうして長い長い冬の時代は続いた。しかしそれでも球団創設以来、ずうーと応援し続けてこられた方があったということです。カープの優勝を見ることなく、先に逝かれた方々にも、この優勝を見てほしいというフアンの気持ちが、パレードに遺影をもっての参加になったという。
 ご講師のお話は、目に見えない存在に支えられて、私たちの今があるということでした。

2項

大いなる勘違い

いよいよ新しい内閣が発足した。国会議員になって自分は偉くなったと勘違いする諸氏も多いに違いない。しかし勘違いするなとは言わない。それが浄土真宗の考え方だと思う。必ず勘違いをするのが凡夫である。その凡夫であることを見失わない。それが肝要です。

 九月十五日、面白い新聞記事があった。(読売新聞夕刊)

 ワンと鳴くペットの豚が、近所で話題になっている。埼玉県羽生市の会社員川田光長さん(42)一家が飼う雄のミニ豚「クロちゃん」で、散歩中にトラックや電車などに出合うと、大型犬のような野太い声で「ワン!」とほえる。
 クロちゃんは昨年5月、川田さんの知人宅で生まれたポットベリー種の子豚6匹のうちの1匹。生後2か月で川田さんの家にやって来た。川田さんが犬のような鳴き声に気づいたのは昨秋。最初は「空耳と思った」という。
 川田さんと妻加代さん(40)、高校2年の長男光輝君(17)が交代でクロちゃんと散歩を毎日しており、今月11日には1時間半の間に5回ほど鳴いた。犬に近づいてにおいをかぎ、じゃれ合うこともある。
 クロちゃんが生まれた知人宅に犬がたくさんいたという。「自分は犬だと思っているのでは」と一緒に寝ている光輝君。東武動物公園(埼玉県宮代町)の下康浩飼育課長は「犬と一緒に暮らしていれば、まねすることがあるかもしれないが、ワンと鳴く豚なんて聞いたことがありません」と首をひねる。
 4キロだった体重は25キロになり、体長も35センチから80センチほどに。トマトやキュウリを好み、生の白菜や大根、調理した豚肉も食べる。(以上)

 面白いと思ったのは、人間だけでなく豚でも勘違いするということです。豚が自分を犬だと思ってワンとなく。そんな勘違いをするところが愉快です。

 大きな伽藍の坊さんも、伽藍と歴史と教えに尊敬の念を寄せているのに、自分が偉いと勘違いしている人も多いだろう。そもそも人間は偉いと思っていること自体が、大いなる勘違いだ。

 本願寺の大谷光真ご門主の言葉(まことのよころびより)に次のような指摘がある。

 この蝉のことを考えながら思ったのですが、人間に宗教があるのは、果たして動物より高級であるからなのだろうか、反対の考え方もできるのではないかと思ったのです。動物には、人間にあるような宗教は必要のないようないのちが恵まれている。自然の摂理といいますか、天地自然の移り変わりというものと一体になったいのちが恵まれている、とも考えられるのではないでしょうか。

 私は、宗教が人間にあるというのは、人間が高級だからあるのではなく、それだけ欲が深く、罪の深い動物であるから、おのずからそこにまた宗教という問題もある、という受けとり方ができるのではないかと、と思ったのであります。

 人間は万物の霊長、これは大いなる勘違いだろう。

 そして人類のもっとも大きな勘違いを指摘された人が、宗祖かも知れない。それは人が自由意思によってとなえていると思った南無阿弥陀仏が、阿弥陀如来の働きの賜物であることを明らかにされた。それは同時に、人間の闇の深さが、無条件に救われなければ救われようのないほど深く混迷を極め、仏とは無縁の存在であることが明らかになったことでもあった。

3項

ーこの人ー
松尾 俊彦さん―
   柏市西原在住―

 世話人会の折、お話をお聞きしました。
 松尾さんは、昭和二十年生まれ。佐賀県から昭和三十九年三月三十一日に東京へ出てきていらい、大阪、大分、北九州、長崎、東京、宇都宮、上尾、船橋と転勤の末、柏住民となったそうです。日々の仏さまのお給仕の様子を伺いました。

 実は私の実家は曹洞宗でした。妻との縁で、今は毎朝、浄土真宗の阿弥陀さまを礼拝する毎日となりました。浄土真宗の法話を聞くようになってから、以前は縁起かつぎや目に見えないものに恐れを感じていましたが、今は精神的に落ち着いた日暮を送っています。
 早朝、お仏壇に一番茶のお茶をお供えして合掌してからウオーキングに出ます。そして帰宅して、お仏飯をお供えして正信偈のお勤めします。音痴ですが素地の私のままお勤めいします。毎朝、お勤めをしていると、お勤めをしないと落ち着きません。毎月定期的に仏壇のお掃除をしますが、あまり度が過ぎて金箔が剥げました。
 家を建てたとき、妻の実母の死を縁として浄土真宗の阿弥陀さまをお迎えしましたが、仏壇が入仏して初めて、なにか家に魂が入ったというか、やっと一軒の家ができたと思いました。

 松尾さんは、西方寺の世話人としてお連合いの松尾良枝さんと同伴でお世話をいただいておりますが、義理や役割でなく、一信心の人としてお寺に関わられる後ろ姿に、ひとりの人間として、信仰に生きることの安らぎを感じるお人柄です。ご趣味の釣りで上がったイカを、たまに頂戴して私もご相伴にあずかっています。  

4項

住職雑感

● 現代はどんな時代なのか、過去の歴史と比べて、あるいは理想的社会と比較して知るしかない。
 葬儀の仕方も変わった。三十年前、自宅葬が当たり前で、華美な花やナレーション風な司会もなかった。主役は死の悲しみであり、その悲しみを気遣う人の焼香が、身近で行われた。
 それが時の移り変わりと共に、色花が多くなり、葬儀式場で葬儀が行われるようになった。
 すると悲しみを感動的言葉でおおい、悲しみの中でも減退することのない欲望にどう対応し、その願いに応答した演出がされるようになった。
 その頃からかどうか、直葬という、葬儀をせずに直接、火葬場へ行き荼毘にする人たちが増えていった。
 この直葬が増えた原因は、いろいろあるが、その大きな理由の一つに、人のつながりの希薄化がある。その人間関係の希薄化の底に「安くて便利で快適」というあまり推薦できない幸福観がある。
 この幸福観が常識になっているところに現代の病理ともいうべき不幸がある様に思われる。