清風75号(平成21.年6月1日号)

前号

一項
願いに気づく

あしかがフラワーパークへ行きました。藤の花が見事なこと。その藤の香りで思い出すことがあります。
 ある年の春でした。毎月伺っていた老人施設に行くと、施設のヘルパーさんが「○号のSさんは最近急に痴呆が進んだ感じで変なんです。目も耳もほとんど見えていないようです。ぜひ話を聞いてあげてください」とのことです。

 早速、Sさんのところへ行き、天気がよかったので車いすに乗せ屋上へ行くことにした。屋上は鳥小屋や藤の花や木々が植えられています。4月の柔らかい新緑の葉を手で触れさせ、藤の花をひと房ちぎり、Sさんの鼻へ近づけ、大きな声で「藤の花ですよ」と告げると、とたんに笑みを取り戻し、何度も自分の手で鼻へ近づけ「いいにおい」と言われます。そしてかすかに形がわかる様子で楽しんでおられる。私もうれしくなり、つつじや他の花を手の感触で楽しんでもらいました。Sさんは「お花がいっぱい、いいところへ連れてきて下さってありごとう」と喜ばれました。

 私はSさんを居室に届けると、ひと房の藤の花をもって、他の寝たきりの方のところへ、藤の花の香りをとどけました。私はその小さな体験の中で、耳や目が不自由であっても、臭覚はいがいと衰えていないという事実を思いました。そして次に思いを巡らしたことは、これは偶然ではないということです。

 臭覚は動物にとって最も重要な感覚です。臭覚を失うことは致命的です。人間でも鼻が中央にあるのは、重要だからです。口から腐ったものが入らないよう常に見張っているのです。
お年寄りの臭覚が他の器官に比べて、衰えていないのは偶然ではない。それはこの命を長く保ちたいという、命そのものの中に宿っている願いがあると思ったのです。

 願いに開かれるということがあります。私の願いではなく、より大きな存在から願われていることへの気づきです。藤の香りを楽しむ。そして香りを楽しむ中に、この命そのものの中に込められている願いを楽しむ。すると心に安らぎが広がっていきます。

二項
誠の心

五月の法話会でご講師が「科学は知の真実の探求であり、仏教は生きる真実の探求です」と語られていた。
 生きる真実とは、どんなことでしょうか。親鸞聖人は「真実」の文字の横にその意味を記され「真というは、偽りへつらわぬを真というなり、実というは必ずものの実となるなり」と示されています。ひらたく言えば「私の身になってくれる誠の心」ということでしょう。それは子どもを思う親の心であり、左手をケガしたときとっさに動く右手の姿に象徴されます

 ネットで見つけた話です。
 Aさんは、孤児を育てる施設から三歳の時に今の親に引き取られた。中学二年のとき、その父親が他界します。その葬儀の最中にAは、偶然にも施設からもらわれてきた子であることを知ります。以来、Aは母を嫌いになり、死んだ父でさえも嫌いになったという。その「裏切られた」という心の傷が癒えぬまま、母親と暮らします。
 父の死後、裕福でなかった家庭を支えるために母親は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きつづけた。それもこれもAのためを思ってのことであった。Aはそれすらもうっとうしかったという。
 ある日、Aが登校していると市場から帰ってくる母と出会った。友達と登校していたAは、ボロボロの服装のその人が母であることを知られたくないと思い、母の「いってらっしゃい」との言葉を無視した。そして「誰あれ、気持ち悪いんだけど」と友だちに悪口すら言ってごまかした。

 母はAの思いを察して、次の日にはわざと目を伏せ、足早にすれ違っていった。その後も何一つ小言をいわず働き続けた。そんなことが一ヶ月くらい続いたある日のことだった。

 その日は雨が降っており、市場から帰ってきた雨合羽を着た母とすれ違った。今まで同様、無言ですれ違うと、母のなんとも淋しくつらそうな姿が目に映った。その母の姿を見たAは、突然、涙が溢れでてきた。「自分は一体何をしているのか」。ボロボロになってまで自分を育ててくれているあの母に、なにをしているのか。凄まじい後悔の念がAの心の底からわき上がってきたという。
 Aは、友たちの目も気にせず母に駆け寄り、とっさに何を言っていいやらわからないままに涙ながらに「いってきます」と声をかけた。母は一瞬驚き、そして泣いた。それは母親の日ごろの思いが報われたときでもあった。母親は泣きながら何度も何度も「いってらっしゃい」と言ったという。

「必ずものの実となる」とは、子を思う母の心のように相手の立場になれることです。「私の身になってくれる誠の心」が私の上に寄せられている。その誠の心の働きによって、私のよこしまな心が破られていくようです。真実とは私のウソが破られていく働きです。

三項

築地本願寺の二枚の絵

 
過般、インタビューを受けた日刊スポーツ(写真)が送られてきた。「墓地散歩」というタイトルで、若者に人気のあった尾崎豊さんやXジャパンのヒデさんなどの、スポーツ新聞に映える故人のお墓散策の連載記事です。
 なぜわたしがインタビューを受けることになったかというと、築地本願寺に二枚のヒデに関係する日本画と、ヒデを追悼するコーナーが設けられているからです。
 ヒデについてフリー百科事典『ウィキペディア』には【(ヒデ、1964年12月13日-1998年5月2日)は日本のロックバンドであるX JAPAN のギタリストでミュージシャン、アーテイストである。愛称は「hideちゃん」。33歳没。】とある。
 当時、掲載していた産経新聞コラムに次のように私は次のように書いています。

 【昨年5月、Xジャパンのメンバーであったhideの葬儀が築地本願寺でありました。それ以来、築地本願寺の本堂にはhide追悼ノートが置かれています。この一年で大学ノート37冊を数えます。このノートもまた、カラフルなカラーペンでそれぞれの思いが書き込まれています。
 最初の頃のノートを分析しました。分析といっても、どんな言葉が多かったかを拾い集めただけですが。
 なんといっても一番多かった言葉は、「ありがう」でした。これは正直な故人への思いなのでしょう。それと次の多かったのが「永遠に私の心に生き続けます」という言葉です。
 若者の心は、死んだら終わりというドライな感情ではありません。人の生と死を超えて、生き続ける願いや愛、想いといった情念を大切しています。死んだら終わりというドライな感情は、むしろ大人たちの抱く心のようです。

 さて最近のノートの言葉です。多くある言葉で意外であったのは「お元気ですか」という言葉です。
hideはすでに死んでいます。その意味からすると元気であるはずはありません。しかし本堂という仏様を安置した空間。生と死を包む宗教的な空間に身を置くと、「お元気ですか」と語りかけることができるようです。築地本願寺の本堂は、心の中に生き続けているhideとの出会いの場なのでしょう。
 そして彼らは「お元気ですか」の次に自分の近況を書き込みます。故人との出会いの場は、そのまま故人から見られている自分との出会いの場でもあります。 色とりどりのカラー文字。その裏に自分との出会いを求める時代を超えた若者の姿が見えてきます。
 巡礼は自分との出会いの旅です。カラー文字。献花。形式は昔と違いますが、その若者の姿の上に現代の巡礼を思います。】(以上)

 そして一周忌のとき、日本画家である川畑久子さんらのグループに書き込んでもらった仏さまの下絵に、参拝者1000人の「ありがとう」を余白に書いてもらい、そして色を重ねて仕上がった絵が、築地本願寺に飾られている二枚の絵です。
 五月九日に本願寺に設けられているヒデのコーナーに立ちよると、きれいな色花が花瓶に入れて多数飾られていました。最近のヒデノートには「お久しぶり」といった言葉が目立ちます。彼らは、お墓参りをするように築地本願寺に参拝しているようです。

四項 住職雑感

● 物が豊かになると心が貧しくなる。権力を手に入れると人は傲慢になる。正しさを身につけると人を裁きたくなるし、腹が膨れると眠たくなる。そしてある程度の地位にいたると自慢がしたくなります。
 どうも人が手に入れる良いものには副作用があるようです。

●二月に「わが家の仏教・仏事としきたり 浄土真宗」日東書院刊(住職執筆・監修)が発刊になりました。書店でも販売していますが、西方寺では八月のお盆の御扱(記念品)でお配ります。

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