前号

清風76号 (21.9.1日号)

1項 歌物語
産経新聞の朝の歌に、左記の歌が紹介されていました。

知っていますか
どくだみが
最初は五弁の
花びらだったことを

諍(いさか)って
ひとと別れてしまった
一番 毒の強い
ひとひらを捨て
あれから ずっと
十字を切って
いることを
栃木県小山市 
   渡辺陽子(62)

 毒だみの白い清楚な花びらから、物語を紡ぐのってすごいと思う。これってすごく楽しそうです。さっそく私も紡いでみました。

あじさい

知っていますか
むかし あじさいが 
ひとひらの
花であったことを

ある年
雨がまったく
降らない年があったという
あじさいの
悲しい様子を見た 
一粒の滴が
雲から
落ちていったそうです

あじさいの喜びは
それはそれは大きく 
鮮やかな色を
つけたといいます

そのあじさいの喜ぶすがたに感動した 
九十九の雨粒が
また雲から
落ちていったという

その時 
あじさいは嬉しさのあまり
百の花びらを
咲かせたといいます

 アジサイの花びらは何枚あるのかネットで調べると、4枚の花びらは花びらではなく、花びらを守るがくが花びら状になったものだとありました。
 和名の「あじさい」は集(あづ)・真藍(さあい)が変化したもので、集(あづ)は集まる、真藍(さあい)は青い花という意味だそうです。本当の花びらは、4枚のがくの真中にある小さな丸いものです。がくに守られるようにして小さな花を咲かせます。

2項

仏さまを大切にすることは
  私を大切にすることです

 子どもは親から寄せられている愛情に気づくことはない。それは空気のように生まれた時からあるからだ。しかし、自分の身の上にアクシデントが生じたとき、あるいは自分の無力さに気づくとき、私の上に寄せられている、親の愛情の深さに思いが至るということがあります。
 これまたネットで見つけた話です。

 わたしが小学2年の頃、父の後妻として入った継母と一緒に住むことになった。
 なんとなく馴染めなくて、いつまで経っても<CODE NUM=00A2>お母さん<CODE NUM=00A3>と呼べないでいた。
 そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母は自分のため一生懸命に尽くしてくれた。
 小学校4年になった夏休み、継母の提案で二人して川へ遊びに行くことになった。あまり気が進まないが、断る理由もなくしぶしぶついて行った。
 現地に着くと、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。
 しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。
すごく苦しかった。
 でもそのうち喉の奥が<CODE NUM=00A2>クッ、クッ<CODE NUM=00A3>となってだんだん苦しくなくなってきて、意識がなくなった。
 気がつくと、私は病院のベッドで寝ていた。
一時心臓が止まって危なかったと涙ぐんだ父が言った。
 ベッドの傍に、継母はいなかった。私は父に<CODE NUM=00A2>あの人は?<CODE NUM=00A3>と訊いた。父はひと呼吸置いてゆっくりとしたロ調で教えてくれた。
 私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、そのまま力尽きて下流まで流された。その後救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。
 私は次の日に継母のいる病室に行った。継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。
彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく…。

 葬儀が終わって母の遺品を整理している、鍵のついた日記が出てきた。私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。
 そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。
 ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に<CODE NUM=00A2>ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい。あの子なら、命かけてでも守れる自信がある。○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます<CODE NUM=00A3>
 日記を読んではじめて、私は<CODE NUM=00A2>お母さん!<CODE NUM=00A3>と大声で叫びながら錯乱状態になり、声が出なくなるまでごめん、ごめんね、と言って泣いた。(以上)

 親の愛情に開かれていくことは、わたしの身の上に寄せられている事実への気づきであり、親の愛情の中身は、子どものことでいっぱいです。
 仏教の言葉に「自利利他円満」(じりりたえんまん)という語があります。この言葉は仏さまの境地を示した言葉ですが、あなたが幸せになることが私の幸せというものです。まさに親と子の関係に似ています。
日常生活で仏さまを大切にすることは、仏さまから願われている私を大切にすることにほかなりません。

3項(写真あり)下段、行事案内

この人は
 ―西方寺責任役員(総代)

 城戸政満さん
    現住所柏市豊四季

 現代に至る思いを語っていただきました。
 わたしは、関東大震災の前日、大正十三年八月三十一日に福岡に生まれました。戦争に行き一年後、鹿児島で終戦を迎えました。福岡に帰ってきて、以前、事務の仕事でそろばんを使っていたので、いきなり二級と一級の検定試験を受けに行きました。そしたら合格で定職のほかにそろばん教室を開いていたこともあります。そして会社の転勤で北海道の釧路に三年半いて、東京八重洲口の本社へ異動となって、その時からこの柏に住んでいます。

 西方寺さんとの御縁は、まだ布教所の千代田のころからで、宗教法人になってからは平成四年から九年まで門信徒会の監査を務めていましたが、それから総代の酒井さんが急逝されたのでそのあとを受けて、現在の西井さんが会計になるまで(十八年度末)会計を務めていました。

住職 城戸さんは西方寺設立時よりの総代であり、今年1月より瀬戸正清さんの後を受けて責任役員の任にあります。10年ほど前に胃がんで胃を全摘し、また実弟を見送るなどの苦渋の中、西方寺を支えてこられました。一昨年ころより体調が思わしくなくお寺の行事には皆勤とはいきませんが、お寺の縁の下の力としてご援助いただいております。

4項 住職雑感

● 四月から三日に加え、毎月十六日も法話会です。三日と少し趣向を変え、法話は五十分で、その後、お茶を飲みながら講師と対談形式でお話を聞いています。
 五月は川口市の吉井誠光さんで、まだ三十代ですが、本願寺の開教使としてアメリカに五年おられた方です。アメリカでのことなどをお聞きしました。
 また十六日はその月に誕生された方には、誕生日の誕生花の写真を素敵なホルダーに入れて、その花の花言葉とともに差し上げています。
私(住職)がだいぶ苦労して一年分の誕生花の花の写真を集めました。

● お盆のお勤めですが、自宅へも出勤いたします。ただ数が多く住職はお寺での法要等で出勤できません。
御了承下さい。
 この地域では七月のお盆に勤めても一向に構いません。八月も、八月に入れば盆月なので、八月中にお盆のお勤めをすればよいと思います。お盆は先祖への感謝の営みです。
 また例年のとおり、七月の寺報発送時、昨年お預かりしました法要名簿と本年の法要名簿をご送付致します。この一年でお葬式のあったご家庭にも法要名簿をお送りします。

● 七月十六日、築地本願寺での帰敬式(おかみそり)参加者は十五名です。
 次回は十一月十二日(木)午後、御一緒したいと思いますので、希望者は七月中にハガキでご連絡ください。
 住職が2.3の法名を考えて、その中から1つを選んで頂き本山へ申請します。
 費用は二万五千円です。
人生は繰り返すことはできない。でも見直すことはできます。その機縁になればと思っています。